35.ついに迎えた日
「ヒヨク様。今日も女の動きに変わりはありません」
執事からの報告に、ヒヨクは片眉を上げた。
ここ数日、屋敷を観察する怪しい女がいるらしい。
ひょろっとした背の高い女だと聞いている。
「まだいんのか?」
「はい。今日でもう五日になりますね。今日もまた夕方ごろに現れて、数時間ほど屋敷の様子を窺っていました。いつものように見ているだけではありますが……。いかがいたしましょう。身元を突き止めて、一族に責任を取らせますか?」
執事の提案にヒヨクは鼻で笑う。
「背が高いだけで、トロくせえ女なんだろ?続くようなら、後ろから肩でも叩いてやれよ。すぐ消えんだろ。――それより」
そんな女のことより気になることがあった。
執事の隣に立つユキに視線を向ける。
「それよりユキ、どうだ?ナナミーは今日も同じ場所で遊んでんのか?」
ヒヨクの問いかけに、ユキの顔が曇った。
「はい。今日もまたナナミー様は、あの藪の隙間で遊んでおりました。ヒヨク様のご指示通りに、近くにいくつか柔らかい藪の隠れ家を作ったのですが……見向きもされませんでした」
ユキの報告に、はぁ……とヒヨクはため息をつく。
どうやらナナミーは、危険な薮をすっかり気に入ってしまったようだ。
ナナミーが楽しんでいるのなら、好きにさせてやりたい。
だが――あの薮は危険だ。
屋敷を取り囲む薮は、外部からの侵入者を防ぐために植えられたものだ。
固く、鋭利なトゲを持つ。
起毛タオルのような、敷地内の柔らかな肌触りの薮とは違う。
ナナミーの柔らかな肌なら、触れるだけで傷がつく。
入り込む薮の隙間内のトゲは取らせているが、それでも心配だった。
そんな危険な遊びはすぐにでも止めさせたい。
だが、せっかく楽しく遊んでいるところに水を差して、嫌われたくはなかった。
飽きるまで見守るしかない。
「屋敷周りの薮に他に隙間がないか、もう一度しっかり確認しろ。ユキも、ナナミーから目を離すなよ」
ヒヨクは、執事とユキにそう指示を出した。
――そんな指示を出した翌日。
不穏な動きがあった。
屋敷の外に立つ女が、ナナミーに接触をしたという。
女の名はウミュウ。チレッグの母親付きの使用人だと名乗った。
ナナミーに相談を持ちかけて、明日も約束を取り付けたらしい。
ナナミーとの接触は偶然かのような会話だったようだが、そんな偶然があるわけがない。
女は計画的に偶然を装ったのだろう。
(チレッグの野郎……!トロくさそうな女を送り込んで、ナナミーを油断させて誘い出すつもりか?!)
カッ!と頭に血が昇る。
怒りで目の前が赤く染まった。
だが――こういうときこそ冷静になるべきだ。
チレッグなど恐れることはないが、いい見せしめにもなるだろう。
アザ持ちの男といえど、ナナミーに近づく者の末路を世間に見せつけてやればいい。
そう考えると、口元に笑みが浮かぶほどだった。
「あの……いかがいたしましょう。女を捕まえて、チレッグ様に抗議文をお送りいたしましょうか……?」
「ああ?んな必要ねえよ。明日のその時間に、チレッグを屋敷の外に呼びつけてやるよ。証拠を押さえたら、その場で潰せばいいだろ」
執事の震え声の提案に、ヒヨクは鼻で笑ってみせた。
* *
ナナミーを抱え、つがい認定協会に急ぎながら、ヒヨクは女を見直していた。
屋敷の様子を窺う女は、送り込まれた敵だと思っていたが、それは違った。
あの女はヒヨクとナナミーの運命をハッキリと結びつける者だった。
(ウミュウって名だったな。アイツ、良いヤツじゃねえか)
ウミュウはチレッグの運命のつがいらしい。
屋敷の外に呼び出していたチレッグも、その話を聞いていたはずだ。
これでチレッグがナナミーに絡んでくることもないだろう。
ウミュウは、ナナミーからチレッグの気を逸らしただけではない。
巧みな話術で、ナナミーに『ヒヨクの運命のつがいのアザを持っている』という事実を打ち明けさせた。
藪の中に隠れるナナミーを見つけたくらいだから、全てウミュウが仕掛けたものかもしれない。
ナナミーに接触することで、ヒヨクにチレッグを呼び出させ、さり気なくチレッグに運命のつがいの証を持つ告白を聞かせる。
――そんな計画だ。
(大した女だぜ)
報告ではトロくさそうな女だと聞いていたが、運命のつがいのアザを持つ者ならば、それも頷ける。
(オレのナナミーも、仕事が早えからな)
今さらながらに、ナナミーの高い能力を誇らしく思う。
(最初に会ったときから気づくべきだったな)
ヒヨクの腕の中で目を閉じるナナミーを見て、初めて会ったあの日を思い出す。
ヒヨクの部署に、ナナミーが新入社員として配属されたのは、三年ほど前のことだ。
『ナマケモノ族のナナミーです。よろしくお願いします』
そう言って頭を下げたその動きが、これまで見たこともないくらいに遅かった。
(こんなヤツ、どうせ役に立たんだろ)
初日から書類の山を押し付けてやれば、翌日には消えるだろうと思い渡してみたが――
予想に反して、驚くほど仕事が早かった。
他の奴らなら、どれだけ早くとも一週間はかかる量だ。それを終業時間までに終わらせていた。
(なんでこんなヤツをオレの部署に回しやがったのかと思ったが……こんだけ使えるヤツだからか)
ナナミーの能力を見込んでの人事配置だったのだと気づき、初日から追加の書類を上乗せしてやったほどだ。
ナナミーは、動きはあり得ないくらい遅いが、仕事は早い上に正確だ。
なるべく仕事はナナミーに回し、ずっと特別に目をかけていた部下だった。
(まあ……もう仕事なんてさせるつもりはねえが)
運命が、ヒヨクの元へナナミーを呼び寄せたのだろう。
ナナミーが抜ければ仕事は忙しくなるだろう。だが、ナナミーと過ごす時間がなくなるくらいなら、独立を考えてもいい。
これまでにもなく胸が浮き立っていた。
つがい認定協会で認定されれば、ヒヨクとナナミーは正式な運命のつがいと認められる。
腕の中のナナミーに視線を向けると、相変わらず目をつむっていた。安心して眠っているのだろうか。
(しょうがねえな)
愛おしさが溢れて、協会まで全力で走り出したい気分だった。
だが、抱えているナナミーを怖がせるわけにはいかない。
起こさないようにそっと抱え直し、ヒヨクは足早に協会へと向かう。




