ep.2 涼子
順子を乗せた新幹線がプラットホームから完全に見えなくなり、俺は改札に向かって歩き出した。
足もとに冷たい風がまとわりついてくる。
改札口を出たところで、「コウ!」と不意に背後から声を掛けられ足を止めて振り向く。
人混みの向こうから、さっきの美人さんが歩いてくる。
白い肌に均整の取れた小さな顔。
明るい栗色の髪はゆるく波打ち歩くたびにふわりと揺れる。
濃紺のコートを羽織った姿は、人混みの中にあってもはっきりとした輪郭を持っていた。
ヒールの先が床を叩くたび小さく乾いた音が響く。
つくづく順子の言うとおりの美人やな、と俺は思った。
視線を合わせると嘘がつけなくなる気がした。だから、つい目をそらしてしまう。
「名前……耕作やったよね? 『コウ』でいい?」
「なんでもいいけど……」
「ちょっとお茶でも行こ」
美人さんが笑って言った。
冬の冷たい風の中、その笑顔がやけにあたたかく見えて思わず視線を外す。耳の先がじんと冷えているのに頬だけ少し熱い。
「なに? 涼子ヒマなん?」
と、ぶっきらぼうに返す。
「涼子?」
涼子の顔から笑顔が消え少し曇る。
「ちがった? 順子さんが涼子って呼んでたと思ったけど…」
「呼び捨て? 石田涼子、20歳!」
少し強い口調で涼子が言う。
胸を張る感じが子どもっぽくも見えた。
「え? あーあー。はいはい。そうゆう事ね。『涼子さま』お茶をご馳走していただけるんですか? 行きましょうか」
少しからかうように言った。
茶化していないとまともに顔が見られない。
「なにそれ。まあいいわ。お茶しに行こ」
涼子はそう言って駅構内にある喫茶店の方に歩き出した。
ヒールの音がコツコツと床を叩く。
周りの足音にまぎれず耳に残る音だった。
「涼子……さん、待って待って。こっち」
俺は駅の出口を指さした。
「どこ行くのよ。そっちにお店なんてあった?」
涼子は不思議そうな顔をして首をかしげながらついてきた。
その様子がおもしろくて少し歩く足を速める。
ツカツカっと歩き、自販機の前に立つ。
ジーンズのポケットから小銭を出し、投入口に入れ、涼子の方を向く。
「涼子さま、お好きなお飲み物をどうぞ」
涼子はきょとんとした顔をして、ホットコーヒーのボタンを押した。
自販機の中で缶が落ち、ガタンという音が響く。
俺は続けて小銭を追加してホットコーヒーのボタンを押し、取り出し口から二つを取り出す。
「はい、涼子さま」
ひとつを涼子に渡した。
ジーンズの後ろポケットからクシャクシャになったタバコを出して、一本を口にくわえ火をつける。
吐き出した煙が冷たい空気の中ですぐにほどけていった。
自販機横に設置してあるベンチにドカッと腰掛ける。
涼子は「ありがと」と言ってから、俺の隣に腰掛けた。
両手で缶を包み込むように持っている。指先が少し赤い。
二人並んでベンチに座って缶コーヒーを飲んだ。熱い缶が手のひらにじんとしみてくる。
さっきまでの騒がしいホームの音が少し遠くなった気がした。
しばしの沈黙の後、涼子が口を開いた。吐く息が白くほどける。
「コウって18歳? 高3? 高校どこ?」
「そうやねー。行ってたら高3やね」
「行ってたら? やらかして退学なったとか?」
「ははは。まあ……行ってない」
「そうなんや。で何してんの?」
「コーヒー飲んでる」
「いやいや、そうやなくて」
涼子は笑って言った。肩が小さく揺れる。
笑い声が缶の中のコーヒーみたいに軽く震えて聞こえた。
「ジュンさんとは? どんな関係?」
「順子さんから何も聞いてへんの? 順子さんはね……俺の兄貴の彼女よ」
「あ。そうゆう事」
「涼子……さんは? 順子さんと……」
「いちいち『涼子』と『さん』の間空けるなよ」
