01.運命のつがい事例集
深夜を過ぎたころ。
『運命のつがい事例集』と刻まれた分厚い記録書を閉じ、ヒヨクは深く息をついた。
そこには、過去の運命のつがいたちのアザの形や、アザの出現時期、出会いまでが詳細に記されている。
つがい認定協会の極秘資料だ。
本来は持ち出し厳禁らしいが――「ああ?」と返事をしただけで、特別に貸し出された。
左頬にアザが現れ、運命のつがい登録をした際。
ヒヨクも一度だけ、この資料に目を通したことがあった。
(俺の運命のつがいなら、相手から勝手に名乗り出てくるだろ)
当時はそう軽く考えて、あまり深刻に考えていなかったが――
こうしてじっくりと改めて読み進めると、強い者ほど、相手の名乗り出る確率が下がっていることに気づく。
世の中の均衡を保つために、強い者ほど弱い者が運命のつがいとして結ばれているからだろう。
強いアザ持ちの運命の相手は、自分から名乗り出ることもできないほど弱い者になるらしい。
資料の中には、ヒヨクの祖父ヨウや、父レオードの事例も載っていた。
当時一番の強者とされていた二人は、確かに他のアザ持ちと比べて、つがい認定協会から正式認定を受けた時期が遅い。
すでに運命のつがいと出会い、そのそばにいたにも関わらず、認定までには何年もの時間がかかっていた。
極度に気が弱くてトロくさい、祖母カメリアや、母コフィを見れば、それも頷ける。
最終的にあの二人が運命のつがいを名乗り出たことは、奇跡に近いのかもしれない。
認めたくはないが――血筋を考えれば、ヒヨクの運命も似たようなものだろう。
何年もそばにいたナナミーが、ヒヨクの運命のつがいだとしても、おかしくはない。
十分にあり得る話だった。
「くそ!もっと早く気づいてれば……!」
チッと舌打ちをして、ヒヨクは額を押さえた。
もしナナミーが、ヒヨクと同じアザを持つ者なら。
これまでヒヨクは、大いに失言していたことになる。
『運命のつがいが名乗り出たときは、残業漬けにしてやるさ』
つがいなど関係なく、ナナミーだけを想っていることを伝え、安心させてきたつもりだった。
だが、それは危険な言葉だったのだ。
『運命のつがいが名乗り出たら、仕事なんてさせずに、屋敷で自堕落させるつもりだ』
――そう言うべきだった。
だが、もしナナミーが、ヒヨクと同じアザを持たない者ならば。
そんな言葉を伝えるべきではなくなる。
ヒヨクが自堕落させたいのは、ナナミーだけだ。
他の女を大切にするつもりなんてない。
ナナミーに誤解され、失望されたら――仕事を辞められるかもしれない。
そうなれば、上司としてのつながりが断たれてしまう。
仕事だけは早いナナミーのことだ。
あっという間に、『衣食住つきの、快適な転職先見つけました』なんて言われたら、他の野郎との出会いを作るだけだ。
そんなこと、許せるはずがない。
『運命のつがいのアザなんてなくても、仕事辞めて、屋敷で自堕落してろよ』
――そう伝えるべきか。
しかし、そんなことを言えば、これまで『つがいには残業をさせる』と言い聞かせてきたことを警戒されるかもしれない。
たとえアザがあっても、名乗り出ることなく隠し通される可能性は十分にあった。
下手なことを言って、逃げられるわけにはいかない。
そもそも、運命のつがいのアザを持っていたとしても、それがヒヨクのアザと同じとは限らない。
持つアザが、他のアザ持ちの男のアザだったとしたら、それはナナミーの口から聞いてはいけない。
裏でその相手を密かに片付けにくくなる。
『運命のつがいのアザ、あんだろ?』
――そんな迂闊な言葉をかけるわけにはいかない。
聞きたいことは、幾つもある。
ナナミーは運命のつがいのアザ持ちなのか。
もし持っているなら、誰のアザなのか。
そして、そのアザはどこにあるのか。
問いただしたい。
