帰省は危険の始まり
ペラ……と、シール帳の新しいページをめくると、挟んでいた一枚の紙がひらりと落ちた。
今日のおやつに付いていたシールを貼ろうとした時のことだった。
紙を拾い上げたナナミーは、じっと紙を見つめる。
「忘れてた……」
『どこでもベアゴー券』
紙には、マジックでそう大きく書かれていた。
ずっと以前に、ペアゴーからもらったものだ。
この券は、ナナミーを「どこでも好きな所まで運んでくれる」という、なんとも太っ腹な一枚である。
もらった当初は、(海を越えたアニマル熱帯雨林に行くのもいいかも……)なんて、ぼんやり考えたこともあった。
けれど今は、そんなに遠くに行きたいと願う気持ちは、すっかりしぼんでしまっている。
今となっては、特別な目的もない、使いどころのない券だ。
それでも――こうして思い出したのだ。
せっかくだし、使ってみてもいいかもしれない。
「……森の家に帰ってみようかな」
(どこか遠くに――)
そう考えた瞬間、ふと頭に浮かんだのは、森に住む懐かしい顔だった。
森の奥に暮らすお父さんとお母さん。
その近所に住む、ナマケモノ族を代表する偉大な長老。
ナナミーは、もうずいぶん森の家に帰っていない。
森の外にあるポストに手紙を出しに行くのが、きっと面倒なんだろう。
両親から手紙が届くことはない。
ナナミー自身も、手紙を書くことが面倒でほとんど出したことがなかった。
『手紙がないのは、無事の知らせ』
――それがナマケモノ族の共通認識だ。
きっとみんな、変わらず元気にしているのだろう。
それでも、一度帰って近況を話してみるのも悪くない。
会社への往復は、毎日背負ってもらいながら通勤していること。
そして、「ほぼ残業のない生活」を勝ち取った、立派になった自分のこと。
ナマケモノ族らしく、ちゃんと自立して暮らしていると伝えれば、きっと安心してくれるだろう。
ナナミーの足なら一日かかる距離だが、ベアゴーの足なら数時間で着くはずだ。
少し挨拶をして、そのまま連れて帰ってもらえばいい。
『え〜。その券、片道切符だよ?』
もしベアゴーにそんなことを言われたら、その時はしばらく森に滞在して、帰りはのんびり歩いて帰ればいい。
「有効期限ってあったかな?」
帰省を決めたナナミーは、券をくるりと裏返す。
期限が書いていないか確かめてみたが、裏はただの白い紙だった。
「明日、早速ベアゴーくんに頼んでみよっと」
そう呟いて、ナナミーはまた、「どこでもベアゴー券」を大事にシール帳に挟み直した。
帰省を決めた翌日。
仕事帰り、ナナミーはベアゴーの背中に揺られながら、森まで送ってもらえないかを切り出した。
「券……?そんなのあげたっけ?」
ナナミーの言葉に、ベアゴーは首をかしげていた。
どうやら、あの「どこでもベアゴー券」のことは、すっかり忘れているらしい。
それでも、「いいよ。ナナミーちゃんの森にはよく行くし。今度の休みに、はちみつを採りに行くついでに運んであげるよ。日帰りなら、帰りも送ってあげるよ」と、あっさり引き受けてくれた。
「ありがとう、ベアゴーくん」
帰りまでも送ってくれるらしい。
嬉しくなって、歌ってしまう。
「ゴッゴー、ゴッゴー、ベアゴー号!森っ、森っ!ゴゴン、ゴゴン♪」
「も〜止めてよ〜。ナナミーちゃんの歌、ずっと頭の中で回るから嫌なんだよ〜」
文句を言いながらも運んでくれるベアゴーは、強い種族の男だが、ナナミーにもとても優しいいいヤツなのだ。
そして迎えた休日、空はからりと晴れていた。
帰省は、日帰りの予定だ。
けれど、ヒヨクは「久しぶりの帰省なんだし、ゆっくりするなら有給使えばいい」と言ってくれた。
もし急に予定が変わるなら、ベアゴー経由で連絡を入れれば、仕事も休んでいいらしい。
――どうやら、鬼畜な上司は去ったようだ。
「じゃあ、ユキさん行ってきます」
迎えにきてくれたベアゴーの背中に乗って、ナナミーは森へと向かった。
「あ。チレッグ様、ヒュー様、こんにちは〜」
背中越しに聞こえたベアゴーの声に、ナナミーはギクリとした。
「チレッグとヒュー」
――それは、厄介な男たちの名前だ。
(ちょっとベアゴーくん!余計な挨拶しないでよ!気づかれちゃうでしょう?!)
