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運命のつがいは鬼畜な上司  作者: 白井夢子
第三章 弱小な世界

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鬼畜な上司、再君臨


「いいなぁ、ナナミーちゃん。モテ期だね」


「モテ期……?」


カリナにかけられた言葉に、ナナミーはお弁当のきゅうりをかじる手を止めた。

「モテ期」

――それは心当たりのない言葉だ。


「うちの部署まで噂になってるよ。チレッグ様とヒュー様が、贈り物を持ってナナミーちゃんに会いに来たって」


「贈り物……」


贈り物と聞いて、スッと気持ちが沈んだ。

確かに――昨日の午後、あの二人はナナミーの部署にやってきた。


けれど、チレッグとヒューの会社は、うちの大口取引先だ。

仕事で来ただけで、わざわざナナミーに会いに来たわけではない。


――それに。


『これ、お前のために買ってきたんだぜ?」


そう言って二人が差し出したものは、ダンベルとプロテインだった。


『お前、あれくらいの飴も持てねえでどうすんだ。これで鍛えろよ』

『いい筋肉育てるために、これ運動後に飲めよ』


そんな言葉まで添えられたあんなものを、「贈り物」だなんて認めたくはない。


ダンベルとプロテインを前に固まるナナミーを尻目に、部署の男たちがわっと集まってきた。


『うわ〜! このプロテイン、今すげえ流行ってるやつじゃないっすか!』

『なかなか手に入らないっていう、幻のプロテインっすよね!?』

『しかもこれ、吸収率めちゃくちゃ高いって噂の!』

『さすがヒューさん!』


『うわ、このダンベル可変式じゃん!』

『重量変更できるやつかよ!?』

『しかも高級モデルっすよね、これ!』

『うわ……これ相当いいやつだぞ。大事にしろよ、ナナミー』


強い種族の男たちは大いに盛り上がっていたが、ナナミーが喜べる要素など、どこにもなかった。

ただ、ぼんやりと立ち尽くしていた。



あの日――あの、飴屋に行った休日。


完成した巨大なりんご飴は、ナナミーには重すぎた。

受け取った瞬間、地面に落としてしまい、りんご飴は粉々に砕け散った。


『嘘だろ……そんなもんも持てねえのか?』


アザ持ちの男たちは、信じられないものを見るような目でナナミーを見ていた。


ナナミーだって、信じられない気持ちだった。

あんなに重いりんご飴が、この世に存在するなんて思わなかったのだ。

砕け散ったりんご飴を、見つめることしかできなかった。


あの日のことは――苦い思い出だ。



「違うの、カリナちゃん。贈り物じゃないよ。チレッグ様とヒュー様がくれたのは、ダンベルとプロテインだよ?」


とても重いダンベルだった。

受け取った瞬間、あまりの重さに床に落とし、部署の男たちにまで信じられないものを見る目で見られてしまった。


『お前……ほんと弱えな。そんなんで俺の子分を名乗ってんじゃねえぞ』


『お前、俺らの仲間に入りたかったら、しっかり鍛えろよ』


子分など、名乗った覚えはない。

お前たちの仲間になど、入りたくもない。


言いたい言葉は喉元まで込み上げた。

けれど、言えるわけもなく。


『筋肉は……遠いですね〜』


そう、うふふ〜と笑うしかなかった。


モテ期など、どこにもない。


――それに。


『テメェら、仕事はどうした?こんなとこで集まって遊んでるなんて、ずいぶん余裕じゃねえか』


ワイワイと騒いでいた部署の男たちに、ヒヨクがブチ切れた。

その結果、山のように上乗せされた仕事は、騒いでいた男たちだけでなく、ナナミーにまで及んだ。


『ナナミー、お前も余裕あんなだな。……ずいぶん楽しそうに遊んでんじゃねえか』


――久しぶりに、鬼畜上司ヒヨクが君臨した。


帰る間際に渡された残業分の仕事が多すぎて、作夜は泣きながら仕事をこなしたものだ。



「ダンベルとプロテインかぁ……。でも、チレッグ様とヒュー様がくれるなら、宝物にしちゃうけどなぁ」


カリナがほうっとため息をついた。


(アザ持ちの男なんて、ロクな奴はいないよ)


