スローな一族
「あら……もうこんな時間。今から帰ったんじゃ、明日の朝になっちゃうわね」
ナナミーの母が、壁にかかった時計を見て呟いた。
ヒヨクもつられて時計に視線を向けると、すでに夕方に近い時間になっていた。
ナナミーの歩きに合わせていたせいで、この家に着いた頃には昼を大きく回っていた。
少し話しただけだというのに、かなり時間が経っていたようだ。
だが――この程度の距離なら、暗くなる前には屋敷へ戻れる。
「レオード様、ヒヨク様、今日はうちに泊まっていきませんか?近くに住む長老も、自慢の干し大根を持ってここに来ると話してましたし、ゆっくりしていってください」
「――いや。ご迷惑をおかけするわけにはいきませんから。それに、妻が待ってるんで、そろそろお暇します」
ナナミーの父の申し出に、きっぱりとレオードが断りを入れた。
この森に来るまでに屋台で色々食べているが、ナマケモノ族のもてなしで、腹がふくれるわけがない。
色々と鬱陶しい親父だが、ここは親父に合わせておくのが賢明だろう。
「せっかくのお誘いですが、今日は失礼します。明日は仕事がありますし」
「「「仕事……」」」
ナナミー家族の呟きが重なった。
しん……と、部屋に静寂が落ちる。
(「仕事」は、心象を下げるのか!)
「いや。仕事じゃなくて……今日は『帰省祝い』に、特別な夕食を振る舞いたいと、使用人が話していたもんで。早く帰ってやらねえと」
咄嗟に取り繕ったヒヨクの言葉に、ナナミーは顔を輝かせたが、両親は何も言わない。
(仕事を理由に申し出を断るような奴に、娘は預けられねえ!とか思ってる……のか?)
取り返しのつかない失言をしたのかもしれない。
(ヤベェな……)
ヒヨクの背中に、じわりと嫌な汗が滲んだ。
「特別な夕食とは……いい上司さんだな」
「良かったわね、ナナミー」
「うん。ユキさんっていう、すっごく優しいお姉さんがいるんだ〜。さっき渡したお土産の『お野菜アソーソセット』も、ユキさんが用意してくれたんだよ」
やがて口を開いた両親に、張り詰めていた空気がふっと緩む。
「そうか」と頷く両親に、ナナミーは嬉しそうに笑っていた。
「じゃあね、お父さん、お母さん。元気でね。またいつか遊びに来るね」
玄関先まで見送る両親に、ナナミーが手を振った。
「行くか。ほら、乗れよ」
ヒヨクは屈んで、ナナミーに背を向ける。
「ありがとうございます。……あ。長老様!」
その声に視線を向けると、ナマケモノ族の爺さんが、こっちに向かって歩いてくるのが見えた。
一歩。
そして、また一歩。
小さな歩幅で、ゆっくり、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
この爺さんが、ナマケモノ族の長老らしい。
(――遅え!!)
怒鳴りつけてやりたいが、(ナナミー家族の前だ)と、ぐっと腹に力を込める。
やがて目の前に立った長老が、ゆっくりと手に持った袋を掲げた。
「ナナミーが帰ってきたと聞いて、急いで駆け付けたぞ。ほれ、これはワシ特製の干し大根じゃ。水でも飲みながら、ゆっくり話そうか」
「長老様、ごめんなさい。今から帰るところなんです」
ナナミーの言葉に、長老が目を見開く。
「なんと……近頃の若いもんはせっかちじゃな。……そうか。残念じゃが、仕方がないのう」
コクリと、長老が頷いた。
「帰りは、十分に気をつけるんじゃぞ。最近、この辺りに巨大な四つ子のヘビが出るからのぅ。あいつら、目にも止まらん速さで動くから、見つかったら終わりじゃぞ」
「えっ!!そんな危険なヘビが、この森に住み着いたんですか?!」
長老の話に、ナナミーの父が目を見開いた。
どうやら、その話は初耳だったようだ。
「ワシも三日ほど前に、隣の森の長老から手紙を受け取ったばかりでな。そろそろ村の皆に知らせんとと思っていたところじゃ」
(遅え!そんな知らせ受けたなら、蛇くらいすぐ片付けろよ。さすがにこんな戯言をほざくジジイには、ナナミーの親父もキレるだろ)
長老のやり取りに、身を震わせたナナミーを見て、ヒヨクは内心舌打ちをする。
(怖がらせやがって……!)
