表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偏差値は戦である  作者: 受験孔明
第三部 決戦と開幕〜高校受験編
PR
38/50

第三部 第6話 時間差

# 第三部 第6話「時間差」


 夜。


 机。


 問題集。


 いつもと同じ配置だった。


 机の中央に問題集。


 右側にノート。


 左上に時計。


 シャープペンは一本。


 消しゴムは手前。


 余計なものは置かない。


 悠真はページを開いた。


 手は動いている。


 一問目。


 条件を見る。


 二問目。


 式を置く。


 三問目。


 枝を切る。


 リズムは悪くない。


 だが、どこかで意識が引っかかっていた。


(……まだ続く)


 分かっている。


 結果が一つ出た。


 四国の名門には通った。


 一勝。


 足場。


 布石。


 それは確かに大きい。


 だが、まだ終わっていない。


 次の試験まで数日ある。


 この“間”が厄介だった。


 試験前ほど張り詰めていない。


 結果発表の日ほど心臓も鳴らない。


 だが、完全に自由でもない。


 少し気を抜けば、終わった試験のことを考える。


 少し手を止めれば、次の結果のことを考える。


 何もしていない時間が、余計な思考を連れてくる。


 悠真は問題集に視線を戻した。


(次)


 そう思った時だった。


 スマホが震えた。


 塾の通知ではない。


 母でもない。


 優駿でも、蓮でもない。


 懐かしい名前だった。


 中学受験の時に一緒だったやつ。


 同じ教室で問題を解き、同じ模試を受け、同じように志望校の話をしていた相手。


 だが今は、別の学校にいる。


 別の場所で、別の時間を進んでいる。


 悠真は少し迷って、画面を開いた。


『久しぶり』


『そっち受験だよな、頑張ってる?』


 短い文面だった。


 悪意はない。


 軽い。


 昔の距離感のまま、送られてきた言葉だった。


 悠真は少しだけ間を置いた。


 そして打つ。


『やってる』


 それだけ返した。


 すぐに返信が来た。


『こっちはもう高校範囲入ってるわ』


『数Ⅱやってる。テストやばい』


 写真が一枚送られてきた。


 ノート。


 数式。


 見慣れない範囲。


 今の悠真が解いている入試問題とは、明らかに違う式が並んでいる。


 悠真は画面を見たまま、少しだけ黙った。


(……もうそこか)


 特に驚きはない。


 そういうルートだと分かっている。


 中学受験で先に難関校へ進んだ者たちは、もう別の時間を進んでいる。


 高校範囲。


 先取り。


 定期テスト。


 内部の順位。


 大学受験を見据えた進度。


 それは知識としては知っていた。


 だが、写真で見ると違った。


 同じ年齢。


 同じ時期。


 同じ冬。


 それなのに、解いているものが違う。


 見ている景色が違う。


 戦っている相手が違う。


 悠真は短く返した。


『そっち大変そうだな』


 すぐに返信。


『まあな』


『でも楽しいわ』


『そっちは終わったら楽になるだろ』


 軽い言葉だった。


 悪気はない。


 本当にそう思っているだけだ。


 受験が終われば楽になる。


 普通ならそうだ。


 だが、悠真の手はそこで止まった。


(終わったら)


 その言葉だけが残った。


 終わったら。


 楽になる。


 本当にそうなのか。


 合格すれば、そこで終わるのか。


 試験が終われば、戦いは消えるのか。


 そうではないことを、悠真はもう知っていた。


 中学受験で先に進んだ者は、もう次の時間を生きている。


 高校範囲に入り、内部順位に追われ、次の競争に入っている。


 受験が終われば、別の戦場が始まるだけだ。


 悠真は短く返した。


『まだだな』


 既読。


 少し間が空く。


『そっか、頑張れよ』


 それで会話は終わった。


 スマホを置く。


 机に戻る。


 問題集に視線を落とす。


 数字。


 条件。


 設問。


 自分の目の前にあるものは、さっきと何も変わっていない。


 だが、頭の中では別の線が引かれていた。


(違うな)


 同じ勉強でも、やっていることが違う。


 同じ年齢でも、進んでいる時間が違う。


 同じ冬でも、見ている場所が違う。


(違う時間を生きている)


 はっきりと言葉になった。


 中学受験で先に行った者。


 高校受験でここから取りに行く者。


 内部で先取りしている者。


 外から追いかける者。


 九州にいる者。


 県外に出た者。


 全国を見ている者。


 同じ学年という言葉では、もうまとめられない。


 時間が違う。


 進度が違う。


 背負っているものが違う。


 悠真はペンを持った。


 問題を解く。


 流す。


 切る。


 潰す。


 見直す。


(通る)


 手は止まらない。


 だが、頭のどこかには残っている。


(先に行っている)


