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第24話 暴走する|猜疑心《パラノイア》、鉄のカーテン

ゼノリス王城、宰相執務室。


 王国の心臓部とも呼べるその一室は、今や理性と秩序が崩壊した狂気の間と化していた。  豪奢な調度品で飾られた室内には、破壊の爪痕が生々しく刻まれている。  最高級の磁器で作られた花瓶が、無残にも床に叩きつけられ、粉々に砕け散っていた。飛び散った破片が、窓から差し込む夕日を反射して鋭く煌めき、床に敷かれた深紅の絨毯に、まるで新たな血痕のような影を落としている。


「な、なんだと……!? 聖騎士の剣が折られただと!?」


 部屋の空気をビリビリと震わせるほどの怒号を上げたのは、この国の影の支配者、バルバロス宰相である。  かつては冷徹な策士として知られ、表情一つ変えずに政敵を葬り去ってきた男の顔は、今やどす黒い憤怒と、隠しきれない焦燥によって醜く歪んでいた。


 彼は血走った眼球をギョロリと動かし、震える手の中に握りしめた羊皮紙――命からがら逃げ帰った査察官バロンからの報告書を、親指の爪が食い込むほどに強く握りつぶした。クシャリ、と乾いた音が、彼のプライドが砕ける音のように響く。


 そこには、信じがたい屈辱の事実が記されていた。  王家の威光を背負い、最強の権限を持って乗り込んだはずの聖騎士団の分隊が、たった一人の「門番ガレオン」によって、剣を抜く間もなく、手も足も出ずに追い返されたというのだ。


「おのれ……おのれぇぇッ! たかが冒険者風情が……ッ! 下賤な路地裏のネズミ共が、この国の支配者である私に歯向かうか!」


 バルバロスのプライドは、ズタズタに引き裂かれていた。  彼は己の知略と謀略だけで、病弱な国王を傀儡とし、今の地位を築き上げてきた男だ。この国の全ては自分の掌の上で踊る駒に過ぎないはずだった。騎士も、貴族も、民衆も、全ては自分の意のままになるはずだった。  だが、レギオン【蜘蛛(アラクネ)】という「異物」だけが、彼の完璧な計画(シナリオ)を逸脱し、嘲笑うかのように肥大化し続けている。


 怒りの裏側で、彼の脳裏に巣食う猜疑心(パラノイア)が、最悪の方向へと歯車を回し始めた。  恐怖。得体の知れないものに対する、根源的な恐怖が、彼の思考を黒く塗りつぶしていく。


「地下を見せないということは……やはり、何かあるのだ。私の地位を脅かすような、強力な兵器か、あるいは他国と通じた反乱分子の拠点が!」


 バルバロスは執務室を熊のように荒い足取りで歩き回り、靴音を響かせた。  そうだ、奴らはただの冒険者ではない。帝国のスパイか、あるいは魔族の手先か。どちらにせよ、私の権力を脅かす害虫であることに変わりはない。  芽のうちに摘まねばならない。根こそぎ、焼き払わねばならない。


 彼は足を止め、部屋の隅で縮こまっていた側近の官僚を、人殺しのような目で睨みつけた。


「第三魔導騎士団を動かす。団長へ伝令を出せ! 総員、第一種戦闘配置だ!」


 側近の官僚が、その命令の意味を理解して息を呑み、顔色を青ざめさせた。  第三魔導騎士団。それは対人戦ではなく、城塞攻略や対魔獣殲滅戦を専門とする、広域破壊魔法に特化した砲撃部隊である。  市街地でそのような過剰戦力を投入すれば、どうなるか。火を見るより明らかだ。


「か、閣下!? 正気ですか!? 市街地で広域殲滅魔法を使えば、レギオンの拠点だけでなく、周囲の市民にも甚大な被害が……! 火災が広がれば、王都の一画が灰になりますぞ!」


「構わん!!」


 バルバロスは唾を飛ばして叫んだ。その瞳には、もはや理性的な光はない。あるのは、自身の地位と命を守るためなら、国すら焼き尽くすという身勝手な狂気だけだ。


「レギオン【蜘蛛(アラクネ)】は国家転覆を企む反逆者だ! 奴らを生かしておけば、いずれこの城に牙を剥く!  拠点の屋敷ごと、跡形もなく消し飛ばせ! 市民の犠牲など、後で奴らの暴発に巻き込まれたとでも発表しておけばいい! 歴史は勝者が作るものだ!」


 腐りきっていた。  保身と権力欲のために、平然と自国の民を切り捨てる。その決断に、彼は一瞬の躊躇いも見せなかった。  バルバロスは机上の羊皮紙に、震える手で乱暴に署名をし、玉璽代わりの宰相印をダンッ! と力任せに押した。  それは、都市の一角を灰にする死刑宣告であり、彼自身の破滅への招待状でもあった。



 一方その頃。  城塞都市(フォート・シティ)ネメシスの中央に聳え立つ、レギオンハウス。  その地下深く、物理的な座標から切り離された地下宮殿(アンダー・ネスト)の一角にある「大工房(グランド・フォージ)」では、地上の静寂とは対照的な、激しい金属音と熱気が渦巻いていた。


 カンッ!! カンッ!! ドォォォォォン!!


