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西方水滸伝 セラデラヴェラ戦記  作者: 瓶八
第四章 紋章簿ツアー 雲雀の詩
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4m-4









身をくねらせる大きな蛇に、裸の男が丸飲みにされかけている。


その恐ろしくも美しい紋章が、一本の絵筆によって羊皮紙の上へ瞬く間に描き上げられていった。


絵筆を握るのは、若い女の白い指。


その筆運びは極めて繊細で迷いがない。


大蛇の鱗には、ラピスラズリから抽出した、金よりも高価な青色の絵の具が、惜しげもなく使われていた。


「うわあ! こ、怖い!!」


紋章簿のページを覗き込んだヘニョが、目をぎゅっとつぶって、のけぞった。


「お静かに、ヘンリク様」


すぐさま、脇に控える書記官ヴェーバーが低い声で窘める。申し訳ありませんという表情を作り、部屋の上座へと目線を送った。


「あら、いいのよ、可愛い坊や。私も小さいときには怖がったものだわ」


上座の椅子から、山吹色と黒のドレスに身を包んだ高貴な未亡人――ヴィリディスが、慈愛に満ちた微笑みをヘニョに向けた。

広い額に、一粒の赤い宝石を繋いだ金の鎖が輝いている。


すかさず、紋章官ヘラルドが、かしこまりながらヘニョに説明する。


「ヘンリク様、この紋章はヴィリディス様のご実家、ミラノの高貴なるヴィスコンティ家の『ビショーネ(大蛇)』です。不浄の者を噛み砕き、一族の絶対的な権力を示す最高に格好いい紋章なんです!」


「ふじょうのもの……」


「できたわ」


二人の会話を余所に、若い女絵師ルチアがフッと筆を引き、満足そうに唇の端を引き上げた。金色の羊皮紙の上には、鮮烈な青を纏った大蛇が、まるで生きているかのように妖しくとぐろを組み、恐ろしい視線を飲み込む男に向けている。


ここはインスブルック中央広場(シュタットプラッツ)に面した、石造りの立派な建物の二階。武術大会を一望できるバルコニー付きの、ハプスブルク家専用の特設控え室である。


絨毯とタペストリー、そしていくつものソファと花瓶が置かれた豪奢な室内は、戦死や婚約破棄の重い不幸の中にありながら、意外にも温かな家庭の会話が満ちていた。


「ねえ、ヴィルヘルム兄ちゃん、剣の稽古しようよ! 退屈で死にそうだよ!」

そう言って、十歳の三男エルンストが、木剣をブンブンと振り回す。


「駄目だ、エル」

長男ヴィルヘルムは、短い言葉で突き放した。


「これから父上の追悼式典がある。汗をかくな」

だがその声に冷たさはなく、何人もの弟がいる兄特有の、ツボを押さえて従わせる、手慣れた調子が混じっていた。


「ちぇっ、兄ちゃんのケチ! ……じゃあデブポルト! 俺と勝負しろ!」


エルンストは次に、十五歳の次男レオポルトの、丸々と肥えた腹を木剣でツンツンと突いた。


「え〜、やだよエル。僕は式典後のカツレツを美味しく食べるために、今は体力を温存してるんだから〜」


のんびり屋のレオポルトは、挑発には全く乗らない。巨大な肉のクッションのように木剣のツンツンを弾き返しながら、全く相手になってくれない。


「使えないなぁ! ……おい、フリー! 剣を取れ! 俺が稽古をつけてやる!」


最後に、部屋の隅にいた一番下の弟に木剣を投げつけ、腰からもう一本の木剣を引き抜く。エルンストは二刀流に憧れていたので、常に二本差しだった。


「う、うぅぅ……」

四男フリードリヒは、純白の百合の花びらのような小さなマントを揺らし、静かに泣き出してしまった。投げられた剣にびっくりしてしまったのだ。五歳児なので無理からぬことだった。


