08.隠すべきお腹
「わぁ〜この、ミツバチ柄のワンピースがいいんじゃないかな」
クマ族のベアゴーが、カタログを開きながら、ハチミツ色のワンピースを指差した。
「なかなかセンスいいわね、ベアゴーくん。そうね、この膝下丈のフレアスカートは王道の清楚系よね。でも……この目玉焼き柄も、ポップなお嬢さんって雰囲気で目を引くかも」
ヘビ族のスネイが、艶やかな半熟卵の黄身が並んだチュニックを指差す。
「それもいいけど……この貝殻柄はどう?透け感のある生地に、小粒のパールを合わせてるの。涼しげなお嬢様って感じで、夏服のお披露目会にぴったりじゃない?」
ラッコ族のラニカも、水色のロングワンピースを指差した。
目の前で、集まった三人が盛り上がっていた。
ナナミーは、注文したきゅうりのピクルスをポリ……とかじる。
ポリ……ポリ……と小さな音を立てながら、壁に飾られたポスターを眺めていた。
ポスターには、ミニスカートに丈の短いTシャツを合わせた女の子が、『夏はやっぱりアイスコーヒーね!』と笑っていた。
(お腹……)
女の子の前には、サンドイッチやケーキなど、たくさんのご馳走が並んでいるのに、女の子のお腹は少しもポッコリしていない。
ポリ……ポリ……とピクルスをかじりながら、女の子の平らなお腹を、じっと見つめた。
「ナナミーちゃん?……あ」
ナナミーの名前を呼んだスネイの声が止まった。
視線を向けると、スネイが、ナナミーの眺めていたポスターを真剣な目で見つめている。
やがて、ほうっと息をつく。
「――さすがね、ナナミーちゃん」
そう言って、頷いた。
「……いいわ、それで行きましょう。今回の展示会は、短めトップスにスカートよ。ショート丈のノースリーブの上に、小粒のパールが縫い込まれた、透け感のある薄手のカーディガンを羽織るの」
そこまで話して、また考えるようにポスターを見つめた。
「ミニスカート……より、膝下丈の方がいいわね。さすが『捕獲のナナミー』ね。仕入れ担当者たちも、清楚感に心を掴まれるはずよ」
「えっ……」
――ショート丈トップスはダメだ。
ショート丈には危険がある。
ポコリと出たお腹が見えてしまう。
ナナミーはお腹を見せたいのではなく、お腹を隠したいのだ。
「お腹が見えちゃうので、ショートは無理です!」
(ここだけは譲れない!)と、素早く意見した。
「お腹……?ナナミー、お腹なんて出てないから大丈夫よ」
「そうだよ。ナナミーちゃん、もっとお腹が出るくらいまで、ちゃんと食べなよ」
ベアゴーまで、ラニカに続いた。
「でも……」
「ナナミーちゃんのお腹は出ていないと思うけど……でもそうね、気になるなら少し鍛えてもいいかも。毎日100回の腹筋と、食事ね。鳥肉とゆで卵でいい体が作れるはずよ」
「え……」
スネイのアドバイスに、息をのむ。
毎日腹筋100回。
そして、鳥肉とゆで卵。
――全てが無理だ。
「あ、いえ。やっぱりこのままで大丈夫です」
「そうね。そのままの方がいいと思うわ。そのゆるさで、相手を油断させることも大事よね」
「ふふ。ナナミーの、その計算高いところ、私は好きよ」
(腹筋もお肉も卵も無理……!)と断るナナミーに、スネイとラニカが頷いた。
「ナナミーちゃんがモデルになるなら、クリフ兄さんに教えてあげようかな〜。ウララさんに、服を買ってあげたくなっちゃうかも」
「止めてよ、ベアゴーくん……」
すでにモデルを断ることはできなくなってしまったが、これ以上ギャラリーを増やしてほしくない。
「ベアゴーくん、『クリフ兄さんとウララさん』って……まさかあの、クリフ様と運命のつがいのウララ様?!もちろん大歓迎よ!ぜひご招待させてもらうわ!」
ベアゴーの余計なひと言に、スネイの目がキラリと光る。
(この、裏切りベアゴーめ……!)
