第17話 無邪気な憧憬、鍛冶師の漢気
城塞都市ネメシス、下層街。 路地裏のガラクタ山で出会った二人の少年は、奇妙な友情で結ばれていた。
「へへっ、シン! 今日はとっておきの『魔導歯車』を見つけたんだぜ!」
オイルまみれの頬を拭いもせず、満面の笑みで駆け寄ってくるのは、小柄な少年シノだ。 くしゃくしゃの茶髪にキャスケット帽を目深に被り、薄汚れた作業着のポケットには大小様々なスパナがねじ込まれている。 背中には自分の身長ほどもある巨大な革鞄を背負い、歩くたびに中のガラクタがガシャガシャと音を立てる。
彼はまだ若いが、この界隈では「変人だが腕は確かな発明家」として知られる天才種であり、若くして位階Bに認定された実力者だ。
「すごいな、シノ。……ねえ、よかったら今日、僕の新しい『職場』に遊びに来ない?」
対するシンは、弱々しいFランク冒険者の仮面を被り、親しげにシノに提案した。 シンにとってシノは、この街に来てから初めて出来た「同年代の友人」という設定の相手であり、同時にその特異な才能に目をつけていた「スカウト対象」でもあった。
「職場? ああ、あの噂の『レギオンハウス』か!? 行っていいのかよ!?」
「うん。兄さん……アレス団長が、シノになら見せてもいいって」
「やったー! 行こうぜ! あそこの石材、すっげー気になってたんだ!」
好奇心旺盛なシノは、二つ返事で飛びついた。 彼にとって世界は「危険な場所」ではなく、「分解して理解すべき玩具箱」なのだ。
◇
建設中のレギオンハウス。 まだ骨組みだけの薄暗い一階フロアに、シノの興奮した声が響き渡っていた。
「すっげー! ここ、マジでデケェな! 全部一枚岩からの削り出しかよ!?」
「気をつけてね、まだ工事中だから」
シンは苦笑しながら、はしゃぐ友人を案内する。 表向きは友人を招待した平和な光景。だが、シンの狙いは別のところにあった。 この天才少年に、レギオンの「深淵」を垣間見せ、その才能を完全に取り込むこと。
「ねえシン、トイレどこ? ちょっと漏れそう」 「あっちの廊下の突き当たりだよ。……でも、奥の扉は開けないでね? 兄さんの大事な部屋だから」
シンは意味深に釘を刺した。 「開けるな」という言葉が、シノのような手合いにとって「開けろ」という最高の誘い文句になることを知りながら。
「わかってるって! すぐ戻る!」
シノは駆けていった。 そして案の定、彼はトイレを済ませた後、好奇心に抗えず「開かずの扉」に手をかけた。
(へへっ、ちょっと見るだけ……。アレスの旦那の秘密部屋、どんな凄い武器があるんだろ?)
シノは持ち前の器用さで鍵をこじ開け、扉を少しだけ開いた。
その瞬間。 ぐにゃり、と視界が歪んだ。
「……え?」
シノは目を瞬いた。 扉の向こうに広がっていたのは、薄暗い倉庫ではなかった。 松明の炎が揺らめき、見上げるほど高い天井を持つ、巨大な黒曜石の空間だったのだ。
地上の喧騒が嘘のような静寂。 壁一面に蠢く無数の影――偵察用の小型蜘蛛たち。 そして、その最奥に鎮座する、闇を固めたような漆黒の玉座。
そこには、一人の男が座っていた。
年齢は18歳ほどだろうか。 漆黒の外套を纏い、頬杖をついて眼下を見下ろすその姿は、絵画の中の魔王そのものだった。 その瞳は、血の池を煮詰めたような深紅。 ただ座っているだけで、周囲の空間が軋みを上げ、世界そのものが彼にひれ伏しているかのような錯覚を覚える。
そして、その玉座の前には、街で有名な位階A冒険者――『紅蓮の獅子』のアレスたちが、石像のように微動だにせず跪いているではないか。
「……御意に、我が主」
アレスの震える声が聞こえる。 あの傲慢なアレスが、恐怖と崇拝に打ち震えながら、一人の青年に頭を垂れている。
常人であれば、その場の重力に圧死するか、恐怖で発狂する場面だ。 捕食者と被食者。生物としての絶対的な格差が、そこにはあった。
だが、シノの反応は違った。 その瞳孔が開かれ、魂が歓喜に打ち震える。 恐怖? いいや。
(すっげぇ……なんだあの人……!)
