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運命のつがいは鬼畜な上司  作者: 白井夢子
第三章 弱小な世界

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流行は東の街からやってくる②


ハリエットとの約束の日。

約束の昼過ぎ、ナナミーは店の前にやってきた。


(お仕事、もう終わったかな)


そう思いながら扉に手をかけようとした――そのとき。

店の中から、キャアッ、と女の子たちの小さな歓声が聞こえてきた。


(強い種族の女の子たちかな……?)


不安になって、ナナミーはそっと手を引っ込める。

代わりに、窓の方へ回り込み、身をかがめて店内を覗き込んだ。


そして――

反射的に、素早くしゃがみ込んで身を隠した。


「黙れ!うっせえな!テメェら、ジロジロ見てんじゃねえよ!」


覗き込んだ店の中で、最強種族のアザ持ちの男が、強い種族の女の子たちに怒鳴り散らしていた。

ここで店に入る勇気など、ナナミーにはない。


(ヤバい男がいる所に来てしまった……)


どくどくと鳴る胸に手を当てながら、ナナミーは窓の下で身を縮めた。



店の中で怒鳴っていたのはチーター族のチレッグだ。

また誰かの贈り物を買いに来たらしい。


チレッグの怒声とともに、女の子たちがキャアッと声を上げて店から飛び出していく。

その背中は、あっという間に通りの向こうへ消えていった。


(あの男が帰るまで、ここにいようかな……)


そのまま地面を見つめて丸まっていたら、ふいに目の前に影が落ちた。


「――オイ、ナナミー。お前……まさかとは思うが、俺に挨拶もなく隠れやがったんじゃねえだろうな」


アザ持ちの男――チレッグが、すぐ目の前に立っていた。



当たり前だ。

隠れられるものなら、隠れていたいに決まってる。

挨拶なんかして、自ら危険に飛び込みにいくほど、私は愚かじゃない!


弱小種族を代表して、そう言ってやりたい。


言ってやりたいが――言えるはずもなく。


「まさか。ここまで歩くのに疲れちゃって。少し休憩していただけですよ〜」


ナナミーはうふふ〜と笑って誤魔化した。


「ヒヨクさんの屋敷から、ここまでだろ?お前……どんだけ弱え奴なんだよ」


だというのにチレッグは、信じられないものを見るような目でナナミーを見下ろしてきた。


(これだからアザ持ちの男は……!)


ぐっと奥歯を噛み締める。

たしかに、ヒヨクの屋敷からこの店までは、それほど遠くない。

普段のナナミーなら、休憩なしでも歩ける距離だ。


けれど今日は違う。


「ほら、これ見てくださいよ。今日は荷物が特別重いんです」


ナナミーは背中のリュックを指で示す。

それを見て、チレッグがちらりと視線を落とした。


小ぶりのリュックだが、中にはりんごがぎっしり詰まっている。


「なんだそれ?なに入れてんだ?」


「りんごです」


「ふうん。お前、そんなもんばっか食ってっから弱ぇんだよ。肉食え、肉」


チレッグは、どうしてりんごを詰めているのかには興味がないらしい。

理由を聞くこともなく、ただ「肉を食え」と無茶ぶりをしてきただけだった。


――どこに肉を食べるナマケモノ族がいるというのか。


「お肉は……遠いですね〜」


うふふ〜と適当に受け流すと、チレッグもハッと鼻で笑い、それ以上は追及してこなかった。


「まあ……ちょうどいい。ナナミー、ちょっとプレゼント選びに付き合えよ」


「プレゼント……ですか?」


「ああ。母さんに頼まれたんだ。うちの社員たちに配りてえんだとよ。いつもの干し肉支給でいいんじゃねえかって言ったんだけどよ、たまには違うものがいいだろって。刺繍入りのハンカチにしようって言われたんだが――何の刺繍がいいか、お前が選べ」


