↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
西方水滸伝 セラデラヴェラ戦記  作者: 瓶八
第二章 雪に宿り木
PR
14/41

閑話 聖マーチンの屠殺令







ゴトゴト、ゴトゴトと、冷たいみぞれが降りしきるシュタンツァタール谷の軍用路を、一台の黒い荷馬車が遠ざかってゆく。その頑丈な木製の檻(おり)のなかで、身を寄せ合い、ブヒブヒと何事かを語り合っているのは他でもない。我らがヘニョの大事な相棒たち――ハム、ピンク、ブッダ、ベーコン、ポルコの五匹の豚たちだ。


「ハムーーー!! ピンクーーー!! みんなぁーーー!!」


泥を跳ね上げ、何度も激しく転びながら、去りゆく荷馬車を泣き叫んで追いかけるヘニョ少年。冷たいみぞれが少年の涙と鼻水をグシャグシャに洗い流してゆくが、武装した徴税官たちの馬車は無情にも速度を上げて、霧の向こうへと消えていく。


哀れ、豚飼い。

バウホーフ(城営農園)にひとり取り残された寂しい背中。その背中を見下ろすアルレン城の城内には、ぱちぱちと算盤が弾かれる音と、紙をめくる音、ペン先が紙を引っ掻く音と、暖炉で薪がはぜる音、外で少年がすすり泣く音と、冷たいみぞれが地面を打つ音だけが響いていた。


やがて、ベテラン役人のパベルは、懐の算盤(そろばん)を弾きながら、気まずそうに、傍らの騎士ヤックライン・ウーバーリンに聞く。

「……これ毎年やってるんですか?……」

「……まあ、そうなんだ……」

ヤックラインも、そう呟くのが精一杯であった。



――さて、ここで一息入れまして、読者諸兄に解説せねばならんのが、中世ヨーロッパに厳然と立ちはだかる冷酷無比なる国家システム、通称【聖マーチンの屠殺令(とさつれい)】の正体でございます!

十一月十一日。この日は聖マルティヌス(聖マーチン)の祝日。

キリスト教のめでたいお祭りの日だというのに、農村の豚どもにとっては、これこそが文字通りの「血の審判の日」!

中世の厳しい冬、アルプスの山々は深い雪に閉ざされ、家畜にやるための穀物も干し草も、一ペニヒの余裕すらなくなっちまう。

「人間が生きるだけで精一杯の冬に、大食らいの豚どもに食わせるエサなど一粒もあるか!」

というわけで、冬籠もりを前に、領内の豚を一斉に強制回収し、片っ端から極上の塩漬け肉やソーセージへと姿を変えさせてしまう、これぞ恐るべき中世の絶対的な経済ルール(慣習法)なのでございます!

ヘニョが大公殿下の特許状を掲げて「この子たちは家畜じゃありません! 一緒に働く仲間です!」といくら涙ながらに訴えたところで、

「フン、中世の冬をナメるなよ!」

と突っぱねられ、合法的にドナドナされてしまったという、なんとも非情なる幕開け!


一方、檻の格子の隙間から、ついに転んで遠ざかる泥んこのヘニョを見つめていた五匹の豚たち。

しかし、リーダーのハムは、激しく鳴いたりはいたしません。

ただ、じっとヘニョを見つめ、まるで(泣くな、ヘニョ。俺たちを信じて待ってろ)とでも言うような、静かで、覚悟に満ちた眼差しを、泥まみれの少年に送っていたのでございます。


さあ、世界の冷酷なシステムに引き裂かれたヘニョと五匹の豚たちの運命やいかに!?


