スローな家族
「これはこれは……ようこそいらっしゃいました。こんなものしかありませんが、どうぞ召し上がってください」
ナマケモノ族の男が、ゆっくりとした手つきで、ヒヨクとレオードの前に皿を差し出した。
皿には、やけに細いきゅうりが盛られている。
「野生のきゅうりです」
「……どうも」
レオードが礼を返すと、男がコクリと頷く。
「川のものになりますが……こちらもどうぞ」
今度は、ナマケモノの女がゆっくりとした手つきで、コトリ、とグラスを置いた。
中には、水が並々と入っている。
「……どうも」
ヒヨクが礼を返すと、女もまたコクリと頷いた。
二人はナナミーの両親だ。
ヒヨクとレオードは今、ナナミーの実家を訪れている。
森の奥に、隠れるように建てられた簡素な家だった。
そこには、ナマケモノ族らしい、静かで穏やかな空気が流れていた。
しん……と静寂が落ちる。
その沈黙の中で、ナナミーが口を開いた。
「お父さん、お母さん。私今、ヒヨク様のお屋敷に居候させてもらってるんだ」
「居候……?」
ナナミーの父の言葉に、ナナミーがコクリと頷いた。
(お前、何も話してなかったのかよ……)
ナナミーがヒヨクの屋敷に来て、もうずいぶんの月日が経つ。
手紙を書いていないことは知っていたが、本当に何も話していなかったらしい。
娘の言葉を聞いても、ナナミーの父は何も言わない。
(……怒らせたか?)
男の呑気そうな表情は変わらない。
だが、腹の中では煮えたぎる思いでいるかもしれない。
『嫁入り前の大事な娘に、このケダモノがっ!』
ただ何も言えないだけで、そう考えているのかもしれない。
――嫌われたくねえ!!
衝動のような思いが突き上がる。
目の前の二人は、最弱種族のナマケモノ族だが、ナナミーの両親だ。
滲み出る、どうにもならないくらいの弱さが、ナナミーとどこか似ている。
ヒヨクの心臓が激しく波打った。
(ちゃんと説明しねえと……!)
「ナナミーは、俺にとって大事な部下です。安全に送り迎えができるよう、うちで預からせてもらっています」
「安全な……送り迎え?」
ゆっくりと、ナナミーの父が口を開いた。
穏やかな声色なのに、返って緊張が増す。
「はい。朝は俺が、帰りはクマ族の部下が、ナナミーを背負って送り迎えしています」
ヒヨクの説明に、ナナミーの父の目が、ゆっくりと見開いた。
――粗野な野郎に、大事な娘の送迎を任せていることを、不快に思ったのだろうか。
ヒヨクの胸に不安が押し寄せる。
しん……と部屋が再び静まり返った。
「……ナナミー」
やがて、ナナミーの母がゆっくりと口を開く。
穏やかな声色だった。
それなのに、ヒヨクの背筋に緊張が走る。
「歩かずに移動できるなんて……立派になったのねえ」
「あ、うん、お母さん。ヒヨク様が毎朝会社まで背負ってくれるんだ。この森までは、友達のベアゴーくんが背負ってくれたの」
「そうか……。いっときは仕事ばかりしてると聞いて、ナマケモノ族としての誇りを忘れたのかと、母さんと心配してたんだが……父さんも安心したよ」
両親の言葉に、えへへとナナミーが照れていた。
「最近は残業もないんだ〜」
「……そうか。やっと自立できたようだな」
「お母さん、嬉しいわ」
誇らしげに話すナナミーに、ナナミーの両親が感慨深そうにまたコクリと頷いた。
(残業か!)
ここが、ナマケモノ族にとっての重要な評価基準なのだと、ヒヨクは気づく。
「俺も上司として、ナナミーには残業させないよう、気をつけたいと思っています」
ヒヨクの言葉に、またしん……と沈黙が落ちた。
(間違えたか……?)
