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運命のつがいは鬼畜な上司  作者: 白井夢子
第四章

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31.究極の美白クリーム


「これです」


ゴソ……とカバンから取り出した小瓶を、そっとテーブルに乗せた。


コト、と小さな音を立てた小瓶に、カメリアとコフィが目を見開き、同時に息をのんだ。

誰も何も言わないまま、張り詰めた空気が流れる。


「……これが、そうなの?」


やがてコフィが、声を潜めて尋ねた。

ナナミーはただ、コクリ、と小さく頷く。


しん……と応接室に静寂が広がった。




半透明の小瓶の中には、淡く輝く白いクリームが入ってる。

これはワニエルからもらったものだ。


『ナナミー。お肌のお手入れ、絶対にサボっちゃダメよ。毎日使ってるかどうかは、会ったときすぐ分かるんだから」


受け取ったあの日、ワニエルはそう言ってふふっと笑った。


『使ってなかったら……許さないんだから』


バチン、とウインクまで飛んできた。


『許さない』

――それは危険な言葉だ。

たとえ可愛く笑いながら放たれた言葉でも、見過ごすほど愚かにはなれなかった。


これまでナナミーは、お肌のお手入れなんてしたことはない。

だが、もらったクリームは塗り忘れないようカバンに入れて持ち歩き、毎日顔に塗っている。



そしてヨウの屋敷に遊びに来た今日。

みんなでジュースを飲んでいるときに、カメリアに『ナナミーちゃんのお肌、ツヤツヤしてるわね』と声をかけられたのだ。


(クリームの効果かな……?)


