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少女は次の瓶を手に取る。透明に近い淡い青。ラベルには何も書かれていない。だが中身は分かる。これは「悲しみ」だ。需要は多い。失うために買う者もいれば、取り戻すために買う者もいる。どちらでもいい。流し込めば同じだ。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
次の客は中年の男だった。整えられた身なり、しかし目の奥が乾いている。感情が摩耗している目だ。こういう客は長く残る。壊れにくい。
「怒りをくれ」
即答だった。
少女は頷き、赤に近い濃い瓶を手に取る。先ほどの客に渡したものよりも、少し重い色をしている。
「強度はどの程度にいたしますか」
「制御できる範囲で最大だ」
「かしこまりました」
栓を抜く。瓶の中で濁った光が揺れる。それを男の手に流し込む。数秒の沈黙の後、男の呼吸が荒くなる。拳が震え、歯が食いしばられる。
「……いい」
低く漏れる声。満足の色が滲む。
「お支払いは」
少女は事務的に続ける。
男は少し考え、答えた。
「記憶をひとつ」
少女は頷く。額に触れる。引き抜く。男の表情がわずかに軽くなる。何かを失った軽さ。中身のない軽さ。
少女は瓶を棚へ戻す。今しがた取り出した怒りの瓶とは別の、空の瓶へと視線を移す。そこに、新しく詰められたものがある。
さっき抜いた記憶だ。
感情と記憶は混ざる。完全に分離することはできない。だから売る。だから買う。
男は店を出ていく。足取りは力強い。さっきまでの空洞は埋められている。代わりに、別の穴が空いていることには気づかないまま。
少女は一人になる。
静かだ。
何も感じない。
それが通常だ。
机に手を置く。冷たい木の感触。指でなぞる。何も起こらない。昔は、この動作だけで何かを思い出せた気がする。だが今は違う。何も浮かばない。ただ「なぞっている」という認識だけがある。
「……次」
自分で言う。
誰もいないのに。
習慣だ。
やめる理由もない。
やがて扉が開く。今度は若い女性。目元が赤い。泣いた後だ。だが涙はもう出ていない。出せない状態に近い。
「何をお求めですか」
少女は問う。
女性は少し迷ってから言った。
「……愛を、ください」
既視感のある言葉。
少女は赤い瓶に手を伸ばす。だがその手が、ほんのわずかに止まる。
理由は分からない。
ただ、止まる。
女性はそれに気づかない。ただ、差し出されるのを待っている。
少女は瓶を持つ。
栓を抜く。
光が揺れる。
それを流し込む。
女性の顔が崩れる。涙が溢れる。震える声で誰かの名前を呼ぶ。だがその名前は途中で消える。記憶と一緒に削れているのだろう。
少女はそれを見下ろす。
何も感じない。
はずだった。
ほんのわずかに、胸の奥で何かが擦れる。
痛みではない。
違和感だ。
「……」
少女は無意識に、自分の胸元へ触れる。
何もない。
空っぽだ。
女性が落ち着くのを待つ。その間、少女は動かない。ただ立っている。時間の感覚は曖昧だ。長いのか短いのかも分からない。
「ありがとう」
女性が言う。
少女は頷く。
「お支払いは」
女性は目を閉じる。
「これで、いいです」
そう言って、自分の手を差し出す。
少女はその手に触れる。
引き抜く。
今度は、感情だ。
愛を受け取った代わりに、女性の中に残っていたわずかな“温度”を。
女性の顔が静かになる。
満たされているのに、何も残っていない顔。
少女は瓶を棚に戻す。
新しく満たされた透明な瓶。
ラベルはない。
意味もない。
ただ、そこにある。
「……」
少女はその瓶を見つめる。
何も感じない。
はずなのに。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
分からないものが残る。
それが何かを考えようとしても、思考が続かない。
そもそも考える理由がない。
必要がない。
少女は手を下ろす。
そして、いつものように言う。
「次」