だが――直接聞くわけにはいかなかった。
悶々と悩みながら、夜は更に更けていく。
* *
「なあ」
ソファーに腰掛ける母親のコフィに、ヒヨクは声をかけた。
数日悩み続けたものの、結局いまだに答えは出ていない。
(当事者に聞けば、何かヒントがあるかもな)
そう考えて、仕事帰りにレオードの屋敷を訪れていた。
レオードが帰ってくる前に話を聞きたかったが、すでに帰宅していた。
(暇人かよ)
内心舌打ちしながら、応接室でコフィに声をかける。
だが、返事はない。
「おい」
再び呼びかける。
だが、コフィは顔を上げない。
シール帳を真剣に見つめたまだった。
「お前、もうろくして耳も聞こえねえのか?返事くらいしろよ!」
「え?私?」
声を荒げると、やっとコフィは顔を上げた。
「お母さんのこと?」
「それ以外に誰がいるってんだよ」
ヒヨクはチッと舌打ちをする。
この部屋には、レオードとコフィ、それにヒヨクしかいない。
他に呼びかける者など、最初からいない。
わかりきったことを言うコフィは、本当にトロくさい母親だ。
続けて口を開こうとした瞬間――レオードに襟首を掴み上げられた。
「『コフィお母さん』、だろ?」
襟首を片手で持ち上げたまま、ギリッと力が込められる。
「『コフィお母さん』と呼べって、ガキの頃から、言ってきたつもりだが、まだ覚えられねえのか?ああ?」
ひと声、ひと声区切るたびに、力を込めてきやがった。
――本気だ。
このイかれた野郎は、本気で息子をヤろうとしている。冷え切った目が、冗談ではないことを告げていた。
「……母さん」
「わかってんじゃねえか」
ヒヨクの言葉に、レオードがやっと手を緩めた。
「――それと」
緩めたと思いきや、また力を込める。
「なんだ?さっきの舌打ち。お前まさか、コフィに舌打ちしたこと、謝りもしねえのか?ああ?」
ひと声ごとに、掴んだ手にギリギリと力を込めてきた。
アザ持ちの男の、つがいに対する執着は半端ない。
レオードもそれに違わず、コフィに関することには、息子のヒヨクといえども容赦がない。
(この、つがい狂い野郎!)
そうは思うが、今日はこんな奴を相手にするために、わざわざ親父の屋敷を訪れたわけじゃない。
「……悪かった」
本当は殴り倒してやりたい気持ちを、ぐっと抑え込む。
ヒヨクはこんな場所に遊びに来たわけではない。
ここは引いておくことにした。
「レオード、だめよ。ヒヨクがわざわざ会いに来るなんて、きっと急ぎの用だと思うの。早くヒヨクの話を聞いてあげないと」
そうレオードに声をかけたコフィは、チリンと呼び鈴を鳴らす。
音と同時に、使用人のスノウが扉を開けた。
「スノウ。今から大事なお話をするの。急いでジュースを持ってきてちょうだい。……そうね。今日はぶどうジュースがいいわ」
「マスカットと巨峰、どちらになさいますか?」
「そうね……。マスカットもいいけど、巨峰も捨てがたいわね……」
ふううん、と悩ましげにコフィが眉を寄せる。
「ねえ、レオード、ヒヨク。どっちがいいかしら?」
大事な話をすると言いながら、コフィが安定のトロくささを見せていた。
『そんなん、どっちでもいいだろがっ!ってか、ジュースなんていらねえよ!!』
――そう怒鳴りつけてやりたい。
怒鳴りつけてやりたいが、そんなことをすれば、またこのイかれた野郎が絡んでくるに違いない。
ヒヨクは余計なことを言わないよう、ぐっと口を引き結ぶ。
「そうだな。昨日巨峰だったから、今日は味を変えてマスカットも悪くねえんじゃねえか?」
「マスカット……」
「あ、もちろん、俺が飲みたいのは、コフィの選ぶ方だ」
はははと嬉しそうに、レオードが笑っていた。
ヒヨクが、よほどの時しか屋敷に顔を出さないと分かっているくせに、いつでもコフィ最優先のレオードは、つがい狂いのイかれた親父だ。