 焦りではない。


 事実としての認識だった。


 悔しさも少しある。


 置いていかれた感覚も、ないわけではない。


 だが、それに飲まれるほどではない。


 悠真はノートを開いた。


 新しい行に書く。


 時間差


 その下に一行。


 影響なし


 ペンを止める。


(今は)


 そう付け足したくなった。


 だが、書かなかった。


 今は、影響なし。


 それでいい。


 未来まで断言する必要はない。


 今、崩れなければいい。


 今、手が止まらなければいい。


 今、目の前の戦場を間違えなければいい。


 スマホがもう一度震えた。


 今度は英修館のグループだった。


『次の過去問やった?』


『難易度高いな』


『時間足りん』


『理科、あれ何?』


 いつもの空気だった。


 悠真は画面を見た。


 さっきの友人とは違う。


 こちらは、今、同じ戦場にいる者たちだ。


 同じ問題を見ている。


 同じ日程を見ている。


 同じ結果を待っている。


 同じように、まだ終わっていない。


 悠真は短く打った。


『やる』


 すぐに蓮から返ってきた。


『だな』


 黒田も続く。


『止まったら負け』


 三好。


『時間見る』


 優駿からは少し遅れて来た。


『次に合わせろ』


 悠真は画面を見て、小さく笑った。


(こっちだ)


 今いる場所。


 同じ戦場。


 同じ時間。


 少なくとも今は、ここだ。


 椅子に座り直す。


 問題集をめくる。


(次)


 やることは変わらない。


 その時だった。


 机の端に置いたスマホの画面が、ふっと暗くなった。


 電源が落ちたわけではない。


 通知が消えただけだった。


 だが、その黒い画面に、一瞬だけ何かが映った気がした。


 自分の顔。


 机。


 問題集。


 そして、その後ろに、薄い影。


 人影ではない。


 輪郭だけ。


 古い軍師のような。


 だが、はっきりとは見えない。


 悠真が瞬きをすると、それは消えていた。


 黒い画面には、自分の顔だけが映っている。


「……疲れてるな」


 小さく呟く。


 最近、それで済ませることが増えた。


 紙の上。


 画面の上。


 数字の上。


 結果の上。


 どこかに影が落ちる。


 だが、見ようとすると消える。


 だから、気のせいでいい。


 今はそれでいい。


 悠真はスマホを伏せた。


 その直後。


 内側で声が落ちた。


(時は武器にも、枷にもなる)


 静かな声。


 耳ではない。


 記憶でもない。


 それでも、確かにそこにある。


 悠真は小さく息を吐いた。


「……なら、使うだけだ」


 時間差。


 それは焦りにもなる。


 置いていかれた感覚にもなる。


 だが、武器にもできる。


 中学受験で一度敗れたこと。


 高校受験で取り返すと決めたこと。


 九州の受験を自分の戦場に置いたこと。


 部活も学校も塾も、全部を配置し直したこと。


 その全部は、無駄ではない。


 自分には、自分の時間がある。


 他人の時間に乗る必要はない。


 ただ、自分の時間を遅らせない。


 止めない。


 腐らせない。


 使う。


 悠真はペンを走らせた。


 思考を前に進める。


(今、勝つ)


 それだけに集中する。


 外は静かだった。


 時間は進んでいる。


 別の場所でも、別の時間が流れている。


 先に進んでいる者がいる。


 別の戦場で戦っている者がいる。


 もう高校範囲を進めている者がいる。


 県外の名門で内部順位を争っている者がいる。


 そして、ここにも戦場がある。


 悠真は問題を解き終え、答えを確認した。


 正解。


 次へ進む。


 部屋の外で、小さな足音がした。


 心太だった。


 ドアの前で止まる。


「兄ちゃん」


「なに」


「今、誰かいた?」


 悠真はペンを止めた。


「誰もいない」


「スマホに映ってた」


 悠真は机の上のスマホを見た。


 画面は伏せてある。


「見間違いだろ」


「うん。たぶん」


 心太は最近、その言い方をよくする。


 たぶん。


 完全には納得していない時の言い方だった。


「でもさ」


「何」


「兄ちゃんの後ろ、たまに薄い」


 悠真はドアを見た。


「薄い?」


「うん。人がいるんじゃなくて、いない場所がある感じ」


 意味の分からない言い方だった。


 だが、背中の奥が少しだけ冷えた。


 人がいるのではなく。


 いない場所がある。


 空席。


 そんな言葉が、一瞬だけ浮かんだ。


 なぜその言葉が浮かんだのか、悠真には分からなかった。


「寝ろ」


 悠真は短く言った。


「うん」


 足音が遠ざかる。


 部屋は静かになった。


 悠真はもう一度ノートを見た。


 時間差。


 影響なし。


 そして、その横に小さく書き足した。


 今いる場所で勝つ。


 ペンを置く。


 問題集を開く。


 ここは、ここだ。


 違う時間の存在を知っても、戦う場所は変わらない。


 悠真は次の問題へ進んだ。


 時間は、静かに進んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