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運命のつがいは鬼畜な上司  作者: 白井夢子
第四章

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18.断食道場の人数枠


仕事帰り。

屋敷の前まで背負ってもらい、帰っていくベアゴーにバイバイと手を振った、その時だった。


「あ。申し込み書……」


ナナミーはゴソ……とカバンを探り、広告を切り取った申し込み書を取り出した。


「ポストに入れるの忘れちゃった……」


早く申し込みを終えなくては、断食道場の枠が埋まってしまうかもしれない。


「ポスト……」


顔を上げたときには、ベアゴーの背中はもう見えなかった。


せっかく帰ってきたのに、あの道の角のポストまで歩かなくてはいけない。

仕事終わりの運動に、ナナミーはふう……とため息をつく。

そしてノロ……と足を踏み出した。




「あら?ナナミーじゃない」


「あ。ワニエルさん、こんにちは」


道を少し歩いたところで、ワニエルと出会った。

ナナミーはペコリと頭を下げる。


「お仕事帰りですか?ワニエルさんのお家、この道を通るんですね」


「ええ、そうよ。家とは反対方向だけど、毎日この道を通って帰るの。推しの聖地ですもの」


バッチリメイクの目をほそめて、ワニエルがうふふと笑う。


「推しの聖地……ですか?」


この通りにそんなものがあるのだろうか。

キョロ……とナナミーは目を動かす。


「ナナミーったらどこ見てるの?そこよ、そこ。このお屋敷よ。ヒヨク様のお屋敷を拝んで仕事の疲れを癒すのよ」


「ソウナンデスネ〜……」


ヒヨクの屋敷に目を向けたワニエルの目が、キラリと光った気がして、ナナミーは曖昧に笑う。


そうだ。

ワニエルは熱狂的なヒヨクのファンだった。

ヒヨクに解散させられたと聞いたが―― ヒヨクの秘密ファンクラブの会員だったと、以前ラニカが話していた。


ドクドクドク……と心臓がうるさい。

弱小種族の本能が、『ヒヨクの屋敷に居候していることを知られたら、終わりだ』と告げていた。



「ナナミーって……」


ワニエルの口から名前を呼ばれ、ドクン、と一際大きく心臓が鳴った。


「あのヒヨク様に無関心でいられるから、居候なんてさせてもらえてるのね。もう、ほんとクールなんだから」


「……あ、はい」


――居候は知られていた。

決してナナミーはヒヨクに無関心なわけでも、クールなわけでもない。

だがここは何も言わない方がいいだろう。

ナナミーはまた曖昧に頷いた。



「ナナミーこそ何してるの?お屋敷に帰ってきたんでしょう?」


「あ、はい。ポストに入れ忘れたこれを、出しに行くところなんです」


「これ」と言いながら、ナナミーは広告をピラ……と振る。


「何それ?何かの申し込み書?見せてもらっていい?」


コクリと頷き手渡すと、広告の申し込み用紙を見つめたワニエルが目を見開いた。


「肉断ち断食道場10日間コースって……ナナミー、あなたダイエット修行するつもり!?」


「はい。12日の有給休暇もらったんです」


えへへと笑うと、ワニエルがバッ!と両手で口を押さえて、目を潤ませた。


「なんて子なの……!ナナミーのモデル魂は一流ね……!『捕獲のナナミー』って言われるわけだわ。いけない、鳥肌が立っちゃった」


ワニエルが、はふぅっと熱っぽい吐息をもらす。


「え、いえ、私は――」

「いいの!」


『私はモデルを目指しているわけじゃないですよ』という言葉は、ワニエルに遮られた。


「いいのよ、何も言わないで。――分かってる。ナナミー、あなたの覚悟はしっかりと受け取ったわ。安心して?私たちはナナミーに付いていくつもりよ」


「え……?」


覚悟、とはなんだろう。

何を安心していいのか分からない。


「あの……」