ナナミーはそっと顔に触れると、なんとなくツヤツヤした手触りを感じた。


それは、パールエキスから美白成分を取り出した、究極のクリームだ。日焼けの予防はもちろん、できてしまったシミや怪我の跡にも効くらしい。

クリフやベアゴーでさえ、その効果を絶賛していた。


ナナミーは日焼けも傷跡もシミもないので、変化を感じることはなかったが、美白クリームにはツヤツヤ効果もあるのかもしれない。


カメリアやコフィが、もしこのクリームに興味を持つなら、ぜひ教えてあげたい。


だが――


この美白クリームには、大きな危険もある。


クリームは、『日焼けも傷跡もシミも、肌に残るものは全部なかったことにしてくれる』ものだ。

それはつまり、運命のつがいのアザまで消してしまうということだった。

うっかりクリームの付いた手でアザに触れれば、運命のつがいの証はたちまち消えてしまうだろう。


カメリアはヨウの、コフィはレオードの運命のつがいだ。

この危険だけは、先に伝えておかなければならない。


だからこそ、ナナミーは先に説明した。

このクリームを使っていること。

そして、このクリームの効果は『肌に残るものは全てなかったことになる』こと。

全てを話した上で、カメリアとコフィから『見てみたい』と頼まれたのだ。




カメリアとコフィが、真剣な目で小瓶を見つめている。

アザが消える不安はあるが、怖いもの見たさで目が離せないのだろう。


クリームを使っているナナミーだって、そうだ。

二人の揺れる気持ちは、言葉にしなくても伝わった。


「カメリアおばあちゃん、コフィお母さん。実際に私がこれから使ってみるから、見ててくださいね」


ナナミーが、ヒソ……と声をかけると、二人はコクリと小さく頷いた。


ナナミーは小瓶に手を伸ばし、慎重に蓋を開ける。

まだたっぷりと残っているクリームが、窓から差し込む光に淡く小さな輝きを見せた。


そっと指先にクリームをすくう。

それをゆっくりと手のひらで伸ばし、ペタ……と頬に押し当てた。

そのまましばらく両手で顔を包み込む。


カメリアとコフィは何も言わず、そんなナナミーを見守っていた。


やがて両手を顔から離し、プラ……プラ……と手を振って乾かす。

手のひらが乾いたことを確認して、ふう……と息をつく。


「こうやって使うんですよ」


またヒソ……と声を潜めると、二人は止めていた息をはぁ……と息を吐き出した。


「確かにすごいクリームね。ナナミーちゃんのお肌、もっとツヤツヤになったもの。……私も試してみていいかしら?」


「え……!カメリアお母さんも試してみるんですか?……じゃあ私も試してみようかしら……」


二人はクリームに興味を持ったようだ。

ナナミーがそっと二人の前に小瓶を押し出すと、二人は少しだけ指先にクリームを取り、ナナミーが伝えたように両手で顔を包んだ。


「わぁ……コフィちゃん、私なんだかツヤツヤになった気がするわ」


「カメリアお母さん、私もです」


うふふと笑う二人に、ふっと空気が緩んだ。


「それにしても、『肌に残るものは全部なかったことになる』なんて、今の美白クリームは本当にすごいのね。昔はそんなものなかったもの」


「そうですよね、カメリアお母さん。こんなにツヤツヤになれるんだもの。もし独身のころにこのクリームがあったら、絶対買ってました」


楽しそうにカメリアとコフィが笑い合う。


「効果は抜群だけど……でも今はいいかしら」


「そうですね。私も今はいいかも」


そう言ってコフィは慎重に小瓶を手に取って蓋を閉め、ナナミーに手渡した。


二人の気持ちはよく分かる。

クリームは確かにお肌をツヤツヤにしてくれるものだ。


ツヤツヤにはなりたい。

けれど、運命のつがいのアザを消してまで使いたいかと言われれば話は別だ。

そのリスクは、あまりにも大きかった。


ナナミーだってこのクリームを使い切ったら、もう使うことを止めるつもりだ。

ヒヨクの運命のつがいの証を、今は消したいと思わない。


(でももし……あのときだったら……)


小瓶を見つめながら、ナナミーは思う。


ヒヨクが鬼畜な上司だった時代に、このクリームと出会っていたら。

あのときだったら、毎日忘れずにアザに塗り込んでいただろう。


――あのころのヒヨクは、本当に鬼畜だった。


終業時間ギリギリに書類を手渡してきて、『今日はこれだけやってから帰れよ』と言ってきた。

なんなら定時を過ぎてから、『これも今日中だ』と新しい書類の束を手渡してきたこともあった。

休みの前には、『それ終わるまで休みがあると思うなよ』などと言われたこともある。


あのころヒヨクは、毎日何かしら残業を言いつけていた。

毎日、毎日、毎日、だ。


もしあのときこのクリームがあれば、鬼畜な運命を断ち切るために、心から手に入れたいと願っただろう。


昔のヒヨクを思い出したら、思わず心が沈んだ。

暗い気持ちで小瓶をじっと見つめてしまう。



「でも……もしあのとき……」


ふとカメリアが呟いた。

その声に視線を向けると、カメリアは暗い目でナナミーの持つ小瓶を見つめていた。


「あのとき……」


コフィも何か思うことがあるようだ。

小瓶に向ける目が暗い。


シン……と応接室に沈黙が落ちた。

誰も、何も言わない。




* * *



「そろそろバーベキューの用意でもしねえか?」


沈黙に耐えきれず、ヨウは口を開いた。

なるべく明るい声を出したつもりだ。


だが、誰も何も答えない。

カメリアも、愛するカメリアに似たコフィもナナミーも、小瓶を見つめたままだ。

昔を思い出すかのように、暗く遠い目をしていた。


『でも……もしあのとき……』


小瓶を見つめながら呟いた、カメリアのあの言葉。

あれはいつを思い出しているのだろう。


(あのときか……?)


若いころ、同期だったカメリアと外回りをしたとき。

あのころはカメリアが運命のつがいだと知らず、『もっと早く歩けよ。トロくせえな』と舌打ちをしたことがある。


(それとも……あのときか?)


『明日もちょっと出てこいよ』と声をかけたのは、休日前だった気がする。

『帰る前にこれ終わらせろよ』と書類を手渡したのは、終業後だったか。

いや、あれはいつものことだった気もする。


そんな美白クリームなんかで、運命のつがいのアザが消えるわけはない。

だが、つがいの証が消えることを願い、過去ならばクリームを使っただろうと考えているのだろうか。


(耐えられねえ……!!)


過去といえど、カメリアが自分とのつがいの証を消したいと願ったかもしれない。

――そんなこと、考えたくもなかった。

心臓が締め付けられるほどの息苦しさを感じた。



「今日は天気がいいし、特別に取り寄せたスルメも、最高においしく焼ける気がするぜ……?」


なるべく明るくかけたつもりの声が震えた。


カメリアも、愛するカメリアに似たコフィもナナミーも。

そしてレオードもヒヨクも、誰も何も答えない。


沈黙だけが応接室に広がっていた。



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― 新着の感想 ―
だ、男性陣も一緒にいたのですね お、おおぅ
ひぃぃぃぃぃ、過去のトラウマ…! 加害者は忘れても被害者はどんなに幸せでも絶対忘れられないのですね。対策は食べ物で釣るだけですか?三世代のあざ持ち様たち、もっと頑張って!
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