「あーもう! どいつもこいつも、へなちょこばっかりだ!」


フラストレーションを爆発させたエルンストの猛獣のような視線が、部屋の壁際でニコニコと兄弟のやり取りを眺めていた暇そうな少年――ヘニョを捉えた。


「よし、お前だ! アールベルクのヘンリク! お前、父上に可愛がられて峠をもらったんだろ? たくさんの大人を家来にしてるんだろ? 腹立たしいから俺と勝負しろ!」


「えっ、ぼく!? け、けらい!? ぼく、剣なんて握ったことないよ?」

「問答無用! ほら、これを持て!」


フリードリヒの足元から拾った木剣を強引に握らされ、ヘニョは「うわわ、重いなぁ」と不格好に両手で構えた。


「いくぞっ、はぁーー!!」


十歳とはいえ、身のこなしは本格的なエルンスト。力強い踏み込みから放たれた一撃が、へっぴり腰のヘニョの木剣を容赦なく弾き飛ばす。


「うわあぁっ!?」


ヘニョは手のひらへの重い衝撃に驚いて、完全にバランスを崩し、派手に尻餅をついて床を転がった。


「……なんだよ。よわっ」


エルンストは木剣を首の後ろに担ぎ、つまらなそうに口を尖らせた。


「父上がわざわざ直訴を受け入れたって言うから期待したのに、ただの雑魚じゃんか。つまんねーの」


だが、床にへたり込んだヘニョは、痛がるどころか、その瞳を尊敬に輝かせてエルンストを見上げていた。


「すごーーいっ!! エル君、すっごく強いんだね!! ぼく、何が起きたか全然見えなかったよ! 」


「……?」


エルンストの動きが、はた、と止まった。

自分への称賛は聞き慣れている。

聞き慣れているがゆえに、目の前の年上の少年の言葉の、少しの違いを正確に聞き取れていた。

負けた悔しさや、お世辞や、計算、侮辱への怒りや、教育の意図がない。

複雑な思考や葛藤が混じらない尊敬の気持ち。

まるで年下の子供が年上の子供に向けるような素直な感情を、「こうなりたい」という憧れのような感情として、この公子は、受信してしまった。


「ふ、ふん……! まあな! 俺は毎日、ハプスブルクの厳しい騎士たちを相手に稽古してるんだから、これくらい当然だろ!」


エルンストは、この程度の称賛など、どうということもない、という姿勢を崩さないが、その言葉尻はどこか弾んでいた。


鼻の下を指でこすりながら、口元が嬉しさでニヤニヤと緩むのを必死で堪えている。


誰が見ても、完全に「まんざらでもない顔」だった。


「よし、お前気に入った! 兄貴たちが遊んでくれない間、お前を俺の特属の『殴られ役の家来』に任命してやる!」


「あはは、 家来かぁ。よろしくね、エル君!」


「おい! 主君にエル君はやめろ! エルンスト様な!」


「よろしくね! エルンスト様!」


ヘニョは、十歳公子に怒られながら、本当に嬉しそうに笑って立ち上がるのだった。



◯



「お前は弱いからな! 今から俺が直々に鍛えてやる!」


さっきまで嬉しそうにしてた顔はどこへやら、レオポルト三世の三男エルンストは、厳しい剣術師範の顔でヘニョの胸をドン殴った。

「えっ、鍛えるって、ぼく――うわあぁっ!?」


断る暇などなかった。

活動的な少年の、旺盛すぎるエネルギーが、そのまま木剣となってヘニョに襲いかかる。

手加減という言葉を知らない荒々しい十歳児の全力連撃により、不格好に木剣を構えたヘニョは、控え室の床の上で文字通りメタメタに転がされることになった。


だが、「エル、行くわよ」という母親の声に呼ばれて駆けてゆき、式典を終えて戻ってきて、広場で「はじめ!」の号令がかかり、本格的に武術大会の試合が始まると、エルンストはヘニョのことなど綺麗さっぱり忘れて、バルコニーに入り浸った。


「おいデブポルト! どけ! 俺に特等席を譲れ!」

「え〜、押さないでよエル〜。手すりに食い込むじゃないか〜」


嵐のように去っていったハプスブルクの子供たちの背中を見送りながら、ヘニョは「あはは、強かったなぁ……」と、体中の痛みに顔をしかめて床にへたり込んだ。


「……おい、ヘニョ。お前、我がアジールの最高指導者でありながら、今日だけで十歳児に四度も床を這わされたな」


先ほどまで部屋の隅でヴィリディス夫人の侍女と何かを話し込んでいたタデクが、完全な死んだ目でヘニョを見下ろした。


「うぅ、面目ないよタデクさん……。エル君、強くて」


「転がっている暇があるなら、外の救護テントへ行ってこい。その顔の擦り傷は、我がアジールの『神聖なイメージ』を損なう。せめて手当てを受けておけ」


かくしてヘニョは、インスブルックの中央広場に特設された、レオポルト三世追悼武術大会・救護テントの「最初の利用者」となるのだった。



◯



「あーらら。ずいぶんと派手に転がされた、小さな剣士様だこと」


白布で仕切られた救護テントの中の一室。ツンとした酢と薬草の匂いが漂う空間で、ヘニョを椅子に座らせたのは、腕捲りをした立派な髭の男だった。黄色のエプロンにはうっすらと、何かの跡が茶色く染み付いている。


