第二部 第15話「宣言」
第二部 第15話 宣言
朝は暗かった。
アラームが鳴る前に目が覚める。
迷いはなかった。
布団を出る。
机に向かう。
昨日決めた通り。
主戦場へ入る。
確率の二周目。
タイマーは短い。
(一問目)
流す。
(二問目)
枝を最初に切る。
(三問目)
罠を先に潰す。
(通る)
見直し固定。
符号。
条件。
桁。
ミスはない。
呼吸が安定する。
(これでいい)
以前のように、全部を抱え込まない。
取るもの。
切るもの。
固定するもの。
深めるもの。
最初に選ぶ。
それが今の戦い方だった。
学校。
授業で一回だけ手を挙げる。
「この場合、先に分けると速いです」
教師が頷く。
「いいね」
取り切る。
やりすぎない。
必要な場面で、正確に出す。
昼休み。
提出物を最短で整える。
字。
行間。
見出し。
余白。
(十分)
線を守る。
綺麗に見せることが目的ではない。
評価を落とさない形にする。
公立を軽く見るわけではない。
内申を捨てるわけでもない。
ただ、飲み込まれない。
それだけだった。
放課後。
サッカー部。
全力で走る。
全力で声を出す。
ボールを追う。
汗が落ちる。
息が切れる。
楽しい。
だからこそ、終わった瞬間に切り替える。
余韻に浸らない。
スマホを開かない。
水を飲み、荷物をまとめ、塾へ向かう。
英修館の教室の空気は変わらない。
だが、自分の入り方が違った。
(主戦場)
意識が自然と上がる。
ミニテスト。
開始。
問題をめくる。
(迷わない)
一問目。
全体像を取る。
二問目。
最短を選ぶ。
三問目。
条件を先に確認する。
四問目。
少し重い。
以前なら食いついていた。
最後まで取りに行こうとして、他を崩していた。
だが今は違う。
(捨てる)
即断する。
部分点へ切り替える。
条件を書く。
式を残す。
取れる形にする。
見直し固定。
(通る)
ペンを置く。
静かな手応えが残った。
満点かどうかは分からない。
だが、崩れてはいない。
自分の運用を通した。
掲示。
順位が張り出される。
人だかりができる。
「上がった」
「落ちた」
「今回、差ついたな」
声が重なる。
悠真は自分の名前を探す。
すぐに見つかる。
以前より少し上。
わずかだ。
順位にして数人。
偏差値にして、ほんの少し。
だが確実だった。
(上がった)
周囲が何か言っている。
「森岡、最近来てるな」
「伸びてる」
振り返らない。
浮かれない。
ノートにだけ書く。
維持
それだけ。
一回上がることより。
上がった位置を次も守ること。
さらに次へ詰めること。
そこからが本当だった。
優駿が横に来る。
「どうだ」
「回ってる」
「だな」
短い会話。
優駿は頷く。
「そのまま詰めろ」
「ああ」
黒田が笑う。
「最近やべぇな」
三好が言う。
「足りない分だけやる」
佐伯が続く。
「速さは落とすな」
それぞれ違う。
だが全員、前を向いている。
黒田は必要十分で止める。
三好は足りない分を埋める。
佐伯は最短で上げる。
優駿は崩れずに取る。
そして自分は。
(選択で勝つ)
さらに。
(配置で勝つ)
悠真は自分の軸を確認した。
授業後。
優駿と廊下に出る。
掲示板には、合格実績と模試予定が並んでいる。
白い紙。
黒い文字。
そこには、次の模試の案内が貼られていた。
全国統一難関模試。
対象校。
久留米附設。
ラ・サール。
青雲。
早稲田佐賀。
弘学館。
そして、そのさらに上に、全国最難関の名が並んでいた。
灘。
開成。
筑波大附属駒場。
悠真は足を止めた。
「見るか?」
優駿が言う。
「見る」
即答だった。
掲示された昨年度成績優秀者。
順位。
得点。
学校名。
