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第23話 神域の円卓、そして愚かな査察官

地下宮殿(アンダー・ネスト)


物理的な座標を持たず、次元の狭間に固定された絶対支配者の聖域(サンクチュアリ)。 その最深部に位置する「玉座の間」は、今、かつてないほどの緊張と魔力に満ちていた。


先ほどの覚醒の儀式により、組織の幹部たちは「人」の枠を超えた存在へと昇華された。 彼らの体から溢れ出る余剰魔力が、黒曜石の壁にぶつかり、青白い燐光(りんこう)となってバチバチと弾けている。


シンは、漆黒の玉座に深く背を預け、その深紅の魔眼を細めた。 彼の視界には、生まれ変わった十四人の配下たちの「魂の輝き」が映っている。 それは、世界を焼き尽くすほどの業火(ごうか)であり、同時に主のためならその身を灰にする覚悟の炎でもあった。


「……始めるぞ」


シンの唇が、静かに動いた。 その声は決して大きくはなかったが、空間そのものを震わせる絶対的な響きを持っていた。


パチン。


乾いた指鳴らしの音が、広大な空間に反響する。


ズズズズズズ……ッ。


地響きと共に、黒曜石の床が生き物のように隆起(りゅうき)し、変形を始めた。 見る間に形成されていくのは、直径十メートルにも及ぶ巨大な漆黒の円卓と、それを取り囲む十四の座席。 それぞれの背もたれには、各幹部が司る「役割」を示す紋章が、妖しく刻まれている。


「座れ。……最初の『軍議』だ」


シンの号令一下。 衣擦れの音一つさせず、全員が一斉に着席する。 その動作の統一感は、彼らが単なる集団ではなく、一つの巨大な生物の器官であることを如実に物語っていた。


最上位、シンの左右には、組織の最強戦力たる【四天(テトラ・カラミティ)】。 アレス、ミラ、ボルトス、チェルシー。 彼らの背後には、Sランクに至った証であるオーラが、揺らめく翼のように漂っている。


それに続く席には、組織の実務を担う【十王(デケム・キング)】。 ジェイド、ヴィンセント、ネモたちが、それぞれの知性と狂気を瞳に宿して主を見つめている。


「まず、この場所の守護について共有しておく」


シンが退屈そうに、指先で空間をなぞった。


「ここは俺が才能(ゼロ)異界創造(ワールド・クリエイト)】で切り取った、物理法則の外側だ。 地上の人間がどれほど穴を掘ろうと、あるいは転移魔法を使おうと、ここには辿り着けない」


シンは円卓の中央に、幻影(ホログラム)の地図を展開した。 そこに映し出されているのは、ネメシスの街と、その地下深くに広がるこの宮殿の構造図だ。


「ここへの通行証は、お前たちに刻まれた【蜘蛛の刻印(アラクネ・ブランド)】のみ。 ……選ばれた者だけが、神の懐で安らぎを得られる」


「まさに、神域……。我々は、主の胎内に守られているわけですな」


美青年の姿となったジェイドが、感嘆の吐息を漏らす。 彼の【真眼(トゥルー・アイ)】をもってしても、この空間の構造は解析不能な「神の御業」として映っていた。


「さて、本題だ」


シンの瞳が、剣呑な光を帯びる。


「我々の足場は固まった。ネメシスは完全に我々の庭だ。 だが、その急激な成長を、周囲のハイエナどもが見逃すはずもない」


シンは視線を、円卓の一角――不気味な道化師の仮面を被った人物へと向けた。


「ネモ。……王都の動きはどうだ?」


「ヒヒッ……。相変わらず、腐った臭いを撒き散らしておりますよぉ」


仮面の下から、性別すら判然としない、加工されたような奇妙な声が響く。 十王(デケム・キング)第三席、【(ドッペル)】ネモ・ローズ。


彼女はここ(円卓)では、道化師のペルソナを崩さない。 主であるシンに対してのみ素顔と真実を晒すが、他の幹部に対しては、あくまで「正体不明の密偵」として振る舞うことが、彼女なりの美学であり、シンの定めた「役割」だからだ。


ネモは手品のように懐から一枚の羊皮紙を取り出し、テーブルの上に滑らせた。


「宰相バルバロスの狸親父が、動き出しました。 ……なんでも、『ネメシスが違法な兵器を隠し持っている』というタレ込みをでっち上げ、王国の騎士団を動かす口実を作ったようです」


「違法兵器、か。……あながち間違いではないのが傑作だな」


シンは、末席に座るシノとヴォルカンを一瞥して苦笑した。 彼らが作り出している魔導兵器(マギ・ウェポン)の数々は、王国の法どころか、この世界の人道的倫理規定さえも軽く踏み越えている代物ばかりだ。