「あの、ぼく。剣士じゃなくて、ただのヘニョです」

「そうかそうか、ただのヘニョ。俺はただのゼーリヒだ。ちょっと染みるぞ、じっとしていろ」


ゼーリヒと名乗った男の大きな手が、薬液に浸したリネンの布でヘニョの頬の擦り傷を容赦なく拭う。「痛っ!」と声を漏らすヘニョに遠慮することなく乱暴に腕を取り、男は慣れた手つきで骨のズレがないかを確かめると、打ち身だらけのそこへ素早く包帯を巻き始めた。


ヘニョはその無駄のない手つきと、まるで魔法のように飛んでいく包帯を交互に見つめた。


「わあ……すごいです。どうやるんですか? ぼく、いつもゴワゴワしちゃって、うまくできなくて」


「あん? お前、自分でお手当てをするのか? ははん、さては小姓か従卒か。そんなとこだろ。『兄さん方』に痛め付けられたか、わはは」


理髪外科医は手を止めることなく、軽々と雑談に応じた。

ヘニョは小さく首を振り、何といったら良いのか考えて、救護テントの天井をうーん、と見つめた。


「ええと。ぼく、アールベルクの峠のてっぺんで、小さな山小屋を作ったんです。そこで、吹雪のなかで行き倒れちゃった旅人のみんなを助けるんです。……でも、助けるけど、死んじゃう人もいるんです。せっかく小屋まで運んだのに、ぼくが手当てのやり方を知らないから、助からない人がいて。――ゼーリヒさん、それ、どうやったら助けられますか」


少年の口から突然語られ始める、あまりにも重い山の現実。


しかし、血にまみれた人間の不幸を日々淡々と処理してきた理髪外科医(バディール)の男は、ヘニョのまっすぐな問いに対して、平然と言葉を返す。


「……死んじまう奴は、どうやったって死ぬ。それが、戦場の理で、人の定めだ。だがな、小僧」


男は新しい包帯を戸棚から取り出して、今度はヘニョの足に巻いて行く。


「骨が折れたら真っ直ぐ固定する。血が吹き出たら、親指の骨で肉ごと潰すように圧迫する。これだけできりゃ、山の冷たい風の中でも、少しの奇跡に繋がるかもな。覚えておくといい、ただのヘニョ」


「はい! ただのゼーリヒさん!」



◯




中央広場に撒かれた砂の上に、鉄と鉄が激突する凄まじい衝撃音が響き渡っていた。


「前大公レオポルト三世追悼」の名のもとに集まったのは、チロル内外から馳せ参じた六十名に及ぶ猛者たちである。


救護テントから出たヘニョは、紋章官ヘラルドの背中を見つけて、その横に立った。


背中の重そうな紋章図鑑をものともせず、元気なヘラルドのテンションは一戦目から最高潮に達していた。


「あ、ヘンリク様! 見てください! 開幕戦は地元インスブルックの有力騎士たちです!

まずペルネッカー家! 紋章は『銀地に黒の立ち上がる獅子』! どっしりとした伝統的な盾構えから放つカウンターが特徴です!

対するは『色違い』のホッフェンブルク家と、『赤地に金の魚の骨』のグラドナー家! 地元の意地を見せる力強いインファイトですが、お互いに手の内を知り尽くしすぎて膠着状態ですね。

あぁっ、そこへ割り込んできたのはツェラタール谷の『強盗騎士』たちですね! 紋章をわざと泥で汚して隠していますが、あの荒々しい大槌の振り回し方、完全に野盗のそれですよ!」


「ごうとうきし……。ヘラルド君、あっちのキラキラした人たちは?」

ヘニョが砂煙の向こう、ひときわ優雅に身を翻す一団を指差す。


「あれこそハプスブルクの直参、華麗なる宮廷騎士たちです!

そして今回の優勝候補筆頭、ウイーンからやってきたヴァルゼー家!『黒地に銀の一文字』!戦場で出会ったら誰もが震え上がる盾です。

そして見てください、兜から背中へ流れる見事な『ウイーン三つ編み(ツォップフ)』の飾り紐を!」


「アルブレヒトの大公さまとお揃いだね」


「さすがです、ヘンリク様。殿下は自分の騎士団員に三つ編みをさせてるんですよ。ヴァルゼーの騎士の実力は、三つ編み騎士団の中でもトップクラスですよ。ほら、盾を排した両手長剣の構えから、鞭のようにしなる斬撃を繰り出しています。一切の無駄がない、あれが宮廷の最新剣術です! こんな田舎の武術大会でも、手の内を明かすんですねえ」


