34.いつだってそれは
「ナナミー様。今日のおやつですが……本当にこれでよろしいのですか?」
会社から帰ったナナミーは、ユキから袋を受け取った。
『アニマル海産昆布使用!特選昆布飴』
袋に書かれた文字を見て、ナナミーはコクリと頷く。
最近は薮に行くのが忙しく、ゆっくりおやつを食べる暇もない。そんなナナミーに、今朝ユキが食べたいものを聞いてくれた。
(今日もウミュウさんに会うし、薮に持っていけるおやつがいいかも)
そう考えて、頼んだ昆布飴だった。
ナナミーのリクエストに、ユキは『昆布の飴……ですか?』と戸惑っていたが、ちゃんと用意してくれたらしい。
「ユキさん、ありがとう」
「あの……ナナミー様。一人で危険な場所に行ってはいけませんよ。それから、素性も分からない人ともおしゃべりしてはダメですよ。危ないですからね」
ユキの言葉に、ナナミーはコクリと頷く。
もちろんだ。
ナナミーだって、危険な場所なんて行きたくないし、素性も分からないような怖い人とも話したくもない。
不安げな様子で見送るユキに手を振って、ナナミーは飴を抱えて薮の隠れ家に向かった。
固いトゲトゲに覆われた隠れ家は、危険から守ってくれる安全な場所だ。
それにウミュウは、チレッグの母――モモノー付きの使用人だ。ちゃんとした肩書きを持つ人物である。
(なんの相談かな……)
ウミュウとの約束が気になって、ソワソワした一日だった。
サッ……と周囲を見回す。
誰も見ていないことを確かめてから、ナナミーは薮の隙間に潜り込んだ。
ソッ……と薮の外を覗くと、ウミュウが見えた。
「ウミュウさん、こんにちは。お待たせしました」
そう声をかけて、昆布飴を薮の隙間から差し出した。
「ナナミーさん、来てくれてありがとうございます。それに昆布飴も……。あ、これ、アニマル海産の昆布飴ですね!前にチレッグ様に『ついでに取り寄せてたから』って、いただいたことがあります!すごくおいしいですよね……!」
ユキが用意してくれた昆布飴は、お取り寄せの飴だったらしい。
ナナミーも袋から一つ飴を取り出して、口に含んだ。
(海……!)
口の中に濃厚な昆布の味わいが広がった。
ナナミーは海に潜ったことはないが、確かに海を感じた。
口に入れた瞬間は固かったが、しばらくしてモグ……と噛むと、よよよんと歯にくっついた。
ウミュウも昆布飴を口に入れた。
ナナミーは、よよよん、よよよん、と昆布飴を噛み締める。
ウミュウもまた、あんむあんむと昆布飴を味わっていた。
二人の間に沈黙が落ちた。
「ふう……昆布飴はこのネッチリ感がクセになりますよね」
しばらくしてかけられた声に、ナナミーは頷く。
そして、もう一つ飴を隙間に差し出した。
「ありがとうございます。……あの、昨日のお話なんですけど……」
受け取った飴を指先でいじりながら、ウミュウが言い淀む。
――やはりとても話しにくい相談のようだ。
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
そう声をかけ、ナナミーはウミュウの気持ちが落ち着くのを待った。
やがて決心したように、ウミュウが顔を上げた。
「あの!……実は私、チレッグ様と同じ『走るチーターのアザ』を持っているんです」
「え……」
それは衝撃的な告白だった。
『チレッグと同じアザ』
ナナミーは言葉も返せず、ただウミュウを見つめる。
一度口にしてしまえば楽になったのか、ウミュウが続けて口を開いた。
「私ずっと、現れたアザが『走るチーター模様』なのか、『走るヒョウ模様』なのか、『走るピューマ模様』なのか分からなくて……。
何度もつがい認定協会に行ったんですけど、誰のアザの形かもハッキリとしないまま、扉を開ける勇気もなくて……。
それでも、なんとなくでしかないのですが、チレッグ様のアザに似てるような気がして……!」
ウミュウはそこまで語り、ハッとしたように口を手で押さえた。
いつの間にか声が大きくなっていたことに気がついたようだ。キョロキョロと不安げに周りを見回している。
ナナミーもつられて薮の向こうへ視線を巡らせた。
(ウミュウさんが、チレッグ様の運命のつがいなの……?)
