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第199話 理の捕食者と極上の晩餐

光が、静かに、音もなく割れた。


天を突く青白い柱が内側からゆっくりと左右に裂けていく。

眩しくて目を開けていられないはずのその光の中心を、シノを抱きとめた夜霧の目が細く鋭く見据えていた。

リリアの扇が止まり、ルシリウスのタクトが静止する。三禍は身動き一つしなかった。



一歩。また、一歩。

光の中から、人が歩み出てくる。

人の形をして、人の大きさを持ち、人の足音を響かせて。

だが、それは決して「人」などではなかった。


第200階層に充満していた暴力的な重圧が、消えた。

正確には、消えたのではない。上書きされたのだ。

迷宮のコアが放つエネルギーも、虚無の空間が持つ存在の否定も、全てがその男の纏う「上位の法則」によって一瞬で塗り替えられた。


絶対的な虚無と静寂を纏った始祖(ジ・オリジン)、シンが光の中から静かに歩み出た。


18歳の姿をした彼の瞳は、完全な虚無だった。

感情がないのではない。感情を持つ必要すら、その深さには存在しないのだ。

獲物を前にした捕食者の目ですらない。食卓に着く前の、ただの確認の目だった。



夜霧が音もなく、迷いもなく膝をついた。着物の裾が床に広がる。

リリアが扇を閉じ、白磁の額をゆっくりと下げて深く頭を垂れた。

ルシリウスが燕尾服の裾を払い、完璧な礼の姿勢をとる。


一糸乱れぬ、三禍の平伏だった。

さっきまで大陸ごと吹き飛ばすような暴威を振るっていた三体のバケモノが、当然の理として膝を折っていた。


シンの視線が夜霧へと向かう。

その腕の中には、意識を失い、ボロボロになりながらも口元に笑みを残したシノがいた。

シンは一瞬、その顔を見た。


「よく守り抜いたな」


低く冷たいが、研ぎ澄まされた刃のような明確さを持つ声だった。


「大儀だ」


三禍への言葉だった。労いであり、称賛。だがそれ以上でも以下でもない、ただの事実の確認だ。

シンは夜霧の前に片膝をつき、シノの乱れた髪を一度だけ静かに撫でた。


「極上のテーブルセッティングだ。……ゆっくり休め、シノ」


感傷も甘さもない。ただ、職人の仕事を正確に評価する言葉だけがそこにあった。

だがその声を聞き、シノの疲れ果てた顔が、どこか安堵したように僅かに緩んだ気がした。

夜霧はそれを見て何も言わなかった。言う必要が、なかった。



シンが立ち上がり、ゆっくりと空間の中央へと視線を向ける。

そこには、赤黒い光を明滅させ、無数の地脈を蠢かせる巨大な『迷宮の心臓コア』があった。


シンの視線が触れた瞬間、コアの規則的だった鼓動が乱れた。

心臓のように刻んでいた律動が、不規則に、細かく、怯えるように震え始めたのだ。


シンは動かず、数十万の命と絶望と強欲が圧縮されたあの球体を静かに見ていた。

長い時間をかけて迷宮が積み上げてきた巨大な意志が、今、一人の男の視線を浴びただけで恐怖し、逃げ場のない空間で震え上がっている。


迷宮の防衛本能が、最後の足掻きを見せた。

SSSランクの三禍ですら破壊を躊躇した極大のエネルギーがコアの表面に凝集し、深紅に膨れ上がる。

空間が軋み、床が割れ、第200階層全体が震えた。


ルシリウスが平伏したまま、あれを受けた場合の計算を一瞬走らせ、すぐに打ち切った。

その必要がなかったからだ。


シンが、冷たく短く鼻を鳴らした。


「騒ぐな、餌が」


シンの虚無の瞳がコアを睨んだ。いや、ただ「見た」だけだった。

それだけで、コアが止まった。

極大のエネルギーが凝集しかけていた表面が、深紅に膨れ上がっていた光が、空間ごと凍りついたのだ。


震えが消え、床の亀裂が止まり、凍りついたエネルギーが音もなく霧散した。

最初から何もなかったかのように。


完全な静寂が満ちた第200階層で、コアは抵抗の意志を折られ、諦めの震えを漏らしていた。

この捕食者の前では、いかなる抵抗も無意味なのだと本能が理解したのだ。


ルシリウスが静かに息を吐き、リリアの扇が微かに揺れる。

三禍は知っていた。この男が何者であるか。

自分たちもまた、彼の前ではただの駒に過ぎないということを。

それは不満でも屈辱でもなく、ただの絶対的な事実だった。



シンは、弱々しく明滅するコアへ向けて一歩踏み出した。

捕食者が食卓へと向かう、ただそれだけの迷いのない歩みだった。


シンの右手が、何もない虚空へと伸びる。

次の瞬間、第200階層の漆黒が、空間の底に澱む虚無が、彼の手の一点へと収束した。


虚無の黒剣(ヴォイド・ブレイド)