「本日正午。王城より『特別査察官』なる使者が派遣されます。 名目は査察ですが……その実態は、強引な家宅捜索による『言いがかり』と『挑発』でしょうねぇ」


「……下衆がッ」


バンッ! とテーブルを叩いたのは、炎の四天アレスだ。 彼の深紅の髪が、怒りに呼応して逆立っている。


「正義を司るべき騎士団を使って、そのような謀略を巡らせるとは……! 不愉快だ。いっそ、俺が街道で待ち伏せて、消し炭にしてやりましょうか?」


「よせ、アレス。……早まるな」


シンは片手を上げて、猛る猛獣を制した。 その口元には、嗜虐的な笑みが浮かんでいる。


「向こうから喧嘩を売ってきたのだ。……これは『招待状』だと思え」


「招待状……ですか?」


「ああ。奴らは、我々が反撃してくるのを待っている。 我々が暴力で抵抗すれば、『ほら見ろ、やはり危険な反乱分子だ』とレッテルを貼り、国軍を動かす大義名分を得るつもりだろう」


シンは立ち上がり、黒いコートを(ひるがえ)して歩き出した。 その背中から、どす黒い覇気(オーラ)が立ち昇る。


「だが、そのシナリオに乗ってやる義理はない。 奴らの想像を超える『絶望』を見せつけ、手出しできないと分からせてやれ」


シンは円卓を見渡し、一人の男を指名した。


「ガレオン」


「……御意」


岩山が動いたかのような重厚な音が響く。 立ち上がったのは、全身を黒光りする魔鋼(アダマン)の全身鎧で覆った巨漢。 十王(デケム・キング)第八席、【(フォートレス)】ガレオン・ドイル。


覚醒を果たし、その肉体自体が鋼鉄以上の硬度を持つ「生ける城塞」と化した彼は、兜の奥から赤い眼光を光らせた。


「お前が客人の相手をしろ。……丁重にな」


「心得た。……我が身は、主の城を守る『壁』なり」


ガレオンの声は、井戸の底から響くように低く、そして揺るぎない。 彼は一礼すると、転移の光に包まれて消えた。


シンは残った幹部たちを見回し、ニヤリと嗤った。


「さあ、見物といくか。 愚かなネズミが、ドラゴンの寝床に足を踏み入れた末路をな」



地上。城塞都市(フォート・シティ)ネメシス。 その中央広場に面した一等地に、黒い石造りの威圧的な建造物がそびえ立っている。 レギオンの本拠地、「レギオンハウス」。


その正面玄関前に、一台の豪奢な馬車が横付けされた。 馬車の扉には王国の紋章が刻まれ、周囲には白銀の鎧を纏った十名の聖騎士が、威圧するように剣の柄に手をかけて整列している。


「……フン。ここが噂の『レギオン』か」


馬車から降り立ったのは、神経質そうな細身の男だった。 高価だが趣味の悪いシルクの服を着込み、鼻に鼻眼鏡を乗せている。 王国から派遣された特別査察官、バロン子爵である。


彼はハンカチで鼻を押さえ、露骨に嫌そうな顔で建物を見上げた。


「薄汚い冒険者の巣窟にしては、随分と立派な建物を建てたものだ。 ……ま、どうせ違法な金で建てた違法建築だろうがな」


バロンは嘲笑い、護衛の聖騎士たちに顎をしゃくった。


「行くぞ。……抵抗するようなら、その場で斬り捨てて構わん。 どうせ、法も知らぬ野蛮人どもだ。少し痛い目を見せてやらんと、誰が主人か理解できんからな」


聖騎士たちが無言で頷き、殺気を放ちながら歩き出す。 彼らは王都でも精鋭とされる位階(ランク)Bの騎士たちだ。辺境の冒険者など、束になっても敵わないという絶対の自信があった。


「開けろッ! 王国の査察だッ!!」


騎士の一人が、扉を蹴り飛ばす勢いで怒鳴る。 だが、その扉が開かれることはなかった。 代わりに、扉の前で腕を組んで仁王立ちしていた「影」が、ゆっくりと動いたからだ。


