16.ナナミーの望み
(最悪だ……)
レオードの屋敷からの帰り道、ヒヨクに背負われながらナナミーの思いは、重く沈んでいた。
見せるのはコフィだけだと思っていた。
だからあの水着を試着してみたのだ。
瑞々しいトウモロコシやパプリカ、ズッキーニなどの夏野菜がプリントされた水着だった。
ぷっくり膨らんだ焼きトウモロコシ。
香ばしそうな焼き目の付いたパプリカ。
ツヤツヤしたズッキーニ。
まるで『夏野菜バーベキュー食べ放題』みたいな柄だった。
かなり大胆なビキニなので、実際に着ることはできない。
けれどもし――
ヒヨクが焼いてくれたあの野菜を、本当にバーベキューで食べ放題できたら、どれだけおいしいだろう。
そう思って、一目見たときから気になっていたのだ。
『ナナミーちゃん、次は何着てみる?』と、コフィに声をかけられて、つい手に取ってしまった水着だった。
『わぁ、素敵なデザインね!』
コフィもそう言ってくれたが、水着はビキニだ。
『ワンピースの水着だったら着れるのにな……』
思わず呟く。
お腹も足も見えてしまうこんな大胆なビキニなんて、ヒヨクの前で着れるわけがない。
『ここは私しかいないから大丈夫よ。私もこのミニスカートに挑戦してみようかしら?夏デザインのお揃いね』
『お揃い……』
マンゴー柄のミニスカートを手に取って笑うコフィに、つい嬉しくなって着てしまったのだ。
ビキニに着替えて、体を起こしたその時だった。
シャッ、と目にも止まらぬ速さでカーテンが開いたと思ったら、ヒヨクが立っていた。
突然の出来事に体が固まり、『うわぁぁぁぁ!』と叫ぶことも、お腹を隠すこともできなかった。
呆然と立ち尽くしたナナミーのお腹を、ヒヨクが信じられないものを見るような目で見ていた。
『なんだその腹。食べ過ぎじゃねえか?』
――驚きと戸惑いの滲んだあの目が、そう語っていた。
(お腹……)
最近、おやつを食べすぎている自覚はあった。
レオードの屋敷に遊びに行くたびに、コフィはいつも特別なおやつをご馳走してくれる。
ブティックごっこの前に、コフィと一緒に食べるおやつは、おいしい上に楽しくて、ついついいつも食べ過ぎてしまう。
今日だって、桃ミルクシェイクの上に乗っていた桃のコンポートのお代わりまでしてしまった。
お腹のことを忘れたわけではない。
けれど、モデルの仕事を無事終えた安心感もあった。
(あれだけ頑張ったんだから、少しくらいいいよね)
そう考えて、油断してしまったのだ。
ナナミーを背負って歩くヒヨクは、あれから何も言ってくれない。
レオードの屋敷を出るとき、ヒヨクは厳しい顔のまま、無言で背中を向けただけだった。
ナナミーも「お願いします」も「ありがとうございます」も言えず、黙ってヒヨクの肩に捕まった。
ザッ、ザッ、とヒヨクの歩く足音だけが聞こえている。
いつもならば、あっという間に目的地につく距離が、今日はやけに遠く感じた。
背中に捕まりながら、ふと思う。
こうしてぴたりとヒヨクの背中に体を預けると、お腹もしっかり背中にくっついてしまう。
何も言わないヒヨクも、(腹……)と考えているのかもしれない。
ナナミーは少し体を起こして、スゥゥ……と空気を吸い込み、お腹を引っ込める。
少しの間頑張った。
けれど、すぐに息苦しくなって、ふうううううっと長い息が漏れた。
ナナミーのお腹が引っ込んだのは、一瞬だけだった。
* *
「肉断ち断食道場……?」
お昼休みにカリナが、お弁当のスルメを包んでいた広告を広げて呟いた。
「ニクダチダンジキドウジョウ……?」
初めて聞く言葉に、ナナミーも同じ言葉を繰り返す。
お弁当袋からゴソ……とセロリを出しかけた手を止めた。
「今日の朝、時間なくて可愛い広告を見つけられなかったの。適当に掴んだ広告なんだけど、これ、ダイエット広告だったみたい」
「ダイエット?ちょっと見せてもらっていい?」
ダイエットという言葉が気になった。
思わず声をかけてしまう。
「もうスルメを出したからあげるよ」
「ありがとう、カリナちゃん」
カリナにお礼を言って受け取った広告を、ナナミーはじっと見つめた。
『肉断ち!断食道場!!』