シノの眼には、男の纏う魔力が、美しい幾何学模様に見えていた。 完璧な構造。無駄のないエネルギー循環。 それは恐怖の対象ではなく、解き明かしたい「究極の美」だった。
(カッケー……! あんなの、お伽話の英雄よりずっとスゲーじゃん! あんなすごい魔力、どうやって制御してんだ!?)
シノが身を乗り出した、その時。 フッ、と幻が掻き消えるように扉が閉ざされた。 後に残ったのは、ただの埃っぽい壁だけ。
「……夢? いや、違う!」
シノの心臓は早鐘を打っていた。 見てはいけないものを見た。だが、それ以上に「もっと見たい」という欲求が爆発していた。 彼は友人のシンに告げることも忘れ、興奮のままに走り出した。 誰かに伝えたい。この興奮を共有できる、信頼できる大人に。
◇
場所は変わり、市街地の外れにある鍛冶屋『鉄の咆哮』。 炉の火が赤々と燃え盛り、熱気が肌を焼く工房の中で、店主のヴォルカンは金槌を振るっていた。
カンッ! カンッ! カンッ!
筋肉の塊のような巨躯。赤銅色の肌に、もじゃもじゃの髭。 分厚い革のエプロンからは、鋼鉄のような腕が覗いている。 彼は位階Bの熟練鍛冶師として、この街の荒くれ者たちから一目置かれる頑固親父だ。
「おいっちゃん! 聞いてくれよ!」
シノが転がるように工房へ飛び込んできた。
「ハァ、ハァ……! 見たんだ! すっげーのを!」
「なんだシノ、血相変えて。またガラクタでも拾ったか?」
ヴォルカンは手を止めず、熱した鉄を叩き続ける。
「違うって! レギオンハウスの奥だよ! すっげー広い空間があって、玉座に魔王みたいな人が座っててさ! あのアレスの旦那がペコペコ頭下げてたんだ!」
「アレスが? 馬鹿言え。あの狂犬が他人に頭を下げるわけねぇだろ」
ヴォルカンは鼻で笑った。 アレスの傲慢さは有名だ。王族相手でも敬語を使わない男が、誰かに傅くなどあり得ない。
「ホントだって! 魔力の密度が半端じゃなかった! あれは多分、神様か何かだよ!」
「はいはい。熱中症かもしれん、水でも飲んでこい」
ヴォルカンは信じなかった。 だが、その会話を聞いている「第三者」がいた。
天井の梁の影。 そこに、黒い染みのように張り付いている人影――十王第三席、【諜】ネモ・ローズだ。
(……重要機密の漏洩を確認。対象、排除推奨)
ネモは無表情に状況を分析し、念話を送る。
『――アレス殿。鼠が一匹、秘密を見ましたよん』
◇
異変は、唐突に起きた。 工房内の温度が、急激に上昇したのだ。 炉の熱ではない。肌を刺すような、ピリピリとした殺気を含んだ熱波。
「……あ?」
ヴォルカンが手を止める。 壁に掛けられた剣や槍が、ひとりでにカタカタと震え始めた。 共鳴。 外部から加えられた圧倒的な「覇気」に、物質が悲鳴を上げているのだ。
ドォォォォン!!
