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西方水滸伝 セラデラヴェラ戦記  作者: 瓶八
第一章 ペニヒの重み
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1-6 イン川に架かる橋







イムストのふかふかのベッドで夢のような夜を過ごした翌日。ヘニョと5匹の豚たちは、いよいよ大公レオポルト三世のおわす大都会「インスブルック」への最後の行程を歩いていた。


広く雄大になったイン川の流れに沿ってズンズン進むにつれ、すれ違う旅人の服がどんどんきれいなものに変わり、見たこともない飾り付きの馬車や四頭立てのランプ付きの馬車が何台もヘニョたちを追い抜いていく。


そして、この日の昼下がり。ヘニョの目に、遠く巨大な構造物が飛び込んできた。

「絶対あれだ……。大きな街がふたつある……!」

広くなったイン川を挟むようにその両岸に、高い壁で覆われた街がふたつ。その間を何本も橋が渡っていた。今日の目的地がこんな時間に見えたのははじめてだった。


でーんとしたインスブルックの城門は、ランデックの木造ゲートやイムストの開放的な街道とは、格が違った。天を突くようなするどい尖塔、びっしりと武装して目を光らせるハプスブルクの衛兵たち。

普段のヘニョならばここで気圧され、お腹に隠したヤックライン隊長の「おてがみ」をギュッと握っていたことだろう。


けれど今この極貧農奴豚飼い少年ヘニョは、無敵モードだった。イムストで食べた夕食と眠ったベッドがヘニョに自信を与えていた。王公貴族何するものぞ、という誇り高い気持ちと、堂々とした足取りで門番の前に進み出た。しかし、鎧を着た巨漢の門番がヘニョと豚の群れを不審そうに睨みつけ、冷酷な現実を突きつけてきた。


「おい小僧、入街税だ。徒歩の人間が1ペニヒ。それから……肥えた豚が5匹で10ペニヒ。合わせて11ペニヒだ。払えないなら失せろ」

「じゅういちペニヒ……!?」

ヘニョは心臓が止まりそうになった。


11ペニヒ。彼が五年間、生きる楽しみのすべてを犠牲にして血の滲むような思いで貯めてきた全財産(15ペニヒ)の、ほとんどすべてが、ただ「都会の門をくぐるだけ」で一瞬で消し飛ぶというのだ。これが農奴身分の過酷さであり、持たざる者を容赦なく踏み潰す世界のシステム(税)の壁だった。


落書きと引き換えにむしり取られた1ペニヒ、イムストのベッドに消えた2ペニヒ。街道で買って少しずつ食べていたパン1ペニヒ、ヘニョのポケットの私有財産はもはや11ペニヒしかなく、ここでインスブルックに入ったら、ポケットはからっぽになる。


貯金が消滅する恐怖と絶望のパニックのなか、ヘニョはヤックライン隊長に言われたアドバイスを天啓のように思い出し、ここかな?と思った。


「ま、待ってください! ぼくは怪しい農奴じゃありません! インスブルックの市場に、この豚たちを売りにきた、立派な商人なんです!」


ハッタリだった。でもヤックライン隊長がヘニョに授けた知恵は、このためのものかもと思った。これで許してもらえると思った。だが、大都会の大いなる経済システム(強制市場権)は、さらにたちの悪い牙を剥いた。

「ほう、商人か! だったら話は別だ」

門番がニヤリと笑って分厚い帳簿を開く。

やった……!とヘニョは思った。だが、甘い。


「このインスブルックに入った商人の家畜は、すべて都市の特権法に基づき、即座に中央市場の競り(オークション)へ強制登録される。おい、今すぐこの5頭の個体識別票を書いて競り場に連れていけ! 登録手数料は、売上からさらに5ペニヒ天引きだ!」


これじゃなかった。



◯



「ええっ!? せ、せり!? オークション!?」

ヘニョはびっくり仰天して、パニックモードに突入した。

「売らないよ! ハムは売らないよ! ピンクもベーコンも売るわけないじゃないか!」

ハッタリのせいで、本当にハムたちが合法的にドナドナ(強制売却)されそうになり、ヘニョは半泣きで「ハムーーー!!」と豚を抱きしめて門前で動かなくなった。

「おい、このガキ列を詰まらせてる、詰所から、兵を呼べ!」

めんどくさくなった衛兵たちが剣を抜きかける絶体絶命の瞬間だった。


ヤックライン隊長の教えに裏切られたヘニョには、もうザンクト・アントンしか残されていなかった。助けを求め、すがるような思いで、アガタお姉さんに描いてもらった左手の『豚飼いの紋章』を、青い空へ向かって高くつきだした。