ナナミーは、背中越しに心の中で文句を言いながら、なるべく小さく身を縮めた。
できることなら、このまま見過ごしてほしい。
せっかくの帰省の日にまで、絡まれたくはない。
そう願ったのに、背中から顔を覗かせる間もなく、あっさりと正体が割れた。
「おう、ヒヨクさんとこのベアゴーじゃねえか。……って、その背負ってるヤツ、ナナミーか?」
「おい!ナナミー、お前は挨拶もねえのか?……チッ!ヒヨクさんとこの子分を見習えよ」
「え〜ヒヨク様の子分だなんて〜」
チレッグの言葉に、なぜかベアゴーが照れていた。
どこに照れる要素があったのかは分からない。
それにナナミーは、チレッグの子分になった覚えはない。
――覚えはないが。
「あ。チレッグ様、ヒュー様、こんにちは。今、挨拶しようと思ってたんです〜」
弱小種族らしく、愛想笑いで誤魔化しておく。
「チッ……相変わらずトロくせえな。それで?お前らこんな朝からどこ行くんだ?」
「僕ら今から、ナナミーちゃんの実家のある、森に行くとこなんです」
ベアゴーが嬉しそうに答えると、チレッグが片眉を上げる。
「お前ら、付き合ってんのか?結婚の挨拶か?」
「違います!」
「絶対に違います!そんなの、あり得ないです!ナナミーちゃんは、恋愛対象外です!」
ナナミーとベアゴーの声が重なった。
ナナミーだって、ベアゴーと付き合うなんてあり得ない。恋愛対象外だ。
けれど、ベアゴーにそこまで力強く否定される筋合いもない。
ナナミーはぐっと拳を握りしめると、ドン!とベアゴーの背中を叩き――
「うぅ……」
手の痛みに、思わず身を縮めた。
「ナナミーちゃん、別に疲れてないし、肩叩きしてくれなくてもいいよ。そんな弱く叩かれても、全然効かないし」
「まあ……俺の子分は弱えが、礼に肩叩きしようとするあたり、礼儀はなってるようだな」
「トロくせえが、礼をわきまえてるヤツなら、仲間に入れてやるぜ」
痛みに震えて声も出せないナナミーをよそに、強い種族の同僚とアザ持ちの男たちは、好き勝手なことを言っていた。
「ナナミーちゃんの森、おいしいハチミツ取れるんですよ」
「森か……。ちょうどヒューと、天気もいいしバーベキューでもするかって話してたとこだ。ヒュー、川もいいが、森にしねえか?」
「そうだな。捕まえたフレッシュな食材を焼くのも悪くねえな」
「わ〜じゃあ、チレッグ様とヒュー様も一緒に行きましょう。みんなでバーベキュー、嬉しいな〜」
(ベアゴーくん。余計なこと言わないでよ……!)
ナナミーを置いてまとまっていく話に、心の中で叫ぶ。
ナナミーの故郷は、ナマケモノ族たちがひっそり暮らす、小さな森だ。
そこに、雑誌の中でしか見たことがないような、最強種族のアザ持ちの男が二人も来れば、森が恐怖に包まれてしまう。
「あの……うちの森は、誰も獲物一つ捕まえたことがないような、辺鄙な森なんです」
「ああ?お前んとこ、誰も獲物も獲れねえのか?……しょうがねえな。今日、お前んちの分も捕まえてやるよ。子分だからな」
チレッグの申し出に、ナナミーは必死に首を振る。
――家族を怖がらせるわけにはいかない。
「あ、いえ。うちは大丈夫です。長老を差し置いて、そんなの受け取れませんから」
「長老?……お前、やっぱ礼儀はなってんな。よし、分かった。仲間として、俺から長老んとこに獲物届けてやるよ。でっけえヤツ、期待しとけ」
ヒューの申し出にナナミーは震えた。
――長老に危険が迫っていた。
突然、巨大な猛獣の死体など届けられたら、長老の心臓が止まってしまうかもしれない。
「よし!そうと決まれば、急ぐぞ!」
ザッザッと足を早める男たちに合わせて、森へ迫る危険もまた、どんどん近づいていた。
※「どこでもベアゴー券」とは…
No.27 話の、ベアゴーお手製の券なのです




