疑惑、そして王子がやってきた
ゲームでの主人公役が王立学院に入学していないかもしれない。そんな疑惑が浮上してから二週間がたった。
新入生名簿は学長経由で手に入れることが出来た。念のため在校生全員の名簿も貰ったのでそれも合わせて、手に入れたその晩に読んだ。眼力で穴が開くんじゃないかというほど熱心に読んだ。
だけど、『エリンシア・コード』の名前はどこにも見つけられなかった。
まあこれについては、乙女ゲームのルール上、主人公の名前は変えることが出来たから、もしかしたら『エリンシア・コード』という名前ではないのかもしれない。『エリンシア・コード』っていうのはデフォルトネームだったから。
けれど入学式の場で主人公と同じかとてもよく似た特徴を持つ子はいなかった……はず。超節穴だった可能性もまだまだ捨ててない。あと何らかの理由で欠席だった可能性も。
でも、数十年この世界で生きてきて初めて、ある疑惑が頭に浮かんだ。
ゲームの中での神竜ウルティケイアは、私という魂を持って生まれた。竜の守り人ルノルクス・ケイヘルは、悪辣なドラゴンに虐げられることなくすくすくと育った。ついでにいうと、俺様系王子もルノと幼なじみとして仲良くなっていることで、攻略対象同士の関係性に違いが生じている。他の攻略対象二人は分からないけど。
つまり、ゲーム通りの人生を歩んでいないのは私たち以外にいっぱいいるのではないか。
要するに何かしらの要因で、主人公・エリンシアが攻略対象達に出会わない世界になっている可能性はないのか。エリンシアがいなくともゲームのような展開になる可能性も。
「うああ……そういうこともあるのか……」
正直全く考えてなかった。これじゃあ幸せになる難易度が爆上がりするんじゃないの!? やばい。やばい、お馬鹿ですよウルティケイア。
「ウルティどうした。寝っ転がってじたばたするなんて。具合でも悪い?」
「なーんか変なものでも食べちゃったー?」
「具合悪いのは食べ物以外にも原因があるのではとは思わないのか、ヒャエカ」
「思ったけどー。でもウルティが悩んだりするときってだーいたいお菓子のことじゃーない?」
「あっ、あー、大丈夫。心配ありがとね、マチルダ、ヒャエカ」
悩みすぎて、マチルダとヒャエカ二人の気配に気がついていなかった。ふよふよと目の前で浮遊する二人。軽口でありながらも顔は心配そうだ。ごめん。
私は眉間のシワを前足でほぐす。時間もいつの間にかお茶の時間を過ぎていた。
マチルダはヒャエカと同じく私の幼なじみの精霊。少女の姿をした木の精霊である。しっかりもののマチルダ、おっとりしたヒャエカの二人は私のサポートをしてくれているのだ。
「ウルティ。そろそろルノ坊が帰ってくるぞ」
「あ、そうだね。教えてくれてありがとマチルダ」
そう返事をして前足を立てたとき、転移魔法が発動した気配を感じた。噂をすれば何とやらルノのお帰りだ。
「ただいまウルティ、ヒャエカ、マチルダ」
軽く手を挙げ挨拶するルノ。近寄る彼に私たちはおかえりと返す。
「はい、これ頼まれてたお菓子」
「おー! ありがとう」
ルノの鞄から出て来たのはクッキー。これは明日は精霊たちとお茶会なので、その目玉としてお使いを頼んでいたんだった。
「あとは大きいおまけが一つ」
「おまけと言うなよ。こんにちは、ウルティさん」
ルノの後ろから歩いてきたのは一人の男子。オールバックの金髪が太陽を浴びて一層輝く様は何だかきれいで見てしまう。何度も見ているのに。流石のイケメンである。
彼の名前はリーンハルト・マリアン・シエラリス・シャイン=ケイテアシュテート。この国の第二王子。王立学院ではルノの同級生かつ幼なじみにあたる。
--そして忘れてはならない。彼はゲームにおける攻略対象のひとりだ。俺様系王子である。
「こんにちはー。二ヶ月ぶりかな? リーンくん。元気?」
「元気です。ウルティさんも変わりなさそうで。ああこれ、お土産です」
人懐っこい笑みを浮かべる王子。差し出された黒い紙袋の中には、チョコケーキの箱が入っていた。王室御用達として有名なお店の、一番人気のケーキ。いやー嬉しいね。
「ありがとう! みんなで食べようか。ヒャエカとマチルダ、お茶の準備を手伝ってもらっても? リーンくんもどう?」
「いいえお構いなく。ルノと一緒に課題する事になって、その話し合いをここでやろうとなっただけなので」
「せっかくの誘いを断る気? このとさか頭」
少しばかり冷めた目で隣のリーンくんを見るルノ。
「とさかと言うな、とさかと。せめてたてがみと言え」
動物に例えられるのはいいんだ、リーンくん。
「でも折角なので、頂きます。お邪魔します」
「いいえいいえ、どうぞどうぞ」
私は指を一振り。テーブルクロスの敷かれたテーブルにふかふかクッションのついた椅子を出す。
「初めからそうするつもりだったのにね、リーン。ケーキ選ぶとき『俺はこれが食べたい』って言っていたのに」
「ちょ、それを言うなよルノ。恥ずかしい」
なにやら軽口言い合う二人を横目に私とヒャエカ、マチルダ、それと他の小さな精霊たちはお茶の準備を進めていく。
ふと思う。王子の運命も、ヒロイン不在疑惑の中、ゲームとはかけ離れていくものになるのだろうか。そもそも、王子の個別エンディングって、ウルティケイアとルノの運命、特に生き死にに関係するものってあっただろうか。
……今晩、ゲームの知識を振り返る時間をがっつり作ったほうがよさそうだ。そのために今は頭の糖分補給をしっかり行おう。
「ウルティさん、ケーキどれくらいの大きさに切ればいいですか?」
「出来るだけおっきく!」
リーンくんが聞いてきたので元気に返事する。……あ、そういえば。
「リーンくん。私に対しては敬語なくて言いんだよ? 女神の血を引く王家と神竜は同格なんだから」
「血筋で同格というより先に、私にとっては友人の母であるということが重要なので」
リーン王子は快活に笑ったのだった。
ちなみに、ケーキは半分ほどいただきました。