光を反射せず、あらゆる光を飲み込んで消していく漆黒の刃が、シンの手の中に静かに輝いていた。


コアが空間の歪みとして泣き声を上げ、地脈の根を蠢かせて壁を作ろうとする。

だがシンは止まらない。見る必要すらない、食事の前の些細な動作だ。

手が届く距離まで来たシンは、必死に震えるコアの表面を静かに見下ろした。


数十万の命が、絶望が、強欲が、ここにある。


黒剣がゆっくりと持ち上がり、コアの最も深く圧縮された核心へと向いた。


「——っ」


夜霧が息を呑み、リリアが扇を強く握り、ルシリウスが瞬きすら忘れて固唾を呑む。

一分の躊躇もなく、漆黒の刃が振り下ろされた。


世界が一枚剥がれるような音と共に、コアのど真ん中へ黒剣が深々と突き立てられる。


コアが光となって絶叫し、赤黒い光が爆発的に膨れ上がった。

だが、その光は広がらなかった。黒剣が溢れ出そうとする命のエネルギーを全て刃の中へと吸い込んでいたからだ。


シンが、静かに、淡々と口を開く。


「いただきます、の時間だ」



最大出力の【才能捕食(ゼロ・プレデション)】が発動した。


黒剣を通じて、天文学的な質量の魔力と命のエネルギーが、濁流となってシンの体内へと流れ込んでいく。

だがシンは揺れもせず、よろめきもせず、まるで水を飲むように静かにそれを受け取り続けた。


見る見るうちに、巨大だったコアが縮み、干からびていく。

長い時間をかけて積み上げられた迷宮の意志が、一人の捕食者に静かに喰い尽くされていく。


「……化け物どすな」


夜霧が誰にも届かない声で呟いた。それは否定でも恐怖でもない、純粋な事実の確認だった。


コアが消えていく。

握れそうなほどに小さくなった赤黒い光が、最後の一度だけ瞬き——完全に消滅した。

灰が音もなく散り、迷宮の意志は虚無の空間に溶けて消え去った。在ったという記録すら剥ぎ取られたように。



シンの体を経由したエネルギーは、別次元の彼方にある地下宮殿(アンダー・ネスト)の巨大な魔導炉(エンジン)へと送られていた。

充填率が跳ね上がり、80%、90%、そして100%を突破する。

規定値も設計値も超え、限界突破の青白い光が魔導炉から放たれた。


シンがゆっくりと黒剣を引き抜いた。

刃には血も魔力も残っていない。完全に喰い尽くした漆黒の剣が、虚空に溶けて消える。


シンは静かに唇を舐めた。


「ごちそうさまだ。……いい味だったぞ」


感情の薄い虚無の瞳が、今この瞬間だけわずかに細くなった。

満足だった。それだけで十分だった。


シンが振り返り、平伏する三体を見下ろす。


「立て」


短い言葉に、ルシリウスが襟を正し、リリアが扇を開き、夜霧がシノを抱いたまま立ち上がる。

彼らの削れた姿を見て、シンは何も言わず、ただ一度だけ静かに頷いた。


「箱庭の掃除は終わった」


低く冷たい、しかし明確な声が第200階層の静寂を切り裂いた。


「全軍、地下宮殿(アンダー・ネスト)へ帰還しろ」


シノが打ち込んだ全ての杭が、青白い光の網となって共鳴している。

その光の中で、シンは言った。


「——いよいよ、本番を始めるぞ」


ここは終わりではない。始まりだった。

迷宮の攻略も、シノの仕事も、三禍の戦いも、全てはこの瞬間のための準備だったのだ。

天を突く青白い柱の中心で、始祖(ジ・オリジン)は次なる世界へ向けて静かに前を見据えていた。

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