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運命のつがいは鬼畜な上司  作者: 白井夢子
第四章

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25.恋と仕事


メイクの崩れを確認していたワニエルが、ふと食堂の壁に掛かった時計を見上げた。


「いけない!遅れちゃう!」


パチンと手鏡を閉じる。


昨日の別れ際、ベアゴーは『明日はお昼のデザートを差し入れするね』とワニエルに約束していた。

きっと、その時間なのだろう。


「ごめんね、私、もう行くわね」


ガタタッと音を立てて立ち上がり、足早に扉に向かって歩くワニエルに、スネイが目を細めた。


「あれは……恋ね。ワニエルちゃんったら、ベアゴーくんに恋しちゃったのね」

 

「ふふ。あんなに『推し様が心の恋人よ!』って騒いでたのに。……でも安心したわ。アザ持ちの男なんて、所詮観賞用だもの。恋したところで仕方ないのよ」


ラニカはふっと眉尻を下げた。


親友のワニエルのことを、ずっと心配していた。

遠くから眺める分には目の保養になるが、アザ持ちの男は気が荒い。


最強種族のヒョウ族であるヒヨクの隠れファンクラブに入っているだけでも、本人に知られたら危険しかない。


その上ワニエルは、毎日会社帰りにヒヨクの屋敷を拝みに通っている。

自宅とは反対方向だというのに、アザ持ちの屋敷の周りをうろつくなど正気の沙汰ではない。

そんな事実が知られたら、ただで済むとは思えなかった。


どれだけワニエルに、その危険を説いたか分からない。

けれどワニエルは、決して気持ちを曲げなかった。


『それでも、私はヒヨク様推しでいたいの。たとえ酷い目に遭ったとしても、相手がヒヨク様なら、喜んで受け入れるわ』


そう言って聞かなかったのだ。


けれど、ワニエルはベアゴーに会って変わった。

あれだけ熱狂的なヒヨクファンだったのに、ベアゴーと出会ってからは、ベアゴーの話しかしなくなった。

ようやく現実の恋に目覚めたようだ。


『私、ヒヨクさんの運命のつがいかもしれないの』と、ラニカが打ち明けたあの日。

ワニエルは『おめでとう、ラニカ。幸せになってね』と、涙目でつがい認定協会まで見送ってくれたことを、ラニカは忘れたことはない。


ワニエルは面食いだが、本当に良い子なのだ。

とても大切な、ラニカの親友だ。



「ワニエルったら、『胸が苦しいの』なんて言って、五回しかお代わりしないんだから」


ラニカはふふっと笑った。

ワニエルの席の前には、大皿が五枚積み重なっている。


「肉断ちの食事では、こんな量じゃ足りないはずなのにね」


ラニカの言葉に、スネイも皿を見ながら頷く。


「恋の力ね……。ヒヨク様ガチ勢だったワニエルちゃんが、ベアゴーくんを好きになるなんて、意外だったけど……。

でも、ちょっと分かるかも。ベアゴーくんって可愛いだけかと思ってたら、昨日あんなに大きな獲物狩ってくるんだもん。ヒヨク様の怒鳴り声にも怖がることないし……さすがクマ族の男ね」


昨日ベアゴーが差し入れに持ってきたのは、見たこともない動物だった。

やたらと体が大きくて、やたらと長い牙と爪を持っていた。

『なんか知らないの見つけちゃった〜』と楽しそうに話すベアゴーの姿は、確かに頼もしかった。


「昨日は、せっかくヒヨク様の近くに行けるチャンスだったのに、ワニエルったらベアゴーくんと話すのに夢中で、全然こっちに来ないんだもの」


ラニカの言葉にスネイがくすりと笑う。


「ワニエルちゃんって、もうベアゴーくんしか見えてないのね。でも私は……」


スネイが、スッと目を細めた。


「私はナナミーちゃんしか見えなかったわ。あのヒヨク様を前にしても、まるで動じないんだもの。ナナミーちゃんったら、ヒヨク様の信頼まで捕まえたのね。……さすが『捕獲のナナミー』だわ」