ナナミーは、壁に掛かった『夏はやっぱりアイスコーヒーね!』と笑顔を見せる、丈の短いTシャツを着た女の子のお腹をじっと見つめた。
* *
「は?モデル?――ナナミー、お前がか?」
信じられないことを聞いたとばかりに、ヒヨクの目が見開いた。
ナナミーだって、いまだに信じられない気持ちだ。
いたたまれない思いで、ナナミーはコクリと頷く。
ナナミーが屋敷に帰る頃、日はすでに沈みかけていた。
三人との話し合いに疲れ、今日はもうお風呂に入って寝るつもりだった。
けれど部屋に戻ってすぐに、ユキに声をかけられたのだ。
『ヒヨク様がお帰りになられましたよ。ヒヨク様とジュースだけでも飲みませんか?今日は約束していた、いちごジュースですよ』
ユキ特製のいちごのジュースは、朝からとても楽しみにしていたものだ。
きゅうりのピクルスでお腹はいっぱいだったが、ジュースは飲みたかった。
それに、とても疲れていたが、ヒヨクと少しだけでもおしゃべりはしたい。
そうして訪れた執務室で、ベアゴーの帰りが遅かった理由を聞かれ――『ブティック・スネイ』のモデルを引き受けることになったと話した瞬間、ヒヨクの動きが止まったのだった。
「なんでそんなことになったんだよ?」
そうヒヨクは尋ねるが、ナナミーだって言いたい。
(どうしてこんなことになったんだろう……)
尋ねたいのは、ナナミーの方だ。
けれど、何から説明すればいいのかわからず、ナナミーが言葉に詰まっていると、ヒヨクの声が低くなる。
「なんだ?……言えねえのかよ」
瞬間、(ヤバい!)と、弱小種族としての危機感がナナミーの口を開かせた。
スラスラと、ここに至るまでの経緯を詳しく説明する。
「本当に小さな会だって言ってました」
『小さな会』という言葉に希望を込めて、話し終えた。
そしてグラスを手に取り、ゆっくりといちごジュースを口に含む。
(いちご……!)
甘みと酸味が絶妙な、高級な味わいのいちごジュースだった。
モデルという重い不安が、スッと軽くなった気がした。
ゴク……ゴク……と夢中になってジュースを飲み、ふぅ……の満足のため息をつく。
そんなナナミーを見ていたヒヨクが、どこか気遣わしげに口を開いた。
「ショート丈トップスって……お前――大丈夫なのか?」
その真剣な眼差しが、ナナミーのお腹に向けられている。
――お腹!
サッとお腹に手を当てる。
みんなは『お腹は出てないから大丈夫』と言ってくれた。
けれど今日ナナミーは、みんなが話している間、ポリ……ポリ……ときゅうりのピクルスを食べ続けていた。
お腹いっぱいなのに、さらにまたこうしていちごジュースを飲んでいる。
――少し、お腹が出ているかもしれない。
『お前……そんな腹で大丈夫かよ』
ヒヨクの真剣な目が、ナナミーにそう問いかけていた。
「大丈夫……です」
そう、思いたい。
新作お披露目会の日は、モデルの仕事が終わってから、お腹いっぱい食べればいい。
大丈夫なはずだ。
(大丈夫……だよね……?)
それでも不安になって、お腹に当てた手が少しだけ震えてしまう。
――いちごジュースはこれ以上飲まない方がいいだろうか。
飲みかけのジュースを見ながら、ナナミーは真剣に考える。
* *
「大丈夫……です」
そう答えるナナミーの声は、わずかに震えていた。
腹に当てた手も、小さく震えている。
ショート丈のトップスでは、腹にある運命のつがいのアザが見えてしまうかもしれない――そう懸念しているのだろう。
(そんな企画、潰してやるか……?)
オープンしたばかりの小さなブティックなど、ヒヨクであれば、社会的にも物理的にも潰すことはできる。
本当はモデルなどしたくないと思っているなら、潰してしまえばいい。
(だが……)
そのお披露目会とやらにヒヨクも参加すれば、腹のアザを確認できるかもしれない。
そこでヒヨクの持つアザだと確認できれば、そのままつがい認定協会に向かえばいい。
もし、ヒヨクのアザでなければ――
特定した相手を消しに向かうだけだ。
お腹を押さえたまま、飲みかけのいちごジュースをじっと見つめるナナミーを見ながら、ヒヨクは静かに思案していた。




