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偏差値は戦である  作者: 受験孔明
第二部 再構築〜中学生活編
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第二部 第8話「惰性と距離」

第二部 第8話 惰性と距離


 時間は、気づかないうちに過ぎていた。


 中学一年の春。


 最初の中間テスト。


 部活。


 塾。


 自習。


 すべてを回すことに必死だった。


 学校は取る。


 塾は落とさない。


 部活は続ける。


 そのために、予定を組み、修正し、崩れたら戻した。


 最初は、それだけで戦っている気がした。


 だが。


 春が終わり、夏が来て、秋が過ぎ、気づけば冬になっていた。


 中学一年の頃に感じていた緊張感は、もう薄れていた。


 部活にも慣れた。


 クラスにも馴染んだ。


 塾にも通っている。


 学校の提出物も出している。


 定期テストも、それなりに取れている。


 毎日は忙しい。


 だが、回らないほどではない。


 それなりに忙しく。


 それなりに充実している。


(悪くない)


 そう思う日が増えていた。


 成績も悪くない。


 定期テストは上位。


 内申は四が混じるが、平均すれば高い。


 塾でも中の上にはいる。


 落ちることはない。


 だが。


(上にも行かない)


 そこが変わらない。


 中学二年の冬。


 英修館のクラス替えテスト。


 結果が廊下に張り出された。


 人だかりができている。


「やば、落ちた」


「上がった!」


「今回、数学むずくなかった?」


「英語で死んだ」


 声が飛び交う。


 悠真は、人の隙間から順位表を見た。


 自分の名前を探す。


 すぐに見つかる。


(……ここか)


 中の上。


 悪くはない。


 決して低くはない。


 だが、変わっていない。


 上がってもいない。


 落ちてもいない。


 ただ、同じ場所にいる。


 その少し上に、藤堂優駿の名前がある。


 いつもの位置。


 上位。


 ブレない。


(変わってねぇな)


 悠真はそう思う。


 自分も。


 優駿も。


 違うのは、距離だけ。


 同じように見えて、少しずつ離れている。


 優駿は、当たり前のように上にいる。


 附設。


 ラ・サール。


 県立トップ校。


 さらにその先。


 どこを選ぶにしても、選べる位置にいる。


 一方、自分は。


 選ぶ前に、届くかどうかを考えなければならない位置にいる。


(悪くはない)


 その言葉が、急に弱く聞こえた。


 教室に戻る。


 周りの会話が聞こえる。


「今回簡単だったな」


「ミスったわ、一問」


「社会、ノー勉でもいけた」


 軽い調子。


 だが、その中に違う存在が混じっている。


 窓際の席に座っている男子。


 黒田。


 中学受験はしていない。


 小学生の頃から英修館にいたわけでもない。


 だが、定期テストも塾のテストも、普通に上位にいる。


(あいつ、なんなんだ)


 特別勉強している様子もない。


 授業も普通。


 質問も多くない。


 ノートが異常に綺麗なわけでもない。


 だが、できる。


 理解が速い。


 一度聞けば、だいたい入る。


 初見の問題でも、崩れない。


 ナチュラル型。


 別の席。


 三好。


 今年の夏から塾に入ってきた。


 最初は下のクラスだった。


 だが。


(上がってきたな)


 今は同じクラスにいる。


 勢いが違う。


 問題に対する執着が強い。


 解けるまでやる。


 分からなければ講師を捕まえる。


 小テストで間違えた問題を、翌週には必ず潰してくる。


 止まらない。


 叩き上げ型。


 さらにもう一人。


 最近名前が上に出てきたやつがいる。


 中学二年の秋を過ぎてから入塾してきた。


 後発。


 遅れてきたはずだった。


 だが、短期間で上位に食い込んでいる。


(……マジか)


 後発無双型。


 短期間でここまで来る。


(追いつかれる)


 いや。


 もう並ばれている。


 悠真は席に座った。


 周りを見る。


 優駿。


 黒田。


 三好。


 そして新参。


(揃ってきたな)


 戦場が。


 小学生の頃は、受験をしている者として、少しだけ前にいる気がしていた。


 中学受験を経験した。


 塾の厳しさも知っている。


 模試の怖さも知っている。


 偏差値の残酷さも知っている。


 だから、自分には積み上げがあると思っていた。


 だが、中学に入ると、それだけでは足りない。


 元々できる者がいる。


 途中から本気になる者がいる。


 遅れてきても一気に抜いていく者がいる。


 受験経験は武器になる。


 だが、それだけで勝てるほど、戦場は甘くない。


 帰り道。


 悠真は優駿と並んで歩いた。


 冬の空気は冷たい。


 制服の首元から風が入る。


「どうだった」


 優駿が聞く。


 いつものやつ。


「変わらん」


 悠真は短く答えた。


 優駿は少しだけ笑う。


「だろうな」


 歩きながら続ける。


「お前さ」


 一拍置く。


「本気出してないだろ」


 その一言。


 悠真は足を止めそうになった。


(……)


