1-1 若き農奴の全財産
「お前は賢いね。お前みたいな豚は初めてだよ」
とある高原の山の上。一人の豚飼いが一匹の豚を慰めていた。
豚は、どこかむすっとしてさっきから地面を引っ掻いている。本日彼の兄豚がお城の晩餐会に出されるために、連れていかれてしまったのだ。この畜生はそれを理解していて怒っている。
「大公さまが来るんだってさ。大公さまに食べられるなんて名誉なことじゃないか。ボンレスだって喜んでるさ」
そんなわけあるか、とでも言いたげに、プイ、とすねる豚。それにしても生前の豚にボンレスと名付けるなんて、この少年の感性はどうなっているのだ。
「どうしようもないよ、俺たちのちからじゃな」
優しい手つきで豚の背をなでる少年。
ブーブー!と不平をいうように鼻をならし前脚二本を踏み鳴らす豚。畜生のくせに表情が豊かすぎる。
「まあ、そうだね。何事も諦めるのは簡単だ。まずはやってみようか」
そう言ってポケットの15ペニヒを握りこみ、豚飼いの少年は立ち上がり、駆け出していく。
豚の方も、お?やるか?そう来なくっちゃ!といった雰囲気を醸しだして、とっとことっとこ追いかけていくが――哀れ、豚。そいつはてめえの兄貴を助けようなんざ、これっぽっちも思っちゃいねえぜ。
でも許せ。このときのこいつ――通称ヘニョ(本名ヘンリク、またの名をハインリヒ)はまだ若く、ちょっとばかし狂っていた。どうしようもないほどにアホで、自分のことで頭がいっぱいだった。豚のつけ入る隙なんか、最初からなかったんだ。ヘニョの計画は、アールベルク峠のてっぺんに山小屋を建てて、そこを通る人の命を救うこと。そのために日当1ペニヒの豚飼いの少年は、この5年のあいだ節約して節約して、節約してきたのだ。
ご立派な聖人様ですねえ、って?ところがどっこい。続きを読みなんせ。さあさあ哀れな豚飼い小僧をたんと笑ってくれなんし。
ヤックライン隊長!
ヤックライン隊長はどこだ!
太陽があそこにある!
この時間は「お城」だ!
隊長やりました!僕はためました!
見てよ、この大金を――!
ありがとう、ハム。背中を押してくれて。さようなら、ボンレス。フランクによろしくな。こんにちは、ヴェラ。おかえりなさい、アルレン城へ!
ザンクト・アントン!
どうかどうか幸運のお導きを!
ぼくは今日――
この完璧なプロジェクトを、ついにスタートアップする!
「ヘニョ、これでは無理だ」
アルレン城城主城代ヤックライン・ウーバーリンは、便所の掃除中だった。
「15ペニヒでは、鉄釘1本買えやしない。暇ならここを代われ」
ヘニョは、聞き間違えかと思った。
嘘だろ?15ペニヒっていったらさ、ビールが15樽も買えるじゃないか。あの一樽にいったい釘が何本使われてる?どうしてそうなるんだ。
ヘニョはアホだったから、お城の釘を観察したこともなかったし、その値段を調べたこともなかった。その程度の計画性だった。加護を願われたザンクト・アントンも裸足で逃げ出す杜撰さだった。
「そうなんだ。知りませんでした」
しかしヘニョは素直だった。
おとなしく便所掃除を交代したヘニョの後ろから、とっとことっとこ追ってきたハムが、立ち止まって、えっ?って顔をした。
ヤックライン・ウーバーリンも困惑していた。
ヘニョを雇った張本人だったから、ヘニョの給料も知っていた。
日当1ペニヒ。
徒歩の旅人が峠を通り過ぎるだけで1ペニヒ消えるこの世界で、ぎりぎり食べていける最低賃金だ。
15ペニヒはよく貯めたもんだ。
いったい何年かかっただろうか。
しかもそれを使って山小屋が建てたいという。
峠に人が死んでるのが怖いからと。
確かに怖い。
峠の雪道を歩いていると、からすに目玉をくりぬかれたご遺体のひとつやふたつ、十や二十はご愛嬌だ。
でも仕方あるまい。
誰にもどうしようもない。
ここじゃあ埋葬する金も経をあげる金も、死人に出してやる余裕なんてないんだ。
それなのにあの子供ときたら。
この世の楽しみをあきらめるのが早すぎる。
それは考えもんだなあ。
俺が子供のときなんて……。
それはともかく、生きるのに楽しみは必要だ。
騎士として大人として、ヘニョを雇った人間として、あの子には楽しみをやらねばならん。
それが人の道ってもんだ。
一生の思い出にしてやろう。
騎士ヤックラインは腹をくくった。