轟音と共に、分厚い鉄製のドアが紙屑のように吹き飛んだ。 土煙が舞う中、ゆらりと入ってきた人影。
「……聞かせてもらったぞ。我々の秘密を」
紅蓮の髪。燃えるような瞳。 表の冒険者ギルド最強の男。 位階A冒険者、『紅蓮の獅子』のアレスだ。
「ア、アレス……!?」
ヴォルカンが息を呑む。 対峙した瞬間に理解してしまった。 次元が違う。自分も位階Bの端くれだが、目の前の男は「人間」という枠を超えている。 筋肉の密度、魔力の総量、纏っているオーラ。これは戦いではない。災害に巻き込まれただけだ。
「おいっちゃん、この人だよ! あそこで跪いてたの!」
シノは空気を読まずに指差すが、アレスの眼光がギロリと少年を射抜いた。 ただの視線。それだけで、シノの膝がガクガクと震え出す。
「見た者は生かしておけん。……悪いが、消えてもらう」
アレスが一歩踏み出す。 それだけで床石が砕け、熱風が吹き荒れる。 死。確実な死が、炎の形をして迫ってくる。
その時だった。
「――待てぇぇぇッ!!」
ヴォルカンが叫び、愛用のハンマーを放り投げた。 戦うためではない。 彼は両手を広げ、震えるシノを背中に庇うようにして、その巨大な体をアレスの前に晒したのだ。
「待ってくれ! 頼む、話を聞いてくれ!」
ヴォルカンの額から、脂汗が滝のように流れる。 怖い。死ぬほど怖い。 だが、職人としての矜持と、親代わりとしての責任感が、恐怖をねじ伏せた。
「このガキは……シノは、ただのアホなんだ! 悪気なんてねぇ! 見たことをペラペラ喋らせたのは、全部俺の管理不足だ!」
「ほう?」
アレスが足を止める。その拳には、既に赤熱した魔力が集束していた。
「だから……やるなら俺を殺せ! 俺の首一つで、この子の命は見逃してやってくれ! 頼む、この通りだ!」
ヴォルカンはプライドも何もかも捨て、その場に土下座した。 熱された床に額を擦り付ける。ジューっという音がして皮膚が焼けるが、彼は動かない。
「おいっちゃん……?」
シノが呆然とする。 あの頑固なヴォルカンが、他人に頭を下げる姿など見たことがない。それも、命乞いのために。
アレスは冷ややかな目で見下ろし、そして――ニヤリと笑った。
「……連行しろ」
その合図と共に、天井からネモが音もなく着地する。 ヴォルカンとシノは抵抗する間もなく取り押さえられ、視界を奪うための厚手の布を目元に巻き付けられた。
◇
目隠しを外された時、二人は冷たい石床の上に転がされていた。 そこは、先ほどシノが垣間見た幻の空間――『地下宮殿』の玉座の間だった。
玉座には、18歳の姿のシンが座していた。 漆黒の長衣を纏い、深紅の魔眼で見下ろす絶対支配者。 シノにとっては「友達のシン」とは似ても似つかない、圧倒的な魔王の姿。
「報告は聞いた」
シンの声が、大気を震わせて響く。 低く、どこまでも透き通った声。
「鍛冶師ヴォルカン。貴様は我が秘密を知った子供を庇い、己の命を差し出したそうだな」
「……ああ、そうだ。俺の首で勘弁してくれ」
ヴォルカンは震える声で、しかしはっきりと答えた。
「なぜだ? 位階Bの地位も、名誉もある貴様が、なぜ無力な子供のために死を選べる?」
「……道具を作るのが俺の仕事だがな、道具を使うのは『人』だ。未来あるガキを見捨てるような奴が打った剣なんて、ナマクラにしかならねぇよ」
それは、職人としての意地。 理屈ではない、魂の叫びだった。 シンはしばらくヴォルカンを見つめ――やがて、口元に薄い笑みを浮かべた。
「……悪くない忠義だ。気に入った」
シンが指を鳴らすと、二人を拘束していた縄がほどけ落ちた。
「その命、俺が預かろう。死ぬ代わりに、その腕を俺に捧げろ」
シンが玉座から立ち上がり、傲然と言い放った。
「俺のために最強の武具を打ち、俺の授ける『叡智』を形にしてみせろ。――拒否権はないぞ?」
ヴォルカンは全身から力が抜けたようにへたり込んだ。 助かった。それどころか、この規格外の化け物に認められた。 最高の主に、最高の仕事で応える。職人として、これ以上の誉れはない。
「……謹んで、お受けします」
