スピンオフ②「これからの戦場」
# スピンオフ②「これからの戦場」
中学に入って、生活は一気に変わった。
制服。
通学路。
新しい教室。
新しい先生。
新しい友達。
(始まったな)
そう思った。
小学校とは何もかも違う。
だが、不思議と嫌ではなかった。
剣道部に入った。
理由は単純だった。
なんとなくやってみたかった。
それと少しだけ。
(何かやりたかった)
兄のように、とは思わない。
だが、何もないままなのは嫌だった。
道場の匂い。
竹刀の音。
汗の匂い。
大きな声。
「声出せ!」
打ち込みの音が響く。
パン。
パン。
パン。
(速いな)
見ているだけで分かる。
先輩たちは別世界だった。
最初は全然当たらない。
竹刀は重い。
足はもつれる。
打とうとした瞬間には、もう相手がいない。
「遅い!」
(分かってる)
何度も言われる。
何度も打つ。
何度も外す。
やり直す。
(難しいな)
それでも、少しずつ慣れていく。
同じクラスの男子に言われた。
「お前、あの人の弟だろ」
兄の名前だった。
「ああ」
「すげえよな」
相手は当然のように言う。
「うちの兄貴と同じ学校だわ」
(……そうか)
自分の知らないところで、兄は知られている。
「高校範囲とか普通にやってるらしいし」
(やってるな)
容易に想像できた。
夜の机。
開いた参考書。
カリ、カリという音。
ずっと見てきた。
「お前も行くの?」
突然聞かれる。
少し考える。
「分からん」
正直に答えた。
(まだそこじゃない)
今はまだ。
部活の帰り道。
兄のことを思い出す。
(あの人は、ずっと机にいた)
今なら分かる。
あれは簡単じゃない。
毎日続けること。
負けても続けること。
勝っても続けること。
多分、一番難しい。
部活。
素振り。
足さばき。
打ち込み。
繰り返す。
少しずつ。
本当に少しずつ。
当たらなかった竹刀が、当たるようになる。
ある日。
(……あ)
一瞬だけ噛み合った。
間合い。
タイミング。
体の動き。
(今だ)
打つ。
入る。
「いいぞ!」
先生の声。
(今のか)
自分でも分かった。
ただ速く振ったわけではない。
ただ強く打ったわけでもない。
相手が動く前。
自分が入れる場所。
その一瞬が見えた。
勉強も似ていた。
国語。
長文を読む。
(ここだな)
文章の中心が見える。
何を言いたいのか。
どこが対比なのか。
どこが具体例なのか。
どこから筆者の本音に近づくのか。
なんとなく分かる。
設問を見る。
(答えはこれだ)
自然と分かる。
「正解」
(分かる)
理由は説明できない。
だが分かる。
逆に。
英語は全然分からない。
単語で止まる。
文で止まる。
意味が繋がらない。
(……分からん)
同じ長文なのに。
国語とは別の競技だった。
日本語なら、行間が見える。
英語になると、目の前に壁が立つ。
模試を受けた。
初めての全国模試。
知らない会場。
知らない顔。
知らない学校。
(こういうのか)
兄が受けていた世界。
問題が配られる。
国語。
(読める)
文章の流れは分かる。
設問の聞き方も見える。
迷いは少ない。
英語。
(無理だな)
単語で止まる。
文の形が見えない。
時間だけが削られる。
数学。
(普通)
解けるものは解ける。
解けないものは止まる。
特別に悪くもない。
だが、武器というほどでもない。
終わる。
結果が返ってくる。
紙を見る。
国語 偏差値78
英語 偏差値42
数学 偏差値60
(……すげぇな)
自分でも思う。
(偏りが)
苦笑いが出た。
家に帰る。
母が言う。
「国語すごいじゃない」
父も頷く。
「英語はこれからだな」
兄は結果を見て一言。
「偏ってるな」
(分かってる)
それは自分が一番分かっていた。
夜。
机に向かう。
結果の紙を置く。
(武器はある)
国語。
(足りないものもある)
英語。
ノートを開く。
書く。
現状 偏り
国語 強
英語 弱
数学 普通
剣道 未熟
ペンが止まる。
(どうする)
廊下に出る。
兄の部屋の前。
ドアは少しだけ開いている。
光が漏れている。
カリ、カリ。
ペンの音。
(同じだな)
安心する。
兄は、勝った後も机にいる。
負けた後も机にいた。
選んだ後も机にいる。
なら、自分も戻ればいい。
心太は自分の部屋へ戻る。
椅子に座る。
英単語帳を開く。
一ページ目。
一単語目。
(あの人みたいには、ならない)
そう思う。
兄は兄だ。
自分は自分だ。
兄の戦い方を、そのまま真似する必要はない。
兄は盤面を見て、配置で勝つ人だ。
自分はたぶん、空気や流れを見る方が得意だ。
剣道でも、国語でも。
見えた瞬間だけ、体が先に動く。
だが。
(逃げない)
それだけは同じでいい。
単語を見る。
書く。
覚える。
また見る。
すぐに忘れる。
もう一度見る。
(面倒くさいな)
正直に思う。
だが、閉じない。
国語だけで勝てるほど、全国は甘くない。
英語を放っておけば、いつか必ず足を引っ張る。
それくらいは分かる。
外は静かだった。
夜の街。
誰も知らない。
だが、その静けさの中で、確かに何かが始まっていた。
兄が受験という戦場を歩いたように。
そして、高校という次の戦場へ向かったように。
今度は――
心太の番だった。
ノートの最後に、一行だけ書く。
目標
そして少し考えたあと、続けて書いた。
全国
自分でも理由は分からない。
ただ、その言葉を書いていた。
ペンを置く。
窓の外を見る。
遠くの街の灯りが揺れている。
戦場は、もう用意されている。
そして。
物語は、まだ終わらない。
――スピンオフ②「これからの戦場」・完――