 すぐには答えない。


 優駿は続ける。


「いや、勉強してないって意味じゃないぞ」


「分かってる」


「部活もやってる。塾も来てる。定期テストも取ってる」


「ならいいだろ」


「いいなら、今の位置に納得してるはずだろ」


 悠真は黙った。


 優駿の言葉は、短い。


 だが、逃げ道を塞いでくる。


「お前はさ」


 優駿が言う。


「本気を出してる“つもり”なんだよ」


 図星だった。


 悠真は前を見る。


「……どうだろうな」


 曖昧に返す。


 優駿は肩をすくめる。


「そのままだとさ」


 少しだけ真面目な声。


「多分、届かないぞ」


 その言葉。


 志望校のことだと、すぐに分かった。


 県立トップ校。


 附設。


 ラ・サール。


 どこを選ぶにしても。


 今のままでは、選べる側には立てない。


(……)


 何も言えない。


 事実だからだ。


 家に帰る。


 机に座る。


 ノートを開く。


 何も書かない。


 ただ、ぼんやりと白いページを見ている。


(あの時は、本気だった)


 中学受験。


 あの頃は、全部をかけていた。


 合格したかった。


 負けたくなかった。


 追いつきたかった。


 自分を変えたかった。


 毎日が重く、苦しく、怖かった。


 だが、確かに火はあった。


(今は?)


 答えが出ない。


 部活は楽しい。


 友達と遊ぶのも楽しい。


 塾も行っている。


 勉強もしている。


 学校の成績も悪くない。


 だが。


(全部、少しずつだな)


 尖っていない。


 どこにも。


 全力で走っているわけではない。


 全力で休んでいるわけでもない。


 全力で遊んでいるわけでもない。


 全力で勉強しているわけでもない。


 ただ、毎日を回している。


 崩れないように。


 落ちないように。


 それなりに。


 コンコン。


 ドアが開く。


 心太が部屋に入ってくる。


「何してんの?」


「別に」


「顔、やばいよ」


 軽く言う。


「そうか?」


「うん」


 即答。


 少し沈黙。


 心太が言う。


「つまんないんじゃない?」


 その一言。


(……)


 悠真は目を細める。


「何が」


「今」


 シンプルだった。


 だが、刺さる。


 悠真は何も言わない。


 心太は本を抱え直した。


「兄ちゃん、負けてるときの方が面白そうだったよ」


「何だそれ」


「分かんないけど」


 心太は少し考える。


「今は、負けないようにしてるだけに見える」


 それだけ言って、部屋を出ていく。


 静寂。


(負けないようにしてるだけ)


 否定できない。


 負けていない。


 だが、勝ってもいない。


 ただ、そこにいるだけ。


 悪くない位置。


 悪くない成績。


 悪くない毎日。


 その全部が、少しずつ自分を眠らせていた。


(このままでいいのか)


 その問いが、はっきりと浮かぶ。


 悠真はノートにペンを置く。


 ゆっくりと書く。


 現状


 そして、その下に一行。


 停滞


 ペンが止まる。


 その二文字を見て、少しだけ胸の奥が熱くなる。


 悔しいのか。


 焦りなのか。


 それとも、まだ残っていた何かなのか。


 分からない。


 だが、消えてはいなかった。


(……やるか)


 小さく息を吐く。


 まだ、火は消えていない。


 ただ。


 弱くなっているだけだ。


 悠真はノートの端に、もう一行を書いた。


 惰性を切る。


 その文字は、思ったよりも強く見えた。


 冬の夜。


 机の上の蛍光灯だけが、白く光っている。


 中学受験の頃に聞こえていた声は、もうはっきりとは思い出せない。


 何を言われたのかも、どんな顔だったのかも、ほとんど残っていない。


 ただ、ひとつだけ。


 負け方を見ろ。


 そんな言葉だけが、頭の奥に薄く残っていた。


 悠真はもう一度、順位表の位置を思い出す。


 優駿。


 黒田。


 三好。


 新参。


 そして自分。


 距離は、見えた。


 あとは。


 詰めるか。


 離されるか。


 それだけだった。


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