ズシンッ……。


地面が揺れた。 バロンたちが驚いて見上げると、そこには彼らの背丈の倍はあろうかという、黒鉄の巨人が立っていた。


ガレオンである。


「……何の用だ」


兜のスリットから漏れる声は、機械的で、感情の色がない。 ただ、そこに「在る」だけで、周囲の空気を物理的に押し潰すような圧倒的な質量感。


「ひッ……!?」


バロンが思わず後ずさる。 人間ではない。これは、巨大なゴーレムか、あるいは魔物か。 その全身から放たれる威圧感(プレッシャー)に、本能的な恐怖が沸き上がる。


「き、貴様! 何者だ! 私は王国の査察官、バロン子爵であるぞ! そこを退け!」


バロンは震える声で虚勢を張り、羊皮紙を突きつけた。


「貴様らの組織には、国家転覆を企む『違法兵器』隠匿の容疑がかかっている! 直ちに地下倉庫への立ち入りを許可せよ! これは王命である!」


「……断る」


ガレオンは、羊皮紙を一瞥すらしなかった。


「地下は、我が主の聖域。……ネズミが這い回っていい場所ではない」


「な、なんだとォッ!?」


バロンの顔が真っ赤に染まる。 王命を拒否するだと? たかが冒険者風情が、貴族である自分を「ネズミ」呼ばわりしたのか?


「おのれ……! やってしまえ! この鉄屑を解体して、スクラップにしてやれ!」


バロンのヒステリックな命令を受け、聖騎士たちが一斉に抜剣した。


「神の名において、異端を討つ!」 「覚悟しろ、デカブツ!」


騎士たちが魔力を練り上げ、剣に光を宿らせる。 身体強化(フィジカル・ブースト)による高速機動。 彼らは左右から同時にガレオンに肉薄し、鎧の隙間――関節部や首元を狙って、必殺の突きを放った。


ヒュンッ!!


風を切る音が重なる。 達人級の連携攻撃。回避は不可能。


だが。


ガキィィィィィンッ!!


硬質な音が響き渡り、火花が散った。


「な……ッ!?」


騎士たちが目を見開く。 彼らの剣は、ガレオンの鎧を貫くどころか、傷一つつけられずに弾かれていた。 それどころか、衝撃に耐えきれず、騎士たちの剣の方が半ばからへし折れている。


「……軽い」


ガレオンは、微動だにしていなかった。 防御魔法すら使っていない。 ただ、腕を組んで立っていただけだ。


「蚊が止まったのかと思ったぞ」


「ば、馬鹿な……!? ミスリルの剣だぞ!? 岩をも砕く聖騎士の一撃が、通じないだと!?」


バロンが腰を抜かす。 目の前の怪物は、彼らの常識の範疇を超えていた。


シンより賜りし第一恩恵(ファースト・ギフト)――【巨体化(ギガント・ボディ)】。 それは単に体を大きくするだけではない。自身の質量と密度を数倍に跳ね上げ、生物としての「硬度」を物理法則の限界まで高める権能。 今のガレオンは、文字通り「歩く要塞」そのものなのだ。


「終わりか? ……ならば、次は俺の番だ」


ガレオンが、ゆっくりと右足を上げた。 ただそれだけの動作が、巨大な死刑執行の斧が振り上げられたかのように見えた。


「――消えろ」


ドンッ!!


ガレオンが足を踏み下ろした瞬間、衝撃波が放射状に炸裂した。 石畳が爆ぜ、突風が巻き起こる。


「うわあぁぁぁぁぁッ!?」


聖騎士たちが、木の葉のように吹き飛ばされた。 鎧がひしゃげ、骨が砕ける音と共に、彼らは数十メートル後方の路上へと無様に転がっていく。


「ひ、ひぃぃッ!?」


一人残されたバロンは、目の前に迫る黒い影を見上げ、失禁した。 殺される。踏み潰される。 この怪物は、王命も、貴族の権威も、何もかもを暴力でねじ伏せる気だ。


ガレオンが、バロンの鼻先まで顔を近づけた。 兜の奥の赤い眼光が、バロンの魂を射抜く。


「……王に伝えろ」


重低音が、バロンの鼓膜を震わせる。


「次に俺の主の眠りを妨げれば……その時は、城ごと踏み潰しに行くとな」


「あ、あ、あ……ッ!!」


バロンは言葉にならぬ悲鳴を上げ、這うようにして逃げ出した。 誇り高き聖騎士たちも、折れた剣を引きずり、敗走していく。


レギオンハウスの前には、静寂が戻った。 黒鉄の巨人は、逃げていくネズミたちの背中を、微動だにせず見送っていた。



地下宮殿(アンダー・ネスト)


その光景を幻影の窓ファントム・ウィンドウで眺めていたシンは、満足げにグラスを掲げた。


「……上出来だ」


シンはニヤリと嗤った。 それは、獲物が罠の深みへと嵌まり込んだことを確信した、捕食者の笑みだった。


「これで、宣戦布告は完了した。 ……さあ、始めようか。国盗りの続きを」


魔王の指が、盤上の駒を動かす。 愚かなる王国は、自ら招いた怪物によって、内側から食い破られる運命にあることを、まだ知る由もなかった。

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