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西方水滸伝 セラデラヴェラ戦記  作者: 瓶八
第四章 紋章簿ツアー 雲雀の詩
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4m-5










武術大会が終わり、夕闇が押し寄せ始めたインスブルック中央広場(シュタットプラッツ)。表彰台も片付けられ、見物客の喧騒は去り、天幕はどこかへ運び去られ、広場を囲む建物の窓には蝋燭の明かりが灯り始めている。


そんな会場跡地の片隅に、傾いた西日に照らされながら、最後までぽつんと居残っているひとつの人影があった。

木箱に腰かけるのは、若き剣士クリッツ・メトへーフェン。古いブリガンタインを着て、屋台や人形劇の舞台が畳まれるのを眺めている。

そこへ、緑のマントをひらひらさせながら、トコトコと歩み寄る一人の少年。

その後ろには、広がる髪をなびかせながらあくびをする男と、立派な金具止め付きの『紋章簿』を抱えた男、淡い色のドレスを夕日に染めた女、上質な黒いローブをひらめかせ美しく歩く男が続いていた。


声をかけたのは、先頭の少年だった。

「すごかったですね、クリッツ・メトヘーヒェンさん! 二回戦目も勝ってたように見えました。 あの審判は不思議でしたね」


クリッツは、一瞬驚いたように顔をあげたが、すぐに自嘲気味に目を伏せた。

「そう言って頂けて嬉しいです。 自分でも入ったと思ったんですが、甘かったみたいです。未熟の至りです」


「あの、強い騎士さまなんですね。実は私たちアールベルク峠で」

ドレスの女ルチアが営業スマイルで説明を始めると、若い男ヘラルドが紋章簿を開いて見せ、ひらひらひら、とページをめくる。

六枚以上に渡って四十以上の騎士紋章が、色とりどりに並ぶ今日の成果。

描かれたばかりの鮮やかさをもって、クリッツの目に飛び込んでくる。


「ここに、俺の、紋章を?」

ごくり、と唾を飲む音がヘニョにも聞こえた。

しかし、紋章の隣に書かれた文字を読んで、う、とのけぞるクリッツ。

ずらりと並ぶ、毎年1ギルダーや半ギルダー、死後に4ギルダーや2ギルダーと書かれた寄付額の数々が、きらんと金色に輝いている。


「すみません。俺では格が足りません。……1ペニヒならば、払えますが、足りないですよね」

「今誰もいないし、内緒で1ペニヒでもいいよね?タデクさん!」

ニコニコのヘニョ少年と、無言のタデク。


「ちょっと失敬、あ! あなたの家ってご先祖がモルガルテンに従軍してませんか?」


「え?どうしてそれを」


限界騎士オタクの紋章官ヘラルドは、嬉々として語りだす。


「やっぱり! 俺、没落紋章得意なんです。

この紋章、五十年前の帝国ヴァーレン紋章簿から登録されてないやつです」


「登録されてない紋章?」


ヘニョのハテナをよそに、ヘラルドは「よく生きててくれました」「お会いできて光栄です」とクリッツの紋章に話しかけている。



◯



「そうなんですか。

祖父は領地を持っていたのですが、モルガルテンの戦いに従軍し、敗戦し、身代金のために領地を手放したそうです。父は去年、ツェンパハで。紋章が登録されていないということは、騎士として認められていないということですか? 慰労金は頂いたのですが」


「そうですね。傭兵扱いです。あなたの家は騎士家ではありません」

黒いローブの男ヴェーバーが少しだけ同情を乗せながら告げる。

「……」


「登録されてない紋章でも大丈夫ですよ! 寄付して頂いた方は誰でも紋章を書くのがこの紋章簿のルールなんです!紋章をお持ちでない人にも、俺たちが考えて描いてるんですよ!」

最高に楽しい、という表情のヘラルドは、今日作った紋章をクリッツに見せようとページをまくる。


タデクが口を開く。

「あんた、こんな遅くまで会場に居座って何してんだ? 大方、コネもなく、営業をする度胸もないのに、仕官を期待して、声がかかるのを待ってた口だろ」


「う」


「行くところがないなら、俺たちの護衛をするんだな。よく仕事をしたら、あんたの望みのものが手に入るぞ」


「望みのもの?」


「紋章登録さ。このツアーの終わりには、あんたの祖父や父の誇りが、この紋章簿に刻まれる。同時に、ハプスブルク家の公式紋章簿にも記録されるよう、俺がかけあってやろう」



