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西方水滸伝 セラデラヴェラ戦記  作者: 瓶八
第三章 悪魔の呼び笛
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3-7-5 解き放たれしもの







トマスが背負子から革紐を解くと、塩樽の上にがっちりと縛り付けられていた麻袋が外れ、中から三つの青い毛糸玉と、ずっしりと重い硬貨の袋がいくつも転がり出た。硬い床に落ちた革袋が、チャリと鈍い金属音を立てる。


「おい、ババア起きろ。毛糸が届いたぞ」

ステファンが小指袋にペニヒを詰める作業を続けながら老婆に声をかける。


暖炉の炉端で毛布にくるまり眠っていたブリギッテは、重い瞼をこすりながら、わざとらしいため息をつく。

「まったく……ババア使いが荒いねえ、お前たちは」


「すまん、足りなかった分は、ヘラーで補った。使えるか?」

トマスは、事情を説明した。

職人たちは、顔を見合わせた。


「上出来だよ」

「気がつかなくてすまなかったな、おっさん」

「ペニヒでもヘラーでも偽でも似てればいいわ」


「あと、これは両替できなかった分だ」

トマスは懐から金貨四枚を取り出し、気が狂いそうになりながら寄進帳への記入を進めているパベルの方へ差し出した。


(……なんだこいつは。こんな底辺の身分のくせに、これだけの金を持ってなんでトンズラしなかったんだ? まったく意味がわからない)

と思いながらも、それどころでないパベルは、不審と驚きの混ざった心を忙しさで殺して、金貨四枚を記録した。



「大将、これ。ナターシャからだ」

トマスはヘニョに一本の針を差し出す。

「『いいことあったよ』って言ってたが」

ヘニョが思い出すように輝く笑顔を浮かべる。

「ありがとう! トマスさん!」

何があったんだ?と問いかけるトマスにヘニョが、あのね、と説明しようとしたとき。


「あらー、助かるよ」

カシャが、ヘニョの持っていたその針をつまみ上げ、光に透かした。

「そのナターシャって娘、本当に気が利いてるわね」

とやったので、ヘニョがなぜか「えへへ」と照れた。

トマスはナターシャのエピソードを聞きそびれた。

「ニギ親方! 針が一本増えたよ」

「本当か? よし、これでボトルネックが解消するわ」


「トマス」

ベンノが塩樽ごとトマスの背負い子を抱え、トマスの背中に背負わせる。

「俺たちは、お前に助けられた」


トマスは突然胸がいっぱいになった。

口を開いたが、声が詰まった。

このまま小さく頷いて、去ろうかとも思った。

だが、ここで言わなければ。

強くそう願った途端、固まっていた言葉が、自然と口をついて出た。


「いや、助けられたのは、俺だ。

俺の兄さんたちはこの峠で死んだんだ。

あんたたちが、遭難者を助け、死者を弔ってくれるなら、助けられるのは俺なんだ」


トマスは「仕事に戻る」と言って、出ていった。




◯



その日、山小屋の奥では、緊迫した面持ちで「それ」の装着が行われていた。



「うわあ、おもい」

ずっしりとした感触を、頭に、肩に、腰ひもに感じているヘニョが、手袋を動かす。そこにも五本の指に沿うように、硬貨の入ったニットの鞘が縫い付けられている。

歩くと、ぺたりぺたりと服の裾やズボンの裾が重く追いかけてきて、変な感じだった。


「それに、あたたかい」

ヘニョの身体を包むのは、色とりどりの奇妙な毛糸の畝が、幾重にも走る道化のような衣装だった。

畝の一つ一つは網目の大きさも毛糸の太さも違い、不恰好だ。ただその色も形もばらばらの豆の鞘のような膨らみに共通しているのは、その内に、無数のペニヒやヘラーが、鱗のようにびっしりと整列していることだった。


「行くぞ。ヘンリク様。『タデク』司祭」



◯



奇妙な服を着た少年とのんびりとした司祭を伴い、その男はシュロッフェンシュタインの兵士団の前に姿を現した。


金茶色の広がる髪を風に遊ばせ、鶯色の野良着をまとったその若い男は、臆する色もなく、朗々とした声を響かせた。


「誇り高きシュロッフェンシュタインの騎士殿に申し上げます。わたくしはモントフォール伯領マートヴロー村より参りましたフダワ。ヘンリク様に雇われた法律顧問にございます」


フダワは背後の二人を恭しく示す。

「ここにおわしますは、聖クリストフ兄弟団の総長ヘンリク様。ならびに、コンスタンツよりお越しの司祭様です。これよりお二人は重要な御用のため、ここを通られます。ここは公道でありますゆえ、どうぞ道をお開けください」


