2-2 縒り合わされる糸
ランデックの町で最も敷居が高いとされる、高級商館地区。
その一角に佇む、白石造りの美しいガストホーフ(高級旅籠)を見上げながら、ベテラン役人のパベルは、嫌な予感に苛まれていた。
(……計画がほころび始めている。破滅以前にプロジェクトが始動するか、怪しい……!)
パベルの肩掛け鞄の中にある「プロジェクト大破滅マル秘リスト」。その第一項(アル中の車大工)は勧誘に成功した。しかし第二項(ギャンブル狂の元渡し守兄弟)には、勧誘を断られてしまった。金に困ってる無職の人間でも半分公務の仕事の誘いを断ることがある、ということをパベルは事前に計算できていなかった。仕事しろよ、と思いつつ「要修正」とリストに書きこむ。
このままでは、コンラート様とスサナ夫人の顔に泥を塗ることになる。例え「内部崩壊させて失敗させろ」の密命が下っていたとしても、あくまでも表向きは、シュロッフェンシュタイン家はこのプロジェクトに全面協力していなくてはいけないのだ。
パベルの心配事は、リストの第三項――この町で最もタチの悪い『金食い虫の政治爆弾』も、謎の理論で断ってくるのではないかということだった。
「パベルさん、次はどんな凄い人なんですか!?」
ガストホーフ(高級旅籠)の階段を上りながら、新人のヤン・チャペックがキラキラした目でパベルを見上げる。『あんたが大将!』のたすきをかけたこのプロジェクトのリーダー(ヘニョ)も、干しリンゴをモグモグしながら、わくわくした顔でパベルを見上げている。
「ふっ、よくぞ聞いてくれました。二人とも、あのお方をご覧なさい。あのお方こそ、諸国漫遊中のお忍びの貴公子……」
パベルが恭しく指差した先には、二階テラスの特等席で、波打つ金髪を優雅にかき上げ、お高そうなシルクの袖をひらひらさせている若い男がいた。
……しかし、その優美な空気に惑わされずに耳を澄ませると、どうやら揉め事の最中らしかった。
「ギヨーム様。これ以上は、宿代もご飲食代もお付けできません。 溜まりに溜まったツケを、今すぐお支払いください」
高級な刺繍の上着を着たその男は、店員に激しく詰め寄られていた。
「また君か。しつこい男はモテないよ? クーシー家につけといてって、私は最初から言っているだろう」
「ですから、クーシー家と言われましても」
「君! まさか、クーシーを知らない? おいおい、これだからプロヴァンシアル(田舎者)は嫌なんだ!」
ヘニョ(……全然、忍んでない……!)
ヤン(……めちゃくちゃオープンですね……!)
二人は高級店の雰囲気を壊さぬように、こそこそと言葉を交わす。しかし、パベルは強引に話を続けた。
「ギヨーム・ド・クーシー様です! お父上は、あの泣く子も黙る英仏が認めた紳士の頂点、エンゲラント七世・ド・クーシー卿……!」
ヘニョとヤンは、(よく知らないけど、なんか凄そう……!)(名前がかっこいいですね……!)と囁き合っている。
「ほら、見給え。彼のような下級役人でさえ、クーシーの名もその名の誉れも理解しているじゃないか」
ギヨームが勝ち誇ったようにワインの器を掲げるが、店員は食い下がる。
「いや、そういうことではなくてですね。ここはチロルです。異国の名門の名前を出されても、現金の代わりには……。それに貴方が本物であるという証拠はどこにも……」
パベルがごほんと咳払いをし、すかさず、ヘニョの背中をパチンと叩いて前に押し出す。
「ギヨーム様! お取り込み中失礼いたします! こちらは我らが大公レオポルト三世殿下直属のプロジェクトリーダー、ヘンリク様です。あなたの高貴なご見識を、是非とも我々の山小屋の建設事業にお貸しいただきたい! もちろんお手当ても出ます!」
ギヨームは、ヘニョの薄汚れた格好と、胸の不格好な募金箱、そして『あんたが大将!』のたすきを眺めると、心底嫌そうにため息を吐いた。
「ノン(Non)。……お断りだね。君たちみたいな、美しさの欠片もない人間たちに関わる気はないよ。クーシーの男の人生は、安っぽくないんだ」
