【BL異世界小説】花嫁は知らない世界で咲く 第四話 「一緒に食べること」
朝日は答えなかった。
ただ、床を見つめたまま固まっている。
俺は小さくため息をついた。
「俺は腹が減った」
そう言うと、ようやく朝日の肩がぴくりと動いた。
「……お母様たちが来た時に、粟を少し置いていってくださったので……粥を作ってあります」
「そうか。じゃあ、それを食べよう」
俺がそう言った瞬間、朝日は弾かれたように部屋を出ていった。
……速い。
まるで小動物だ。
俺も立ち上がろうとしたが、頭がまだぐらぐらする。
無理に動けば、また倒れそうだ。
仕方なくその場で待つことにした。
数分もしないうちに、朝日は戻ってきた。
手には粗末な木の箸。
粥の入った土の椀。
茹で卵が一つ。
そして、白い大根らしきものが入った小皿。
粥は白米ではなく、粟か何かを煮たものらしい。
黄色とも茶色とも言えない色をしている。
まあ、腹に入れば何でもいい。
朝日は俺の前に椀を置くと、そのまま後ろへ下がって立った。
「……お前の分は?」
そう尋ねると、朝日はまるで聞いたこともない異国の言葉を聞いたような顔をした。
「…………」
「いや、だから。朝日の分」
返事はない。
なるほど。
そういう扱いだったのか。
俺は息を吐き、壁に手をつきながら立ち上がった。
その瞬間。
朝日は反射的に両手で顔を庇った。
殴られると思ったのだろう。
胸の奥が重くなる。
……俺じゃない。
俺がやったんじゃない。
そう言いたくなる。
でも、朝日から見れば同じ顔、同じ声、同じ身体だ。
言い訳なんて意味がない。
俺はふらつく足で、寝間の隣にある小さな土壁の小屋へ向かった。
おそらく台所だ。
中には、土で作られたかまどが一つ。
上には鍋を置くための穴。
下には薪を入れて火を焚く口がある。
博物館の絵で見たことがある程度の、古い古い台所。
火は完全には消えていない。
灰の中に小さな赤い火種が残っていた。
現代のライターみたいに簡単に火をつけられる時代じゃない。
一度起こした火を完全に消さず、火種を残しておく。
知識としては知っていたが、実際に見ると妙に感心してしまう。
「……本当に昔なんだな」
台所には物が少ない。
鍋は二つ。
器も数えるほど。
食材らしい食材もほとんどない。
前世でも食べるために働いていた。
でも、ちゃんと食べるものはあった。
コンビニもスーパーもあった。
温かいご飯を買うこともできた。
この時代の下層の暮らしは、想像以上に厳しい。
……そして今の俺も、その下層の人間だ。
鍋に残っていた粥を、空いている椀へよそう。
卵はないかと探したが、茹でたものは見つからなかった。
生卵が二つだけ。
今から茹でるには時間がかかる。
焼こうにも鉄鍋も油も見当たらない。
いや、そもそもこの時代の庶民って卵を焼いて食べるのか?
そんなことを考えながら振り向くと、入口の影から朝日がこちらを覗いていた。
きょとんとした顔。
その表情があまりにも幼くて、思わず笑ってしまう。
現代の俺は、どちらかといえば楽観的な人間だった。
何が起きても、とりあえず深呼吸して考える。
だからこそ、こんな状況でも新しい経験として受け止められているのかもしれない。
「ほら、行くぞ。食べよう」
部屋へ戻ると、朝日は椀を持ったまま固まっていた。
慣れない扱いに、どうしていいのか分からないらしい。
俺は気づかないふりをして、茹で卵を箸で二つに割った。
そして、少し大きいほうを朝日の粥へ入れる。
本当は一個丸ごとやりたい。
だが、今それをやったらこの子は驚きすぎて倒れる気がする。
「食べろ」
朝日は椀の中を見つめ、何度か瞬きをした。
俺は自分の粥を口へ運ぶ。
「…………」
味がない。
驚くほど、味がない。
塩、入ってるか?
大根らしきものを一切れ口に入れる。
こちらは薄く切って、ほんの少し塩を振っただけのものらしい。
「……まあ、食えなくはない」
昼休みにカップ麺へお湯を入れた瞬間、上司に呼び出される。
戻ってきた時には、麺がのびきって冷めている。
そんな悲しい昼食を何度も経験した俺だ。
これくらい問題ない。
それに。
これからは自分で作ればいい。
料理が得意というほどではないが、少なくとも今よりはマシにできるはずだ。
「食べ終わったら、山へ行ってくる」
俺が何気なくそう言うと、朝日が顔を上げた。
「山……ですか?」
「ああ。何か食べられるものを探す。運がよければ筍とかあるかもしれないし」
朝日はぽかんと口を開けた。
まあ、驚くのも当然だ。
元の藤原蒼は、食べ物を探すどころか、朝日が必死に用意した食事に文句を言っていたような男だ。
「先は長いな……」
俺は心の中で呟く。
けれど、田舎育ちの俺にとって、山で食材を探すこと自体はそれほど難しくない。
子どもの頃は、山菜採りも川遊びも日常だった。
むしろ少しだけわくわくしている。
俺は薄味の粥を一気に飲み干した。
まずは食べる。
生きるためには、それが一番大事だ。