広告には、そんな文字が大きく書かれていた。
真剣な目で広告を見ていたからだろうか。
カリナに「どんなダイエット?」と尋ねられた。
「なんかね、森に囲まれた施設に泊まり込んで、お肉を食べない修行で体を整えるみたい」
「お肉を食べない修行かぁ……お肉はいいけど、修行は無理かも」
カリナの感想に、ナナミーは頷く。
お肉を食べられないナナミーも、お肉を食べない自信はあるけど、修行は無理だ。
だが、肉断ち断食道場の修行は、厳しいものではないようだ。
「施設の中でお肉を食べないこと自体が修行だって書いてるよ。
森を感じながら心身を整えるのが大事だから、日中は好きなことをして過ごすんだって。森をウォーキングする人もいれば、施設の中から森の景色を眺めて過ごしたりするみたい」
「ふうん……。それは素敵なダイエットだね」
ナナミーの説明に、カリナが頷く。
まるでお休みの日のようなダイエット法だった。
しかし、大きな問題がある。
「でも……肉断ち断食道場は10日コースからだって。そんなの、お仕事してたら行けないよね」
「10日かぁ〜。確かにそれは難しいかも……。『ダイエットは難しい』って言うもんね。こういうことなんだと思うわ」
ふうと息をつくカリナに、ナナミーは空を見上げた。
ダイエットは、10日の連休を取るくらい難しいものなのだ。
誰にでもできるものではない。
ナナミーは、手に持つ広告を丁寧にたたんで、そっとカバンにしまった。
今日は、仕事から帰ったヒヨクが、久しぶりにナナミーの部屋を尋ねた。
「ナナミー、欲しいもんあんだろ?」
「え……」
顔を合わせるなりかけられた言葉に、ナナミーは目を見開く。
あの気まずい帰り道から、二人の間には以前とは違う空気が流れていた。
朝、ヒヨクに背負ってもらうときも、体を起こしてスゥ……とお腹を引っ込めるのに忙しくて、会話をすることもない。
楽しくておやつを食べ過ぎないよう、コフィとのブティックごっこも止めている。
ヒヨクと一緒におやつを食べることも、なんとなく避けてしまった。
『ヒヨク様が帰ってから、執務室でおやつを召し上がりますか?』
そう尋ねてくれるユキに首を振って、一人でこっそり先に食べていた。
時間が経つほどに気まずさが増して、気軽に話しかけづらくなっていたのだ。
ヒヨクが『欲しいもんあんだろ』と聞いてくれるのは、さっきおやつの時間に、ユキに欲しいものがあることを話していたからだろう。
ユキから話を聞いたようだ。
「用意してやるから言えよ」
「え!……あ、でもさすがに無理なお願いですし……」
ヒヨクの言葉に、一瞬喜んでしまったが、さすがに図々しいお願いだろう。
慌ててナナミーは首を振った。
「オレに用意できねえもんなんて、ねえんだよ。いいから言えよ」
「本当ですか……?」
さすが最強種族ヒョウ族の、アザ持ちの男。
ナナミーの遠慮など軽く流し、「何でも言えよ」と返事を促した。
「あ……じゃあ……」
ドキドキしながら口を開く。
「12日間の連休をお願いします。泊まりで出かけてきますね」
ナナミーの願いは、12日間の連休だ。
10日の断食道場生活。
さらに、道場まで行く日と帰る日が必要になる。
合わせると、12日間だった。
「は?12日……?」
やはり図々しいお願いだったようだ。
12日間は多すぎた。
「やっばり長すぎますよね……」
出発と帰りが早朝と深夜になってでも、移動の日は削った方が良さそうだった。10日で申請するべきだろうか。
「あ、いや――分かった。12日の連休だな。有給で上に申請してやるよ」
軽く頷いたヒヨクが、それだけ言って部屋を出た。
気のせいかもしれないが――扉に向かうヒヨクが、一瞬ふらついて見えた。
同僚にとってはいまだに鬼畜な上司のヒヨクは、仕事で疲れているのかもしれない。
(大丈夫かな……)
心配しかけて、ふと気づく。
相手は最強種族のヒョウ族のアザ持ちの男だ。
弱小種族のナナミーに心配などされたくないだろう。
きっと見間違いだ。
――今はそれより目の前のことに集中しなくては。
安心して背負われるためにも、まずは断食道場で修行を積まなくてはならないのだ。




