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運命のつがいは鬼畜な上司  作者: 白井夢子
第四章

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17.ヒヨクの謝罪


(最悪だ……)


レオードの屋敷からの帰り道、ナナミーを背負いながら、ヒヨクの思いは重く沈んでいた。


コフィとの着替え遊びは、とっくに終わっているものだと思い込んでいた。

まさかまだ遊んでいて、ナナミーが水着に着替えているとは思いもしなかったのだ。


――カーテンを開ける前に、声をかけるべきだった。


(いや……)


何も言わずに開けてしまったものはしょうがない。

着替え中じゃなかっただけマシだ。

――問題はそこじゃない。


問題は、水着姿のナナミーを無遠慮に見てしまったことだ。

しかも腹だ。

カーテンを閉め直すこともなく、ヒヨクはアザひとつない腹を見つめてしまった。


ふと、ナナミーの白く細い腹を思い出す。


ドキンと心臓が跳ね――すぐに我に返る。

今目の前にある現実が、ヒヨクに破滅を告げていた。


(オレは嫌われた……のか……?)


あれからナナミーは何も言わない。

大人しく背中に背負われているだけだ。


最悪の可能性が脳裏をよぎる。


レオードの屋敷を出るときも、(嫌われたかもしれない)と思うと、『悪かったな』という言葉は喉元に張り付いた。

ヒヨクは黙ったままナナミーに背を向け、捕まるように促した。


いつもかけてくる、「お願いします」も「ありがとうございます」の言葉もなく、ナナミーも黙ってヒヨクの肩に捕まった。


別に礼を言ってほしいわけじゃない。

労いの言葉がほしいわけでもない。

ただ、なんでもいいから何か言ってほしかった。

いつもと変わらない言葉で、安心したかったのだ。


だがナナミーは、言葉をかけてくれないどころか――


いつもならば背中に預けてくる体を引き離し、距離を取っている。

さらに、深く長い静かなため息をついた。


ゆっくりと吐き出される息の気配を、ヒヨクは背中に感じる。


(嫌われた……)


絶望の波にのまれ、どうすべきかわからない。

ザッ、ザッ、と足音だけが響いていた。





あれから数日が過ぎたが、ナナミーは明らかにヒヨクを避けている。


朝背負うときに、「お願いします」「ありがとうございます」とは言ってくれる。

だが、それだけだ。

会社までの道のりに、機嫌良く歌うこともなくなった。

――体を起こし、ヒヨクの背に体を預けることもない。


仕事で書類を提出するときも、固く小さな声で「ここに置いておきますね」と言うだけだ。


(機嫌を取らねえと……!)


焦る思いで、極上のおやつを取り寄せた。

取り寄せ不可の、1日限定5個の『とろける半熟干し芋』だって取り寄せた。


以前なら、極上のおやつを用意した日は、必ず『帰りを待ってました。一緒に食べませんか?』と声をかけてきた。

だが――

なるべく早く仕事を切り上げて帰るようにしているが、誘ってもくれない。

取り寄せたおやつは気に入ってくれたようだが、部屋にこもって、一人でゆっくりと味わっているらしい。


ナナミーの部屋を訪ねて、「一緒に食おうぜ」と誘うこともできない。

(断られたら)と思うと、部屋の扉をノックすることもできなかった。


こんなことは初めてだった。

これまでも、ナナミーに関して多少の焦りを感じることはあったが、ここまで不安な思いを感じたことはない。

どうしたらいいのかわからず、八方塞がりだった。


(誰かに聞くか)


そう思ったが、まともな助言をくれそうな奴が思いつかない。

ヒヨクの周りにいるのは、アザ持ちの男ばかりだ。


(……いや、アイツらはダメだ)


チレッグやヒュー、クリフを思い浮かべて、ヒヨクは首を振る。


クリフみてえなのに聞いたところで、参考になるはずがない。

チレッグやヒューに聞いても、ナナミーとの不仲を喜ばせるだけだろう。

――アイツらに、余計な情報を与えるべきではない。


そしてヒヨクは、レオードとヨウを思い浮かべる。


(……いや、アイツらは頼りにならねえ)


