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第71話 『策士、策に溺れる』

 深夜、王都ゼノリス。  レギオン・蜘蛛(アラクネ)支部の自室にて、シンは月の光に透かした『対話の魔石(ウィスパー・ストーン)』に向かって、怯えた声を吹き込んでいた。

「……あ、あの、ソフィア様? 聞こえますか? シンです……」

 一拍置いて、魔石から凛とした、しかし甘さを帯びた声が返ってくる。

『ええ、聞こえているわよ。私の可愛い小鳥さん。……何か分かったのかしら?』 「は、はい! さっき、アレス団長たちが密談しているのを聞いちゃって……。なんでも、今日の深夜二時に、王都の東地区にある『第三倉庫』へ、組織の資金をこっそり移すらしいんです」 『資金を?』 「はい。ソフィア様の検問や差し押さえが厳しいから、見つからない場所に隠すんだって……。ジェイドさんが用意した『裏金』で、すごい金額みたいです」

 シンは言葉を詰まらせ、恐怖に震える演技を織り交ぜる。

「ど、どうしよう……もしこれがバレたら、僕、殺されちゃう……!」 『ふふ、大丈夫よ。よく知らせてくれたわ。……良い子ね』

 ソフィアの声が弾んだ。  それは獲物を見つけた捕食者の声だった。

『その情報は、私が有効に使ってあげる。貴方は部屋で震えていなさい。……明日の朝には、全てが終わっているわ』

 通話が切れる。  魔石の光が消えた瞬間、シンの表情から怯えの色が消え失せた。

「……ククッ。単純な女だ」

 シンは魔石をテーブルに放り投げると、闇に向かって指を鳴らした。

「聞いたな、ネモ。ジェイド」

 部屋の影が揺らぎ、二人の幹部が姿を現す。  道化の仮面をつけた美女ネモと、冷徹な美貌の青年ジェイドだ。

「ええ、傑作でしたわぁ。あんな見え透いた嘘に食いつくなんて」 「こちらの経済封鎖が効いている証拠ですね。彼女は焦っている。だからこそ、『レギオンの隠し資産』という餌に飛びつかざるを得ない」

 片眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、ジェイドは淡々と分析する。かつての老人の姿は見る影もなく、若返ったその容姿は、冷酷な『黄金の支配者』としての風格を漂わせていた。

 シンは窓の外、王城の方角を見据えて冷笑した。

「ソフィアは手持ちの最強戦力――私設部隊『毒蜘蛛の糸』を動かして、その倉庫を襲撃するはずだ。……そこには何がある?」 「空っぽの木箱と、我々が匿名で通報しておいた『王都警備隊』の精鋭たちです」

 ジェイドが眼鏡の位置を直しながら答える。

「『深夜、東の倉庫に武装した盗賊団が現れる』……そう通報しておきました。ソフィア王女の私兵たちは、王都の治安を守る警備隊と鉢合わせになり、言い逃れのできない『武装強盗』として捕縛されるでしょう」 「自分の手足が、国の法律によって切り落とされる気分はどうだろうな」

 シンは愉悦に目を細めた。  だが、これだけでは終わらない。

「ネモ。ソフィアの兵隊が出払っている間、彼女の『目』と『耳』はどうなっている?」 「ガラ空きだよん♡ 彼女の情報網を守る護衛はいなくなるぅ」 「なら、潰せ。……一つ残らずな」 「御意に、マイ・ロード」

