流行は、東の街からやってくる
「ねえ、ナナミーちゃん。りんご飴って知ってる?」
お昼休み、中庭でお弁当を広げていると、カリナに声をかけられた。
ナナミーは、ゴソ……ゴソ……と、お弁当の袋に入れていた手を止める。
「りんご飴……?りんごの飴ってこと?」
「そう思うでしょう?でも、違うのよ」
そう言って、カリナはお弁当のスルメを持った手をスッと持ち上げ、空を見上げた。
ナナミーも、つられてその先を見上げる。
水色に晴れた空には、薄い雲が広がっていた。
「あの雲、綿菓子みたいでしょう?」
「うん……」
ナナミーは小さく頷く。
確かに――空の青に透けるように広がる雲は、まるでふわふわの綿菓子みたいに見える。
「午前中にね、営業課のチュミさんがうちの部署に来て、話してたの。今、りんご飴が東の街で流行ってるんだって。もうすぐここにも、りんご飴の時代が来るみたいよ」
「東の街で……?」
東の街は、流行の最先端を行く街だ。
そしてスズメ族のチュミさんは、いつだって流行に敏感な女の子だ。
チュミさんがそう言うのなら――きっと近いうちに、この街にもりんご飴の時代がやって来るのだろう。
「ナナミーちゃん。りんご飴は、りんごの飴じゃないのよ。りんごを飴で包んだ、今流行りのフルーツなんだって」
「りんごを飴で包むの?」
あの固い飴を、どうやってりんごに包ませるのだろう。
りんごの周りに、飴をぺたぺたと貼り付けるのだろうか。
――想像がつかない。
「私もまだ食べたことないんだけど……多分、こんなふうじゃないかしら。このスルメがりんごだとして……こんなふうに、綿菓子を巻き付けるんだと思うの」
そう言ってカリナは、空に向かって上げた手をくるんくるんと回した。
――まるでスルメにその雲をまとわせるように。
そして、そのままカリナがスルメを齧る。
「あら……?なんか、スルメが甘くなった気がするわ。いつもより、ちょっとおいしくなったかも」
モグモグとスルメを食べながら、カリナか目を細めていた。
いつもよりおいしそうに食べている。
ナナミーも、お弁当袋からにんじんを取り出し、空にかざした。
そのまま薄い雲を絡ませるように、クル……クル……と回してみる。
そして、ひと口かじった。
はっと目を見開く。
「……甘い、かも」
モグ……モグ……と口を動かすと、にんじんがいつもより甘く感じた。
ヒヨクの屋敷で収穫されるにんじんはいつも、もともと特別甘くて、特別おいしい。それなのに、さらに甘みが増している気がする。
「このにんじんも、甘くなってる……?」
「やっぱり?今日のスルメ、ちょっといいスルメにしたからかな?って思ったけど、スルメ飴風にしたからかも。りんご飴、確かに流行りそうね」
カリナの言葉に、こくりと頷く。
今朝ユキが、「今日のお弁当は、場所を変えて栽培したものですよ」と話していたが、それだけではないはずだ。
ナナミーはまた、空に向かって手を伸ばし、クル……と回して雲を絡める。
そして、ひと口モグ……とかじる。
確かに――りんご飴の時代が近いことを、ナナミーも感じた。
「いらっしゃいませ――あ、ナナミーさん」
久しぶりにハリエット刺繡店に遊びに行くと、顔を上げたハリエットが気づいて声をかけてくれた。
ナナミーは小さく手を振る。
お店の中には、小さな女の子がひとりいる。
窓から覗いたときに、お客さまがいることは分かっていた。
ハリエットの声に反応して振り向いたその子は、ネコ耳の付いた帽子をかぶっている。
ねこ族の子供だろう。
強い種族の女の子がいないことに安心して、扉を開けたところだった。
ナナミーのそばに歩み寄ったハリエットが、小さな声で囁く。
「少し待っててね。今、お客さまなの。お店の中見ててね」
コクリと頷き、ナナミーは店内をゆっくりと見て回った。
「あ……」
ふと足を止めたのは、『新作の見本です!』と書かれたPOPの前だった。
そこに、不思議な刺繍が飾られている。
「りんごが……」
思わず呟く。
それは物騒な刺繍だった。
艶やかなりんごに、木の矢が深々と突き刺さっている。
ジワリ、と果汁が滲み、タラリ、と滴り落ちていた。
(怖い……)
なんてワイルドな刺繍なんだろう。
怖い。
なのに、そのりんごから目が離せない。
ナナミーは、じっと刺繍を見続けた。
「さすがナナミーさん。最新の流行に敏感ね」
ハリエットに声をかけられ、ナナミーは顔を上げた。
いつの間にか、お客さまは帰っていた。店内には、もう誰もいなかった。
「それ、りんご飴柄なの。りんご飴って、いま東の街で流行ってるみたい。今月の『月刊刺繍画報』に、最新デザインで載ってたものなの」
「ふうん、そうなんだ。りんご飴ってこんな飴なんだね。この前私も、りんご飴が東の街で流行ってるって話を聞いたよ」
ナナミーは、この前のお昼休みに聞いた話を思い出す。
すずめ族のチュミさんが噂を始めたばかりなら、きっと今まさに流行り始めたところなんだろう。
この街にくるのは、まだもう少し先になりそうだ。
「刺繍の勉強になるし、お店のためにも一度実物を食べてみたいと思ってるの。でも……この街にりんご飴が来るのは、もう少し先かもね」
ハリエットは、少し残念そうに眉を下げた。
その表情につられて、ナナミーも同じように眉を下げる。
「うん……東の街だからね。もう少しかかるかも」
ふう、と二人でため息をついた。
ハリエットのお店のために、できることならなんとかしてあげたい。
(飴……)
ふと、思いつく。
「飴屋さんでお願いしたら、作ってくれないかな?」
「飴屋さん?」
首をかしげたハリエットの言葉に、ナナミーはコクリと頷いた。
「チレッグ様の行きつけの飴屋さんが、もう少し行ったところにあるの。今度りんごを持って、お願いしに行ってみない?私もりんご飴たべてみたいな」
ナナミーの提案に、ハリエットがパチンと手を叩く。
「わあ!それはいい考え!今度の日曜日、午後はお休みにしようかしら?ナナミーちゃん、一緒に来てくれる?」
「うん。じゃあ、お昼にお店に呼びに来るね。ヒヨク様の庭に、おいしいりんごがなってるから、りんごは任せて」
そう話して、今度の休みの予定が決まった。
* * *
「じゃあ、また日曜にね」
バイバイと手を振り、ナナミーは店を後にした。
ハリエットは店先に立ったまま、その背中を見送る。
ゆっくり、ゆっくりと遠ざかっていくナナミーは、ハリエットの憧れの人だ。
(ナナミーさんが、チレッグ様かヒヨク様の運命のつがいだったりして……)
ふと浮かんだ考えに、ハリエットは小さく首を振る。
――そんなはずはない。
ナナミーは弱小種族のナマケモノ族だが、それはあり得ない。
仕事ができるし、流行に敏感だ。くま族のベアゴーの背中に乗って、毎日家まで送ってもらっているという。
アザ持ちの男たちとも、対等に渡り合っているのだろう。
(本当にナナミーさんって素敵よね)
通りを行き交う人々に次々と追い抜かれながらも、ナナミーは変わらず、ゆっくりと歩いていく。
その小さな背中が見えなくなるまで、ハリエットはいつまでも見つめていた。
――気がつけば、空は薄暗くなっていた。