怒鳴りつけたい気持ちを、ぐっと抑え込む。
「そうですか……。こんなに早く知らせてくれて、ありがとうございます。さすが長老ですね。頼りになります」
ナナミーの父が感心したように、長老へ頭を下げる。
(……は?)
ヒヨクのこめかみに青筋が浮いた。
いや、どう考えても遅いだろう。
「いやいやいや。そんな危険があるなら、もっと早くみんなに知らせるべきだろが。お父さんやお母さんに何かあったらどうするんですか?」
堪えきれず、ヒヨクは口を開いた。
「そんなヘビに出会ったら……諦めるしかないだろうな」
「そうね。悲しいけど……それしかないわね」
「そうじゃな。知らせたところで、一緒なんじゃよ……」
ナマケモノ族たちが頷いている。
「そうだよね……。もし帰りに、私がヘビに食べられちゃったら、ヒヨク様に知らせてもらうね」
悲しそうにナナミーが答えていた。
「ああ?俺が付いてて、ヘビなんかに食われるわけねえだろが!ヘビがなんだってんだよ!」
思わず声が荒くなる。
そんなこと、許せるはずがなかった。
「やっぱりヒヨク様の声だ!ヒヨク様!ここにいたんですね!探しましたよ〜」
そのとき、ガサガサッと茂みの中から、ベアゴーが勢いよく顔を出した。
「クリフ兄さーん!チレッグ様ー!ヒュー様ー!ヒヨク様、見つかりました〜!」
「おう!こっちか?」
「見つけたか!」
「なんだ?ここ、ナナミーんちか?」
ベアゴーの掛け声に、アザ持ちの野郎どもまで集まってくる。
そしてそれぞれの背には――巨大なヘビが抱えられていた。
よく見ると、ベアゴーまで巨大なヘビの尻尾を片手で引きずっていた。
ナマケモノ族たちが、一斉に息を呑んだ。
「こいつら、ナナミーの家族か?ちょうど良かったぜ、これ受け取れよ」
「少し大きい獲物は、こんなもんくらいしかいなかったがな」
「ナナミー、恩返しだ。受け取っとけ。今日の夕メシくらいにはなんだろ」
「小骨が多いから、よく噛んで食べてね!」
ドサドサっと積み上げた4匹のヘビに、ナマケモノ族たちが固まっていた。
ナナミーまで、すっかり顔色を失っている。
『テメェら、ふざけんなよ……!』
――そう言って殴りかかってやろうとしたヒヨクを、レオードが手で制した。
「お前らなぁ、そんな小物、手土産にもならんだろ。アザ持ちとして恥ずかしくねえのか?それはお前らが持って帰れよ」
「まぁ……確かに」
「こんなもんじゃな」
「さすがレオード様だ……」
「小骨が多いもんね……」
レオードの言葉に、野郎どもが口々に呟いていた。
「持って帰るか」
そう言って、またそれぞれが蛇を担ぎ直す。
「アザ持ち様殿!」
背を向けて歩き出した野郎どもたちに、長老が声をかけた。
「森の危険を救っていただいて、ありがとうございます。お礼にこれを……」
長老が、ゆっくりと手に持つ袋を掲げる。
「なんだよそれ」
「ワシ特製の干し大根じゃ」
「チッ……そんなん、いらねえよ。大根くせえと思ったら、それか」
長老の好意を受けることもせず、野郎どもは再び背中を向けた。
「ナナミー、これを……」
「遅くなるからそろそろ行くぞ」
長老の声を遮って、ナナミーを背負ってヒヨクも歩き出す。
背中で大根くせえのは、ヒヨクだって勘弁してほしい。
これで森も静かになるだろう。
ナナミーも安心できるはずだ。
「お父さーん、お母さーん、長老様ー!またいつか帰りますねー!」
背中でナナミーが小さくなっていく家族に手を振っていた。
夕焼けの中、前を歩く野郎どもの影が、長く後ろへ伸びていた。
背中に担ぐヘビも、長く地面に続いている。
(慎重に確かめねえとな)
最弱種族のナマケモノ族の中でも最弱なナナミーは、誰かの運命のつがいになり得る。
それが誰の運命なのか、慎重に確かめなくてはいけない。
もし――それがヒヨクではないならば、相手を片付けなくてはいけないだろう。
ズルズルと引きずられるヘビを眺めながら、ヒヨクは考え込んでいた。
第三章はここまでです。
次回は章を改めて始めたいと思います。
少々待ってくれると嬉しいなっ!
え、待っててくれる……よね……?(動揺)
ここまで読んでいただいてありがとうございます!