涼子は少し眉ひそめると、すぐに笑いながら続ける。
「ジュンさんはね。高校の先輩。今ちょうど帰省してて、昨夜、半年ぶりくらいに電話あったと思ったら、『旅立つから見送りに来い!』って。意味わからんくて……」
「なんか、順子さんらしい」
缶コーヒーを飲み干し、二本目のタバコに火をつけた。
タバコの煙が冬の風にかき消される。
涼子は「ちょっと待ってて」と言い、公衆電話の方に歩いて行き、どこかに電話をかけていた。
硬貨を入れる金属音と受話器を取る小さな音が、かすかに耳に届く。
コートの裾と髪が風に揺れる。その後ろ姿をしばらく眺めた。
「電話、長引きそうやな」
心の中でつぶやいて、俺は駐車場脇の『国鉄』の看板下に停めてある自分のオートバイの方へ向かって歩いた。
「ちょっと待っててって言ったやん!」
遠くの方から声が聞こえた。
わざと聞こえないふりをしてバイクに跨った。シートの冷たさがジーンズ越しに伝わる。
「それって、コウのバイク?」
走ってきたのか、息を切らした涼子の声に振り向く。
頬が少し赤くなった涼子の笑顔にドキッとして胸が高鳴った。
心臓の音が自分にだけ聞こえるくらい大きく感じる。
「そう。俺のバイク」
「このバイク、コウに似合ってるね」
「そう? ありがと」
「速い?」
「え?」
「このバイク、速い?」
「どうやろ? 腕次第」
と笑って答えた。
「やっと笑ったな。てか、あたしほっといて帰るつもりやった?」
「あー。……電話長引きそうやったし」
涼子の顔つきが変わり、ちょっと怒ったような口調になった。
「まだ連絡先も聞いてないし、ここで別れたらこれっきりになるやん」
そんなことをさらっと言えるんや。胸の奥が少しだけざわついた。
「そうやね」
「『そうやね』ちゃうわ!」
涼子の顔が真顔になる。
さっきまでの軽い空気が少しだけ真面目な方向に傾いた。
「けど何か進展ある? なんか見た感じ、俺とは違う世界の人かなーって」
「あたし、ジュンさんに頼まれたし」
「ほら、そんな理由ならええよ。俺一人で大丈夫やし」
「ちょっと待ってよ。まだ、あたしのこと何も知らんやん」
「……そうやけど」
「それにジュンさんの手前、これで終わりって無理やん。コウ、ジュンさんになんて説明すんのよ?」
「あー。痛いとこ突くなー」
「やろ。もう少し話ししよ」
「……うん」
「なんか食べに行こ」
「ええけど……ヘッチン一個しかあれへんわ」
「あたし、車」
涼子は、車のキーがついたキーホルダーのリングに人差し指を通してクルクル回して見せた。金属が小さく触れ合う音が鳴る。
「車、どれ?」
「あそこの、黒いピアッツァ」
涼子は駐車場の黒いクーペを指差した。
光を吸い込むみたいな黒で、低く構えた車体がやけに大人っぽく見える。
「おー、いいやん。涼子っぽい」
「『ぽい』ってどんなよ?」
涼子は嬉しそうに笑ったあと
「また涼子って呼び捨てにしたな」
と、むくれ顔をした。
そのむくれ方が、さっきより少しだけ近く感じる。
「メシ、なんでもいい?」
「うん。任せるよ」
「ほな、ついて来て」
「わかった!」
そう言うと涼子は黒いクーペの方に向かって歩き始めた。
「ついて来れるなら」
いたずらっぽく言う。
「えー! ゆっくり走ってよ」
ヒールの音がさっきより速いテンポになった。
「頑張れ」
バイクのエンジンをかける。腹の底に響く振動が少しだけ気持ちを高ぶらせた。
駐車場出口まで進み、左にウインカーをつけて停車し、涼子を待つ。
バックミラーに黒いクーペが映り、近づいて来るのを確認して右にウインカーを出し、ゆっくりとバイクをスタートさせた。
駐車場を出てバイクを南に走らせる。
冷たい風が顔に痛い。