「うわあ、三つ編みがヒラヒラしてて格好いいね!」


「そうですね! そして、あのヴァルゼーの猛攻を真っ向から受け止めているのが、『黒地に三つの金のアントラー(鹿の角)』ヴュルテンベルク家の騎士です!シュヴァーベンから来たんですねえ。わーお! その向こうにいらっしゃるの、ブレゲンツ当主にして、白い猟犬騎士団のトップ騎士、そして人気のミンネジンガー(宮廷詩人)でもある、ヒューゴー・モントフォール様ですよ!」


「やあやあ、麗しきヴィリディス夫人! そして未来の英雄たち! 今日も私の詩のように冴え渡る剣戟をご覧あれ!」


バルコニーに向かって何度もポーズを決め、愛剣を掲げて歌うように戦うヒューゴー。軽薄な戦いぶりとは裏腹に、その盾に刻まれた『赤い教会旗』の紋章には、幾筋もの生々しい傷跡がある。エルンストが「ヒューゴーの目立ちたがり屋! 歌ってないでさっさと叩き落とせ!」とバルコニーから野次を飛ばしている。


ヘニョは「あれ?あのおじさん、ブルーデンツの焼肉屋で歌ってた人かも?」と首をかしげる。

「そんなわけがないでしょう」と笑いながら、ヘラルドはさらに興奮して身を乗り出した。


「ですがヘンリク様、今回のトーナメントの収穫は、シュタイアーマルクから大挙して押し寄せてきた東の騎士たちです。

ペッタウ家にカプフェンシュタイン、そしてムラウ系のリヒテンシュタイン家。彼らは、ウイーンの大会ではあまり見ないので、個人的に嬉しいです。

……あぁっ! そして来ました、 ツィリ家の重騎士です! 青地に三つの黄金の六芒星! 鎧の隙間を容赦なく狙う、極めて冷酷な突き技(エスタック)の使い手と聞きますが、僕は初めて見ます!」


ヘラルドがツィリの騎士の試合を見ようと首を伸ばしたとき、近くで新しい試合が始まった。


「第一試合! ヴェルナー・フォン・ヒッパハ、対するは、クリッツ・メートヒェン!」


「メートヒェン(お嬢ちゃん)? どこの女子修道院からやってきたんだい!」


「スカートの代わりにブリガンティンを穿いてきたのかい、ハハハ!」


「審判! 俺は騎士と戦いにきたのであって、迷子のお嬢ちゃんを痛めつけにきたわけじゃないぞ!」


冗談に観衆がどっと湧く。

祝祭の無礼講の雰囲気の中、それでもやや下品が過ぎる騎士たちの、心ない嘲笑を浴びながら、擦りきれたブリガンタインを纏った少年剣士が、静かにその長剣を引き抜く。


「審判! メートヒェン(お嬢ちゃん)ではなく、メトへーフェンです」


「失礼した、メトヘーヒェン殿! 両者構え! はじめ!」


ドン、という鈍い音と共に、嘲笑していた大男の巨体が石畳に転がった。少年剣士クリッツの剣は、敵の鉄兜と鉄鎧の間にピタリと制止していた。


「勝者! クリッツ・メートヒェン!!!」


(呼び方、なおってない!)


ヘニョの心の突っ込みをよそに、今度は仲間に野次られるのは巨体剣士の方だった。


クリッツが助け起こそうと伸ばした手を無視し、敗れ去った男は「くそが」と毒づく。


「すごいねえ! あの人強いねえ!」

ヘニョが歓声を上げる。

「あの細い体で、うまく長剣を扱いますね。なかなかの巧者です」

ヘラルドも太鼓判を押した。



「そこまでです。二人ともテントへ。タデクさんがお怒りですよ」


ヴェーバーに首根っこを押さえつけられ、興奮の最中にあったヘニョとヘラルドは、後ろ髪を引かれる思いで、聖クリストフ兄弟団の特設天幕に入っていった。



◯



聖クリストフ兄弟団に割り当てられたテントは、救護テントと同じ作りの、正十二角形の円形天幕だった。

ただし、救護テントが清潔な白の布で作られていたのに対し、ヘニョたちのテントは、水色と黄色の布を交互に張られて作られており、会場のお祭り気分を盛り上げていた。


「お前たちの仕事は、顧客の接待だ。つまり、寄付を迷ってる騎士に話しかけ、寄付させろ。以上だ」


ヘニョとヘラルドが、二十人か三十人もの騎士をかきわけ、やっとタデクの元にたどり着いたとき、タデクはそれだけ言ってテントを出ていった。


騎士たちの間を少し歩いただけで、ヘニョは色々な会話を聞いた。

ハプスブルク家の紋章簿に名前を連ねると仕官が通るという話を聞いた。

外国から来たのに寄付をしない騎士は諜報活動中なのではないかという話も聞いた。

そうした噂のせいなのか、騎士たちはこぞって、紋章簿に名前を書いてもらおうとしていた。


「並んで、並んで!押さないでください!」

「すごい盛況ですね」


ヘニョは、お話するの必要なのかな?と疑問に思いながら、見よう見まねで列を揃えて、話しかけられたら元気に返事をしていた。「はい!」と「わからないです!」しか言えなかった。