ヘニョは、口を開きかけたが、ギヨームの指一本で制されてしまった。直接触れられたわけではない。ただ遠くから、人差し指で優しく口を閉じるように身振りされて、思わず従ってしまったのだ。
ヘニョは青い瞳の人間を生まれて初めて見た。
「だが、そうだね……」
ギヨームはヘニョに向けていた細い人差し指で、今度は自分の胸元の空っぽのボタン穴をなぞった。
「もし、私のこの高貴な胸を飾るに値する『薔薇の胸飾り』を見つけ出して、私を感動させてくれるのなら……その時は、考えてあげなくもないよ、おチビちゃん」
「バラの胸飾り……」
ヘニョは、薔薇の胸飾りというものを見たことはなかったが、バラ、胸、飾りという単語は知っていた。ギヨームの胸にお花が刺さっている絵を頭で思い浮かべることができた。それならそれを探すまでだ。ヘニョは今の自分にできる精一杯の行動として、その言葉を忘れないように口にした。
「ギヨームさん、ぼく、がんばって探します! バラの胸飾り!」
「リーダー! 僕も探しますよ!」
聞きたい言葉を聞けたとばかりにギヨームは頷いて、ワインに戻ってしまった。
パベルは(ダメか……またか……)とため息をつき、鞄から携帯木炭を取り出し、帳簿を広げて第三項の(ワガママ貴族)の文字を横線で消した。少し考えて「薔薇の胸飾り?」と書き足した。
その時、店員が困ったようにパベルに話しかけてきた。
「……あのーお役人さま。『クーシー家をご存知』なんですよね?」
「え? はい、まぁ……超名門ですし」
「よかったです。では、ギヨーム様の身元引き受け人ということで、こちらの溜まりに溜まったツケ、合計6.5ギルダー、代わりにお支払い頂きたく……」
「え? ギ、ギルダー? ……え?!?」
パベルの白い顔面が、干しダラのように固まった。1ギルダーは300ペニヒなので、6.5ギルダーは、2000ペニヒ近い金額となる。役人の数か月分の給金が一瞬で消し飛ぶ大金だった。
「あ、いや、私はただ知識で知っているだけで、縁やツテがあるわけでは──」
パベルは助けを求めるようにギヨームの方を振り返ったが――。
フワリ、と、そこには薔薇の香りの残り香だけが残されていた。
若い貴族の姿は、影も形もなく、綺麗に消えていた。
慌てて駆け寄ってテラスから下の通りを見下ろせば、ちょうど角を曲がるところのギヨーム・ド・クーシーの投げキスが見えた。
「……!?」
パベルは冷や汗をたらたらと流しながら振り返り、歩いてくる店員から距離を取り、じりじりと後退し始めた。
「パベルさん? クーシー家って、すごいんですか?」
無邪気に聞いてくるヘニョの声を、パベルは必死の笑顔で遮った。
「く、クーシー……? なんだろなー? あれ、私そんな高貴な名前、知ってるって言いましたっけ……? あ、あそこに別の職人が見えますね! さあ、行きましょうリーダー!」
パベルは、二階テラスの欄干を飛び越えて庭の芝生に着地すると、一切振り返ることなく全速力で路地へと逃げ出した。
「わあ! 待ってパベルさん!」「パベルさん、すごいです!」
ヘニョとヤンも、よく分からないまま、えいっとテラスの欄干を飛び越え、その後に続く。
「くそ! 踏み倒しだ! 衛兵を呼べ!」
店員の怒号が、ガストホーフ(高級旅籠)のテラスから、高級商館地区全体に響き渡った。
「パベルさん! 店員さん追ってきますよ!」
「なんか兵士さんたちもきてます!」
「ひえ~~」
パベルの鞄がばふんばふんと跳ね、ヘニョの募金箱がガシャガシャと鳴り、ヤンのダブダブの制服が風を孕む。そのちぐはぐな三つの影は、弾むように通りを疾走し、路地の角へと消えて行った。
◯
高級商館地区の目抜き通りから、全速力で路地を二つ曲がり、今目の前で閉じようとしている重厚な扉の中へ、パベルたち三人は、滑り込んだ。
「遅かったじゃねえか、豚大将。うちのクソガキを持っていけ。アールベルクの地獄の現場なら、こいつの生意気な鼻っ柱もへし折れるだろ。……おいニギ、大公殿下のプロジェクトリーダー様だ。挨拶しな」
