【BL異世界小説】花嫁は知らない世界で咲く 第三話 「朝日」と「鳳凰国」
「まったく……お前というやつは」
母は今にも泣きそうな顔で俺の頭を撫でた。
「どれだけ飲んだら川に落ちるの。朝日ちゃんが見つけてくれなかったら、お前は今ごろ……」
そうだ。
思い出した。
この身体の持ち主は遊郭帰りに泥酔し、村外れの小川へ転落した。
頭を岩へ強く打ちつけ、そのまま失血死。
そして、その空いた器へ俺が入った。
……つまり本物の藤原蒼は、もういない。
逆に俺の身体へあいつが入っていたとしても。
東京の家の下敷きになって、ぺちゃんこだろう。
「……それはそれで気の毒だけど」
いや。
同情する必要もないか。
記憶を見る限り、とんでもないクズだったし。
……待て。
さっき母さんは誰の名前を呼んだ?
朝日?
俺が視線を向ける。
そこには、いつの間に入ってきたのか分からないほど存在感の薄い少年が立っていた。
細い。
細すぎる。
ちゃんと食べているのか疑いたくなるほど痩せた身体。
風が吹けば飛ばされそうだ。
黒髪は一本の布紐で後ろに束ねられ、肩へ静かに流れている。
擦り切れた茶色い着物。
袖口も裾も何度も縫い直した跡が残っていた。
そして何より。
大きな瞳だけが不安そうに揺れていた。
……この子か。
俺の記憶にある。
俺と結婚した相手。
「…………」
いや待て。
男だよな?
男同士で結婚?
俺がいた日本ですら認められてなかったのに?
「朝日ちゃん、本当にありがとうね」
父が珍しく優しい声で言った。
「この馬鹿息子がどれだけ迷惑を掛けても、お前は見捨てず助けてくれた」
母も頷く。
「心配しなくていいのよ。朝日ちゃんはもう家族なんだから。赤ちゃんが生まれても、私たちがちゃんと手伝うからね」
……赤ちゃん?
その瞬間。
この世界の知識が頭の中で繋がった。
『宿人』
通称『ヤ』。
額に桃の花のような痣を持って生まれる男性。
女性と同じように妊娠し、子どもを産むことができる特別な存在。
俺は朝日の額を見る。
前髪の隙間から、小さな桃色の痣がわずかに見えていた。
出生率は女性のおよそ半分。
珍しいが、存在しないほどではない。
しかし医療が発達していないこの時代では、出産による死亡率は女性以上に高い。
「…………」
……あれ?
これ。
どこかで見た設定じゃないか?
男が妊娠する。
特別な体質。
番。
子ども。
「……オメガバースじゃん」
昨日。
いや、前世で最後に読んでいた漫画。
従妹のあゆみが夢中になっていたBL。
「俺、異世界小説何百冊も読んできたのに……」
「一冊だけ読んだBL漫画に近い世界へ転生したのかよ!」
神様。
配属先、おかしくない?
あゆみが知ったら大興奮だろうな。
『お兄ちゃん最高じゃん!!』
とか叫びながら質問攻めにしてくる姿まで想像できる。
思わず笑いそうになって――
その笑顔は途中で止まった。
……もう。
二度と会えないんだ。
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
その後も父と母の説教は延々と続いた。
酒を飲むな。
賭博へ行くな。
遊郭へ近付くな。
朝日を泣かせるな。
朝日を殴るな。
朝日を大切にしろ。
最後の一言だけは、特に念を押された。
どうやら両親は長兄夫婦、次兄夫婦と同じ屋敷で暮らしているらしい。
三兄は婿入り。
四兄は都で学問中。
そして俺だけが落ちこぼれ。
十歳までは寺子屋へ通っていたらしいが、勉強より賭場へ通う才能を開花させたそうだ。
……救いようがない。
両親が部屋を出ていくと、俺は深く息を吐いた。
「さて」
状況整理だ。
前世はITエンジニア。
情報整理なら得意分野である。
まず、この国。
名前は日本ではない。
『鳳凰国』
歴史上存在しない架空の王朝。
現在の王は鳳凰王・九世。
先代は鳳凰王・六世。
俺は歴史オタクじゃない。
それでも、日本史にそんな王がいないくらいは分かる。
言葉も文化も着物も日本そっくり。
なのに歴史だけがまるで違う。
さらに相続制度も違う。
男女関係なく長子が家督を継ぐ。
昔の日本のような通い婚もない。
この国では女性や『ヤ』へ触れた以上、責任を取るのが当然。
貧しい家なら結婚式すら不要。
同じ部屋へ入るだけで夫婦になれる。
……ずいぶん思い切った国だ。
まあ、一夫多妻なのはどこの世界も変わらないらしいけど。
「一人養うだけでも大変なのに……」
現代日本の会社員だった俺には理解不能だ。
身分制度もある。
貴族。
官吏。
兵士。
商人。
農民。
奴隷。
そして藤原家は農民。
下から二番目。
「まあ、生きてるだけマシか」
郷に入っては郷に従え。
それが俺のモットーだ。
前世より酷くならなければ十分。
問題は――
俺の目の前で小さく震えている少年だった。
記憶によれば、この身体の持ち主は都へ行く前。
朝日を殴り、無理やり金を奪おうとしていた。
「本当に最低だな……」
思わず舌打ちが漏れる。
俺はゆっくり声を掛けた。
「朝日」
その一言だけで。
少年の肩がびくりと震えた。
……そんなに怖かったのか。
俺は三十歳。
恋愛対象は男だけど。
だからといって十六歳の子をそんな目で見る趣味はない。
前世なら従妹のあゆみと同い年だ。
今の身体は二十歳だけど、中身は三十歳。
完全に保護対象である。
「……まずは」
新人教育だと思おう。
怯える後輩を安心させる。
会社でもよくやっていたじゃないか。
恐る恐る近付いてきた朝日に、俺はできるだけ優しく微笑んだ。
「怪我……まだ痛む?」
朝日は床から目を離さないまま、小さく首を横へ振る。
嘘だ。
着物の裾から見える細い脚には、紫色の痣がいくつも残っていた。
「……お腹、空いてる?」
その言葉で初めて。
朝日はゆっくり顔を上げた。
丸い瞳いっぱいに、驚きの色を浮かべながら。




