32.ナナミーの想い
「火もいい感じだし、そろそろ始めるか。ヒヨク、もう網に置いていいぞ」
バーベキューの準備が整ったようだ。
ヨウの言葉に、ヒヨクが野菜を網に並べ出した。
「でもレオードお父さんが……あ」
いつの間にかいなくなっていたレオードが、こちらに向かって駆けてくるのが見えた。
手には大きなカゴが抱えられていた。
あっという間にコフィの前に立ったレオードが、手に持つカゴを持ち上げて見せた。
「さっき、ナナミーちゃんが野生のぶどうとスモモの話、してただろ?オレが、採ってきたぜ」
レオードが、軽く息を切らしていた。
姿が見えないと思ったら、コフィのためにフルーツを採りに行っていたようだ。
さっきナナミーが、ジュースを飲みながら、断食道場生活で食べたおいしかった料理の話をしたからだろう。
コフィもカメリアも、『私も野生のぶどうには憧れたわ……』と言っていた。
「野生のぶどうとスモモ……?そんなのうちの森にあったのね。今まで気がつかなかったわ」
首を傾げたカメリアに、レオードが笑う。
「この屋敷の森には野生のもんはねえだろ。今オレが、近くの森まで、ひとっ走り行ってきたんだよ」
その言葉に、コフィが目を丸くした。
ナナミーも思わず目を見開いた。
ヨウの屋敷の周りに、他の森などなかったはずだ。
こんな短時間で、一体どこまで走ってきたのだろう。
「近くの森って……あんな遠いところまで採りに行ってくれたの?」
「コフィも久しぶりに食べてえかなって思ってよ」
ぱあっと顔を輝かせたコフィに、ナナミーはヒソ……と耳打ちする。
「レオードお父さんって、本当に優しいですね」
「そうなの。レオードってすごく優しいのよ」
コフィもヒソ……と耳打ちを返した。
「はは。ナナミーちゃんもたくさん食べてくれよ?オレが、川の水に冷やしに行ってくっから、後で食べようぜ」
野生のぶどうとスモモは、川の水で冷やしてくれるらしい。
川に向かって駆けていくレオードの背中を、ナナミーはコフィと並んで見つめていた。
「ナナミー。野生のぶどうとスモモは、断食道場で散々食ったろ?オレが、さっきこの森で採ってきた、こっちの桃の方が絶対うまいぜ?ほら、焼けたぞ。早く座れよ」
ヒヨクに声をかけられて、ナナミーは椅子に急ぐ。
腰を下ろすと、ヒヨクがお皿に乗せた焼き桃を差し出してくれた。
今日の桃は半分にカットされ、種まできれいに取り除かれていた。
軽く炙った桃から、少し焦げたスモーキーな香りが立ち上がる。
おいしい香りにお腹がグゥ……と鳴った。
差し込んだスプーンが、桃にスッと沈む。
ドキドキしながら桃を食べた瞬間、濃厚な桃の甘みが口いっぱいに広がった。
(桃―――!!!)
圧倒的な桃だ。
ヨウの森の桃は、そのままでも極上の味わいだか、炙るとさらに甘味が増す。
今日は半分にカットされ、種まで取ってある。
こんがり焼けた断面の香ばしさと、内側からジュワッとあふれる果汁。
とろっとろの食感に、心も体も桃で満たされていく。
あまりのおいしさに、思わず目が潤んだ。
モグ……モグ……と桃をすくうスプーンが止まらなかった。
バーベキューを終えたあとはお昼寝の時間だ。
ナナミーはうろで膝を抱えながら、うろの外に座るヒヨクの背中を見つめていた。
ヒヨクは持ってきた書類に目を通していた。
時折り聞こえるカリカリとペンを走らせる音が心地よい。
ナナミーが仕事をするのはごめんだけど、仕事をするヒヨクの背中は好きだ。
見慣れた光景がとても落ち着く。
いつもと同じ時間が流れていた。
(結局告白できてないな……)
断食道場から帰ったら、ヒヨクの運命のつがいだと名乗り出るつもりだった。
とても大事な話だ。
ゆっくりと落ち着いて話せそうな時間を見つけて、打ち明けるつもりでいた。
けれど、通常の仕事に戻ったヒヨクは以前より忙しそうで、ゆっくりと話せる雰囲気ではない。
オヤツを一緒に食べていても、ヒヨクの傍らには持ち帰った書類の山がある。
それを見るたびに、(今日はダメだ)と諦めてしまう日々が続いていた。
最近のヒヨクはとても忙しい。
もし、今ナナミーが運命のつがいを名乗り出たら――
『ちょうど良かったぜ。この書類の山、一緒に片付けようぜ?運命のつがいなら、できるよな?』
そう言われてしまうかもしれない。
(それは嫌だな……)
鬼畜な上司じゃない、優しいヒヨクは好きだ。
でも、『一緒にこの書類の山を片付けようぜ?』と優しく誘う、鬼畜な上司寄りのヒヨクは嫌いだ。
運命のつがいとして一緒に仕事をするより、部下として仕事を振られることなく側にいたい。
(打ち明けるのは……今はいいかも)
吹き抜ける風がヒヨクの髪を揺らしている。
カリカリと聞こえる音が心地よく、意識がまどろみの中へ沈んでいく。
* * *
仕事をするヒヨクの背中から、スゥ……スゥ……と寝息が聞こえてきた。
どうやらナナミーは眠ったらしい。
(この書類の束がなけりゃ、もっとゆっくり話せたのに)
そう思うが、ナナミーの有休に合わせて取った10日間の休みが痛すぎた。
休み明けに仕事に戻ると、片付けねばならない書類が溜まりに溜まっていた。
仕事はなるべく持ち帰り、ナナミーと過ごす時間を作るようにしている。だが、ゆっくり話せる時間までは作れなかった。
(……にしても)
バーベキュー前のひとときを思い出し、ザワッとヒヨクの背中が粟立った。
『でも……もしあのとき……』
ナナミーが手に持つ小瓶を見ながら、カメリアが呟いたとき。
コフィだけではなく、ナナミーまでも、暗い目をして思考に沈んでいた。
(なにを、思い出してるんだ……)
終業間際に、『これもやっとけよ』と書類の束を手渡したときか。
会社での残業は免除しても、『これ明日までにやっとけよ』と屋敷への持ち帰り書類を手渡したときか。
それとも、昼休憩中にベアゴーに呼び戻させて、『昼メシ食ったんだろ? 早く仕事戻れよ』と言ったときか。
それとも――会社での来客時に『茶ぁくらい早く出せよ。トロくせえな』と言ったときなのか。
心当たりがありすぎて、なにも言えなかった。
静まり返った空気が肌に刺さり、息をすることさえ苦しかった。
――あれは地獄のような時間だった。
バーベキューでなんとか必死にフォローしたつもりだ。
(フォローできた……よな?)
いつもより丁寧に作った料理に、確かにナナミーは顔を輝かせていた。
自分でも上手く作れたと思ったが、瞳までも潤わせて喜んでくれた……はずだ。
唯一気になることは――
(じいさんも親父も、鬱陶しいこと言いやがって)
バーベキューでのヨウとレオードの様子を思い出し、苛立ちが湧き上がる。
『オレが、ひとっ走り行ってきた』
『この森のフルーツは、オレが、育てたからな』
(やたらと『オレが』と主張する野郎どものおかげで、オレが、ナナミーのために採ってきた桃が霞むだろうが)
カメリアとコフィの機嫌を取ろうと必死な、二人の鬱陶しい男たちを思い出し、ヒヨクは内心チッと舌打ちをする。