相談したところで、『そんなことより、運命のつがいを大事にしろよ』と言われるだけだ。

ナナミーがヒヨクの運命のつがいだと、確定しているわけではない。

そんな相談など、できるはずがなかった。



途方に暮れかけて、ふと思い出す。


(……占い師がいたな)


そういえば、市場の片隅に『よく当たる』と評判の占い師がいた。

前にされた占いは外れたが、相談事なら少しくらい当てるだろう。


一筋の光を見た思いだった。

早速仕事帰りに、ヒヨクは占い師のテントを訪ねた。



「オイ、機嫌を取るにはどうすりゃいいか、教えろよ」


顔を見るなりかけた言葉に、占い師が戸惑いを見せた。


「それは……女の機嫌かの?」


当たり前のこと聞く占い師に、ヒヨクはチッと舌打ちする。他の誰の機嫌を気にするというのか。


「……テメェ占い師だろ?分かってんなら、さっさと答えろよ」


凄んで見せると、肩を揺らした占い師が、慌てたように口を開いた。


「そうじゃの。女には、欲しいものが必ずある。女の望むものを贈ればいい」


「欲しいもの?」


ナナミーに欲しいものがあると占いの結果が出たようだ。

ヒヨクは片眉を上げる。


「そうじゃ。お前さんなら、何を望まれても叶える力があるじゃろう?だったら、女の望みを叶えてやるがいい」


確かに、ヒヨクには金も力もある。

ナナミーがどれだけ高価な物を欲しがったとしても、それを贈ることなど容易いものだ。


「まあ……な。分かった」


そう返事をして金を置き、屋敷に戻ってナナミーの部屋を訪ねた。





ナナミーの部屋の扉の前で、ヒヨクは柄にもなく緊張していた。


ノックをする前に、息を整える。

扉が開いたら、最初にかける言葉は決めていた。


『この前は勝手にカーテン開けて悪かった』

――そう、謝罪するつもりだった。


だが、久しぶりに送迎と仕事以外でナナミーと顔を合わせた瞬間、言葉が飛んだ。


「ナナミー、欲しいもんあんだろ?」


謝罪の言葉を飛ばし、願いを聞いた。


「用意してやるから言えよ」


「え!……あ、でもさすがに無理なお願いですし……」


やはりナナミーは欲しいものがあるようだ。

占い師の言葉は当たっていた。

すぐに遠慮したが、ナナミーの顔が一瞬パァッと明るくなったのを、ヒヨクは見逃さなかった。


「オレに用意できねえもんなんて、ねえんだよ。いいから言えよ」


遠慮を見せたナナミーに、ヒヨクは言葉を重ねた。

ナナミーが望む物ならば、なんでも買ってやるつもりだった。

全国のさつまいも農園だろうが、高級ブティックだろうが、ヒヨクが手に入れられないものなどない。


「あ……じゃあ……」


遠慮がちに願いを口にするナナミーを、ヒヨクはじっと見つめた。


「12日間の連休をお願いします。泊まりで出かけてきますね」


「は?12日……?」


思っても見なかった答えに、ヒヨクは動揺する。

ナナミーの願いは、物ではなく、休みだった。


しかもただの休みではない。

ヒヨクの屋敷ではない、外泊の12日間だ。


(そんなん、行かせられるわけねえだろ!)


思わず出かかった言葉は、「やっばり長すぎますよね……」と気落ちした様子で話すナナミーの姿に、口にすることはできなかった。

これ以上ナナミーに、失望されたくない。


「あ、いや――分かった。12日の連休だな。有給で上に申請してやるよ」


そう言ってナナミーの部屋を出るしかなかった。


ナナミーが望むなら、ヒヨクだって12日の休みを取って一緒に行く。

だが、ナナミーはそれを望まない。


(オレは……)


――嫌われてしまったのかもしれない。


胸の奥が沈み、廊下を歩く足取りがひどく重かった。





占い師の言葉が、女の機嫌を取るためのありふれた一般論だったことを――言葉足らずなアザ持ちの男が知る由もなかった。


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