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西方水滸伝 セラデラヴェラ戦記  作者: 瓶八
第三章 悪魔の呼び笛
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3-4 夕陽色の瞳







その日、アールベルク峠の礼拝堂の外扉前では、車大工のステファンが、若い司祭に悩みを相談していた。


「だからよぉ、司祭様。聖クリストフのやったことじゃなくてさあ、『見た目』について聞いてんだよ」


「すみません、ステファンさん。そっち系、興味ないんですよねえ。うろ覚えですけど、身長12クビトとか読んだ記憶がありますよ。 身近な物差しだと、……8エル(5メートル)? でしょうかねぇ?」


「人間か? それ。やばいな。かえってわからなくなってきたわ。なんかもっと外にないんか? 髪型とか、年齢とか、服とかよお。持ち物とかさぁ」


「うーん。……先ほどもお話ししたとおり、幼子のキリストを肩に乗せて、川を渡った聖人らしいので、キリストが持ち物といったら持ち物……」


「持ち物……?」


そのとき、大男ベンノが、アールベルクの頂上に現れた。その広い右肩の上には、爆睡中の十三歳が担がれている。

それを見た瞬間、ステファンおやじの目が、ハッと光った。


ベンノの足元から、だっと駆け降りてきたヘニョに、司祭がペタペタと歩み寄って、「蝋燭と香油……」と呟く。

ヘニョは慌てて、「あ、ごめんね司祭様、また今度ね!」と手を振って、宿舎に向かって行く。


そこへ、宿舎から出てきた幼女アニャがヘニョとベンノとニギに気づいて辺りを見回し、お気に入りの役人のおじさんがいないことに小首を傾げる。

「パベル……?」

「パベルさんはね、疲れちゃって起きられなくて、アルレン城に置いてきたよ」

ヘニョが駆け去りながら説明すると、アニャは呆れた、という風に腕を組んだ。

「……わるいこ」



◯



宿舎の扉を入ると、風除けの前室があり、そこを抜けると暖炉の間がある。

部屋のまんなかに大きな暖炉が切ってあって、そこで薪が燃えている。

部屋は温かく、上半分は白い煙が立ち込めている。

その暖炉の奥、煙の向こう、一番目立つ正面の壁に、乾燥した花のリースと、大公の特許状が飾ってある。


(ヤンくん、大公さま。行ってきます)


ヘニョが心の中でそう言いながら、壁から大公の特許状を外し、いつものように腹巻きに挟もうとすると、後ろから声がかかった。


振り返ると、目を擦りながら歩いてくるニギ親方がいて、旅袋を片手で背負いながら、もう一方の片手で筒を差し出している。


「――ほらヘニョ。これに入れてけ」


筒は、茶色い革でできた円筒形の、斜め掛けできる紐のついた入れ物だった。ヘニョは見覚えがあった。ニギ親方の図面ケースだ。


「あれ? ニギくん、それ……」


ニギはあどけない瞳でヘニョを見上げてくる。声変わりもまだしていない声で、子供に教えるように優しく語りかけてくる。


「羊皮紙もインクも高くてすぐには買えないんだわ。しばらく使っとけ」


ヘニョはぱちぱちとまばたきをした。


それから頷いて、大公の特許状を丁寧に丸め、ニギ親方から受け取った空っぽの革の筒の中へと、そーっと収めて、蓋を閉じた。


そして、たすきを外して、壁にかけ、ニギ親方の図面ケースを背負った。


「ありがとう、ニギくん!」




そこへ、宿舎の外からカシャが、木匙を持って、入ってきた。


「ちょっとあんたたちねえ!! 仲良く山を降りてって、いきなり帰ってきたと思ったら、すぐまた出ていくとか、ちゃんと前もって連絡しなさいよ! ごはん作るから食べていきなさい!」


「カシャさん、ごめんね! 僕たち急いでて」

「あとからパベルのおっさんが来るから、俺たちの分まで食わせてやれ。あと事情はおっさんからきいてくれ」



◯



苔むしたブナの、分厚い切り株の上に据えられた、凍てつくカラマツの巨大な根株。大男ベンノがのそりと手斧を借り受ける。


力むでもなく、ただ肉体の圧倒的な質量を刃の先に乗せるように、静かに振り下ろした。



――すコン。



無音といってよい一撃。凍った巨木がぱかりと二つに割れ、周囲の荒くれ者たちの口から「おーっ……っ!?」と、感嘆の唸りが漏れ出した。


すコン……、すコーン……と、巨木を小さく切り分けていった無口な大男ベンノは、借りていた手斧を若者の一人にすっと手渡すと、作った薪を軽々と一抱えした。そして、「薪小屋はどこだ」と尋ねると、指差された方角に向かってのっそのっそと歩き始める。


