第2話 期限付きの軍師」
第二話 期限付きの軍師
音が、消えていた。
光もない。
闇でもない。
ただ、“思考”だけが存在している。
(……終わったか)
諸葛亮孔明は、静かにそう判断した。
驚きはなかった。
恐れもない。
ただ、状況を受け入れる。
それが最も合理的だった。
周囲には、無数の光が浮かんでいる。
揺らめくそれらは、形を持たない。
だが孔明は理解していた。
これは命だ。
まだ選ばれていない人生。
これから始まる可能性。
無数の“器”。
孔明は、その一つ一つを観察する。
情報は少ない。
だが、十分だ。
環境。
親。
知能。
性格。
資源。
習慣。
断片から、未来を推定する。
(これは、短命)
(これは、凡庸)
(これは、才はあるが環境が劣る)
(これは、環境は良いが折れる)
選別は速かった。
そのとき。
「選べ」
声が響いた。
振り返る必要はなかった。
この空間において、“方向”に意味はない。
「条件を」
孔明は即座に返す。
沈黙が一瞬だけ流れた。
「次の生を与える。ただし完全ではない」
「不完全とは」
「誰かの中に入る」
(憑依か)
「主導権は保証しない」
「期間は」
「有限」
(短期戦)
孔明は、思考を加速させる。
長期戦ではない。
成長を待つ余裕はない。
初期条件が重要になる。
「勝敗条件は」
「定めぬ」
その一言で、理解した。
自由戦。
だが続きがあった。
「ただし、“選択”は迫られる」
(なるほど)
完全な自由ではない。
状況に応じて、決断を下さねばならない。
その質が問われる。
孔明は、わずかに笑った。
「面白い」
声は出ない。
だが思考として、確かにそう言った。
「なぜ人間だ」
問いを投げる。
「他の存在もあるだろう」
鳥。
獣。
あるいは、もっと単純な生。
「人間が最も“選択”を行う」
即答だった。
「戦、政治、経済、教育」
「最も複雑な場だ」
(教育)
その単語に、わずかに引っかかる。
「現代の人間社会において」
声は続く。
「選別が最も明確に可視化されるのが“受験”だ」
孔明は、思考を止めた。
可視化された選別。
紙一枚で、序列が決まる。
環境。
情報。
資源。
努力。
適性。
親の判断。
すべてが結果に集約される。
(戦として成立している)
単なる学問ではない。
構造は、戦そのものだ。
「なぜ俺だ」
問いを重ねる。
「観測者として長く居すぎた」
孔明は黙った。
「そろそろ、当事者になれ」
その言葉だけ、わずかに引っかかった。
観測者。
聞き慣れない言葉ではない。
だが、今の声が使うそれは、孔明の知る意味とは少し違っていた。
「俺はいつか忘れるのか」
孔明は問うた。
沈黙。
それだけで十分だった。
「なるほど」
記憶は保証されない。
存在も保証されない。
ならば残すべきは、自分ではない。
戦い方だ。
「対象は」
無数の光が、わずかに収束する。
その中の一つ。
「これだ」
孔明は、その光に意識を向ける。
瞬間。
情報が流れ込む。
森岡悠真。
小学六年。
能力。
高い。
計算速度。
優秀。
そろばん経験あり。
だが――
(雑だな)
符号ミス。
読み飛ばし。
確認不足。
(武はある。だが統制がない)
さらに情報が入る。
家庭。
母、強く関与。
父、距離あり。
期待はある。
対話は少ない。
(沈黙する者ほど厄介だ)
そして、弟。
森岡心太。
(ほう)
読解力。
異常。
処理速度。
速い。
記憶。
強い。
だが――
(無自覚か)
努力ではない。
習慣でもない。
ただ、できる。
(兄は努力型未完成。弟は才能型未開発)
対比になる。
環境としては、悪くない。
だが、勝てる環境ではない。
勝つためには、組み替える必要がある。
さらに、別の光が見えた。
同世代。
知能、高。
環境、優。
習慣、安定。
勝率、極めて高。
孔明は一瞥した。
(強いな)
だが、興味は薄かった。
完成された勝者は、勝つべくして勝つ。
戦としては単純だ。
孔明は再び、森岡悠真の光を見た。
勝率は低い。
欠陥は多い。
本人は自分の弱さを知らない。
だが、敗北した時に折れ切らない芯がある。
「これに入る」
即決だった。
「理由は」
「素材が良い」
短い答え。
「だが未完成」
「短期戦に向く」
声は、わずかに沈黙した。
そして――
「許可する」
その瞬間。
光が収束する。
意識が引き裂かれる。
落ちる。
圧縮される。
侵入。
目を開ける。
天井。
白い。
(ここか)
視界が安定する。
身体の感覚。
重い。
だが、問題ない。
机がある。
問題集。
算数。
割合。
途中で止まっている。
(逃げたな)
すぐに分かる。
ペンを持つ。
軽い。
だが、悪くない。
そのとき。
内側から、声が弾けた。
「やりたくねぇ……」
(これが本体か)
森岡悠真。
「今日は無理だって」
孔明は、無視した。
問題を見る。
『定価800円の品物を20%引きで売るときの価格を求めよ』
(浅い)
だが、重要なのはそこではない。
悠真が言う。
「それさっきやったし」
「分かってるし」
「640だろ?」
孔明は手を止めた。
(答えは合っている)
だが。
(理解していない)
ペンを動かす。
800×0.8
その横に書く。
1−0.2
さらに。
基準=1
割合=変化
(構造を固定する)
「……なんで書くの、それ」
悠真が戸惑う。
孔明は答えない。
ただ、思考を続ける。
(この戦、単純ではない)
速さだけでは勝てない。
精度だけでも足りない。
環境も絡む。
情報も絡む。
親も絡む。
本人の弱さも絡む。
(面白い)
わずかに、思考が弾む。
だが同時に、頭の奥で軋みが走った。
期限。
(長くはないな)
孔明は理解した。
これは遊戯ではない。
時間制限付きの戦だ。
そして、敗北は許される。
だが。
(無意味な敗北は、許されぬ)
静かに、結論を出す。
「まずは、戦場を把握する」
悠真が反応する。
「は?」
孔明は、初めて言葉を返した。
「ここは、どこだ」
沈黙。
「……は?」
当然の反応だった。
だが、この問いがすべての始まりになる。
戦場を誤るな。