「あ、はい」


本当は――

『なんで休みの日に、そんな仕事みたいなこと、しなくちゃいけないんですか?お断りします!』


そう言ってやりたい。

休みの日にまで接待などしたくはない。


けれどやっぱり言えるはずもなく。


「そうなんですね〜。ちょうど今月の新作の刺繍、すごく可愛いですよ。おすすめです〜」


そう言って店の中へ入り、この前見たばかりの新作の刺繍を指さした。


「……なんだこれ?りんごに矢がぶっ刺さってんじゃねえか」


「それ、りんご飴って言って、東の街で流行ってるみたいですよ。もうすぐこの街にも来るはずですし、流行の先取りで、みなさん喜ばれると思います」


「東の街で……?ふうん。なんか弱そうな絵だな」


じっと刺繍を見つめたチレッグが、鼻で笑う。


「どうせなら、肉に枝でも刺せよ。りんごの汁じゃなくて、血が滴る肉のほうが、うまそうだろ」


その言葉に、ハリエットの顔からスッと血の気が引いた。


そんな恐ろしい刺繍、やりたくないに決まっている。エプロンを握りしめたハリエットの手が、かすかに震えていた。

あまりにも気の毒で、ナナミーは思わず口を開く。


「この刺繍、周りに飴がついた、すごくオシャレなりんごなんですよ。まだ実物を見たことはないんですけど……このあとハリエットさんと飴屋さんに行こうって約束してるんです。作ってもらえるかは分からないけど、お願いしてみようと思って」


ナナミーの説明に、チレッグはリュックへ視線を走らせた。


「だから、りんご担いでんのか?……ってか、お願いってなんだよ。飴屋なんだから、『早くりんご飴作れ』って注文すりゃいいじゃねえか」


さすが最強種族。

さすがアザ持ちの男。

――自己中加減が半端ない。


「どんなものか分からないものだし、ご迷惑かな〜、なんて思いまして」


またうふふ~と笑いながら、さりげなく常識というものを説いてやった。


「お前……飴注文すんのも弱そうだな。しょうがねえな、刺繍を選んだ礼に、一緒に飴屋に行ってやるよ」


呆れたように言い放つチレッグに、ナナミーは慌てた。


「えっ!それは……」


「なんだ?テメェ、まさか俺の親切を受け取らねえつもりか?」


低く落ちた声に、ヒッと息を呑む。

一瞬、チレッグの目が光った気がした。

弱小種族としての本能が、はっきりと危険を告げている。


「まさか!チレッグ様がいてくれたら、りんご飴、作ってくれるかもしれないですね〜」


アザ持ちの男を怒らせるわけにはいかない。

ナナミーは必死に取り繕った。


「……ったく、だからお前は弱えんだよ。そういうのは、作れるまで作らせるもんだろ」


(最悪な客だ……)


もう何も言えず、ナナミーは「ソウデスネ」と乾いた声で答えて頷いた。




「じゃあ、この柄100枚頼むわ。――おい、お前も一緒に行くんだろ。だったら、お前も早く用意しろよ」


会計をしながら、チレッグはハリエットに目を向けてそう言った。


「あ……」と呟いたハリエットの瞳が、激しく揺れている。

そのままナナミーに向けられた目が、『ナナミーさん、ごめんね……!』と語っていた。


やがて揺れる瞳をきゅっと引き締め、ハリエットはきっぱりと言い切った。


「いえ!私は、チレッグ様のご注文に、今すぐ取り掛かりたいですから!」


「おう、やる気がある店だな。贔屓にしてやるぜ。――おら、行くぞ」


そう言って、ナナミーをひょいと小脇に抱えて、チレッグは歩き出した。


(最悪だ……)


せっかくの休みなのに、アザ持ちの男と出かけることになってしまった。

けれど刺繍100枚待ちのハリエットを責めることはできない。


今日はもう終わった。

ナナミーは力を抜いて、チレッグの小脇でだらんとぶら下がる。



ぶらぶらと揺られながら逆さに見える青空は、からりと晴れて眩しかった。



* * *



「さすがナナミーさんだわ……」


あっという間に遠ざかっていくチレッグとナナミーの背中を、ハリエットは店先に立ったまま見送っていた。


ナナミーは、新作の刺繍を物おじすることなくアザ持ちの男に薦め、さらに100枚もの注文に繋げてみせた。


まさに、できる女性だ。


キャリアウーマンのナナミーは、ハリエットの憧れだ。


りんご飴を一緒に食べに行けなかったことは残念だけれど、仕方がない。

あの場では、どう考えてもハリエットに入る隙はなかった。


(もしかしたら……チレッグ様がナナミーさんが運命のつがいなのかも)


ふとよぎった考えに、ハリエットの胸がドキンと跳ねる。


ナナミーは、以前もチレッグとこの店に来てくれた。

そのときも、店でいちばん高級な商品を、迷いなく薦めていた。


誰よりも力のある男と、誰よりも仕事のできる女。


(お似合いの二人だわ……)


新しい運命の予感に、ハリエットはほうっとため息をつく。


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