「……その仕事、条件は」



「食費、滞在費、通行税のほか、日当1ペニヒ。消耗品や実費はそちらもち。期間は三年」


(鬼だ)

(使い潰す気ですね)

(むしれるものは何でもむしる気ね)


年俸200ギルダー級の宮廷技術者たちにとって、タデクは悪魔にしか見えなかった。


「あの、もうちょっと給料高くなりませんか」


(そうだ、いけいけ)

(当然の権利です)

(若者がんばれ)


自然と、少年剣士の側に立って心中で応援し始める宮廷技術者たち。


「ならない」


(え?ブラフじゃないの)

(怖い、本気で言ってたんですね)

(こんな農奴級の条件、断られるにきまってるわよ)


「すみませんが、お断りします。割りに合いません。俺は母も養わないといけません」


(ほらー)

(まっとう)

(いいこ)


技術者たちが心の中で拍手を送った、その瞬間。タデクの瞳の奥に、冷たく妖しい光が灯った。


「いいぜ。だがこれが、あんたが剣で身を立てる最後の機会だ。労働者になれば、二人で食べていけるかもな。だがあんた勘違いしてないか? 誇りある騎士の妻であり、才能を持って生まれた子供の母である女が、それで喜ぶか考えてみな。あんたの母は自分が死んでも、子供が騎士の印を歴史に刻む方を喜ぶだろう」


(そんなわけあるか……!)

(こいつ、この剣士の母の何を知ってるんだよ)

(そもそも女心を語る資格がこの男にあるわけ?)


エンジェルたちが憤怒のツッコミを心中で炸裂させていると、ヘニョが大丈夫です!という顔をして突撃していった。


「お母さんが心配なら、アールベルクに呼んでいいよ! すこし寒いけど、みんなで暮らせるから楽しいよ! カシャさんのスープもおいしいよ!」


「だそうだ。なあ、剣士さま。よく聞け。俺たちは金持ち狙いの寄付金集め集団だ。そういうやつらは、腕が立つ若者を常に欲しがっている。あんたの腕が本物ならば、貴族家や商人たちと縁を持てるだろう。ここで座って声がかかるのを待つしか能のないあんたには、悪い話ではないんだよ」


(勧誘中なのにナチュラルにディスってる……?)


「もしあんたがツアー中に、お偉いさんに気に入られたとする。その場で即引き抜かれる選択肢もあるんだよ。そうなったとき、俺たちに止める手段はない」


「考えさせてください……」


「この場で決めろ。俺たちはこのあと約束があるんだ。ところで、あんたのブリガンタインと剣、古いな。父親の遺品だろう。俺にはその古道具の未来は二つしか見えない。二束三文で売り払われ、強盗騎士の手に渡り、弱き者を痛めつけるために振るわれるか、ここで俺たちに雇われて、弱き者の命や財産を守るために振るわれるか。この二つだ。さあ決めろ」


「……やります」


「よし、これが契約書だ。サインしな」


(((弱き者を痛めつけているのはおまえだよ……!!!)))


技術者たちの心の声はきれいに揃った。


(こえぇ…あっという間に、誇りや良心が人質に取られてったな)

(誘導されて、自分で選んだと思わされてるわね)

(時間に迫られて、判断力を奪われたように見えましたね)


