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偏差値は戦である  作者: 受験孔明
第三部 決戦と開幕〜高校受験編
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第三部 第5話 結果

# 第三部 第5話「結果」


 昼休み。


 教室は、いつも通り騒がしかった。


 弁当箱を開く音。


 箸が机に当たる音。


 笑い声。


 部活の話。


 先生の真似。


 昨日見た動画の話。


 どうでもいい話。


 その全部が、いつもの昼休みだった。


 だが、その中で悠真だけが、少し違う時間を過ごしていた。


 机の上に置いたスマホは、裏返してある。


 見ないためだった。


 見ても早くなるわけではない。


 通知を確認したところで、結果が変わるわけでもない。


 それは分かっている。


 だが、分かっているからといって、気にならないわけではない。


(今日だな)


 四国の名門。


 最初の戦場。


 県外受験。


 最初の結果。


 あの飛行機の帰り道。


 雲海の上で何度も思い返した問題。


 最後から二番目の大問。


 条件の切り方。


 時間配分。


 取れたかどうか分からない、あの感覚。


 それが今日、数字ではなく、結果になる。


 合格か。


 不合格か。


 たったそれだけに変わる。


 隣の席の男子が、弁当を食べながら言った。


「今日、結果じゃね?」


「ああ」


 悠真は短く返した。


「緊張してる?」


「別に」


 嘘だった。


 だが、説明する気もなかった。


 温度が違う。


 ここで共有できるものではない。


 学校の昼休みの空気と、入試結果を待つ空気は、同じ場所に置けない。


 周囲にとっては、少し珍しい話題。


 県外の学校を受けたらしい。


 今日結果が出るらしい。


 すごいね。


 受かるといいね。


 それくらいの話だった。


 だが悠真にとっては違う。


 これは一つ目の戦場の結果だった。


 この後に続く戦いの流れを、少しだけ変える結果だった。


(やることはない)


 結果はもう決まっている。


 答案は提出した。


 採点も終わっている。


 合格者も決まっている。


 今さら何を考えても、何を祈っても、何も変わらない。


 待つしかない。


 それが、案外難しい。


 チャイムが鳴った。


 昼休み終了。


 弁当箱が片付けられる。


 机が動く。


 教室の空気が、授業用の空気に変わっていく。


 教師が入ってきた。


 黒板に日付を書く。


 悠真はノートを開いた。


 授業は始まった。


 内容は頭に入る。


 黒板の文字も追える。


 ノートも取れる。


 だが、意識のどこかがずっと別の場所にあった。


(まだか)


 一行進むたびに思う。


(まだか)


 教師の声。


 チョークの音。


 ページをめくる音。


 その全部の裏側で、時間だけがやけに遅く流れていた。


 その時だった。


 ポケットの中で、スマホが震えた。


 ほんの一瞬。


 だが、分かった。


(来た)


 心臓が一度だけ強く鳴った。


 悠真は静かに手を挙げた。


「すみません」


 教師がこちらを見る。


「どうした」


「少し、外に出てもいいですか」


 教師は一瞬だけ悠真を見た。


 何かを察したのかもしれない。


 小さく頷いた。


「すぐ戻れよ」


「はい」


 悠真は立ち上がった。


 教室の視線が少しだけ集まる。


 だが、誰も深くは追ってこない。


 廊下へ出る。


 扉が閉まる。


 音が遠くなる。


 急に静かになった。


 昼下がりの廊下。


 窓の外には運動場が見える。


 体育の授業をしているクラスが遠くに見える。


 誰かが走っている。


 誰かが笑っている。


 その景色だけが、妙に現実離れしていた。


 悠真はスマホを取り出した。


 通知は一つだけだった。


 合格発表。


 指先が少し冷たい。


 画面を開く。


 受験番号。


 生年月日。


 確認。


 検索。


 その数秒が、妙に長かった。


 まだ結果は見えていない。


 だが、結果はもう存在している。


 見ていないだけだ。


 観測していないだけだ。


 画面が白く切り替わる。


 悠真は息を止めた。


 そして。


 表示された。


 合格


 文字は、それだけだった。


 悠真は動かなかった。


 声も出ない。


 拳を握ることもない。


 ただ、その二文字を見ていた。


(通った)


 ゆっくりと理解が追いつく。


(取った)