ルチアは騎士たちに人気だった。


「君のために戦うから次の試合見てほしい!」

「無理!どこに目つけてんのよ!抜けられるわけないでしょうが!」


「君のために歌うから聞いてほしい!」

「無理!邪魔!線が乱れる!」


派手なドレスを着た若い女を、天幕の外から見える位置に据えるというタデクの作戦は、女っ気のない武術大会会場において、成功をおさめていた。


しまいには、あまりの煩わしさに、「美しさって罪ね」と言いながら、目出し覆面をかぶり始めるルチアだったが、若い女の手指や胸元は露わなままだったので、かえって話題を呼び、人を呼んでいた。


紋章官ヘラルドは、明るい笑顔で会話の輪に入り込み、紋章の話題や騎士トーナメントの話題、戦争の話題を大興奮で盛り上げるので、騎士たちに人気だった。


ヘニョは、たくさんの人が募金をくれて、紋章簿に描かれた紋章に喜んでいるのを見て、嬉しくてニコニコしていた。


でも、ヘニョはヘラルドと違い、知識も技術もなく、騎士たちの会話に割り込むのは難しかった。


大きな騎士たちの足元をおろおろしていると、レオポルト三世が戦死したというツェンパハの戦いの噂を聞いた。


「600人の農民に、6000のハプスブルク軍が壊滅したそうだ」

「死者二千というからな」

「騙し撃ちにあったんだろう。汚い農民め」

「おかげで俺たちにもお鉢が回ってきたわけさ」


たくさんの騎士さまがちょっとの農民に負ける?

それって普通なのかな?

ヘニョは、あの強そうなレオポルト三世とピカピカの馬の騎士たちがそんな負け方をする戦争のイメージが、全く持てなかった。


騎士たちは入れ替わり立ち替わり、天幕を出入りしたが、列は自然と乱れないようになり、騎士同士がしきりに情報交換に忙しいので、ヘニョは暇になっていた。


そのため、いつのまにか仕事中という意識が薄れてしまい、天幕の外から「クリッツ・メートヒェン!」という声が聞こえたとき、「あ、さっきの人だ!」と、観戦に出て行ってしまった。




◯




クリッツは、青地に三つの金の星――ツィリ家の重騎士と、対峙していた。


クリッツの砂色のシャツも古びた鼠色のブリガンタインも、ツィリ家の立派な鎧に比べると、とてもみすぼらしく見える。だがその確かな足運びは、ツィリ家の重騎士の突きの軌道を完全に先回りしていた。


無駄のない足さばきと見切りで重装甲の突進をかわし、相手が突き出した腕の肘関節の裏側へ、長剣の刃を引っかけるようにして引き落とす。


さらに姿勢を崩した重騎士のフルプレートの隙間――脇の下の防護が薄いリベットの繋ぎ目へ、クリッツの剣先が吸い込まれ、そこでピタリと静止した。


「勝負あり(インツ・ゲフェヒト)!」


ヘニョはクリッツが勝ったと思った。


しかし。


ツィリ家の重騎士は、静止したクリッツの剣を無視するように、遅れて自身の大剣を強引に振り下ろした。ヘニョは知らないことだが、すでに制圧されたあとの、ツィリ家の騎士の動きは、明確なルール違反、危険行為だった。


クリッツは咄嗟に刃を戻してその一撃を受け流し、流れるように足をかけて重騎士の巨体を砂の上に倒し、再びその喉元へ剣先を突き付けた。


クリッツ・メトヘーヒェンは、二度、対戦相手を鮮やかに仕留めた。


(かっこいい!)


ヘニョは、やっぱりクリッツの勝ちだと思った。


だが、上座の審判席に座る一人の紋章官は、右手を挙げた。


「──勝者! ツィリ家の重騎士!」


クリッツは、砂に寝ているツィリ家の重騎士に手を貸して助け起こすと、対戦相手と審判に対し、表情ひとつ変えずに一礼した。そして、観衆の中に、すうっと消えていった。








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