第18話 表社会の支配者たち
ネメシスの中央広場に面した、一等地にある高級宝飾店。
そのカウンターで、一人の貴族が苛立った様子で店員に詰め寄っていた。
「おい、ジェイドはいないのか! 約束していた『北方の青玉』の入荷日は今日のはずだぞ!」
「申し訳ございません、男爵様。オーナーは現在、不在にしておりまして」
「ふん、たかが商人の分際で……。どこへ油を売りに行った?」
「はあ、それが……」
店員は困ったように眉を下げ、王城の方角を指差した。
「宮殿の方へ、少し『集金』にと」
◇
同時刻。王城の正門前。
衛兵たちの間に、ピリついた緊張が走っていた。
石畳を滑るように進んでくるのは、漆黒の塗装に金の装飾が施された、最高級の馬車だ。
車輪には衝撃を和らげる風の魔法が付与され、回る音さえしない。
その静寂こそが、乗っている主の権力を雄弁に物語っていた。
「開門ッ! ジェイド様の御到着だ!」
衛兵長の号令と共に、重厚な鉄門がギギギと開く。
馬車の窓から、冷ややかな視線が投げかけられることはない。
だが、誰もが知っている。
この馬車に乗っている男こそが、ネメシスの経済という名の血液を支配する「心臓」であることを。
馬車は貴族専用のロータリーに止まり、扉が開いた。
降り立ったのは、仕立ての良いスーツを着こなした長身の男。
ジェイド・バーンズ。
かつては腰の曲がった老人だったはずだが、今は見る影もない。
流れるような銀髪、陶器のように滑らかな肌。20代半ばの、息を呑むような美貌の青年に若返っている。
その瞳はサファイアのように美しく、そして底冷えするほどに硬い。
「ようこそ、ジェイド殿。お待ちしておりましたぞ」
揉み手をして出迎えたのは、あろうことかこの国の財務大臣だった。
国家の財布を握る大臣が、一介の商人に頭を下げている。
異常な光景だが、この場にいる誰一人としてそれを疑問に思わない。
「大臣閣下。急な呼び出しで恐縮です」
「いやいや! ジェイド殿のためなら万難を排して参じますとも。……して、例の『小麦』の件は?」
大臣が脂汗を浮かべて問う。
今年は冷夏の影響で、周辺諸国も含めて深刻な食糧難が予想されていた。小麦の確保は、国家の存亡に関わる最重要課題だ。
ジェイドは優雅に歩き出しながら、扇子で口元を隠し、愁いを帯びた溜息をついた。
「それが……残念ながら、南方の不作で相場が三倍に跳ね上がっておりましてね。本来なら卸すのは不可能です」
「さ、三倍!? そんな馬鹿な、それでは国庫が破綻してしまう!」
大臣が悲鳴を上げる。
三倍。それは国家予算を揺るがす絶望的な数字だ。
ジェイドは大臣の絶望を冷ややかに観察する。
これは商人の常套手段だ。最初に到底受け入れられない「絶望」を提示し、相手の思考の基準をそこへ縛り付ける。
「ええ。私も心が痛みます。……ですから、今回は特別に『二・五倍』で手を打ちましょう。私の個人的な在庫を放出します。これでも赤字覚悟なのですが」
絶望の淵に垂らされた、蜘蛛の糸のような救済。
本来なら二・五倍でも暴利だ。だが、直前に「三倍」という地獄を見せられた大臣にとって、それは慈悲深い割引に見えてしまう。
「おぉ……! なんと慈悲深い! 感謝します、ジェイド殿!」
「礼には及びませんよ。我々は持ちつ持たれつの関係ですから」
ジェイドは深々と頭を下げる大臣を見下ろし、扇子の裏で冷笑した。
南方の不作など嘘だ。流通を止めて価格を吊り上げているのは、他ならぬジェイド自身である。
彼は商談を終えて回廊を歩きながら、懐中時計を確認した。
(……さて。主への『献金』はこれで確保した。次は裏帳簿の整理か)
この国の経済は、既に彼の手のひらの上にある。
そしてその利益は全て、地下の玉座に座る「真の王」へと流れていくのだ。
◇
一方、王城の西棟。軍事区画。
ここでは、ジェイドとは全く異なる種類の「支配」が進行していた。
カツン、カツン、カツン。
重厚な軍靴の音が、長い廊下に響き渡る。
それは単なる足音ではなかった。
大気を微細に振動させ、生物の本能に直接「逃げろ」と警告を送るような、重く、腹の底に響くリズム。
『覇気』。
歴戦の猛者だけが纏う、不可視の圧力だ。
廊下を歩く騎士たちが、蜘蛛の子を散らすように壁際へ退避し、直立不動で敬礼する。
「お、お疲れ様ですッ!!」
彼らが恐れ敬う視線の先。
武器預かり所を無視し、帯剣したまま堂々と歩く巨漢。
ヴィンセント・グレイ。
冒険者ギルドの総帥にして、かつて単身で一個師団を壊滅させた伝説の武人。
シンによる若返りの祝福を受け、全盛期の50代へと肉体が戻った彼は、歩く要塞のような威圧感を放っていた。
「……道を開けろ」
低く、地を這うような声。
だが、その進行方向を塞ぐ影があった。
近衛騎士団の副団長だ。彼は震える手で剣の柄を握り、声を張り上げた。
「ヴィ、ヴィンセント殿! ここは陛下と近衛兵のみが帯剣を許された聖域! ギルドの長とはいえ、武装解除をしていただかねば……」
正論だ。国法において、王の前での帯剣は反逆罪に当たる。
だが、ヴィンセントは足を止めない。
ただ、ギロリと副団長を一瞥した。
――ヒュッ。
副団長の喉が鳴った。
視線が交差した瞬間、彼の脳裏に「首を斬り飛ばされる自分」の映像が鮮明に焼き付いたのだ。
剣など抜いていない。指一本動かしていない。
ただ、「斬る」という意思を乗せた視線をぶつけただけ。
それだけで、副団長の魂は「死」を錯覚し、肉体が硬直した。
「……私が、剣を抜く必要があると思うか?」
問いかけですらない。事実の確認。
この男にとって、剣は飾りだ。その拳、その視線、その存在そのものが凶器なのだから。
副団長は過呼吸になりかけながら、ガタガタと震えて膝をつき、道を譲った。
「し、失礼いたしましたぁッ!!」
ヴィンセントは副団長を跨ぐようにして通り過ぎる。
彼は暴力を行使していない。ただ「存在」しただけで、その場の序列を書き換えたのだ。
(……温るい。あまりに温るい)
ヴィンセントは嘆息する。
この国の精鋭である近衛騎士団ですら、あの方の足元にも及ばない。
あの方の前に立った時に感じる、魂が焼き切れるような重圧に比べれば、この程度の権力者や騎士など、路傍の石ころに等しい。
◇
王城のテラス。
商談を終えたジェイドと、軍事会議へ向かうヴィンセントが、偶然すれ違った。
言葉は交わさない。
だが、二人は一瞬だけ視線を合わせ、微かに頷き合った。
表社会では、国を動かす経済の怪物と、武力の頂点。
だがその本質は、一人の少年に忠誠を誓う「手足」に過ぎない。
(全ては、主のために)
(我らが王の覇道のために)
二人はそれぞれの戦場(職場)へと戻っていく。
ネメシスの支配は、誰にも気づかれないまま、着実に完了しつつあった。
玉座に座る王が変わったことに、この国の人間はまだ誰も気づいていない。
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