28.強え女ナナミー
「あ!」
廊下を歩いていたら、突然大きな声が聞こえた。
ナナミーの肩がビクッ!と跳ねる。
(何……?)
ドキドキと心臓が早鐘を打つ。
恐る恐る声の方向にそうっ……と顔を向けると、若い男たちがナナミーの方を見ていた。
――断食道場の説明会で見かけた参加者たちだ。
男たちがこちらを見る目は、驚いたように見開かれている。
ナナミーの背後に、何か怖いものがいるのかもしれない。
(怖い……!!)
早く逃げなくちゃ、と頭では分かっている。
男たちの驚愕の視線が、迫る危険を告げていた。
だが、男たちをあれほど驚かせる何かが、すでにナナミーの背後にいるのだ。
足の遅いナナミーが、逃げ切れるはずがない。
(諦めよう)
ここで急いだところで結果は同じだ。
潔く、危険のある運命を受け入れるしかない。
ナマケモノ族の誇りを見せて、ナナミーはぼんやりと立ち尽くした。
そこにまた大きな声が飛んだ。
「「こんにちは!」」
「「お疲れさまです!」」
男たちがナナミーに向かって、口々に挨拶をした。
その声の大きさに体が固まり、ナナミーは男たちをじっと見つめることしかできない。
(意地悪……じゃなさそう)
こちらを見る男たちの目に、嘲りの色がない。
大きな声でナナミーを脅かし、からかっているようには見えなかった。
どうやら若い彼らは、体育会系の者たちのようだ。
――『弱い者にも紳士たれあれ』
あれは建前だけのスポーツマンシップかと思っていたが、どうやら目の前の男たちは、本物の紳士の心を持ったスポーツマンのようだった。
それでも何人もの男の視線が怖くて、「こんにちは」と返そうとした言葉は、喉に張り付いて出てこなかった。
代わりに「こんにちは」の気持ちを込めて、コクリと頷く。
「「「お先に失礼します!!」」」
またひときわ大きな声で挨拶を返され、男たちは立ち去っていった。
(怖かったけど……いい子たちだったな)
彼らは、断食道場の修行に参加するくらいの者たちだ。
ここで修行を重ねて、心も体も整えられた者たちなんだろう。
どこか明るい気持ちで、またナナミーは歩き出した。
これからヒヨクが夕食を作ってくれるのだ。
(急がなきゃ)
ヒヨクに会える嬉しさで、ウキウキと心は弾んでいた。スタ……スタ……と足早に廊下を歩く。
「ナナミー」
廊下の窓をコンコンとたたかれて視線を向けると、ヒヨクが立っていた。
「あ、ヒヨク様」
「料理ができたから迎えに来たぞ」
そう言ってヒヨクは、またガタガタッ!と窓枠を外し、ヒョイとナナミーを抱え上げた。
『そろそろ夕食食うか?』と聞かれ、急いで部屋を出たが、ナナミーが廊下を歩いている間に料理は完成したらしい。
「森でスモモ見つけたから、デザートに採ってきたぞ」
「スモモ……!」
迎えに来てくれたヒヨクと、デザートのスモモに嬉しくて、思わずフフ〜ン♪と鼻歌がもれた。
スタスタと歩くヒヨクの肩越しに、外された窓枠が壁に立てかけられているのが見えた。
* * *
「うわ〜めっちゃびっくりした」
「廊下の角曲がったら、噂の人だもんな」
「思わず立ち止まったよな」
夕食を終え、ラニカがワニエルとスネイと廊下を歩いていると、以前ラニカたちに声をかけてきた若い男たちが前から歩いてきた。
どこか興奮した様子で、賑やかに話している。
「やっぱあの子、ただものじゃないよな」
「俺たちの挨拶に軽く頷いて返すなんて、強すぎんだろ」
「僕、あの子に王者の風格感じたわ」
内輪の話に盛り上がって、すれ違うラニカたちには気づかないようだった。
そのままゾロゾロと食堂に入っていく。
「若い子たちって元気ねえ」
ふふっとワニエルが笑う。
「あら?ベアゴーくんには敵わないでしょ?あの子もすごく元気じゃない」
「それに優しいし。特に、ワニエルちゃんにね」
「もう!止めてよ!」
ラニカとスネイがからかうと、ワニエルがプンと拗ねて見せた。
頬を染めながら口元を緩ませるワニエルが、とても可愛らしい。
「でも、ほんとにいいの?私たちが一緒だったら、お邪魔じゃない?」