 ネモが影の中へと溶けていく。  ジェイドもまた、恭しく一礼した。

「では私も、彼女の『財布』を燃やしてまいりましょう。……貴族たちにバラ撒いていた裏金の証拠、全て白日の下に晒して差し上げます」

 二人が消えた部屋で、シンは再びベッドに寝転がった。  天井を見上げ、ソフィア王女の絶望を想像する。

「策士策に溺れる、か。……いい気味だ」

          ◇

 同時刻。王城「白百合の離宮」。  ソフィアは、窓辺に立って勝利の予感に酔いしれていた。

「……愚かね、レギオン。資金を移動させるなんて、私に奪ってくださいと言っているようなものじゃない」

 彼女の後ろには、誰もいない。  普段なら影のように控えている護衛や従者たち――彼女の手足となる諜報部隊「毒蜘蛛の糸」の主力を、全て東の倉庫へと向かわせたからだ。  相手はSランク幹部を擁するレギオンだ。生半可な戦力では返り討ちに遭う。だからこそ、ソフィアは信頼できる精鋭の全てを投入した。

「これでレギオンの資金源を断てば、あの組織は瓦解する。……あとはあの子、シンを保護して飼い慣らせば、私の国作りは完了よ」

 完璧な計画。  綻びなどあるはずがない。  彼女は優雅にワイングラスを傾け、吉報を待った。

 しかし。  一時間後、飛び込んできたのは吉報ではなく、血相を変えた伝令の兵士だった。

「で、殿下! 大変です!」 「騒がしいわね。……資金の確保は終わったの?」 「そ、それが……! 東の倉庫は空でした! それどころか、待ち伏せしていた王都警備隊に包囲され、部隊の半数が拘束されました!」

 ガシャン。  ソフィアの手からグラスが滑り落ち、赤いワインが床に広がる。

「……は? 警備隊? なぜ彼らがそこにいるの?」 「わかりません! ですが、『盗賊団が現れる』という密告があったそうで……!」 「馬鹿な……。私の部隊だと名乗れば……」 「それが、隊長たちが名乗ろうとした瞬間、何者かに『喉を潰され』まして……。反論もできぬまま、牢獄へ連行されました!」

 ソフィアの背筋に、冷たいものが走った。  喉を潰された? 誰に? 警備隊にそんな芸当ができる者はいない。  まさか、その場に「第三者」がいたというのか。

「い、いえ、まだです殿下! さらに悪い報告が……!」 「まだあると言うの!?」 「はい……! 市内の隠れ家に待機させていた『情報収集班』との連絡が途絶えました。現地に向かった者によると、アジトが……『影』に飲み込まれて消滅していたと……」 「影……?」

 ソフィアの脳裏に、レギオンの幹部リストにあった不気味な道化師の女の姿が過ぎる。  十王(デケム・キング)(ドッペル)】ネモ。  まさか、こちらの戦力が手薄になった瞬間を狙って、逆に狩りに来たというのか?

「そ、そんな……。だって、情報は完璧だったはず……」

 シンからの情報は正確だったはずだ。彼は怯えていた。嘘をついているようには見えなかった。  もしや、レギオン側が直前で計画を変更したのか? それとも、偶然?

 混乱するソフィアに、トドメの一撃が放たれる。  部屋の扉が乱暴に開かれ、今度は初老の文官が駆け込んできた。彼はソフィアの腹心であり、裏帳簿の管理を任せている男だ。

「ひ、姫様ッ! 終わりです、何もかも終わりです!」 「今度は何よッ! 落ち着きなさい!」 「落ち着いてなどいられません! 先ほど、貴族院の議長から連絡がありました。『ソフィア殿下による公金横領と、反対派貴族の暗殺計画書』が、全貴族の屋敷に届けられたと……!」 「――は?」

 ソフィアは呼吸を忘れた。  横領。暗殺。  それは確かに彼女が行ってきたことだ。王国の腐敗を一掃するため、そして自身の力を蓄えるための「必要悪」。  だが、その証拠は完璧に隠滅していたはずだ。裏帳簿は魔法的な暗号で封印し、誰も触れられない場所に保管していたはずなのに。

「な、なぜ……誰が……」 「差出人は不明です! ですが、帳簿の数字は一桁の狂いもなく正確で……。既にミランド侯爵をはじめとする貴族たちが、殿下の弾劾(だんがい)を求めて王城へ詰めかけております!」

 ソフィアはその場に崩れ落ちた。  手足をもがれ、目耳を潰され、そして立っている足場(地位)さえも崩された。  たった一晩。  わずか数時間の出来事だ。  自分が攻勢に出たと思った瞬間に、全てがひっくり返された。

「罠……? これは、罠だったというの……?」

 震える手で、懐から『対話の魔石(ウィスパー・ストーン)』を取り出す。  まさか。ありえない。  あんな、怯えた小動物のような少年が?  自分を騙していた?