前方を阻む重装の騎士は、不機嫌そうに顎をしゃくり、部下に手元の名簿を確認させた。

「アルブレヒト三世と面会約束のある者は?」

「二名。ヘンリク、他、ヤックライン・ウーバーリンの代わりの者一名、と記録されております」

「その一名は、どういった身元の者だ?」

「タデクと記載がある他は、何も……」

騎士は馬上で身を乗り出し、鋭い視線を投げかけた。

「そこな司祭! 貴殿の名前はタデクであるか!」

問われた司祭は、緊張感のない様子でのほほんと答えた。

「そのように呼ぶ者も、ございますな」



「他領の自由民のフダワ殿。コンスタンツの司祭タデク殿。お二人はたしかにここを通る権利をお持ちです。しかし農奴ヘンリクは、我らシュロッフェンシュタイン家の財産です。アジールの外に出たならば、我らが我らの財産を差し押さえることに、なんの支障もありません。怪我をしたくなければ、お引き渡しください」

敵の騎士は告げた。



◯



「それはどうでありましょうか」

フダワは間髪いれずに応じた。


「騎士さま方に、あらかじめご忠告申し上げます」

フダワは一歩前に出ると、ヘニョを指さした。


「ヘンリク様が身にまとうお召し物には、われわれ聖クリストフ兄弟団に対する『聖なる寄付金』が縫い付けられております」


その時、分厚い雲の切れ間から、鋭い太陽の光が差し込んだ。

ヘニョが着ている帽子、服、ズボン――それらに縞模様のように浮かび上がる、奇妙な毛糸の畝の隙間から、何千枚もの銀貨が一斉にキラリと金属光沢を反射させる。

包囲する兵士たちから見えないところでは、事前に仕込んでおいた兄弟団メンバーが光り物を巧みに操り、その輝きを何倍にも引き立てていた。兵士たちの目が眩む。


「大公殿下の特許状によりますと、聖クリストフ兄弟団への寄付金に対する徴税は、いかなる理由があろうとも禁止されております。

すなわち、ヘンリク様を拘束すること、あるいはそのお身体に触れることは、ハプスブルク公家に対する明白な『不敬罪』に当たります」


敵陣がざわざわと動き始めた。

「おい、どういうことだ」

騎士が自陣の後方に控える法律顧問たちに問い合わせる。


「どうやら我らの財産に、ハプスブルク管轄の寄付金を纏わせ、ハプスブルクの上位法で上書きする法論のようですが……」


慌てた敵の法律顧問たちは、一斉に手元の羊皮紙をめくり、必死に指を走らせた。

「徴税禁止? そんな条文が……どこに……!?」


混乱する敵陣に助け船を出すように、フダワは淀みなく暗唱してみせた。


「『この救難所に集まる寄付、および救難所の敷地内において、既存の領主や近隣の城は、不当な徴税や不法な立ち入りをしてはならない。』

第三条でございます。シュロッフェンシュタイン家のご当主、コンラート卿も確かに署名なさったこの特許状を、お破りになるおつもりか。 我らの『アジール権(聖域権)』をお認めになりながら、これを無視されるわけには参りますまい」


敵の法律顧問のひとりが、冷や汗を流しながら反論の声を絞り出した。

「そ、そんなものは屁理屈だ! 敷地内で不当な徴税を禁止するとはあるが、敷地外の一歩出たこの場所については、何も書かれていないではないか!」

フダワは、即座に言い返した。

「敷地内への不法な立ち入りを禁止しておいて、敷地外からどのようにして、敷地内での不当な徴税ができるというのです? 御抗弁を!」

「う……!」

法律顧問は言葉に詰まり、もっと分かりやすく条文を書いてくれ、と内心で愚痴を言った。


次に、年配の法律顧問が前に出た。

「……私が参りましょう。――大量の貨幣を装飾品とし、本来の目的とは違う使用をして流通を妨げる行為。これは立派な『貨幣私物罪』である!」


「そのような法律は存在しませんが」

フダワは困ったなあという表情をしながら、軽やかに続けた。

「あえてお答えいたしましょう。ヘンリク様が御携帯されているこの寄付金、しめて4017ペニヒございます。われわれはこの寄付金を、インスブルック宮廷内にある兄弟団の管理事務室へと移送中なのです。すでに先触れの手紙を出し、この金額と護送日を先方にお知らせしてあります」

もちろん、そんな事務室も手紙も、すべてフダワのでっち上げだ。


フダワは一歩踏み込み、落ち着いた声で語りかけた。

「よって、貨幣の私物化には当たりませぬ。むしろ今この瞬間に流通中であり、それを妨げているのはあなた方だ。

さて。もし騎士さまたちがヘンリク様にお触れになり、拘束し、大公殿下の宮廷に入るはずだった聖なる浄財の移送を妨げたら、一体何が起こるか、お分かりでしょうか」

法律顧問たちの顔色が、一人ずつ変わってゆく。


「シュロッフェンシュタイン家が、ブリクセン司教座に対してたびたび行ってきた様々な『徴税行為』について、ハプスブルク法廷の監査を入れる口実を与えることになりますが……よろしいか?」

年配の法律顧問は、うーんと考え込んだ。それだけは、何としても避けたかった。


フダワは畳みかける。

「騎士さま方の首がいくつあっても、その不利益は賄えまい。

武勇の誉れ高きシュロッフェンシュタインの騎士が、そのようなつまらぬことで命を落とすのは、実にもったいなきこと」


さらに、周囲を取り囲む一般の兵士たちに向き直った。

「誇り高き兵士さま方に申し上げます!