結論から言うと、豚たちは脱走して三日後に戻ってきた。

ヘニョとの旅で獲得した土地勘と五匹のチームワーク。そして人語を理解し、強い反抗精神とリーダーシップを発揮する謎の豚ハム。

これらが合わされば中世のソーセージ職人どもなど手玉にとれない訳がなかったのである。



◯



「オレクさんたち(逃亡農奴)が逃げ込めるなら、ハムたち(逃亡家畜)も逃げ込めるよね?」


二日間晴天が続いていた。アールベルク峠のカラカラに乾いた茶色い土の上で、ヘニョが首を傾げてそう言ったとき、ベテラン役人のパベルは、あ、こいつ本当にアホなんだな、と深く納得した真顔になった。


ヘニョの足元には五匹の豚が、疲れた~という雰囲気を出しながら座り込んでいる。

測量作業中のヘニョたちのもとへ、白昼堂々どや顔で乗り込んできたこの豚たちは、小屋のあるアルレン城から更に上って、アジール建設予定地のここまでやって来たという点でなかなか頭がよかった。

もちろん彼らは放牧などでヘニョと一緒にこの辺にはきている。アールベルク峠は、いわば彼らの奥庭であった。


山小屋建設のための仲間集めにランデックを練り歩いていたヘニョたちのもとに、他領から命からがら逃げてきたらしき『逃亡農奴』が仕事を求めて接触してきたのは数週間前のこと。

新人役人ヤン・チャペックが困惑する中、「プロジェクトの自滅」を密命されているパベルは内心で(ハハハ! 他人の財産である農奴の隠匿は重大な帝国法違反だ! これで主家シュロッフェンシュタインが合法的にこのアジールを取り潰せるぞ!)と大喜びで彼らを保護したのだ。

すべては計画通りにすすんでいる。


だが、このプロジェクトリーダーの豚飼い少年の思考は、常人の斜め上を爆走していた。


「何を言っているんです、リーダー。あいつら(オレクたち)は人間で他人の財産だが、こいつら(豚)は家畜で主家の財産ですよ。そもそも十一月の聖マーチンの屠殺令が来たら、リーダーのその五頭に限らず領内の全ての豚は、主家が回収して冬の食肉にすることが法律で決まっているんです。アルレン城の豚なら肉になったあとアルレン城の住人たちに戻ってくる。毎年そうやって来たんでしょうが」


峠に山小屋を建設する作業の間、建設チームのベースキャンプはアルレン城におかれる。つまりパベルもこの冬はハムたちを食べる気満々だった。


パベルの言い分は、この世界において極めて真っ当な、「冬に豚肉が食べたい普通の人」の意見だった。今回ばかりはいじわるでもなんでもなかった。


「逃亡農奴はアジールのために岩を運ぶ『労働』ができますが、豚はそれができない。人間においしく頂かれることしかできないただの肉(家畜)は、十一月にドナドナ(強制回収)される運命です。それがこの世界のルールですよ」

「……労働ができるなら、いいの?」

「いえ、そうは言ってません」

ヘニョは素直だった。去年までのヘニョだったら、大人のいうことに、はい、と言って泣きながら豚たちを渡していた。でも今年は事情が違った。一緒に旅した仲間であり、自分を信じて逃げてきてくれたハムたちを、チャーシューにされるわけにはいかなかった。都合の悪いことを聞かないふりするくらいのズルさは、今年のヘニョは身に付けていた。



「だったら、ハムたちに荷物を持ってもらうのはどうかな?例えば、スタシャのロバみたいに鞄をつけたり、豚用の馬車を引いたりとかさ。物を運んだら、ハムたちだって立派な労働者だよね、パベルさん!」

ヘニョは食い下がった。作者と読者の期待を一心に受け、キャラ崩壊ギリギリの粘りを見せていた。

「あのですね、まず豚が馬車を引くだなんて、そんな前例はですね――」

 パベルが言い聞かせるように腰に両手を当てると、ヘニョは近くの石の上で水筒をグビグビと煽っていたアル中の車大工ステファンへととことこと駆け寄った。


「ステファンさん! ステファンさんは馬車の専門家ですよね?ハムたちが引くかっこいい馬車を作ってください!」

「あ? 豚の馬車ぁ? ……ハッ、農奴のガキ、てめえ山をナメんじゃねえぞ。アールベルクのこのぬかるみと急斜面で、豚がひく車輪のついた車なんか一歩も進むわけねえだろうが。ああいうのは馬の体高があるからどうにかなってんだわ……だがな」

