1-2 一世一代の嘆願
「おいヘニョ、いいか。馬上の御方が大公レオポルト三世殿下だ。お前は前に出たら、俺が教えた通りに言うんだぞ。『恐れながら殿下、このヘンリク、畏れ多くもアールベルクの……』」
「はい! ヤックライン隊長!」
ヤックラインは、自分の騎士の身分を盾にして、大公の進軍の列を強引に止めていた。
無礼を承知の暴挙だった。
正直、実際にやってみると思ったより空気の凍り方がすごくて、冷や汗が背中をたらたら伝う。
もちろん、こんな豚飼いの子供の世迷い言が通るなんて、これっぽっちも思っちゃいない。
大公直々の不敬罪で首が飛ぶ可能性があることもわかっている。まあ、でもさすがにそれはないだろ。
レオポルト三世は、細かいことを気にしない豪放磊落なお人柄で有名だ。無体な裁きをしたという噂も聞かない。
だから、ヤックラインは思ったのだ。
どうせ却下されて終わりだ。
だが……世界で一番偉い大公様と謁見して、自分の口で夢を語ったんだ。
断られたって、こいつがじいさんになった時、酒場で極上の自慢話になるだろう。
15ペニヒしか持たずに夢を語った、このちっぽけなみなしごの豚飼いに、俺ができるのはこのくらいだ。
抗議するハムを背中に隠したヘニョが、泥だらけの足を震わせながら、大公の乗る立派な軍馬の前に進み出た。
ヤックラインはハラハラした。
馬上のレオポルト三世は、手綱を握って睨み付けるように、豚飼い小僧を見下ろしている。目ぢからが凄まじい。
「ほう。我が騎士ヤックラインが命を懸けて列を止め、連れてきたのが……その泥まみれのフウォプ(農奴)の小僧か。面白い。
話を聞こう。何が望みだ、ヘンリク」
「はい! おそれながらでんか! このヘンリク、おそれ多くもアールベルクの……アールベルクの、てっぺんに……ビールを15樽建てたいのです!」
後ろでヤックラインが「おいィ!? 」と声を裏返した。
違う! 教えたのは『遭難者を救うための山小屋』だ! いったいどこからビール15樽とかいうパワーワードがやって来たんだ! 読者ではないヤックラインにはわからなかった。
ヘニョは極限の緊張で、脳内が完全にパンクしていた。
「……ビールを15樽、だと?」
少しざわざわしていた大公の側近たちが、大公の一言にシーンと静まり返った。ヤックラインは顔面蒼白で、飛んでその場に平伏した。
終わった。思い出作りのつもりが、これは文字通りの処刑台行きコースだ。
ところが、馬上のレオポルト三世は、数秒の沈黙の後――
「わはははは! 面白い! 面白すぎるぞ、小僧!」
お腹を抱えて爆笑を始めた。あまりの大声と振動からだろうか、大公の軍馬が動揺している。
「アールベルクの、あの、極寒の峠のてっぺんに、ビールを15樽並べてどうする! 凍りついて誰も飲めやしないではないか!」
「ち、違います殿下! 凍らないように、家を建てるんです! 15ペニヒで家を建てて、そこで死にそうな人を温めて、ビールを飲ませるんです!」
ヘニョは必死だった。アホなりに、自分の全人生である15ペニヒの重みを叫んだ。
大公は引き笑いで涙を拭きながら、途中何度か咳き込みながら、じっとヘニョの目を観察していた。
その瞳にある、伝えたい想いを、この豪快な君主はゆっくりと検分した。
「なるほど、アジール(避難所)か。いいだろう。
お前がその15ペニヒで何を建てるか、このレオポルト三世が見届けてやる。
アールベルク峠の頂上の土地利用権を、今この場で、お前――『ヘンリク』に与える!」
「えっ……?」
ヘニョはパチクリと目を丸くした。事態が飲み込めていない。
そして横では、もっと飲み込めていないヤックラインが真っ青になって固まっていた。なにも言うことができない。
「で、殿下……!? 本気でございますか!? 口約束とはいえ、大公の言葉は……!」
大公の家来の一人が確認するように問い合わせたが、大公はガン無視してヤックラインを指差した。
「ハハハ、ヤックライン、いい顔だ。お前が一番驚いているな。
良い主を持ったな、ヘンリク。
わしもよい騎士を持ったよ。
よし、いつかその山小屋とやらで、私に凍っていない美味いビールを15樽奢れ。それが特許の条件だ!」
そう言って、大公の重騎兵軍は朗らかな笑い声と共に、再び進軍を始めた。
ボンレスの丸焼きが待つ、川下の城――ランデックのシュロッフェンシュタイン城へ。はるか眼下にキラキラと流れるロザンナ川に沿って、谷沿いの山道を長く長く、遠く、東へと。
「やった……やったよ、ヤックライン隊長! 大公様が、お家を建てていいって!」
無邪気なヘニョ。小脇のハムも、ブッヒブッヒと誇らしげに鼻を鳴らす。お前ボンレスの仇はどうしたんだよとヤックラインは思わないでもない。
しかし、そんなことは今はいい。
主家であるシュロッフェンシュタイン家の所有物であるアルレン城の敷地を、大公が「口約束」で与えてしまったのだ。これはやばい。
ヤックラインはしゃがみこんで、自分の膝の間に頭を埋めた。
(殿下、あんたって御方は……。
いやいい君主だと思うけれど、これじゃあ俺の立場が。コンラート様に殺されちまう……!)
自業自得のヤックラインだった。
豚飼いの少年の、無謀で杜撰な「15ペニヒのプロジェクト」が、最高権力者の気まぐれによって、本当に動き出してしまった瞬間だった。