 巨大なハンマーが振り下ろされるたびに、空気が震え、床が揺れる。  炉から噴き出す炎は青白く輝き、工房内の温度はサウナのように上昇していた。汗が肌を伝う暇もなく蒸発し、鉄の焼ける匂いと硫黄の臭いが鼻をつく。


 その熱気の中で、上半身裸の巨漢が、鬼神の如き形相で鉄を叩いていた。  十王(デケム・キング)序列九位、【(スミス)】ヴォルカン・マイヤー。  全身の筋肉を鋼鉄のように隆起させ、神速でハンマーを振るう彼の姿は、まさに鍛冶の神そのものだ。飛び散る火花が彼の髭を焦がすが、彼は気にする素振りも見せない。


「おいシノ! 次だ! 鉄が冷める前に場所を決めろ!」


 ヴォルカンの怒号に応えるように、その横で羊皮紙と睨めっこをしている小柄な少年が声を張り上げた。  序列十位、【(ガジェット)】シノ・コリンズ。  彼は油まみれの作業着に身を包み、多機能ゴーグル越しに真剣な眼差しで「図面」を見つめていた。


 いや、彼の手元にあるのは、一般的に言われるような緻密な設計図ではない。  歪な線と丸で描かれた、まるで「子供の落書き」のようなイメージスケッチだ。そこには『ドカンとする板』『はじくやつ』『ここをこう!』といった、稚拙な文字と矢印が踊っているだけ。


 だが、シノの瞳はその線の奥に、明確な「完成形」のビジョンを見出していた。  彼の才能(ゼロ)直感設計インスピレーション・ビルド】が、無秩序な線の中から、物理法則を超えた最適解を導き出しているのだ。


 二人の目の前に積み上げられているのは、無骨で巨大な「黒い鉄板」の山だった。  繊細な変形機構も、自律する魔導回路もない。  ただひたすらに分厚く、重く、そして硬い、一枚の巨大な壁。  ヴォルカンの打った魔鋼(アダマン)は、通常の鉄の数百倍の硬度を持ちながら、魔力を通すとゴムのようにしなる性質を持つ。


「あと三枚! ……くそっ、ここを『ガチッ』と留めたいのに、ボルトじゃ『スポッ』て抜けちまう! 強度が足りねぇ!」


 シノは頭を掻きむしり、スパナを片手に走り回る。  留め具の位置を手作業で微調整し、何度も叩いては強度を確かめる。  今の彼には、指先一つで金属を加工するような魔法じみた力はない。あるのは、スパナとハンマー、そして天性の「閃き」だけだ。


「ちまちまやってんじゃねえ! だったら溶接しろ! 俺が熱で無理やりくっつける!」


 ヴォルカンが赤熱した鉄板を持ち上げ、強引に叩き合わせる。  ドガァッ! という衝撃音と共に、鉄と鉄が分子レベルで噛み合い、物理的に融合する。


「無茶苦茶だな爺ちゃん! でも、それしかねぇか!」


 シノが笑う。  彼らの作業は洗練とは程遠い。汗と泥にまみれた、力技の連続だ。だが、その熱量こそが、常識外れの武器を生み出す源泉だった。


 そこへ、周囲の空気を凍てつかせる冷気を纏った美女が、ふらりと現れた。


 透き通るような水色の髪をなびかせ、氷の結晶で織られたかのような青いドレスを着こなすその姿は、まさしく「氷の女王」。  序列六位【(ウィッチ)】セレン・フォックス。  彼女が歩くたびに、床に薄い霜が降り、熱気で満ちた工房の温度が一瞬で下がる。


「……五月蝿い。作業が進まないわ」


 セレンは不機嫌そうに呟きながら、手に持っていた青白く光る魔石の粉末を、完成した鉄板の上にサラサラと撒いた。


「お、セレン姉ちゃん! 待ってたぜ! 『対魔術(アンチ・マジック)』のコーティングは?」 「終わったわ。……ただ塗るだけじゃ剥がれるから、ヴォルカンの熱で焼き付けた」


 セレンは気怠げに、しかし優雅な所作で、完成した鉄板の表面を鋭利な杖で叩いた。  キィィン、と高く澄んだ音が響く。  その表面には、彼女が付与した「拡散」と「反射」の術式が、幾何学模様となって焼き付いていた。  ただの鉄板が、魔法を弾き返す鏡へと変貌した瞬間だ。


「よしッ! これなら『第三魔導騎士団』の砲撃も弾ける!」


 シノがゴーグルを光らせて笑い、汚れた手でガッツポーズをした。


 彼らが作ったのは、ハイテクな兵器ではない。  ヴォルカンの「絶対に壊れない鉄」に、セレンの「魔法を弾く術式」を乗せ、シノが「直感で配置」しただけの、原始的で最強の『盾』だった。  だが、その無骨な鉄塊には、三人の天才たちの魂が込められている。