教えてあげたい言葉は形にならないまま、ナナミーもふうっとため息を落とした。





夕方。

今日のノルマを終えたナナミーは、壁の時計に目を向けた。


(あともう少し……)


終業まであと10分。

今日は帰ったら、ユキが特別おいしいおやつを用意してくれると話していた。

昨日、残業が多すぎておやつを食べる時間すらなかったからだろう。


(おやつ何かな〜)


楽しみで口元を緩ませた瞬間、バチッとヒヨクと目が合った。


今日のヒヨクも機嫌が悪い。

油断をしてると、また鬼畜な上司が君臨するかもしれない。


『仕事終わったのか?余裕じゃねえか。帰ったら、これもやっとけよ』


そんなふうに、また山ほどの仕事を積まれるかもしれない。


すい……と、なるべく自然に見えるように、ナナミーはゆっくり視線を落とした。

机の上に置かれた、終わった書類を真剣な顔で見つめる。


いつもなら、クルクルと回る時計の針が、今日はやけに遅い。

カチ……カチ……と、静かな音だけがゆっくりと響いている。


(もし――私がヒヨク様の運命のつがいだって名乗り出たら……)


緊迫した空気の中、ナナミーは考える。


ヒヨクは以前から、もし運命のつがいが名乗り出たら、『毎日残業させてやる』と、たびたび口にしていた。


運命のつがいを名乗り出るということ。


それは、昨夜のナナミーのように、毎晩泣きながら仕事をする人生を迎えるということだ。


(私は絶対に!一生!運命のつがいを名乗り出たりしない……!)


ナナミーは心の中で、強く自分に違う。


カチ……カチ……と、時計の音が静かに響いていた。

終業まで、あと9分20秒だ。




* * *




「ナナミーはもう寝てんのか?」


なるべく早く帰ってきたつもりだった。

だが、ナナミーはもう眠っているという。


「はい。帰宅後、おやつを持ったまま眠ってしまわれました。昨夜は遅くまで頑張っていらしたようですし……」


静かに答えるユキの目が、ヒヨクを責めていた。

昨日ナナミーは、おやつも食べずに仕事をしていたらしい。夜遅くまで、泣きながら仕事を片付けていたと聞いている。


ユキを下がらせた後、ヒヨクは深くため息をついた。


(……失敗したな)


昨日会社に来たチレッグとヒューが、開口一番『おい、ナナミー』と、呼びつけた瞬間から気分が悪かった。


名前を呼ぶのも気に入らねえが、そのうえ、贈り物まで渡しやがった。


しかも――わざわざナナミーのために選んだ品らしい。

ダンベルもプロテインも、なかなか手に入らない貴重な品だった。


ナナミーもナナミーだ。

使えもしないあんなものを渡されたというのに、あの二人に笑顔を向けていた


(まさか……ナナミーはアイツらの運命のつがいか……?!)


子分だの、仲間だの、ふざけたことを言っていたが――そもそも、つがいでもなければ、アザ持ちの男が、ナナミーのような最弱種族のナマケモノ族にあそこまで構うはずがない。


妙にあの二人がナナミーに絡むのは、これからつがいのアザが現れる前兆なのではないか。


そう考えた瞬間、胸の奥がざわついた。


――焦って、失敗した。


二人を殴りつけたい気持ちを、(ここは仕事場だ)と、無理やり理性で押さえつける必要などなかった。

殴りたければ殴ればよかったのだ。


苛立ちをぶつけるなら、野郎どもだけで十分だった。

ナナミーにまで、残業など押し付けるべきではなかった。


今朝、眠そうなナナミーを背負って会社まで送ったときも、少し後悔していた。


けれど――終業間際。


ふいに視線が合った瞬間、ナナミーにすっと目を逸らされたことの方が、ずっと胸に重く残っていた。


(俺は……嫌われたのか……?)


最悪の予感に息が詰まる。


「気持ちを……伝えねえと」


ナナミーに、ちゃんと気持ちを伝えなくてはならない。

自分はアザ持ちだが、想っているのはナナミーだと。

運命のつがいなんて、相手にするつもりはないと。

たとえ運命のつがいが名乗り出たとしても――


「そんな女、毎日残業漬けにして、仕事に縛りつけとけばいいさ」


その覚悟を、しっかりとナナミーに伝えなければ。


「運命のつがいがなんだってんだよ」


ヒヨクはハッと鼻で笑った。


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