2-3 夜の滑走路
日もとっぷりと暮れたランデック。
澄みきった秋の夜空には満点の星々が輝いている。
天上の無数の星の光が青白く降り注ぐ一方、地上の無数の灯火は赤く黄色く揺らめいて、城や監視塔や倉庫の壁面に様々な影を投げかけていた。
ここ、夜のマウトルガー・プラッツ(徴税待合広場)では、何百もの篝火が幾筋もの道のように焚かれ、夜を徹しての積み荷の積み替え作業が行われていた。ロバから馬車へ、馬車からロバへ。ロットメンネル(荷運び人)からロットメンネルへ。大樽がごろごろと行進していくすぐそばでは、納期の迫った車大工たちが頭を馬車の下に突っ込んで、工具を次々に持ち替えては何かを怒鳴っている。夜に働く人を見込んだ屋台も出ていて、松明やランプに照らされた物流の中継基地は昼とは違った華やかさがあった。
──そんな、燃え盛る篝火の熱気と大声が行き交う広場のど真ん中。
十三歳のニギ親方は、物流の喧騒の真ん中で、がたいのいい男たちを品定めするように歩き回り、声をかけまくっていた。
そこでニギのあどけない瞳が捉えたのが、ロバから降ろされた巨大な塩樽を、まるで軽い麦わら帽子でも持つかのようにひょいひょいと運んでいる、丸太のような腕を持った大男。
「おい、そこのデカいの!」
ニギ親方はフンと鼻を鳴らし、生意気に胸を張って豪快に笑いかけた。
「いいガタイしてんじゃねえか。おめえ、給料いくらだ?」
大男は一瞬かたまって、「10ペニヒ」と答えた。
「安く使われてんなよ! 二倍出してやる。アールベルクの現場に来い!」
これに激怒したのが、大男が所属する『荷物積み替えギルド』の役員たちだった。十三歳のクソガキが自分たちの貴重な労働力を目の前で引き抜こうとしたのだから当然である。
「おい、ベンノ! てめえ、こんなワケの分からんガキのところに行ったら、二度と雇わんぞ。うちだけじゃねえぞ。このランデックの街のどこでも働けないようにしてやるからな!」
数人の職人がベンノと呼ばれた大男と、小さなニギを取り囲み、ガタガタと脅しにかかる。
しかし、ニギ親方は怯むどころか、ふん、と鼻を鳴らして啖呵を切った。
「はん? 上等だわ。おいベンノ、そしたらおまえ、現場終わったらウチ(建築ギルド)に来いよ。俺が上の奴らに口を利いてやらあ!」
「ウチ」がどこかを問いただした、役員たちの顔色が変わった。
しがない荷物積み替えギルドにとって、泣く子も黙る巨大な『建築ギルド』相手に文句をつけられるはずもなく、それどころか、うまくすれば高額な「移籍代」が期待できた。下卑たソロバンを弾いたギルドの幹部どもは、手のひらを返したように、渋々とベンノの引き抜きを承諾したのだった。
ニギ親方はベンノを見上げると、「おい、あいつらに中抜きされるぞ。紹介なんか通さずに、直接ウチの門を叩きにこいよ」と現実的な悪知恵を授けたが、実直な大男は、
「お世話になったギルドですので……」と小さく頭を下げ、不器用ながらも筋を通した。こうしてベンノは、正式な手続きを経て、翌年の春からアジールの建設現場へ合流することになったのである。
気に入った人材を獲得できて上機嫌になったニギ親方は、小さい肩をいからせて、ヘニョたちの待つ倉庫街の裏路地へと、ドヤ顔で戻ってゆくのだった。
◯
一方、たびたび現れるガストホーフ(高級旅籠)からの恐ろしい追っ手をなんとか躱しきり、ようやく裏路地で足を止めていたパベルは、すでに完全に憔悴しきっていた。
常識が全く通じないアウトローたちを相手にさせられ、進まないプロジェクトに疲れ果てた彼は、汚れたレンガの壁にもたれかかり、
「有能な役人であるはずの私が、なぜこんなアホな農奴のガキに振り回されて……」と、口から魂が抜けかけていた。
「バラの胸飾り、なかったね……」
「どこにもありませんでしたね……」
豚飼い少年ヘニョと新人役人ヤン・チャペックの無鉄砲ペアは、もう帰りたいというパベルを引き止めて、薔薇の胸飾りの捜索に連れ回したものの結局成果がなかった。午後から加入した13歳のニギ親方は、今も元気いっぱいに広場を歩き回り、『これだ』と睨んだ作業員に片っ端から声をかけている。しかし、親方が帰って来たら今日はもうお開きかな、という空気が漂いはじめていた、その時だった。
「あの……、俺、オレク」
パベルが座り込んでいる路地の更に先、星の光も届かないような暗がりの奥から、一人の男が、おそるおそる声をかけてきた。
ヤン・チャペックがとっさに身構え、ヘニョが干しリンゴをモグモグする手を止めて振り返る。
そこにいたのは、お世辞にも小綺麗な格好とは言えない、一人の泥まみれの労働者だった。
破れた麻の服を着て、寒そうに身を縮めている。顔や手足は土埃で汚れてはいるが、決して怪しい悪党ではなく、どこか気弱そうで、中世の地方に行けばどこにでもいそうな、ごく普通の貧しい農民風の男だった。
男はパベルの役人制服と、ヘニョの募金箱を交互に見つめると、すがるような、切実な目を向けた。
「……俺、仕事、欲しい。ペニヒ、要らない。飯、寝床、あればいい」
「おう、ひとり見つけたぜ。春から来るっていうデカいヤツだ。名前は……」
広場から上機嫌で戻ってきたニギ親方が、お?新人か?と笑いつつ男を値踏みする。すると突然、表情を鋭くして迷いなく一歩前に踏み出した。
「おい。ちょっとその手を見せな」
ガシッ、とオレクの汚れた手を掴み、乱暴にひっくり返す。ニギのあどけない瞳が、その手の甲と、そして手のひらにびっしりと張り付いた、化石のように硬く盛り上がった独特の「まめ」を捉えた。鍬や鋤を何年も何年も、血が滲むほど握り締め続けてきた者だけにできる、農民の勲章。
「──おい。てめえ、逃亡農奴だろ」
◯
ニギ親方が「おい、てめえ逃亡農奴だろ」とオレクの手をひっくり返し、その化石のような「まめ」が露わになった瞬間――路地裏のどん底にいたパベルの脳内で、最高濃度のアドレナリンがドバドバと駆け巡った。メンタルが死にかけていた男の目が、怪しくピカピカと輝き始める。
(き、き、キタァアアアーーー!!! これだ! これこそが私の求めていた『完璧な破滅のピース』だ! アル中だのワガママ貴族だのといった小細工ではない。【他人の財産の不法占拠】という、言い訳無用の国家犯罪、一発縛り首の特大時限爆弾だ!!!)