技術者たちの分析をよそに、ヘニョはにこにことして「クリッツ君! ぼくヘニョ! これからよろしくね!」と、どこか呆然としてるクリッツの手を握るのだった。



◯



牡牛座の首星アルデバランが、夕日のそばにぽつりと浮かぶ夕暮れ時。ヘニョたちは日当1ペニヒの護衛剣士を爆誕させたその足で、インスブルック市庁舎へと乗り込んでいた。


白い花飾りのある赤い扉を押し退け、絨毯張りの階段を登る。

二階の奥、重たいオーク材の扉の向こう、蝋燭の光に照らされた厳格な会議室には、この街の経済を牛耳る五人の市議たちが、立派な長机に並んでヘニョたちを待っていた。


恭しく彼らの前に開かれたのは、『聖クリストフ兄弟団』の紋章簿。


「素晴らしいですね。今日だけで……これだけたくさんの騎士から、金を集めるとは」


最初に口を開いたのは、一番右の市議。

しかし、並ぶ紋章の横に書かれた寄付額の数字を見た瞬間、彼らの口元に冷ややかな笑みが浮かぶ。


「1ギルダーに半ギルダー? ふん、騎士のやつらめ、見栄を張りおって。我々に返す金もない癖に、こういうところだけは一人前だな」

「だが、これだけ集まれば、アールベルク峠の山小屋とやらには十分だろう」

「ああ。我々がわざわざ寄付をするまでもないな」


さすがのチームワークで少しずつ話の方向性をまとめた市議たちに、タデクは確認を取った。

「それでは、インスブルック市は、私たちに何もしてくれないので?」


すると、中央に座る市議が、ふ、と優しい目をしてタデクに話しかける。幼子を撫でるような、非常に行き届いた丁寧な言葉運びだった。


「そうは言っておらんよ、若き人よ。ただ、我々がこの紋章簿に名を連ねる『価値』の話をしなければならない。年1ギルダー。たしかに端金だよ。我々が手掛ける事業に比べるとな。だが我々は商人。年1ギルダーの利益を増やすために、100ギルダーを投資する種族なのだ。ただの見栄で金を払う騎士さまがたとちがい、金の重みを知っているだけなのさ。……すまないね」


(そうだよなあ。1ギルダーはやっぱり高いよ)

農奴の金銭感覚が抜けないヘニョが、納得して、ふむふむと思っていた時、ヘニョの隣のタデクが、わざとらしく深いため息をつく。


「残念だな。我々アールベルク峠の人間にとって、インスブルック市は、世界でもっとも栄えてほしい街。だから、最初にこの話を持ってきたというのに」


「なんだと?」


市議たちの眉がひそめられる。タデクは、わからないか? とでもいうように、市議たちの顔を見回して、紋章簿に視線を落とした。


「この紋章簿は歴史上初めて、騎士や貴族と、あんたたち『大商人』が、肩を並べる本になる」


「ん?」


つけた道筋と違う方向へ話を変えようとする若造に困惑する市議会。タデクは目でヘラルドに合図を送る。打ち合わせなどないが、若い紋章官はなにが求められたかわかっていた。


「今までの紋章簿は、すべて貴族が貴族のために作ってきたんです。だから、血統を登録された本物の騎士しか載せられませんでした。でも、この紋章簿は違います。ハプスブルク家主導の成功が約束された大事業ですが、あくまでも『兄弟』の名簿です。峠の安全を願う者なら、誰でも身分に関係なく、寄付をしてくれた人の紋章を描くんです」


タデクが言葉を重ねる。

「武術大会の金を出しているのは誰だ? 商人だ。ハプスブルクの戦争費を出しているのは? 商人。貴族が夜会で遊ぶ金を絞り出しているのは誰だ? ……これも商人だ。時代は変わった。この紋章簿は、その時代の変わり目を映す鏡になる」