ステファンは腰のノミをぎらりと光らせ、ゲロの匂いのする息を吐きながら悪そうに笑った。

「あの低重心で四本足で突進する、毛むくじゃらの家畜どものパワーを一滴の漏れもなく活かす『シュリッテン(小さなそり)』なら、この俺にしか作れねえんだよ。車輪じゃなくて、平たい木の板で泥と雪の上を滑らせるのさ」

「シュリッテン! すごいやステファンさん!」


地雷人材として送り込まれたはずのアル中が、なぜか勝手に本領を発揮し始める。さらに、現場の隅っこでパベルが「寒さで真っ先に死ぬ老人」として仕込んだはずの、編み物名人の老婆――ブリギッテが、ふん、と鼻を鳴らして編み棒を動かした。

「あんたたち男衆の削った木端じゃ、豚の柔らかい皮膚が擦り剥けちまうよ。ステファン、ソリの結合部に合わせるハーネスの紐は、アタシが麻と羊毛を限界まで硬く編み込んで、絶対にちぎれない最強のやつを作ってやるさね」

「ブリギッテおばあちゃん、ありがとう!」


パベルの計算は、ここでも完全に狂っていた。

自滅させるための『使えないはみ出し者たち』が、ヘニョの熱意でおかしくなって、謎の連帯と噛み合いを見せて、誰も見たことのない【豚の物流インフラ】を爆誕させようとしていた。

そしてパベルから冬の楽しみである豚肉を奪おうとしていた。



〇



数日後。アールベルク峠の急斜面に、新しい光景が出現した。


「全体! すすめ!」

ヘニョの掛け声とともに、ハムを先頭にした五匹の豚たちが、ブリギッテが丁寧に編み上げた特製ハーネスをガシャガシャと揺らし、ステファンが削り出した頑丈な木製ソリを牽引して、とっとことっとこと斜面を登り始めた。


ソリの上に乗っているのは、ニギ親方がいつもはオレクたちに運ばせている、測量道具一式である。

ドコドコドコと、驚異的な馬力(豚力)でソリを曳き、測量道具を担いでアールベルク峠を爆走する五匹の豚たち。

それを見たアルレン城からの監査役たちは、開いた口が塞がらないという顔で固まっていた。通りかかる旅人の商人たちにいたっては、あまりの珍しさにわざわざ馬車の足を止めて見物したり、絵を描かせたりしている。


「あー、酒がうまいぜ」

ステファンが、豚ぞりと、パベルの顔をつまみに一杯やっている。

ブリギッテは聖マーチンを呪った豚視点の呪いの編み歌を思い付いたらしい。

前列がないなら、作ればいい。

ヘニョの圧倒的な突進力と、測量作業をさぼっていた職人たちの技術力によって、十一月の「聖マーチンの屠殺令」をくぐり抜けるための材料が揃ってしまったのだ。



◯



――ランデック。シュロッフェンシュタイン城、執務室。

「ヤックラインが困るだけだから認めてもよいでしょう。建設作業期間中だけ特例としなさい。更なる荷獣を要求されたら豚を理由に断りなさい」

スサナ夫人は、報告をした監査役にそう指示を出した。



◯



ランデックの悩めるロットメンネル(荷運び人)――トマス青年は、あれから教会へ通うようになった。


教会に通ううちに、ある男が時々いることに気づいた。


どこの誰かは知らない。名前も、職業も、何もかも知らない男だ。


ただ、男は体が大きく、その丸太のような腕を、胸の前で小さく折りたたみ、まるで壊れやすいガラス細工でも抱きしめるかのように祈りを捧げていた。


その様子に心打たれるものがあったので覚えていた。




男がいるときは、必ずトマスより先に来ており、トマスよりあとに帰った。


暗い堂内のなかで、二つの背中は、無言で並んでいた。






トマスたちが去ったあと、ろうそく二本をつけただけの薄暗い執務室で、司祭はもう一人の司祭と温かいスパイスワインのゴブレットを打ち合わせ、ぺろーんと溶けるように全身の力を抜いて、一日の疲れを労っていた。




「今日もがんばった俺」


「俺のが頑張っとるわ」


「死人が減ってみろ、それこそ我らは『商売あがったり』だわい」


「ほんとめんどくさい。あの大公も子供も本当にめんどくさい」




窓の外では、秋の冷たい北風が、ランデックを白く濁らせるように吹き抜けていた。





◯




(……いや待てよ?)