どうやら建築ギルドであるらしいそこで、親方と思われる男に、首根っこを掴まれるようにして、ヘニョたちの前に突き出された小柄な少年。
差し出された少年――ニギは、ヘニョよりも背が低く、まだ声変わりしきっていないあどけなさの残る顔をしていた。
「……チッ、親方も焼きが回ったな。俺に最高の初現場を用意してやるって大見栄切っておいて、これかよ! どう見ても一発でキャリアが泥にまみれる超特大の地雷案件じゃねえか! おい、そこの豚飼いのガキ! 予算はあんだろうな? 職人は? おいそのきったねえ手で、俺の図面を触るな! 半ツォル(約1.2センチ)でも汚したら承知しねえからな」
ヘニョはパチクリと目を丸くして、自分より小さなニギを見つめ、それから嬉しそうにその小さな手を両手でぎゅっと握りしめた。
「ず、図面!? ……すごい!! ニギくん、よろしくね!」
「その若さで図面が引けるなんて、素晴らしすぎます!!」
ヤンも片腕で顔を隠して号泣している。
「く、くんって言うな! 気安く触るな! 俺はニギ『親方』だ! お前ら、俺より背が高いからって調子のるんじゃねえぞ? 俺は、お前らより100倍頭がいいんだからな!!」
真っ赤になって手を振り払うニギ。パベルのマル秘リストにはない、ギルド側からあてがわれた完全なイレギュラー人材だったが、パベルは後ろで、(すみません、裏口はありますか?)と、ギルド職員に小声で聞いていたので、ニギの加入には気づかなかった。
◯
一同が次にパベルの案内でやってきたのは、広場の片隅で行われている、貧民の炊き出し場だった。
その腐臭と炊煙が同時に立ち込める人口密度の高い泥濘のなかで、ボロ布を纏い、異様な「呪いの編み歌」を不気味に歌いながら、目にも留まらぬ速さで毛糸を編み続けている老婆がいた。
近所からは「あの呪いの歌が不気味だ」と苦情が殺到している、パベルが用意した特大の地雷人材だった。
「さあリーダー! あの方こそ、あらゆる繊維を自在に操る伝説の編み物名人、ブリギッテ様です! 是非スカウトを――」
「おい、パベルの旦那。正気か?」
パベルの言葉を遮ったのは、大きな革の道具袋を揺らした13歳のニギ親方だった。ニギは居酒屋で飲み潰れているステファンとは違い、進行管理をするといってヘニョたちについてきたのだ。
「この婆さん、年齢的にも栄養状態的にも、アールベルクのあの極寒の峠に連れてったら一晩で確実に死ぬぞ。建築計画に『死体の処理コスト』なんて予算は組んでない。無駄な人間を雇う余裕はない、置いていけ」
パベルはハッとして、心の中で(こいつ……! 余計な正論を吐きおって! このババァが峠でショック死してプロジェクトが人道的に大爆死する予定だったのに……!)と激しく罵った。
いつもは無鉄砲なヘニョもヤンも、(たしかに……)、(お婆ちゃんには辛い現場だよね……)と今回ばかりは断るべきかという空気を醸し出している。
ところが、歌をピタリと止めたブリギッテが、ぎらりとした目をニギに向け、編み棒二本の尖った先をニギの顎先に突きだした。
「――おや? 聞き捨てならないね。何も知らないひよっこが生意気なことを言うもんだ」
「な、なんだよババア。俺は物理的な生存確率の話を――」
「このブリギッテの編んだ極上のウール(毛糸)がありながら、アールベルクごときの寒さで私が凍死する? もう一度そのつまらない冗談を言ってごらん! 110プフント(50キロ)ごときのお前なんて、十番糸一本で峠の谷底まで吊るしてやってもいいんだよええ!? おい坊や、アタシを連れてっておくれ! こんな低地じゃ暑くて暑くて新作も大作も編めやしない」
「わあ……! 頼もしい! ブリギッテお婆ちゃん、よろしくね!」
ヤンが「お婆ちゃんのやる気、尊いです」と泣き、ヘニョが喜び、ニギが毛糸の強度計算を始め、ブリギッテが呪いの歌を再開する横で、ベテラン役人のパベルは、(……もう、よくわからない……)と、白目を剥きかけていた。




