3-7-4 円に五芒星
十月の冷たい北風が吹き荒れるアールベルク峠。その宿舎では、暖炉にくべられた薪のオレンジ色の光に照らされて、形勢逆転の秘策「ペニヒの鎧」の製作のため、内職をするヘニョたちの姿があった。
「ちぇ、一回しか着てねーのに……」
13歳のニギ親方が、小指袋の検品をしながら、おもしろくなさそうな顔で、床に置いた羊皮紙になにかを書き付けている。
「似合ってたもんね、ニギくん! これが終わって大公様にサインをもらったら、ブリギッテにまた絶対に編んでもらおうよ!」
ヘニョが満面の笑顔で慰めると、ニギは「バカ言え、二度と着るか!」とそっぽを向いた。
手前ではヘニョとアニャが薄茶色のベストの毛糸を巻き直し、奥ではコバとヤネクとステファンが手袋の小指袋に1ペニヒ硬貨を3枚ずつ滑り込ませ、それをカシャが針を使って縫い閉じていた。ベンノとオレクは他の毛糸玉を作っている。
ニギ親方が、暖炉の炉端で編み針を動かすブリギッテに声をかける。
「おいババア、このペースだと、間に合わねえぞ。1300の袋が編み上がるのに七日かかる」
人間業とは思えない速度を維持しているブリギッテは、編み針を止めずにニギ親方に答える。
「あんたが言うなら、そうなんだろうね。……ステファンを呼びな」
◯
「つくってほしいものがあるんだよ」
「あ? なんだよ、ババア。俺は編み物とか死んでも無理だぜ」
気だるそうにやってきた車大工のステファンに、ブリギッテは編み針を止めずに要求する。
「車軸を作るあんたたちなら、作れるだろうと思うんだけどね。小指がすっぽり入る太さと長さの、小さな木の筒をくり抜いておくれ。その筒の口に、等間隔に五本、釘をさしたいんだ。筒の木の厚みは、おまかせするよ」
「小さな筒に、五本の釘ぃ……?いいけど何に使うんだよ」
そこへ、バシャァアン!! と前室の扉が勢いよく開き、冷たい突風が室内の白い煙を吹き散らした。暖炉に燃える薪の火が風に煽られ強く揺らいだ。
「たいっ……、大変だぁああああああああーーーッッ!!!」
ベテラン役人のパベルが、後ろから熊にでも追われているかのような形相で転がり込んできた。
あまりの勢いに、パベルの足が前室の土間と暖炉の間の木の床の段差に引っかかる。
「どわぁっ!?」
お約束のように、パベルは綺麗な放物線を描いて、床へダイブする。手元から、シュロッフェンシュタイン家の紋章印が押された羊皮紙が、ひらひらと宙を舞う。
「パベルさん! だいじょうぶ!?」
ヘニョが駆け寄り、床に突っ伏したままピクリとも動かないパベルの背中を、ぽんぽんと優しく叩く。
パベルは、ハッと顔を上げ、床に落ちた羊皮紙をひったくるように掲げ、叫び散らした。
「勧告状……! 出頭勧告状です! リーダーとオレク家族全員へです!!」
ヘニョはぱちぱちとまばたきをして、赤い蝋で固められたいかつい書類をじっと見つめた。
「つまり、『お話ししましょう』ってこと?」
勧告状の意味を教えてもらったヘニョは、それでもよくわからなかった。首をかしげてパベルを見返す。
「お、お話ししましょう、だとお前は……っ! 脳細胞がどんぐりで満たされているのですかリーダー!! これは『お前たちの首に縄をかけたいから、早くお城の前まで歩いてきてね』という、死の招待状――」
「アジール(聖域)扱いしてくれてるようだな。ありがたい」
さっきまで寝そべりながら書き物をしていたタデクが、パベルの手から勧告状を抜き取りその文言を読んでいる。
パベルはガバッと振り返り、床に膝をついたままタデクを指差した。
「フ、フダワのタデク!! なんでそんなにのんびりしているんだ! この書式は!まじのやつですよ!! こういうものが出されないようにするのがあんたの仕事でしょうが! これを無視したらどうなるか、わかってるんですか! 」
「いや、我々はこれを無視しなければならない」
うろたえるパベルに微塵も心を動かさず、タデクは立ち上がって、宿舎で作業中の兄弟団メンバーに向けて通達した。
「全員いるな、聞け。
四日後の日の入りから、敵さんの兵糧攻めが始まる。
裏を返せば、今この瞬間からそれまでは、農奴以外の自由民は、この拠点を出入り可能になった。
籠城の支度をしな」
タデクは考えるように顎に手を当てる。
「そうだな……七日分」
◯
「兵糧攻め? つまり、物品の差し入れの差し止め? そんなこと一言もこの書状には……」
「通達する義務がないからな」
タデクはあくびをしながら勧告状をパベルに返すと、自分の書き物へ戻ってゆく。