誰も、何も言わない。
静寂だけが広がった。
「あ……俺もヒヨクの父として、しっかりナナミーちゃんを守ろうと思ってますので、ご安心ください」
沈黙に耐えかねたのか、レオードが口を開いた。
それでも、誰も何も言わなかった。
(テメェみてえな人相の悪いヤツに言われても、怪しまれるだけだろがっ!……余計なこと言いやがって!)
ヒヨクは内心舌打ちをする。
「……ヒヨク様」
ナナミーの父の、そのゆっくりとした口調に、ヒヨクの背筋が伸びた。
気のせいか、目がほんのわずかに光ったように見えた。
(こんな親父が関わるような屋敷なんて、出ていけとか言わねぇ……よな?)
ぐっと手を握る。
たとえナナミーの親でも、そんな言葉だけは受け入れられない。
(なにか……なにか気の利いたことを言わねえと……!)
柄にもなく動揺し、うまい言葉が見つからない。
「……娘に良くしてくれて、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
ナナミーの父が、ゆっくりと、深々と頭を下げた。ナナミーの母も、それに続く。
(……違った)
反対されるわけではなかった。
目が光ったのも、グラスの光が反射しただけだった。
ヒヨクは内心、はああっと安堵の息を吐いた。
「もう……ナナミーったら。突然に帰ってくるから、母さん、本当に心配したのよ?都会でうまくいかなくて、帰ってきたんじゃないかって」
ナナミーの母が、ほうっと息をつく。
「ナナミーの部屋、ずいぶん前に壊れちゃったから、急いで部屋作りしなきゃって、焦ったわよ」
「えっ……私の部屋、壊れちゃったの……?」
ナナミー親子が不穏な会話をしていた。
(壊れた……?この森に、そんな危険があるのか?!)
ヒヨクの背筋がヒヤリと冷える。
「家を出る前に、あれだけ『部屋に置いてる木の実は、全部捨てていきなさい』って言ったでしょう?宝箱の中に入れっぱなしだったんじゃないの?
どんぐりが、いつの間にか木になったのよ。おかげで、ナナミーの部屋はどんぐりの林になっちゃってるわ」
「あ……」
心当たりがあるのだろう。
ナナミーが悲しげに俯いた。
「木の実の成長は、あっという間だ。ヒヨク様のお屋敷に、ご迷惑をかけるんじゃないぞ。どんぐりはダメだ」
父に諭され、ナナミーはそっとポケットを押さえていた。
「あ……いや、俺の屋敷は大丈夫っすから。気にせず、好きなだけ拾ってくれたらいいと思ってます」
木の実があっという間に成長するはずがない。
どれだけ呑気に暮らしていたら、そんなことになるのか。
「ナナミー。しっかりした、優しい上司さんでよかったわね」
コクリと頷くナナミーに、ヒヨクの胸がほんの少しだけ跳ねた。
「この子ったら、昔から誰よりも弱くって。先生に怒られるのが怖くて、宿題もすぐに片付けちゃうし、予習復習で答えを間違えないように勉強ばっかりしてるし、隠れるのだけは人一倍早いし……ナマケモノ族としてやっていけるのかしら、ってずっと心配していたんですよ」
「あ……確かに、ナナミーは仕事は早いですね」
「もう……」
ふうとナナミーの母がため息をついていた。
昔から、(ナマケモノ族のくせに、仕事だけは早えな)と思っていたが、それは弱さ故からくるものらしい。
どうやらナナミーは、やはりナマケモノ族の中でも格段に弱い者のようだ。
言い返せないのか、視線を落としたまま黙っている。
もしかすると――だが。
(こいつ、俺の運命のつがいじゃねえのか……?)
母親に反論できないのが悔しいのか、ナナミーは、きゅっと結んだ唇を小さく震わせている。
そんな姿を、ヒヨクはじっと見つめた。