タデクは、夜の中央広場を見下ろす窓ガラスを見た。そこには、絢爛な燭台の間の闇に、机を挟んだ人間たちが暗く映っている。


「あなたたちは、歴史上もっとも古くから紋章が記録に残っている、『大商人』になれるんだよ。しかも名誉の」


市議の一人が、がたん、と音を立てる。

考え込むような沈黙が、絨毯張りの議会室に満ちた。

タデクは追撃しなかった。


「――まあ、俺たちのビジョンと、あなた方のビジョンは違ったようだがな」


「あ、おい、待て……」


「俺たちは今夜、イン川の北岸の『金の鷲亭』に泊まる。明日にはハル・イン・チロルに発つ。気が変わったら訪ねて来てくれ」


引き止める声が聞こえなかったのか、タデクは階段を降り、市庁舎を出ていってしまった。ヘニョと技術者チームも慌ててその後を追いかける。

市庁舎を出てイン川に架かる橋を渡りながら、ルチアはタデクの袖を引っ張った。


「ちょっと、いいの!?」

「何がだ」

「何がって、大口の寄付よ! もっと押せば、あのおじいちゃんたち、絶対描かせてくれたわよ!」


タデクは、奇妙な動物を見る目でルチアを観察した。


「あんた、男にモテないだろ?」



◯



その夜。

イン川の北岸に佇む宿屋『金の鷲亭』の前に、一台の立派な馬車が滑り込んだ。

さきほどまでの威厳はどこへやら、焦った顔で馬車を降りた市議の一人が、宿の重い扉を押し開ける。


「ハァ、ハァ……すまない、アールベルクの――」


言いかけた市議は、店内の光景を見て呆然と固まった。

すでに、宿の一番大きなテーブルには、さきほどまで市庁舎で並んでいた他の市議たちが、ずらりと顔を揃えていたのだ。


「おまえら! 抜け駆けしおって!」


男が裏切り者たちを指差して怒鳴ると、テーブルからどっと笑い声が沸き起こった。


「ほら来た!」

「遅かったな、お前が最後だ!」

「くそー、負けだ!」


市庁舎では、あれほどお堅い顔をしていたおじいちゃん市議たちが、高級な服の襟元を緩め、顔を真っ赤にしてゴブレットを掲げている。


「ほれ! ここに座れ!」

「早く飲め!」

「こいつお前が来ない方に賭けてたんだよ!」

「この野郎、お前ともあろうものが慈善事業に金を投じやがって」

「面目ない」

「ハハハ!」

「仕方ねえよ。俺たちは似た者同士だからな」


わいわいと騒ぐおじいちゃんたちの隣のテーブルでは、顔にパックを貼ったルチアが上唇を舐めながら市議たちの家紋をスケッチしている。その横では、教わったばかりの寄付金の整理を恐る恐るしているクリッツ。

タデクは壁際で給仕の女に何かを耳打ちし、くすくすと笑わせていた。

ヘラルドは元気に皿を持って走り回り、ヴェーバーは完璧な所作でワインを給仕している。


「そうか、あんた、インスブルックの橋が好きなのか」

「はい! 礎石がかっこいいです!」

「そうかそうか」

「俺たちの名前がある橋もあるぞ」


ヘニョは、自然とおじいちゃんたちの輪に混ざって、お肉を分けてもらいながら話を聞いていた。


「ああ、こうしていると、なんだか懐かしいなあ」

「なあにが歴史に残る大商人だ。あの小僧、口が上手すぎて反吐が出るかと思ったわい」

「だが、まあ……ここまで来たなあ、俺たちも」


一人の市議が、しみじみとゴブレットの中に揺れる深紅の液体を見つめた。

若い頃、泥にまみれて荷車を押し、騎士たちに頭を下げて、やっと商売が軌道に乗ったと思ったら、ペストや火事で何もなくなり、どさくさで街に入り込んだ商売仇を必死で追い落とし、やっとの思いで築き上げたインスブルックの大商人市議会。そうした長い長い昔話と、これからの街の未来の話をするおじいちゃんたちの顔には、どこか温かく優しい活気が宿っていた。


「しかし、この宿は本当に心地がいいなあ」

「椅子がいいなあ」

「食いもんがうまい」

「ナイフもフォークも重くてよい」

「ああ、こうして皆で集まって飲むのはいいもんだ」

「市庁舎のあの立派な机と椅子は、どうにも調子が狂うわい」

「俺もそう思ってた。あそこに座ると、つまらん見栄ばかり張りたくなる」


一人が酔っ払った頭で、宿の天井を見上げた。


「……この宿ごと、中央広場に持ってくことはできんかねえ」

「ははは! 名案だな! おい、建設中のあの時計塔、あれ、やっぱり要らんだろ。あの場所を使え!」

「時計塔なあ。ここだけの話、俺たちには背伸びしすぎだよな。他の都市の真似事をして高い塔を作るなんてさ」

「そもそも、何であの塔を作ろうとしたんだっけ?」

「ランデックのギルドを使えば、帳簿をごまかせるからって、お前が言い出したんだろ!」

「おい、人聞きの悪いことを言うな!」

「志が低いなあ!」

「低かったなあ、ははは!」

おじいちゃんたちは髭を撫でて笑い、ゴブレットをぶつけ合った。

「俺たちの街の本当の顔は、あんな嘘っぽい時計塔じゃない。今夜のこの、俺たちが夢を語る『金の鷲亭』だ」

「そうだなあ」

「全くだ」


夜が更けるまで、商人の意地と、それ以上の街への愛が詰まった笑い声が、宿の中に響き渡っていた。


ヘニョたちの紋章簿には、騎士たちに負けないくらいに誇らしく輝く、商人の紋章が新しく五つ、しっかりと刻み込まれるのだった。










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