◯
アールベルクの西側の山腹、ステューベンの山小屋。
大男ベンノは、迷木『浮気がばれた父』を、手斧一本で薪の山に変えていた。
半分をステューベンの薪小屋へ丁寧に積み上げ、残りの半分をその巨大な両腕で軽々と抱え、絶壁のぐねぐね道を見上げる。
そこへ、熊のような管理人ヨッホが白い歯を見せて現れた。
「悪いな、ベンノ。全部持ってっていいのによ」
ベンノは静かに頭を下げた。
「いいえ。貴重な薪の寄付を、本当にありがとうございます。これでみんなが温まれます」
「助かるよ。……また来るんだろ?」
ベンノは「はい」と短く応じ、薪を担いで坂道をのっそのっそと登っていった。
◯
ブリギッテはステファンが作ってきた木の筒を受け取ると、筒の口に打たれた五本の釘の頭に毛糸を交互に星型に引っかけていき、二周を終えたところで、一本の細い編み針を使って、外側にかかった毛糸を、内側へ落としてみせた。
現代でいうところの「リリアン編み」の工法である。
それを繰り返すとやがて筒の底から、ニットの網紐が、にょきにょきと吐き出されていく。その上下の口を絞ると、それがちょうど粗い目の小指袋の用を為すのだった。
「お……? おおお! これなら俺でもできる! しかも意外と早いじゃねえか!」
ステファンが目を丸くしてプロトタイプを回した。
「適当にやるとペニヒがすり抜けたり、強度が足りずにペニヒの縁で毛糸が切れたりするからね。太い毛糸を優先的に使って、検品をしっかりやることだ」
すこし太いねえ、あと1リーニエ(約2ミリ)内寸が細いと良いがね、と要求を加えながら、ブリギッテは編み針を再び動かしはじめる。
「この道具が、人数分あったらなぁ……。一気に作業量が八倍だぜ。あ!」
ステファンは何かを思いついたように、顔を跳ね上げた。そこへ戻ってきたベンノに呼び掛ける。
「ベンノ! お前の力を貸しな! アルレン城へ行くぞ!」
ステファンは大男ベンノを伴い、包囲中の兵士たちを横目に公道を通り、アルレン城の鍛治場へと向かっていった。
◯
ステファンたちと入れ違うように峠へ入ってきた老婆スタシャは、コバにパンやチーズを宿舎に運び入れてもらう間、暖炉で暖まっていた。
「だからね、スタシャ! 四日後から来ちゃダメだよ! 隠れててね。差し入れをすると、スタシャも【いんとく罪】になるってタデクさんが言ってた」
「わかったよ、ヘニョ。がんばんな。だからニギちゃんやステファンとすれちがったんだね。わたしもあと一回はこれるからさ。次はポントス(スタシャのロバ)にがんばってもらうよ」
ニギ親方はザンクト・アントンに食糧を買いに。パベルはタデクの指示のもと寄進帳の記入に精をだしている。
ベンノはふいごをふき、ステファンはアルレン城の廃鉄から、釘や編み針を作り出している。
タデクは、うまく司祭を操縦しラテン語の文書を書かせることに成功していた。
◯
その夜、アールベルクの宿舎。
暖炉のオレンジ色の光に照らされ、ステファンが量産した「小指袋急造筒」を手に、オレクやベンノ、コバ、ヤネクといった、むさい男たちが一列に並んで黙々と編み針を動かしていた。カチャカチャ、カチャカチャと、釘と編み針が触れる音が部屋を満たす。
みんなはじめてのことに戸惑いながら、「間に合わねーんだわ、一人1日何枚やれ」というニギ親方のノルマに従っていた。
暖炉の炉端の一番温かいところに陣取って、自分の着ていたニットをすべて剥がしたブリギッテが、細い体を小さく折りたたみ、編み針を動かしている。この峠に来てはじめて使う毛布を引き寄せてはいるものの、時おり耐えられないといったようすで身震いしている。
それを見たヘニョが、自分の上着を脱ぎ、毛布をもって、ブリギッテの背中にそっと掛けた。
「ブリギッテおばあちゃん、ぼくのを着てね」
「おや……、あたしは遠慮なんかしないよ」
「ぼく、豚飼いだったんだ。豚飼いはね、秋の夜番も外で一人でするんだよ。だから、寒さには強いんだ」
ヘニョは、えっへんと胸を張った。
「ウールがない夜なんて何十年ぶりかね。
どうも想像よりあたたかいみたいね」
ブリギッテの呟きは、その時強く吹いた北風によってヘニョの耳に入らなかった。
ヘニョはビュービューと打ち付ける北風の音を聞きながら、
「すごい風だねえ。怖いねぇ」
「そうねぇ」
「でもこの家びくともしないねぇ。すごいねぇ」
「そうだねぇ」
「……今頃、トマスさんはランデックに着いたかなあ」
「どうかねえ」
とブリギッテと語らいあった。