数字を追った瞬間、悠真の呼吸が少し止まった。
(……なんだよ、これ)
異常だった。
同じ中学生とは思えない。
別の生き物のようだった。
得点が高いだけではない。
落としていない。
崩れていない。
全科目で戦っている。
地方の上位。
県内の上位。
塾内の上位。
その先に、こんな世界がある。
悠真はしばらく紙を見つめた。
そして、小さく笑った。
「マジかよ」
怖さより先に、興味が勝った。
まだ知らない戦場。
まだ見たことのない相手。
まだ届かない場所。
優駿が横で言う。
「ここからだろ」
「ああ」
「宣言しとけよ」
悠真は顔を向ける。
「何を」
「自分がどこで戦うか」
優駿は掲示板を見る。
「決めてないやつは、ここで飲まれる」
その言葉は静かだった。
だが、重かった。
夜。
部屋に戻る。
ノートを開く。
新しいページ。
大きく書く。
宣言
その下に続ける。
勝ち条件
私立難関合格
主戦場
英修館・全国難関模試
保険
内申・公立トップ校
戦い方
選択で勝つ
配置で勝つ
原則
再現する
書き終える。
迷いはない。
少し前なら、こうは書けなかった。
公立を捨てるのが怖かった。
私立難関と言い切るのも怖かった。
内申を保険と言うことにも、どこか罪悪感があった。
だが今は違う。
公立は軽く見ない。
内申も落とさない。
ただ、勝ち条件を別に置く。
それだけだ。
コンコン。
ドアがノックされる。
母だった。
「入っていい?」
「うん」
母が部屋に入る。
机のノートに視線が落ちる。
「宣言?」
「うん」
「決めたの?」
悠真は頷く。
「私立で勝つ」
母は黙った。
「公立は?」
「受ける」
悠真は続ける。
「でも、勝ち条件じゃない」
「土台として取る」
言葉は揺れなかった。
母はしばらく何も言わなかった。
そして、小さく頷いた。
「分かった」
一拍置いて。
「じゃあ、内申は落とさないで」
「落とさない」
「提出物も?」
「最短で取る」
母は少しだけ笑った。
「本当に変わったね」
その声には、心配と、呆れと、少しの安心が混じっていた。
「でも」
母は真面目な顔に戻る。
「決めたなら、最後までやりなさい」
悠真は頷いた。
「やる」
母はそれ以上、何も言わなかった。
部屋を出ていく。
ドアが閉まる。
静寂。
悠真は問題集を開く。
一問目。
流す。
二問目。
切る。
三問目。
潰す。
見直す。
(通る)
以前より速い。
以前より迷わない。
以前より崩れない。
確かに変わった。
そのとき。
スマホが震えた。
英修館からの通知だった。
『全国統一難関模試 実施のお知らせ』
何気なく開く。
対象校一覧。
そこには見慣れた名前と、まだ遠い名前が並んでいた。
ラ・サール。
久留米附設。
青雲。
早稲田佐賀。
弘学館。
灘。
開成。
筑波大附属駒場。
全国の難関校。
悠真の手が止まる。
(全国)
今まで戦っていたのは。
学校だった。
塾だった。
県内だった。
九州だった。
だが、その先がある。
さらに画面をスクロールする。
昨年度成績優秀者。
順位。
得点。
学校名。
数字を見た瞬間、また息が止まった。
(……なんだよ、これ)
異常だった。
同じ中学生とは思えない。
別の生き物だった。
悠真はしばらく画面を見つめた。
そして。
小さく笑った。
「マジかよ」
怖さより先に、興味が勝った。
まだ知らない戦場。
まだ見たことのない相手。
まだ届かない場所。
悠真はノートを開く。
新しいページ。
迷わず書く。
全国
その二文字だけ。
ペンを置く。
窓の外は静かな夜だった。
だが、彼の戦場は。
今、この瞬間。
さらに広がった。
まだ見ぬ怪物たちとの戦いが、静かに始まろうとしていた。
第二部本編・完