ヴォルカンが深く頭を下げる。 そしてシノもまた、弾かれたように叫んだ。
「やったー! やっぱり魔王だったんだね! 俺も手伝う! 俺、すっげー発明できるよ!」
シノは輝く瞳でシンを見上げた。 彼にとって、目の前の男が「友人のシン」と同一人物であるかどうかなど、些細な問題だった。 その指先から放たれる美しい魔力の糸。それこそが真実であり、憧れだった。
「ねえ、さっきから指動かしてるけど、そこから『見えない糸』出してるでしょ? すっごい精密な魔力制御だ……俺、それに憧れる!」
「……ほう。見えるか」
シンは眉を上げた。 この少年には、始祖である自分が無意識に展開している、極細の支配領域が見えているらしい。
「いいだろう。シノ、貴様にはこれを授ける」
シンがシノの額に指を当てる。 ズズズッ、と黒い紋様――刻印が刻まれていく。 それは少年の中に眠っていた才能を強制的に開花させる儀式。
「う、うわぁぁぁ!? なんだこれ、指先が……勝手に動く!?」
シノが自分の両手を見て驚愕する。 十本の指が、まるで独立した生き物のように滑らかに蠢いている。
「貴様の才能は【設計】。そして恩恵は【天啓の回路】だ」
シンは虚空から、鋼鉄よりも強靭な極細のワイヤー『神殺しの糸』の余りを取り出し、シノに放ってやった。
「俺の真似事がしたいなら、まずはそれで練習してみろ」
「うおおお! すげぇ! 指先の感覚だけで、この糸の軌道がわかる……!」
シノは渡されたワイヤーを瞬時に指に絡ませ、あやとりのように複雑な幾何学模様を描いてみせた。 初めて触れる武器とは思えない適応力。
「これなら……俺も戦える! 魔王さんみたいな『蜘蛛使い』になれる!」
「……ククッ、頼もしい限りだ」
シンは満足げに頷いた。 だが、最後に一つだけ、重要な「設定」を植え付けなければならない。 このままでは、シノの口から「シン=魔王」という噂が広まりかねない。
「ただし、一つ覚えておけ。……俺は普段、表の世界には出ない」
シンは指を鳴らした。 空中に幻影の窓が展開され、そこに一人の少年の姿が映し出された。 黒髪に黒目、弱々しいFランク冒険者の少年――シノの知る「友達のシン」だ。
「彼を見ろ。……俺の『弟』だ」
「お、弟……!?」
ヴォルカンが驚きの声を上げる。
「ああ。あいつは俺の唯一の血族であり、俺の代わりに現世を見ている『眼』だ。 普段は力を封印し、Fランクの冒険者として生活している。……俺の指示は、全てこの弟を通じて下される」
シンは淡々と嘘を重ねた。
「いいか、よく聞け。地上で会うあいつは、俺ではない。俺の可愛い『弟』だ。 あいつは非力で、臆病で、俺の加護がないと生きていけない。……だから、お前たちが守ってやれ」
「な、なるほど……! そういうことだったのか!」
ヴォルカンが膝を打つ。 「合点がいきました! 主の弟君ならば、俺たちの主も同然! 必ずや命に代えてもお守りします!」
そしてシノもまた、糸を操りながら深く頷いた。
「そっか! じゃあ、シンは、魔王様の弟だったんだね! すっげー! 兄弟そろって大物じゃん! 俺、弟くんとも仲良くするよ!」
シノの瞳には一点の曇りもない。 彼は完全に信じ込んだ。「地下にいる最強の兄」と、「地上の親友である弟」。 その二人が実は同一人物であるなどと、この純粋な少年には思いもよらないだろう。
(……単純で助かる)
シンは内心で苦笑した。 これで、正体を知られるリスクは消えた。むしろ、この「兄弟設定」を利用すれば、地上での行動がより自由になる。
「歓迎しよう、レギオンへ。 ヴォルカン、シノ。貴様らを十王の序列九位と十位に任ずる」
「ははッ!!」
二人が平伏する。 こうして、組織レギオン【蜘蛛】に、二つの新たな才能が加わった。 剛腕の鍛冶師ヴォルカンと、鋼糸を操る天才発明家シノ。 彼らが作り出す武具と兵器が、やがて世界を震撼させることになるのは――まだ少し先の話である。
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