「大丈夫よ。ナナミーは一人じゃないわ。私たちが付いてる。急いでラニカとスネイにも連絡するわね」


「え、あの、何を……」


何が大丈夫なのか分からない。

一人じゃないとはどういうことなのか。

どうしてここでラニカとスネイの名前が出るのか。


聞きたいことはたくさんあった。


だが――


「はい。これポストに出しておいて。私これからラニカの寮に急ぐから。またね、ナナミー」


ワニエルはおもむろにカバンからペンを取り出すと、ナナミーから受け取った広告に、キュキュッと何かを書き込んだ。


「これでいいわ……」


ワニエルは満足そうに呟くと、広告をナナミーに押し返し、あっという間に駆け去ってしまった。


呆然と見送るワニエルの背は、遠くの曲がり角に消えた。

目の前に長く伸びる道路には、もう誰の姿も見えない。


しばらく立ち尽くして、ナナミーは広告に目を落とす。


(何書いてたのかな……)


「あ」


『1人』と書いていた申し込み人数の記入箇所は、1から4に書き直されていた。


(4人……)


ナナミーと、ワニエル。

そしてラニカとスネイ。

――合わせて4人。


どうやらワニエルたちも、断食道場10日間コースに参加するらしい。




* * *



「ナナミー様。今日のおやつは、ヒヨク様が特別に取り寄せた、フルーツトマトですよ。普通のトマトの3倍も甘いそうです」


「フルーツトマト……」


仕事から帰ったナナミーに、ユキが声をかけると、ナナミーがゴクリとツバを飲み込んだ。


フルーツトマトは、ヒヨクがナナミーのために特別に取り寄せたものだ。

ナナミーの帰宅時間に合わせて収穫したものを運ばせている。


ユキは、レオードの屋敷で起きた水着騒動を、母親のスノウから聞いていた。

『つがい付き使用人として、ナナミー様のお気持ちをしっかりと鎮めるのよ』と言われている。

ヒヨクを避けるようになってしまったナナミーに、ユキもなんとか心を開いてもらえるよう、頑張っているところだった。


ユキが見る限り、ナナミーはヒヨクに対して怒ってはいない。

『ヒヨク様が特別に』と伝えた瞬間、嬉しそうに顔を輝かせる。


それでも以前と態度が違うのは、どうやら見られた水着姿が恥ずかしかったからだろう。

いつもよりおやつを食べ過ぎた日は、気にするようにお腹をさすっていた。


『お腹なんて全然気にする必要なんてないですよ』

『むしろもっとたくさん食べてください』

『ヒヨク様もお喜びになりますよ』

――そう、ナナミーに伝えたい。


だが、ユキはプロフェッショナルなつがい付き使用人だ。

運命のつがいが結ばれるまでの道のりに、土足で踏み込むようなことはできない。

ユキにできることはただ、黙って二人を見守ることだけだ。


「ヒヨク様ももうすぐお帰りになると思いますよ。今日の特別なおやつは、ヒヨク様の執務室で召し上がられますか」


(ヒヨク様が、ナナミー様の誘いを待ってますよ。どうか一緒に召し上がってください)


――そんな思いを込めて、使用人としてそっとナナミーの背中を押すことしかできない。


ユキの言葉に、ナナミーの瞳が揺れる。

きっと、ヒヨクに会いたいのだろう。


(今日こそは……!)


固唾をのんでユキはナナミーを見守る。


だが、やがてナナミーは悲しそうにフル……フル……と首を振った。

どうやら今日もヒヨクを誘う勇気は出なかったらしい。


「お部屋で召し上がりますか?」


少しだけ残念に思いながら、ユキがそう尋ねると、ナナミーはコクリと頷いた。


おそらく、だが。

お取り寄せのおやつがおいしすぎて、ヒヨクの前でいつもより食べすぎてしまうことを、ナナミーは恐れているのだろう。


『ヒヨク様、特別なおやつは危険ですよ』

――ユキはそうヒヨクに報告したい。


だが、プロフェッショナルなつがい付き使用人として、それは決してできない助言なのだ。

 


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