ワニエルはベアゴーと、これから中庭で会う約束をしている。ベアゴーはまた何かを狩ってきて、食後の差し入れにしてくれるらしい。
今日はワニエルに誘われて、ラニカたちも一緒に付いて行くところだ。
「いいの。……っていうか、一緒にいてほしいの。バーベキューにはアザ持ち様たちもいるから、女の子は私一人だし緊張しちゃうのよ」
「だからお願い!」と手を合わせたワニエルに、ラニカは片眉を上げた。
「女の子一人って……ナナミーもいるでしょう?」
ラニカの言葉に、ワニエルが困ったように笑う。
「ナナミーは、ヒヨク様側のお野菜バーベキューだもの。チレッグ様とヒュー様とクリフ様は、ベアゴーくんのお肉バーベキューの方なの。ベアゴーくんは私の分を取り分けて渡してくれるんだけど、怖くてなかなかお肉が喉を通らないのよ」
「ふうん……そうなのね」
ふむ、とラニカは思案する。
チレッグたちが、ここに来ていることは知っていた。
その理由も、ベアゴーからワニエル経由で聞いている。
アザ持ちの男たちが集まるきっかけになったのは、ベアゴーが差し入れ用に狩ってきた、得体の知れない一匹の動物だった。
この森は、つい最近ヒヨクが買い取った土地だが、もともとはクリフの所有地だ。
動物の正体が分からなかったため、話を聞いたクリフが、「手放した土地とはいえ、自分の森が原因でヒヨクに迷惑をかけるわけにはいかない」と駆除を申し出たらしい。
その駆除の話を偶然聞いたチレッグとヒューも手伝いに駆けつけ、今もアザ持ちの男たちは駆除を続けている。
そして駆除の合間には、中庭で連日のようにバーベキューをしていた。
「ラニカの言ってた通りだったわ。アザ持ち様たちは、遠くから見るぶんには素敵だけど、近くにいると圧倒的なオーラに萎縮しちゃって……ほんと怖くて落ち着かないの」
腕をさすりながら話すワニエルの声が小さくなる。
アザ持ちの男たちとのバーベキューが、よほど心細かったのだろう。
「いいわよ。私たちがチレッグさんたちと話してるから、ワニエルはベアゴーくんとゆっくりしたらいいわ」
ラニカはアザ持ちの男たちを特に怖いとは思わないが、夢中になるほどの興味もない。
それでも、親友のワニエルのために一肌脱いであげようと、快く頷いた。
「……あら」
噂をすれば、アザ持ちの男――チレッグが前から歩いて来るのが見えた。
「チレッグさんじゃない。まさかチレッグさんも、断食道場の部屋を取ってるの?断食に参加してる……なんてこと、ないわよね?」
「ああ?んなわけねえだろ。ナナミーのヤツが遅えから、迎えに来てやったんだよ。アイツ、せっかくヒヨクさんが料理作ってくれたのに、待たせて迷惑かけてっからな」
チレッグはため息をつくと、やれやれといった様子で首を振る。
そのとき、窓の外に視線を向けたスネイが呟いた。
「ナナミーちゃんったら……ヒヨク様に連れ出してもらってるじゃない」
つられてラニカも外を見ると、確かに窓の外ではナナミーがヒヨクに抱えられて運ばれていた。
「……ッたく、しょうがねえヤツだな」
「ほんとにそうね」
チレッグがまた大きなため息をつく。
ラニカも同意しかなかった。
断食道場生活の間に、ナナミーを含めた女チームの絆も深めるつもりでいた。
とはいえ、瞑想修行に勤しむナナミーのプロ意識を邪魔するわけにはいかない。
だからこそ、食事の時間の他愛もないおしゃべりが、そのための貴重な時間になるはずだった。
だが――
ヒヨクが、デキる部下ナナミーの食事管理をしているので、その機会すら持てないでいた。
(ほんとにヒヨクさんって、しょうがない人ね)
ラニカはふう……と息をつく。
「ほんとしょうがねえヤツだな、オレの子分は。ヒヨクさんに迷惑かけすぎだろ」
吐き出すように呟くチレッグは、どうやらラニカとは違う相手に呆れていたらしい。
「ワニエルちゃーん!お肉焼けたよ〜!」
「あ!ベアゴーくん!今行くわ!」
そこにベアゴーの声がかかり、ワニエルがたっと駆け出した。
小さくなっていく背中は、もうラニカたちを振り返ることもない。