有能な役人であるパベルの脳細胞が、一瞬でオレクの泥まみれの肉体をプロファイル(分析)し尽くす。
(よし、まだ耳も切られていないし、焼き印もないな。ということは、こいつは逃亡したばかりの『初犯の農奴』だ。まだ手配書が回っていないから引き渡し先(元の領主)が不明なのだな)
だったら、やるべきことは一つ。最高に邪悪で、最高に合法的なハメ技だ。
(ククク……、まだ焼き印がないなら、今ここで『ただの浮浪者』として匿ってアジールを建てさせよう。その間に、私の情報網でこいつの元の領地を突き止めてやる。冬が明けて山小屋が完成した頃に元の領主を呼べば、こいつは『初めての焼き印』を押される恐怖におびえ、ヘニョは『国家犯罪の不法占拠』で一発圧殺。私は本当に天才だ!)
◯
「──おい。てめえ、逃亡農奴だろ」
ニギの冷たい声が路地に響く。
「ええっ!? と、逃亡農奴!?」
新人のヤン・チャペックが顔を真っ青にして飛び退いた。
「パ、パベルさん!逃亡農奴(他人の財産)を勝手に雇ったら、窃盗罪、最悪の場合は国家反逆罪として僕たちまで縛り首になりますよ! 早く衛兵を──」
怯えるヤンと、じりじりと後退りするオレク。
そこへ、笑顔のパベルが割って入る。
「まぁまぁ、ヤン君、落ち着きなさい。中世の素晴らしい慣習法を忘れたのですか? 彼の服を見なさい。所有者(=領主)を示す証書も刻印もありません。つまり【持ち主が分からない(=被害届がない)】うちは、我々ランデックの役人も兵士も、彼を不当に逮捕したり引き渡したりする法的根拠はないのですよ。だから、今はただの『可哀想な浮浪者』として、曖昧に黙認してあげれば万事解決です」
「え? パベルさんが、そう言うなら……」
ヤンが狐につままれたような顔になる。
ニギ親方は、パベルの顔をジロリと睨みつけると、フンと鼻を鳴らしてオレクの手を離した。
「チッ、お上がいいって言うならいーんだろ。おい、オレクとかいうでくの坊」
ニギはオレクを見上げて、生意気に胸を張った。
「お前、仲間いねーか? アールベルクの現場はな、石を運ぶだけじゃねえ。石の切り出しもやるんだわ。男手が全然足りてねーんだ。命が惜しけりゃ、動ける仲間を全員ここに連れてこい。全員雇ってやる」
オレクは驚いたように目を見開いたあと、何度も深く頭を下げて、路地の闇へと走っていった。
「パベルさん、やっぱり優しいね! ぼく、大公殿下の次にパベルさんのこと尊敬しちゃう!」
ヘニョがキラキラした瞳で手を握ってくる。
「リーダー! 僕もパベルさんの法律知識に感動しました!」
ヤンも涙を流して拍手する。
「ハハハ、どういたしまして。すべては社会のため、大公殿下のためですからね」
パベルは爽やかに微笑みながら、抱えた帳簿の後ろで、陰湿な笑みを深く深く歪めていた。
(ククク……! 踊れ、踊れ! 豚飼いのガキども! どこの馬の骨とも知れん逃亡農奴のファミリーどもを山ほどアジールに囲い込むがいい! 春になったら元の領主にチクって、言い訳無用で合法的に一発で完全圧殺だ。あー、春が待ち遠しいなぁ!!)
そんな大人の汚い頭脳戦の真ん中で、ヘニョは、たすきを気にしながらトコトコ歩き、うーん、と夜空を見上げていた。
(ぼくも内緒でインスブルックにいこうとしてたけど……。みんなそんなに深刻に考えてるんだなぁ。ぼくを見逃してくれたヤックライン隊長は、やっぱりすごいなあ……)
ヤックライン隊長に会いたいなあ、ハムたち元気かなあ……。
秋の冷たい北風が吹くランデックの街。
パベルの悪意の時限爆弾は、少年のあまりにも無垢な恋しさを乗せて、アールベルク峠の風のなかへと運ばれていくのだった。
――その頃、はるか西のアールベルク峠、その東の麓、冷たい北風が吹き付けるアルレン城のバウホーフ(城営農園)では。
「おいハム、ピンク、飯だ。これでも食ってろ。こらベーコン、まだ寝とけ。……ポルコ、どうした。寂しいのか?」
カタブツ騎士ヤックライン・ウーバーリンが、慣れた手つきで5匹の豚たちを順番に世話していた。
(第2章・前編 / 完。中編へ続く!)