 そして、夕刻。  太陽が西の地平線に沈みかけ、空が紫紺とオレンジのグラデーションに染まる頃。


 レギオンハウス周辺には、異様な静寂が満ちていた。  市民には「魔獣発生の兆候あり」というレギオン側からの偽装警報で避難勧告が出され、周囲一帯の建物は雨戸を閉じ、通りには人っ子一人いない。  風が吹き抜け、捨てられた新聞紙がカサカサと音を立てて転がるだけのゴーストタウン。


 その静寂を破るように、重厚な足音が響き始めた。  大通りの向こう側から、紺碧のローブと白銀の鎧を纏った一団が、波のように押し寄せてくる。


 ゼノリス王国最強の火力を誇る、第三魔導騎士団。  その数は五百。  全員が長大な杖を構え、殺気を漲らせながら、レギオンの屋敷を取り囲むように展開していく。  彼らの杖の先には、既に攻撃魔法の輝きが宿り、周囲の大気がビリビリと震えていた。


「照準、固定。……魔力充填率、一二〇%」


 騎士団長の冷徹な号令が飛ぶ。  彼らが放とうとしているのは、対城塞用の集団儀式魔法(レギオン・スペル)。  個人の魔力では不可能な大火力を、数百人の魔力パスを連結することで実現する、王国の切り札だ。  その威力は、城壁を一撃で溶解させ、更地にするほどと言われている。


 対するレギオン側。  正門前には、アレスを先頭に数十名の冒険者たちが立っていた。  彼らの装備は、王国騎士団の統一された美しさに比べれば、バラバラで粗末に見えるかもしれない。  だが、その瞳に宿る闘志は、騎士たちを圧倒していた。


 彼らの前には、先ほど工房で急造された「黒い鉄板」が、バリケードのように乱雑に並べられている。  見た目はただの工事現場のようだ。無骨で、飾り気のない、黒い鉄の壁。


「……おいおい。あんなガラクタで、我々の魔法を防ぐつもりか?」


 騎士の一人が嘲笑を漏らす。  彼らの魔法は、城壁すら溶解させる熱量を持つ。鉄板一枚など、紙切れ同然に蒸発するはずだ。  勝利を確信した騎士たちの顔に、残忍な笑みが浮かぶ。


 だが。  レギオンハウスの屋上。  夜風に黒のローブをなびかせながら、一人の少年がその光景を見下ろしていた。


 シン。  Fランクの仮面の下で、魔王の瞳が冷ややかに輝く。  彼は手すりに足をかけ、眼下の敵を見下ろす。その視線は、チェス盤の上の駒を見るように無機質だ。


「……ガラクタか。試してみるがいい」


 シンは呟く。  あれはただの鉄ではない。  神話級の鍛冶師ヴォルカンが、魂を込めて叩き上げた魔鋼(アダマン)|だ。  そしてそこに、天才付与師セレンの術式と、シノの直感が加わっている。  人の作った「魔法」ごときで、(ことわり)を束ねた「物質」が壊せるものか。


「放てェェェェッ!!!!」


 騎士団長の杖が振り下ろされた。  五百の杖から放たれた極大の魔法光――【紅蓮の豪雨(プロミネンス・レイン)】が、レギオンハウスへと殺到する。


 ゴオオオオオオオオッ!!


 視界を埋め尽くす炎の奔流。  それは夜空を真昼のように照らし出し、バリケードごと屋敷を飲み込む――


 ドゴォォォォォォォォンッ!!!!!


 爆音と閃光。  熱波が吹き荒れ、周囲の建物のガラスが割れる。  騎士たちは勝利を確信した。跡形もなく燃え尽きたはずだ、と。


 だが、次の瞬間。  煙が晴れた先で、騎士たちは信じられないものを見た。


「な……ッ!?」


 炎が、割れていた。  黒い鉄板に触れた瞬間、炎の奔流が左右に弾かれ、屋敷を避けるように霧散したのだ。  鉄板は赤熱し、湯気を上げているが、溶けるどころか曲がってさえいない。  表面に刻まれた幾何学模様が、妖しく輝き、魔法のエネルギーを拡散させていたのだ。


「ば、馬鹿な!? 戦略魔法だぞ!? なぜ溶けない! なぜ弾く!」


 狼狽する騎士たちの前に、鉄板の陰からアレスがゆらりと姿を現した。  彼は無傷。その顔には、獰猛な笑みが張り付いている。


「へっ……。あったけぇな、お前らの火遊びは」


 アレスが愛用の大剣を肩に担ぐ。  その背後で、兵士たちが一斉に武器を構えた。  銃や機械ではない。  強力なクロスボウや、魔力を込めた投石器。  原始的だが、ヴォルカンの素材とシノの調整によって殺傷力を極限まで高められた武器たちだ。


「反撃開始だ。……一匹残らず叩き潰せ!」


 アレスの号令と共に、レギオンの反撃が始まった。  矢が唸りを上げて飛び、石弾が騎士たちの頭上に降り注ぐ。  鉄と炎の宴が、王都の夜を焦がしていく。

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