バクバクバクバクと心臓が高鳴っていた。
ウミュウが話すことを躊躇していたのは当然だ。
そんな大事な話、誰にも話せるわけがない。
ナナミーだって、家族にすら打ち明けたことはない。
「あの……どうしてそんな大事なお話を、私に話してくれたのですか……?」
ウミュウはウミガメ族だ。
ナナミーの故郷の森とは遠く離れている。
種族としてもなんの接点もなかった。
なぜ、ナナミーに打ち明けようと考えたのかがわからない。
「ヒヨク様のお屋敷に、ナナミーさんがお住まいだという噂を聞きまして……。それに、ナナミーさんはヒョウ族ではなく、ナマケモノ族だそうですし……。
もしかしたら私と同じような境遇なのではないかと思ったんです」
「ウミュウさんの……境遇……?」
ナナミーはゴクリと唾をのむ。
「はい。実は私、つがい認定協会に行って、扉を開けられないまま帰る途中、ふと思いついてチレッグ様のお屋敷に向かったんです。『もし一目でもチレッグ様のお顔を見れば、何かわかるかも』って。そう思ったんです。
お屋敷の前で、偶然チレッグ様とお会いしたんですけど、『母さんの使用人募集に応募してきた奴ってお前か』と、そのままモモノー様の使用人になりまして……」
「使用人……」
思わず呟くと、ウミュウがコクリと頷いた。
「はい。モモノー様はお優しいのですが……」
スッとウミュウの顔に影が差した。
「私、とても鈍くさくて……。チレッグ様に『トロくせえんだよ』『早くしろよ』って怒られてばかりで……。あ、もちろん、私のオヤツもお取り寄せしてくれて、優しいところもあるんですよ」
そう言って、ウミュウはスカートのポケットを、上からそっと抑える。
そこに、チレッグが取り寄せたおしゃぶり昆布が入っているのだろう。
「でも私……チレッグ様の運命のつがいを名乗り出る勇気はなくて……
もしかしたらナナミーさんも、お辛い境遇にいるのではないかと、一度お話を伺いたいと思っていたのです……」
「ウミュウさん……」
ウミュウの気持ちが痛いほどわかり、胸が詰まった。
ナナミーは使用人としてヒヨクの屋敷で暮らしているわけではない。
だが、ヒヨクが鬼畜な上司だったとき、『トロくせえんだよ』『早くしろよ』と散々言われてきた。
それどころではない。
『これもやっとけよ』
『それ終わってから帰れよ』
そんな言葉と一緒に、終わらない仕事を延々と渡されてきた。
ナナミーだってずっと、『こんな鬼畜な野郎の運命のつがいだなんて、一生!絶対に!名乗り出たりしない!』と心に固く誓っていた。
もしあの時、同じ境遇の人がいると知ったら、相談せずにはいられなかっただろう。
ナナミーはしみじみと頷く。
「ウミュウさんの、運命のつがいを名乗り出られない気持ちは、とても分かります。……そうですよね。私だって、ヒヨク様の運命のつがいのアザを持っていても、名乗り出られませんから」
「えっ……!!使用人じゃなくて……?」
「え?」
ウミュウが口を押さえて目を見開いた。
信じられないものを見るような目でこちらを見つめている。
(あれ……?)
『同じ境遇』だと言うから、てっきりウミュウはナナミーがヒヨクの運命のつがいだと確信しているのだと思い込んでいた。
だが――どうやら違ったらしい。
ウミュウは、『種族の違うアザ持ちの屋敷に雇われる使用人』として、ナナミーと境遇を重ねていたようだ。
しん……と静寂が広がっていた。
「ウミュウさん。このことは誰にも言わないでくださいね」
――急いでそう声をかけようとした、そのとき。
バリバリ!!バリバリ!!
目にも止まらぬ速さで、ナナミーの目の前の薮が二つに割れた。
サッと明るい日差しが差し込む。
突然の出来事に、ナナミーは「うわあああ!」と叫び声をあげることもできず、ぎゅっと目を閉じた。
しゃがみ込むナナミーの体が、誰かに掴み上げられた。
(諦めよう)
いつだって危険は突然に訪れる。
どんなに安全な場所に隠れていても、避けられない危険は必ずある。
しょせんナナミーは弱小種族のナマケモノ族だ。
捕まってしまったなら、諦めるしかない。
目をつむったまま、力を抜く。
ナナミーは、そのままどこかへ運ばれていった。