 胸の奥に溜まっていた何かが、少しだけ軽くなった。


 だが、叫びたいわけではない。


 飛び上がりたいわけでもない。


 誰かに今すぐ伝えたいわけでもない。


 ただ、嬉しかった。


 静かに。


 本当に静かに。


 合格。


 その文字が、画面の中にある。


 不確定だったものが、確定した。


 あの雲の上で揺れていたもの。


 問題冊子の上に残っていた迷い。


 取れたのか、落としたのか分からなかった感覚。


 その全部が、ひとまず一つの結果になった。


 その時。


 画面の白い部分に、ほんの一瞬だけ、薄い影が落ちた気がした。


 黒い線のようなもの。


 紙の上で何度か見た、あの影。


 だが、今回は動かなかった。


 揺れない。


 乱れない。


 ただ、合格の文字の下で、静かに消えた。


 悠真は瞬きをした。


 もう何も見えない。


 ただの画面だった。


(……気のせいだ)


 そう思うことにした。


 だが、胸の奥では、別の言葉が浮かんでいた。


 結果は、見た瞬間に確定する。


 不確定だったものは、観測された瞬間に形を持つ。


 そんな妙な考えが、一瞬だけ頭をよぎった。


 悠真は小さく息を吐いた。


 画面を閉じる。


 それで終わりだった。


 教室へ戻る。


 扉を開ける。


 教師の声が戻ってくる。


 黒板の文字。


 ノート。


 クラスメイト。


 誰も何も知らない。


 悠真は席に座った。


 隣の男子が小声で聞く。


「どうだった?」


 悠真はノートを開きながら答えた。


「通った」


「おお、すげえじゃん」


「うん」


 それだけだった。


 隣の男子は笑って、また前を向いた。


 教室はすぐにいつもの空気へ戻った。


 教師の声が続く。


 悠真も黒板を見る。


(続きだ)


 戦いは終わっていない。


 放課後。


 英修館。


 教室に入る。


 いつもの空気。


 いつもの席。


 いつもの顔。


 藤堂優駿。


 黒田。


 三好。


 佐伯。


 高橋蓮。


 何人かと目が合う。


「どうだった」


 三好が聞いた。


「通った」


 悠真は短く答えた。


「おめでとう」


 黒田が言った。


「おめ」


 佐伯も続く。


 蓮が笑った。


「まず一つやな」


「ああ」


 優駿は小さく頷いた。


「だな」


 それだけ。


 だが十分だった。


 誰も大騒ぎしない。


 ここでは珍しくない。


 そして何より、まだ途中だからだ。


 一つ取った。


 それは大きい。


 だが、これで終わりではない。


 むしろ、ここから崩れてはいけない。


(同じだな)


 空気で分かる。


 何人かは同じように通っている。


 何人かは、まだ結果を待っている。


 何人かは、たぶん言葉を選んでいる。


 合格した者がいる。


 結果待ちの者がいる。


 次の試験に向かう者がいる。


 それぞれが違う場所に立っている。


 だが、同じ教室にいる。


 担任が教室に入ってきた。


 いつものように出席簿を置き、教室を見渡す。


「結果が出た者もいるな」


 誰も大きく反応しない。


「合格した者は、おめでとう」


 短い言葉だった。


「だが、浮かれるな」


 すぐに続く。


「一つの結果は、一つの結果でしかない。合格は足場になる。だが、足場の上で寝るな」


 教室が静かになる。


「不合格だった者もいるかもしれない。結果待ちの者もいる。ここからは精神状態の差が出る」


 悠真はペンを持った。


「一つ取って緩む者。一つ落として崩れる者。結果待ちで止まる者。全部危ない」


 担任は黒板に書いた。


 結果は材料


「いいか。結果は結論ではない。次の配置を決める材料だ」


 悠真の中で、その言葉が静かに沈んだ。


 結果は材料。


 合格も。


 不合格も。


 未確定も。


 全部、次の一手を決めるための材料。


 担任は続ける。


「今日、合格した者は、安心していい。ただし、安心した後に何をするかで次が決まる」


 黒板にもう一つ書く。


 継続


「切るな。流れを切るな」


 悠真はノートにそのまま書いた。


 継続。


 席に座る。


 問題集を開く。


(次だ)


 手は動く。


 思考も止まらない。


 流れは崩れていない。


 合格の文字は嬉しい。


 だが、その文字を抱えて止まるわけにはいかない。


 帰り道。


 一人で歩く。


 冬の夜風が冷たい。


 街灯の光が道路を照らしている。


 鞄の中には、結果を見たスマホと、次の過去問が入っている。


(一つ)