「豚飼いの紋章!我に力を!!ザンクトアントン!我に力を!!我に力を!!」


ひどい取り乱しようだった。

しかも、その急に掲げられた最初の拳がヘニョを豚から剥がそうとちょうどかがんだところだった衛兵ひとりの顎にクリティカルに突き込まれていた。

もちろん、赤土の絵に魔法の力なんてない。しかし、ヘニョが勢いよく衛兵を殴り、その後も何度も天に左手を突きだしてたおかげで、お腹の腹巻きに大事に挟んでいたヤックライン隊長の、あの「手触りがすべすべして、大人っぽいにおいのする書状」が、門番の目の前にぱたりと滑り落ちた。

あ、と、それを拾い上げ、裏返し、厳重な蝋封の紋章を見た門番の顔色が、一瞬で変わった。

「……待て。これはアールベルクの城代、ヤックライン・ウーバーリンの紋章印……!? お前、あのカタブツ騎士の使いか?」

「はい! 隊長のおてがみです!」

ヘニョの顔は涙と鼻水でグシャグシャだった。

門番は呆れたように頭を掻いた。

「なんだ、最初からそれを出せ。ヤックラインの推薦状持ちなら、大公殿下の宮廷への直行使者だ。入街税の11ペニヒも、強制市場への登録もすべて免除だ。通りな、おチビちゃん」

ゴゴゴと開く、絢爛たる大都会の城門。ヘニョはペニヒ袋を抱きしめ、ポケットの11ペニヒを握りこみ、九死に一生を得て街へと滑り込んだ。



◯



宮殿の豪華な謁見の間で、大公レオポルト三世は、ヘニョと五匹の豚たちを見るなり、再びお腹を抱えて大爆笑した。

「わははは! 豚を引き連れてここまで来たのか、ヘンリク! さすがだな!」

ヘニョの「仕事を放棄できないので豚を連れて三日三晩歩いてきた」という言い分の、向こう見ずさと純粋さが、この最高権力者の心を愉快にさせていた。

「気が利かなくてすまなかったな、ヘンリク!今書いてやるから、許せよ」

大公はその場で、書記官を呼んで、本物の『アールベルク峠の山小屋建設特許状(公文書)』を書かせてヘニョに授与してくれた。


「やった……!やりました!ヤックライン隊長……!」

公文書を抱きしめてまばたきするヘニョ。

すると大粒の涙がいくつもぽたんぽたんと落ちてきて、大人たちは慌ててヘニョから公文書をとりあげた。

能天気な上に幸運続きに見えるヘニョにも人並みに辛かったことや恐ろしかったことがあったのだ。


公式な拝謁のあと、大公レオポルト三世は、私的にヘニョを連れて宮廷のバルコニーへ出た。眼下には、インスブルックの街の象徴である、イン川に架かる無数の橋が見える。

あの街はなんというんですか?と対岸を指すヘニョは、あれもインスブルックだ、と笑われて目を丸くした。

大公は、手すりにもたれかかりながら、ヘニョの頭を大きな手で撫で、それから川にかかる橋のひとつを指差した。

「ヘンリク、あの橋のたもとの礎石を見てみろ。たくさんの名前が刻まれているだろう」

「なまえ……?見えません」

「そうか。あの橋はな、一人の偉い金持ちや、わしのような大公が作ったのではない。この街の人間たちが、誰かのため、子孫のために、少しずつお金と力を出し合って、皆で架けた橋なのだ。この街の橋は全てそうなのだ」

ヘニョは「知りませんでした」と言って、ご、ろく、なな、はち、と橋を数え始めた。大公は、ヘニョの純粋な瞳を見つめ、静かに笑った。

「お前が15ペニヒを握りしめて、峠に山小屋を建てて死にそうな人を救いたいと言った時、わしはあの橋を思い出した。お前のやろうとしていることは、あの橋と同じだ。多くの人間の想いを繋ぎ合わせて、絶望の谷に架ける『希望(アジール)』だ。ヘンリク、誇りを持って、その山小屋を建てろ。いつかそこで美味いビールを奢ってもらうのを、楽しみにしているぞ」

「はい! 大公さま!」

ヘニョは元気に返事をした。


大公お墨付きの公文書という、これ以上ない最強の武器を手にしたヘニョと豚たちは、歓喜と希望に満ち溢れ、アールベルク峠への帰路についた。


(第1章・中編 / 完。後編へ続く!)








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