「……シン!」

 ソフィアは悲鳴に近い声で魔石に呼びかけた。  数秒の沈黙の後、魔石が光り、少年の声が返ってくる。

『――ひ、姫様!? どうしたんですか、そんな怖い声を出して……』

 相変わらずの、怯えた声。  ソフィアはギリギリと歯ぎしりをした。

「貴方ね……! 貴方、私に嘘を教えたわね!? 資金の移動なんて無かった! 私の部隊は捕まって、何もかも滅茶苦茶よッ!」 『えっ!? そ、そんな……! だって、確かにアレス団長たちはそう言っていたんです!』

 シンは泣きそうな声で弁明する。

『信じてください! もしかしたら、僕が盗み聞きしているのがバレて、わざと嘘の情報を流されたのかも……。ああっ、どうしよう、僕のせいで……!』 「ッ……!」

 ソフィアは言葉を失った。  ……ありえる。  レギオンの幹部たちは化け物揃いだ。Fランクの少年の尾行になど、とっくに気づいていたのかもしれない。  そして、あえて彼に偽情報を聞かせ、私を誘い出したのだとしたら。

(……この子は、ただ利用されただけ? 私と同じように?)

 ソフィアの中で、シンへの疑念と、それ以上の「レギオンへの恐怖」が渦巻く。  彼らは自分の行動を全て読んでいた。  自分が「シンをスパイにした」ことさえも、計算の内だったというのか。

『ご、ごめんなさい……姫様、許してください……』 「……もういいわ」

 ソフィアは力なく魔石を握りしめた。  怒鳴りつけたところで、失った戦力は戻らない。  今は、この状況をどう打破するかだ。

「シン。……貴方はそのまま待機していなさい。レギオンに勘付かれているかもしれないから、目立った行動は控えて」 『は、はい……』

 通話を切ると、ソフィアは立ち上がった。  その瞳には、まだ諦めの色はなかった。むしろ、追い詰められた獣のような狂気が宿り始めていた。

「おのれ、レギオン……! よくも私に恥をかかせてくれたわね……」

 知略戦では負けた。  政治力も失った。  ならば、残された手段は一つしかない。

「力ずくでねじ伏せてやるわ。……『【才能(ゼロ)毒蜘蛛の女王(クイーン・アラクネ)】】|』を解放してでも!」

 ソフィアは自室の隠し棚を開け、紫色の液体が入った小瓶を取り出した。  禁断の変異薬。  人間を捨て、魔物へと堕ちる劇薬。

 彼女はまだ気づいていない。  その選択肢を選ぶことさえも、盤上の支配者シンによって誘導された「最後の一手」であることを。


本日もお読みいただきありがとうございます!


ソフィア王女、完敗です。 「資金移動」という餌に釣られ、自慢の私設部隊を失い、さらに全財産と信用まで失ってしまいました。 シンの「ごめんなさい! 僕のせいで!」という白々しい演技が、逆に彼女の判断力を鈍らせていますね。


「シンも騙されていた被害者」だと思い込むことで、彼女はまだ本当の敵の正体に気づけていません。 そして追い詰められた彼女が選んだのは……禁断の力。


面白い、続きが気になる! と思っていただけましたら、 ブックマーク登録と、広告下の【☆☆☆☆☆】から評価をいただけると執筆の励みになります!

続きます。

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