スピンオフ③「同じ座標」
# スピンオフ③「同じ座標」
入学初日。
掲示板の前で、藤堂優駿は足を止めた。
クラス分け。
名前を追う。
(ここか)
自分の名前は、新高のクラスにあった。
ひとクラスだけ。
他のクラスは、中学からの持ち上がり。
中上がり。
新高。
構造は分かりやすかった。
同じ学校。
同じ学年。
だが、同じ地点から始まるわけではない。
(分かれてるな)
優駿は紙の上をもう一度見る。
見慣れた名前もある。
英修館で見た名前。
模試で見た名前。
入試会場で見た名前。
そして。
森岡悠真。
(来たな)
特に驚きはなかった。
来ると思っていた。
南の最難関を取った時点で、そうなる気はしていた。
教室へ入る。
席に座る。
空気は静かだった。
誰も浮かれていない。
入学したことよりも、その先を見ている。
そんな空気だった。
(当たり前だ)
ここはゴールじゃない。
全員が知っている。
新高の教室には、どこか同じ匂いがあった。
外から来た者の匂い。
入試を突破してきた者の匂い。
だが同時に、まだ学校の内側を知らない者の匂い。
勝ってここに来た。
だが、ここではまだ何も持っていない。
そのことを、全員が薄く理解している。
窓の外を見る。
別の教室が見えた。
中上がり。
廊下を歩く生徒たちの動きが自然だった。
教師と話す距離も近い。
校舎の中の空気に、もう慣れている。
(先にいるな)
三年間。
その差は大きい。
才能ではない。
時間だ。
入学式が終わり、最初のホームルーム。
担任が教室に入ってきた。
「お前らは新高だ」
最初にそう言った。
優駿は顔を上げる。
「入試を突破したことは評価する。だが、ここではそれは昨日までの話だ」
教室が静かになる。
「中上がりは、すでに先を進んでいる。お前らは追う側だ」
(だろうな)
優駿はそう思った。
悔しさはない。
驚きもない。
ただ、現在地を確認しただけだった。
追う側。
それは嫌いではない。
見えるものがある。
前にいる者。
差。
距離。
埋めるべき場所。
何をすればいいかがはっきりする。
授業が始まる。
数学。
教師が黒板に書く。
「ここは前提として知ってるな」
ペンが動く。
優駿も書く。
だが、一瞬だけ分かる。
この教室全体が、まだ学校の速度に慣れていない。
何人かの手が止まる。
何人かが慌てて書き写す。
何人かは、理解よりも記録を優先している。
(速い)
それは優駿も感じた。
入試の速さではない。
授業の速さ。
日常の速さ。
毎日この速度で進むという圧。
中上がりは、これをすでに知っている。
新高は、今からここに合わせる。
昼休み。
廊下で声が聞こえた。
「新高、きつそうだな」
「まあ、最初はな」
軽い会話。
悪意はない。
ただの事実だ。
(どうでもいい)
優駿は興味を失う。
他人の評価など意味がない。
大事なのは順位だ。
結果だ。
そして、その結果をどう使うかだ。
新高の教室に戻る。
悠真が席に座っていた。
ノートを開いている。
顔は静かだった。
焦っているようには見えない。
だが余裕があるわけでもない。
追う側であることを、もう受け入れている顔だった。
「同じだな」
優駿が言う。
悠真が顔を上げる。
「何が」
「追う側」
一瞬だけ、悠真の目が止まった。
そして小さく頷く。
「だな」
それだけだった。
だが、十分だった。
放課後。
優駿は机に向かった。
新しい教科書。
新しいノート。
学校のプリント。
課題一覧。
(やるだけだ)
特別なことはない。
中学の時から、ずっと同じだった。
小テスト。
模試。
校内順位。
全国順位。
入試。
場所は変わる。
相手も変わる。
だが、やることは変わらない。
取る。
落とさない。
次へ進む。
数日後。
数学の小テストがあった。
問題が配られる。
開始。
(取る)
優駿はすぐに手を動かした。
迷いは少ない。
一問目。
通る。
二問目。
少し重い。
だが止まらない。
三問目。
条件を整理する。
最後まで走る。
見直す。
(通る)
ペンを置く。
結果は、廊下の掲示板に張り出された。
名前。
点数。
順位。
優駿は上位に自分の名前を見つけた。
(普通だな)
安心もしない。
喜びもしない。
ただ確認する。
今の位置。
今の基準。
今の距離。
その時だった。
少し下にある名前が目に入った。
森岡悠真。
(……来てるな)
一瞬だけ目が止まる。
新高の中では明らかに上位。
全体ではまだ中位。
だが、入学してまだ数週間。
それでここまで来ている。
(速い)
思わずそう思った。
昔からそうだった。
追う側の時の悠真は強い。
中学受験の後も。
高校受験の時も。
負けた後の方が伸びる。
届かなかった場所を見た後の方が、形を変えてくる。
(面倒だな)
少しだけ笑う。
だが、嫌ではない。
むしろ。
そういう相手の方が面白い。
廊下で会う。
「どうだ」
短く聞く。
「普通」
返ってくる。
昔と同じ答え。
「だな」
優駿も返す。
それだけ。
それ以上は必要なかった。
教室へ戻る。
ノートを開く。
新しいページ。
書く。
位置:上位
その下に。
変化:あり
ペンが止まる。
窓の外を見る。
新高の教室。
中上がりの教室。
同じ校舎の中に、違う時間が流れている。
中上がりは前にいる。
新高は追う。
そして新高の中でも、追う者と追われる者が生まれ始めている。
(上がってくる)
感覚で分かる。
今はまだ差がある。
だが、このままでは終わらない。
悠真は来る。
必ず。
優駿は静かに息を吐いた。
追われる側は楽ではない。
前だけ見ていればいいわけではない。
後ろから来る足音も聞かなければならない。
ただし、それは悪いことではない。
後ろに足音があるから、速度が落ちない。
前に中上がりがいるから、基準が下がらない。
同じ座標にいる者がいるから、自分の位置が分かる。
優駿はノートの端に、もう一行書いた。
同じ座標
同じ場所に立っている。
だが、同じ順位ではない。
同じ学校にいる。
だが、同じ時間を生きているわけではない。
だから面白い。
ふと、頭の奥に言葉が浮かぶ。
敵は、前だけにいるものではない。
優駿は小さく笑った。
「……来いよ」
誰に言うでもなく呟く。
問題集を開く。
ペンを持つ。
(次だ)
やることは変わらない。
距離は縮まっている。
だからこそ。
面白くなってきた。
――スピンオフ③「同じ座標」・完――