「おーい、誰か『ラウツの魔女』転がしてこい!」

若者のひとりが興奮気味に声を張り上げる。新たな強敵が呼び寄せられる様子に、ニギ親方とヘニョはなぜか誇らしげに胸を張っている。



◯



そこは、ヘニョたちの山小屋『セラ・デラ・ヴェラ』があるアールベルク峠の頂上から、1ルーマほど西へ駆け降りた山腹の土地だった。


1ルーマは、時間にすれば、秋の太陽が「拳二つ分」傾くくらい(約二時間)を移動した距離で、荷物を背負った旅慣れた人間が休憩なしでぎりぎり歩ける距離だ。

ちょうどアールベルクからアルレン城も1ルーマくらいである。


しかし、峠の西側の山道は、東側の山道とは全く様子が違っていた。


(アールベルク峠からアルレン城の山道は、「なだらか」だったんだなあ……)


ヘニョは、絶壁にへばりつく、つづら折りの山道を見下ろして、そうしみじみと思い知った。


(これを毎日登ってくる西のロットメンネルのおじさんたちはすごい……!)


アールベルクからアルレン城まで、峠の東側の道を、肉屋の軒先に吊るされてる、ひとつづきの腸詰め肉だとすると、アールベルクからここ「ステューベン」までの峠の西側の道は、その腸詰め肉を小さい袋にいれるためにめちゃくちゃに折り畳んだような、そのくらいの密度の曲がりくねった道だった。

狂ったようなぐねぐね道が隙間なく、崖にへばりついていた。

そのおかげで、荷車や馬車が一応通れる傾斜にはなってるのだけど、その道を下りている間ずっと、ヘニョは生きた心地がしなかった。垂直に落ちていくような谷底が怖くて、たびたび足がすくんでしまった。


その道のぐねぐねが終わったところにある少し開けた山腹の「山小屋」、ステューベンの目の前で、ヘニョたち一行は休憩することにした。


旅人用に備えられた親切な長椅子に座って、干し肉や固パンをかじっていると、近くで薪割りに悪戦苦闘している若者たちがいた。それを見かねて、ベンノがすっと立って歩いていき、手を貸したのが事の始まりだった。


第二の刺客、『ラウツの魔女《ヘクサ・フォン・ラウツ》』をも見事に薪にしたベンノの周りには、興奮したロットメンネル(荷運び人)の若者たちが集まっていた。彼らは、『ヤコブの嫌がらせ(シカーネ)』、『石』、『二日酔いの俺(カッツェンジャマー)』、『浮気がばれた父《シュラフ・デス・ファータース》』など、二つ名のある迷木たちを次々と並べ、どれと対戦したいんだとベンノに詰め寄っている。ニギ親方に呼び戻されたベンノは、申し訳なさそうに断っていた。


「みぞれが降ってきた。明日も降るなこりゃ。これ以上進むのは危険だわ。今日はここで休む」

空を見上げて方針を申し渡すニギ親方に、一人の男が声をかけた。

「――ハッ! いい読みだ、ボウズ」

毛皮のベストが似合う熊のような男だった。日焼けした黒い肌に、白と灰色のまだらの豪快な髭面が目立っていた。その髭面の隙間から白い歯を覗かせて笑う。

「俺は判断の速い奴が好きだ。優しい力持ちもだ。それと、夢がある奴もな」

男は楽しそうな瞳をヘニョの首から下がっている貯金箱に向けて、それからヘニョの瞳を覗き込んだ。

「温まってけ、野郎共。……さあ、スープとワイン、どっちが好みだ?」



◯




「温まってけ、野郎共。……さあ、スープとワイン、どっちが好みだ?」


ヘニョが「スープ!」と元気に答える。


男は、ステューベンの山小屋管理人ヨッホと名乗った。にこにこ顔で案内されていくヘニョについて行きながら、ニギ親方は久しぶりに通るステューベンのあちこちを見渡し、その設備を見定めていく。


この『ステューベン』は、ヘニョたちの山小屋にとっては偉大な大先輩だった。百六十年もの歴史を誇り、五十年前からは正式な宿駅として登録されている。


ブルーデンツ城主であるモントフォール系のヴェンデルベルク家の意向によって建設され、現在は高潔なヨハネ騎士団によって運営されている、しっかりとした山小屋だった。


敷地は、縦百五十シュリット(百二十メートル)、横七十五シュリット(六十メートル)。ヘニョたちのアールベルクの西広場より、一回り小さい。


しかし、限られた敷地の中に、ホスピス(施療院)、大きな厩舎、倉庫、そして小さな礼拝堂が、中庭を囲むように効率よく配置されている。


アールベルク峠から吹き下ろす猛烈な北西の嵐を遮るため、風上にあたる西側の端には、石灰岩でできた分厚く頑丈な防雪壁が隙間なくそびえ立ち、窓の少ない堅牢な倉庫群が防波堤として建てられていた。


敷地の中心にある中庭は、過酷な吹雪の日に荷馬車隊が安全に馬を回し、荷下ろしをするための広さがある。ここに馬車を逃げ込ませるだけで、外の暴風からいくばくか守られる設計になっている。