 頭の中で数える。


(一つ取った)


 少しだけ、足元が固くなった気がした。


 保険。


 足場。


 布石。


 どの言葉でもいい。


 少なくとも、何も持っていなかった朝とは違う。


 だが。


(あと、いくつだ)


 答えは出さない。


 出す必要もない。


 まだ途中だからだ。


 家に帰る。


 部屋へ入る。


 机に座る。


 ノートを開く。


 ゆっくりと書く。


 一戦目:四国の名門


 結果:合格


 ペンが少しだけ止まった。


(通った)


 もう一度だけ、その事実を確かめる。


 そして続ける。


 内容:可


 修正:判断速度


 感触:評価不能だったが通過


 意味:足場


 書き終える。


(完璧じゃない)


 それも変わらない。


 合格したからといって、あの迷いが消えるわけではない。


 判断の一瞬。


 処理の遅れ。


 取れたかどうか分からなかった問題。


 それらは、次の試験にも現れる。


 通ったから見逃していいものではない。


 スマホが震えた。


 優駿からだった。


『どうだ』


 悠真は打つ。


『通った』


 既読。


 少しだけ間が空く。


『同じ』


 それだけ返ってきた。


(……だろうな)


 自然に笑った。


 優駿が通っていることに驚きはない。


 むしろ、そうでなければ違和感がある。


 だが、同じ結果でも、意味は違う。


 悠真にとっては足場。


 優駿にとっては、おそらく通過点。


 それでも、同じ一勝だった。


 悠真はノートの端に、小さく書き足した。


 一勝


 そして、その横に。


 未確定


 その文字を見つめる。


(まだ終わっていない)


 合格した。


 だが、戦いは続く。


 まだ何も決まっていない。


 第一志望も。


 最終的な進路も。


 自分がどこまで届くのかも。


 全部、未確定のままだ。


 机の上のスマホが、また少しだけ光った。


 母からだった。


『おめでとう。今日は少しだけ喜ぼう』


 悠真は画面を見た。


 少しだけ喜ぼう。


 その言葉が、思ったより胸に残った。


 すぐに返す。


『ありがとう』


 それだけ打って、スマホを伏せた。


 少しだけ喜ぶ。


 そして続ける。


 それでいい。


 その時。


 ふと、内側で言葉が落ちた。


(初戦は布石に過ぎぬ)


 静かな声。


 耳ではない。


 記憶でもない。


 だが、確かにそこにある。


 悠真は小さく笑った。


「……分かってる」


 返事はない。


 だが、否定もない。


 机の上のノートを見る。


 一戦目。


 合格。


 一勝。


 未確定。


 その文字の上に、ほんの一瞬だけ、薄い影が落ちた。


 だが、今夜の影は揺れていなかった。


 黒い線は、乱れない。


 ただ、盤面の端に置かれた一つの駒のように、静かにそこにある。


 悠真は瞬きをした。


 影は消えていた。


 ノートだけが残っている。


「布石、か」


 小さく呟いた。


 確かにそうだ。


 一つ取った。


 だが、それは勝利そのものではない。


 次を打つための位置ができただけだ。


 悠真はペンを持った。


 問題集を開く。


(次)


 やることは変わらない。


 一つ取っても。


 二つ取っても。


 最後まで終わらなければ意味はない。


 その時、ドアの向こうから心太の声がした。


「兄ちゃん」


「なに」


「受かった?」


「受かった」


 少し間があった。


「おめでとう」


「ありがとう」


 それだけで終わると思った。


 だが、心太はまだドアの向こうにいた。


「じゃあ、今日は静かになる?」


 悠真は手を止めた。


「何が」


「紙の音」


 部屋が静かになる。


「今日は、さっきまで少ししてた。でも今は止まった」


 悠真はノートを見た。


 一勝。


 未確定。


 何も動いていない。


 何も見えない。


「気のせいだろ」


「うん。たぶん」


 心太はそう言って、足音を遠ざけた。


 悠真はしばらくドアを見ていた。


 そして、もう一度机に向き直る。


 窓の外では、冬の夜が静かに広がっていた。


 その静けさの中で、悠真は次のページをめくった。


 結果が一つ出た。


 不確定だったものが、一つだけ形を持った。


 だが、盤面全体はまだ見えない。


 次の戦場へ向けて。


 戦いは、静かに続いていた。


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