その立派な槍や剣を振り回し、万が一にもその寄付金を傷つけられましたら、大公領の法により『貨幣偽造罪』あるいは『貨幣損壊罪』を逃れられません。一発で死罪となりますので、くれぐれもお気をつけを!」


兵士たちは一斉に武器を引き入れた。

(危ねえ……! ぶっ叩いたら死罪かよ、教えてくれてありがとう、法律屋の兄ちゃん!)



◯



(ちっ、めんどくさいことになったな……)

騎士は心の中で舌打ちをしたが、作戦を変えた。

次の瞬間、まるで感服したかのように「おお!」と大げさな感嘆の声をあげた。


「貴殿が法律顧問か、フダワ殿。いやはや、お会いしたかった! 領域確定の手腕といい、我々への牽制手段といい、見事な弁論だ。さぞや名のある先生のもとで学ばれたのだろう? 法門はどちらか。我もすぐに、この馬を駆って師事しに参りたいほどだ」


フダワは慇懃に一礼した。

「ご慧眼、恐れ入りましてございます。かつて名のある大学の法学部に在籍しておりましたが、金銭苦のため、途中で退学した身にございます。課程を修めておりませぬゆえ、師の名前を出すことはご容赦いただきたく」


それを聞いた騎士の目が光った。

「ご苦労されたのだな。しかし、フダワ殿の師は幸せ者だ。このように立派な弁士をお育てになったのだから。……だが、貴殿ほどの知恵者が、逃亡農奴ごときと心中する理由もあるまい? これを受け取られよ」


騎士は腰のベルトから、ずっしりと重いペニヒ銀貨が詰まった革袋を外し、フダワの目の前でこれ見よがしに二回、チャリ、チャリと振ってみせた。


「去るもよし、去らぬもよし、我らと共に来るもよしだ。我らは貴殿の仕事に感服した。いつか大きな仕事を共にしたい。失礼とは思うが、貴殿のここでの仕事は、もう十分に終わったと見えるが……いかがかな?」


大金が擦れ合う音に、フダワの瞳がピクリと反応し、鋭く光った。しかし、若き法律顧問はすぐに表情を鉄の仮面へと戻し、その金袋から強引に視線を剥がした。

そのわずかな変化の一部始終を騎士は見逃さなかった。


「……恐れ入ります、騎士殿。大変もったいなきお言葉ですが、わたくしは誓約を掲げて兄弟団への奉仕を誓った身。そのような大金をここで直接受け取っては、立場上、不法な買収に応じたとみなされかねません。兄弟団の窓口を通した正規の手続き――すなわち、然るべき『寄付』としてでなければ、お受け取りできませぬ」


(ちっ、融通の利かん堅物め。ほしいくせにな)

内心で毒づきながら、騎士が「貴殿、まだお若いの。世を渡る弁士を志すならば、もう少し柔らかさを身につけられよ」と笑い、金の袋を懐にしまおうとした――その時だった。


フダワは、音もなく一歩、二歩と騎士の馬元へ歩み寄った。そして、背後の主人たちに聞こえないよう、極めて低い声で囁いた。


「……騎士さま、ご無礼をお許しください。我らはこの『寄付金の鎧』の製作にあまりに時間を取られ、大公殿下との約束の時間に遅れかけております。――我らがここからインスブルックへ向かうための、近隣の宿場にある『貸し馬や馬車』を、騎士さまらの権限で事前にすべて差し押さえ、利用を封じられること……。我らは何よりもこれを恐れ、焦っております。これらは特許状にある『兄弟団の財産への徴税・没収』には、いささかも当たりませぬゆえに。……どうか、ご容赦を。そして、……おはからいを」


フダワは、一度として騎士の手の中にある金袋を見なかった。しかし、その意識は常に金の袋にあるように騎士には感じられた。

そして、自分自身を嫌悪するように悔しげに顔を伏せると、足早に主君ヘニョの元へと戻っていった。


騎士は、フダワの心を推し測るように細めていた目を、ゆっくり見開き、空を見上げ太陽の位置を確認しながら指で顎を叩いた。それから後ろに控える兵士たちに鋭く指示を出した。

「ここに5名。俺と共に4名。残りは馬を押さえろ」

「はっ!」

敵の兵士団が、一斉に散開していく。包囲網に大きな穴が空いた。

その開いた穴の真ん中を通り、去ってゆく三人の後ろで馬を歩ませながら騎士は、前方に声をかけた。

「フダワ殿! 我らの門は、いつでも貴殿に開かれているぞ!」


こうして、ペニヒの鎧をまとったヘニョと、のほほんとしたタデク(?)司祭、そして狐のごとき知略で敵を翻弄したフダワ法律顧問は、一滴の血も流すことなく、堂々と包囲網を突破したのだった。












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