パベルはこめかみを押さえ、冷徹な役人の算盤(そろばん)を弾き直していた。


豚のソリによる労働実績? 認めよう。大大公のお墨付き? 確かに重い。

だが、この世界の冬はそんな綺麗事では越せない。


豚は大食らいだ。

これからやってくる五ヶ月の冬を越えるため、あの肥えた五匹の家畜どもが消費する飼料は、ざっと見積もって四千プフント(二トン)――馬車四台分だ。

あの農奴のガキはそんな大量の穀物を用意していないし、あの生意気なチビ親方も飼料を冬の市場価格で買い付けるなんて予算を建築計画に組んでいない。

もしこのままあの豚飼いが、豚五匹の生存を押し通したら、我らが聖なるアジール建設計画は一瞬で破産(パンク)だ。

……なに、今殺すよりは少しばかし痩せちまうだろうが。

どうせ、冬を越せない豚どもをみんなで美味しくいただくことになるのさ。


パベルは内心で(フッ、勝った)と高を括っていた。どれほど奇策を弄そうと、冬の「飢え」という物理的な絶対ルール(経済の壁)だけはいかなる人間にも攻略できない。

しかし――ヘニョたちの直面した「兵糧問題」は、パベルの常識を置き去りにして、誰も知らないところで解決することになる。



読者諸兄は、この五匹の豚たちの種類が、ただのピンク色のひ弱な家畜ではなかったことを知らねばならない。こいつらは、冬になると全身を羊のようなモコモコの縮れ毛で覆いだす、世界最古の固有種――『マンガリッツァ豚』(ウーリーピック)だったのだ。



「はあ? だからなんだ。全身モコモコのキュートな豚だからって、雪に閉ざされた峠のてっぺんで、一体何を食べるというんだ」


パベルが鼻で笑ったその時、石切場の影で、ハムを先頭にした五匹が、硬い冬の根雪をその強靭な「鼻先シャベル」でザクザクと豪快に掘り返し始めた。



彼らが地中から引きずり出したのは、他の家畜なら見向きもしないような、針葉樹の硬い樹皮、凍りついた野草の根、そして秋の間に土の奥深くに埋もれていた極上のオークのどんぐりや根生菌(キノコ)だった。


マンガリッツァ豚は、マイナス三十度の極寒にも耐える分厚い脂肪と防寒毛を持ち、牧草や根っこ、果実、果ては石の隙間の虫まで「完全自給自足」で貪り食う、家畜の皮を被った最強の山岳サバイバーだったのだ。


「ブフォッ、フゴッ!」

 ハムが、雪の中から掘り出した極大の木の根っこを美味そうにバリバリと噛み砕き、お前にはやらんぞ?、とでも言うように流し目でパベルをジロリと見た。ブッダに至っては、凍った地面を掘り返すことすら飽きて、冷たい北風の来し方を見ている。


「……う、嘘だ……。干し草すら食えないはずの食い物にうるさい豚が、雪を掘って自力で肥えているだと……!?」


パベルは顎が外れんばかりに驚愕し、手元の『マル秘帳簿』を落としかけた。

冬に大食らいの家畜を飼うのは破滅の元、という中世ヨーロッパの絶対的な経済学(常識)が、この毛むくじゃらの化け物どもの生命力によって完膚なきまでにへし折られた瞬間だった。


「すごいねえ、ハムたちは強いねえ」

ヘニョはブリギッテお婆ちゃんが編んでくれた防寒用の耳当てでハムの耳を覆ってやりながら、にこにこと笑っていた。

四千プフント(二トン)の飼料代は、一ペニヒたりとも発生しなかった。


パベルの「冬に豚肉が食べたい」というささやかな俗世の欲望は、またしても叙述トリックと遺伝子の奇跡によって、冷たい北風の中に霧散していくのだった。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。