ふう、と感嘆したように息をつく。


「私、ナナミーちゃんのあの姿に痺れたわ……」


「だから言ったでしょう?あの子は仕事ができる子だって」


ナナミーの実力は、ラニカだってよく知っている。

ヒヨクの部下でなければ、今でもパルル社に引き抜きたいくらいだ。


けれど、あれほど有能な部下だ。

ヒヨクが手放すとは思えなかった。


(残念だわ……)


ラニカも、ふう、とため息を落とした。





「ねえお姉さんたち、ちょっといいかな?」


そこに声をかけてきたのは、知らない男たちだった。

ミーティング室で行われた説明会で見かけた、いかにも学生らしい若い男たちだ。


(もう、嫌になっちゃう)


「何?ナンパならお断りよ」


ラニカはよく、年下の男に誘われる。

いつものように、不埒な男たちを軽くあしらった。


「違うよ。そうじゃなくて、聞きたいことがあるんだ」


「聞きたいこと?」


「うん。ほら、お姉さんたち、説明会のときにのんびりした感じの子と一緒にいたでしょう?あの子のこと、教えてほしいんだ」


若い男たちの目当ては、どうやらナナミーらしい。

年の近そうな女を誘おうとしているのだろう。


(ふうん……)


ラニカは思案する。

ナナミーは、ラニカと同じ「恋より仕事派」の女だ。

ナンパの誘いに乗るとは思えない。


「ねえ、あの子何者なの?ただののんびりした子じゃないよね?」


「まあ……ただののんびりした子じゃないわね」


重ねて尋ねられ、ラニカは頷いた。


ナナミーは一見、とても気が弱そうに見える。

ラニカだって初対面の印象はそうだった。

けれど、一緒に仕事をするうちに、ナナミーはラニカ側の女だと気づいた。

ナナミーは、恋より仕事を選び、高みを目指す女だ。

ただののんびりした子ではない。


「あの子は、ヒヨクさんの右腕よ」


――悔しいが、ラニカの部下ではない。


「え?そうなの?」


ラニカの言葉に、男たちが目を丸くした。


「ふふ。そんなふうに見えないでしょう?でも、あの子は本当にデキル女なの」


「それにあの子はモデルよ」


ラニカに次いで、スネイが言葉を重ねた。


「え?モデル?マジで?」


目を見開き戸惑いを見せた男たちを見て、スネイが目を細めた。


「そうよ。あの子は、あのヒヨク様の部下でありながら、『ブティック・スネイ』の専属モデルも務めているの」


男たちにざわめきが広がる。


「『ブティック・スネイ』?」

「お前、知ってるか?」

「いや、聞いたことないな。新しいブランドか?」

「調べてみようぜ」


男たちの興味は、すっかり『ブティック・スネイ』へ向いていた。

その様子を見て、スネイが満足そうに目を細める。


「ふふ。……かかったわ。あとはもう少し引きつけてからね」


スネイはそう小さく呟いた。



(さすが『捕獲のスネイ』だわ……)


ラニカは感嘆の息を小さくもらす。

とても自然な流れで自身のブランド名を口にし、男たちの興味を引きつけていた。


『ブティック・スネイ』は、独立したばかりの小さなブティックだ。


だが店について調べれば、先日の新作お披露目会で、あのレオードが店の商品を気に入り、商品をすべて買い上げた事実にたどり着くだろう。


その話を知れば、店に興味を持つ者は少なくないはずだ。

今は生産が追いつかず品薄状態だが、それでも入荷を待つ客は増えるに違いない。


(断食宿泊が終わったら、スネイの店に卸すパールをすぐに手配しなくっちゃ。……忙しくなるわね)


男たちを見つめながら薄く笑うスネイもまた、自分と同じ側の女だった。



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