そして、風下にあたる一番安全なエリアに、人間のための「温かい部屋(ステューベン)」がある。


「ステューベン。『温かい部屋』か。いい名前だなあ。ねえニギくん! そんな名前を山小屋につけたモントフォール伯ってさ、絶対優しい人だよね!」


「おう、そうよ。小さいくせによく見るじゃねえか、募金箱のボウズ」

山小屋ステューベンの管理人ヨッホは、機嫌よく笑った。


「わからないことがあったら何でも聞け。これからは俺のことは『兄貴』って呼びな」

ヨッホはそう言って、ヘニョの小さな肩をバシバシと力強く叩く。さらに、近くにいたロットメンネルたちを指差した。


「こいつらに言付けを頼めば、いつでも俺に届くからよ。お前と俺とで、毎日交換日記だってできるぜ」


「ヨッホお兄さん! でも、ぼく字が読めません!」


「そうかい、じゃあ絵日記にしようぜ! 俺も絵は下手クソだが、描くのは好きなんだ」


ヨッホはロットメンネルの集団の中から、特に頼りになる顔役たちを呼び寄せ、ヘニョに紹介してくれた。


「こいつらはバルタとゲイブだ」


ヘニョは、かつてアールベルク峠で話したことのある二人に、改めてペコリと挨拶をした。


「バルタさん、ゲイブさん。募金をありがとうございました。かっこいい家が建ちました」


バルタとゲイブは嬉しそうに、ヘニョを見つめる。おめでとう大将、あれはいい小屋だな、と口々に祝ってもらい、ヘニョは幸せな気持ちがした。



「ブルーデンツの殿様に会いたいのか。それならステューベンの管理人ヨッホの名前も使うといい」

「俺らの名前も使っていいし、ブルーデンツのロットメンネルの頭(かしら)の名前も使っていいぞ。ローレンツっていうんだけどさ。もし覚えられればな」

バルタとゲイブは、わはは、と笑った。



◯



旅人を温める暖炉の間――「ステューベン(温かい部屋)」には、ヘニョたちのセラデラヴェラの開放型の暖炉とはちがう、煙の出ない見事なタイルストーブが立っていた。


ストーブに貼られたタイルは美しい色ムラのある深緑色で、そこへ白い塗料と細い筆で、小鳥や小枝や葉っぱが描かれていた。小鳥の目と、小鳥がついばむ小さな実には紺色の絵の具が使われていた。


ヘニョとニギ親方とベンノは、ヨッホが自らなみなみとよそってくれた温かいスープと、一人一本ずつ手渡された明かりの蝋燭を手に、タイルストーブの近くの食卓に腰を下ろした。


「すごいねえ! 来てよかったねえ! 近くにこんなに凄くて温かい、先輩の山小屋があったなんて知らなかった……!」

ヘニョはスープを口に運びながら、全方位に対して純粋な尊敬の眼差しを向けている。その無垢な姿を見つめながら、ニギ親方が静かに口を開いた。


「なあヘニョ。おまえの山小屋もいつか大きくなるかもしれないな。あの峠のてっぺんに、あんなに土地があるならさ、いつか村になるかも知れないし、城が建つかもな。なあ、そのときはヘニョ、また俺とベンノに頼めよな」


ヘニョはスープのレンズ豆に夢中だったが、話は聞いていた。いきなり、あ!と思い付いて、木匙を木椀にさした。


「そういえばニギくん。ギルドのおじさんが、くれたんだ」

そう言って三枚の金貨をポケットから取り出す。


三つの蝋燭に照らされて、ヘニョの手の上で夕陽色に輝く、三枚のギルダー金貨。少し指を動かせば、ギラッと光を放つ、片手を上げる髭の男と、リボンのついた百合の剣。


「『俺の代わりに、いつかニギに、すごいもん建てさせてやってくれ』って。そのときはわからなかったけど、……これって、そういうことなのかな? ニギくんとギルドのおじさんは、同じ事を言ってるのかな」


ニギ親方は、その金貨を横目でちらっと見て、それからフンとそっぽを向く。


「ハッ、そうかい。あのおやじもさ、あんなでっけえ図体して、なさけねえな。……ヘニョ、おまえはさ。あんな親玉になるんじゃねえぞ」


口調こそ小馬鹿にしているが、揺れる灯火に照らされたニギ親方の横顔は、なんだか寂しそうだった。


「橋は無理だけどさ、大きな時計塔なら建てられるよ、ニギくん! インスブルックのより大きいやつを建てていいよ!」


ヘニョが身を乗り出して言うと、ニギ親方はハッと前髪を吹き上げた。


「ばかやろう! 山小屋に大時計塔なんて必要あるか! それによ、アールベルクに天まで届く時計塔なんか建てたらよ、秒針が固まっちまって、ちっとも動きやしないじゃないか!」


ニギ親方は呆れたように怒っているが、なんだか嬉しそうだった。

ヘニョは不思議だなあと思ったが、自分も不思議と笑みがこぼれる。


「じゃあ凍らないように家をたてよう!そしてみんなで温まって、ニギくんの時計塔を見上げるんだ!」






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