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運命のつがいは鬼畜な上司  作者: 白井夢子
第三章 弱小な世界

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流行は、東の街からやってくる


「ねえ、ナナミーちゃん。りんご飴って知ってる?」


お昼休み、中庭でお弁当を広げていると、カリナに声をかけられた。

ナナミーは、ゴソ……ゴソ……と、お弁当の袋に入れていた手を止める。


「りんご飴……?りんごの飴ってこと?」


「そう思うでしょう?でも、違うのよ」


そう言って、カリナはお弁当のスルメを持った手をスッと持ち上げ、空を見上げた。


ナナミーも、つられてその先を見上げる。

水色に晴れた空には、薄い雲が広がっていた。


「あの雲、綿菓子みたいでしょう?」

「うん……」


ナナミーは小さく頷く。

確かに――空の青に透けるように広がる雲は、まるでふわふわの綿菓子みたいに見える。


「午前中にね、営業課のチュミさんがうちの部署に来て、話してたの。今、りんご飴が東の街で流行ってるんだって。もうすぐここにも、りんご飴の時代が来るみたいよ」


「東の街で……?」


東の街は、流行の最先端を行く街だ。

そしてスズメ族のチュミさんは、いつだって流行に敏感な女の子だ。

チュミさんがそう言うのなら――きっと近いうちに、この街にもりんご飴の時代がやって来るのだろう。


「ナナミーちゃん。りんご飴は、りんごの飴じゃないのよ。りんごを飴で包んだ、今流行りのフルーツなんだって」


「りんごを飴で包むの?」


あの固い飴を、どうやってりんごに包ませるのだろう。

りんごの周りに、飴をぺたぺたと貼り付けるのだろうか。

――想像がつかない。


「私もまだ食べたことないんだけど……多分、こんなふうじゃないかしら。このスルメがりんごだとして……こんなふうに、綿菓子を巻き付けるんだと思うの」


そう言ってカリナは、空に向かって上げた手をくるんくるんと回した。

――まるでスルメにその雲をまとわせるように。

そして、そのままカリナがスルメを齧る。


「あら……?なんか、スルメが甘くなった気がするわ。いつもより、ちょっとおいしくなったかも」


モグモグとスルメを食べながら、カリナか目を細めていた。

いつもよりおいしそうに食べている。


ナナミーも、お弁当袋からにんじんを取り出し、空にかざした。

そのまま薄い雲を絡ませるように、クル……クル……と回してみる。

そして、ひと口かじった。


はっと目を見開く。


「……甘い、かも」


モグ……モグ……と口を動かすと、にんじんがいつもより甘く感じた。

ヒヨクの屋敷で収穫されるにんじんはいつも、もともと特別甘くて、特別おいしい。それなのに、さらに甘みが増している気がする。


「このにんじんも、甘くなってる……?」


「やっぱり?今日のスルメ、ちょっといいスルメにしたからかな?って思ったけど、スルメ飴風にしたからかも。りんご飴、確かに流行りそうね」


カリナの言葉に、こくりと頷く。

今朝ユキが、「今日のお弁当は、場所を変えて栽培したものですよ」と話していたが、それだけではないはずだ。


ナナミーはまた、空に向かって手を伸ばし、クル……と回して雲を絡める。

そして、ひと口モグ……とかじる。


確かに――りんご飴の時代が近いことを、ナナミーも感じた。






「いらっしゃいませ――あ、ナナミーさん」


久しぶりにハリエット刺繡店に遊びに行くと、顔を上げたハリエットが気づいて声をかけてくれた。

ナナミーは小さく手を振る。


お店の中には、小さな女の子がひとりいる。

窓から覗いたときに、お客さまがいることは分かっていた。


ハリエットの声に反応して振り向いたその子は、ネコ耳の付いた帽子をかぶっている。

ねこ族の子供だろう。


強い種族の女の子がいないことに安心して、扉を開けたところだった。


ナナミーのそばに歩み寄ったハリエットが、小さな声で囁く。


「少し待っててね。今、お客さまなの。お店の中見ててね」


コクリと頷き、ナナミーは店内をゆっくりと見て回った。


「あ……」


ふと足を止めたのは、『新作の見本です!』と書かれたPOPの前だった。

そこに、不思議な刺繍が飾られている。


「りんごが……」


思わず呟く。


それは物騒な刺繍だった。

艶やかなりんごに、木の矢が深々と突き刺さっている。

ジワリ、と果汁が滲み、タラリ、と滴り落ちていた。


(怖い……)


なんてワイルドな刺繍なんだろう。

怖い。

なのに、そのりんごから目が離せない。

ナナミーは、じっと刺繍を見続けた。




「さすがナナミーさん。最新の流行に敏感ね」


ハリエットに声をかけられ、ナナミーは顔を上げた。

いつの間にか、お客さまは帰っていた。店内には、もう誰もいなかった。


「それ、りんご飴柄なの。りんご飴って、いま東の街で流行ってるみたい。今月の『月刊刺繍画報』に、最新デザインで載ってたものなの」


「ふうん、そうなんだ。りんご飴ってこんな飴なんだね。この前私も、りんご飴が東の街で流行ってるって話を聞いたよ」


ナナミーは、この前のお昼休みに聞いた話を思い出す。

すずめ族のチュミさんが噂を始めたばかりなら、きっと今まさに流行り始めたところなんだろう。

この街にくるのは、まだもう少し先になりそうだ。


「刺繍の勉強になるし、お店のためにも一度実物を食べてみたいと思ってるの。でも……この街にりんご飴が来るのは、もう少し先かもね」


ハリエットは、少し残念そうに眉を下げた。

その表情につられて、ナナミーも同じように眉を下げる。


「うん……東の街だからね。もう少しかかるかも」


ふう、と二人でため息をついた。

ハリエットのお店のために、できることならなんとかしてあげたい。


(飴……)


ふと、思いつく。


「飴屋さんでお願いしたら、作ってくれないかな?」


「飴屋さん?」


首をかしげたハリエットの言葉に、ナナミーはコクリと頷いた。


「チレッグ様の行きつけの飴屋さんが、もう少し行ったところにあるの。今度りんごを持って、お願いしに行ってみない?私もりんご飴たべてみたいな」


ナナミーの提案に、ハリエットがパチンと手を叩く。


「わあ!それはいい考え!今度の日曜日、午後はお休みにしようかしら?ナナミーちゃん、一緒に来てくれる?」


「うん。じゃあ、お昼にお店に呼びに来るね。ヒヨク様の庭に、おいしいりんごがなってるから、りんごは任せて」


そう話して、今度の休みの予定が決まった。



* * *



「じゃあ、また日曜にね」


バイバイと手を振り、ナナミーは店を後にした。

ハリエットは店先に立ったまま、その背中を見送る。 

ゆっくり、ゆっくりと遠ざかっていくナナミーは、ハリエットの憧れの人だ。


(ナナミーさんが、チレッグ様かヒヨク様の運命のつがいだったりして……)


ふと浮かんだ考えに、ハリエットは小さく首を振る。

――そんなはずはない。


ナナミーは弱小種族のナマケモノ族だが、それはあり得ない。

仕事ができるし、流行に敏感だ。くま族のベアゴーの背中に乗って、毎日家まで送ってもらっているという。

アザ持ちの男たちとも、対等に渡り合っているのだろう。


(本当にナナミーさんって素敵よね)


通りを行き交う人々に次々と追い抜かれながらも、ナナミーは変わらず、ゆっくりと歩いていく。

その小さな背中が見えなくなるまで、ハリエットはいつまでも見つめていた。


――気がつけば、空は薄暗くなっていた。


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