2-1 回り出した車輪
大公レオポルト三世の乱入という、これ以上ない大逆転劇から一夜明けたランデック。
九死に一生を得た哀れな豚飼いにして、大公お墨付きの一大プロジェクトの責任者を任せられた――日当1ペニヒのヘニョ少年は、再び死にそうな思いを味わっていた。
十数人の騎士たちが左右に居並ぶシュロッフェンシュタイン城の黒石の広間に、ヘニョはひとりで呼び出されていた。
当主コンラートによって、妻スサナ、その妹イフィゲニア、その娘ガラドミア、母グエンダと次々紹介される貴婦人たちが、入れ替わり立ち替わりヘニョの前に歩み出て、黒絹と毛皮のドレスの裾を持ち上げ、頭を下げる。
これ名前覚えないといけないのかな、と思いつつも、全く覚えられずに脳みそをショートさせているヘニョ。その様子を観察しながら、コンラートは本題に入った。
「ヘンリクよ、昨日はすまなかった。 大公殿下もおっしゃっていた通り、我がシュロッフェンシュタイン家もアールベルクの山小屋建設に一役買って、今回のことを償いたいのだ。 そこでだ。プロジェクトリーダーのお前に、我が家の誇る優秀な『役人』を二人、部下として貸し出すことにした」
コンラートの目配せを受けて、騎士たちの後ろから、二人の男が進み出て右手の拳を左胸に当てる。
一人は、薄い唇に、細い目、細くて高い鼻を持つ色白の男で、役人のパベルと名乗った。
もう一人は、まだ制服に着られたような初々しさを残す少年で、パベルが、新人役人のヤン・チャペックと紹介した。
「ヘンリク様。私は城に勤務して長く、この街のことも人もよく知っております。若きリーダーを全力でお支えするのが私の勤めです」
パベルは笑った。読者には、彼の後ろにあるスサナ夫人からの裏命令――『ハプスブルクのプロジェクトを内側から完璧に自滅させろ』という悪意をばらしておく。
一方、新人のヤンは本気で燃えていた。
「ヘンリク様! 新人のヤン・チャペックです! 大公殿下とコンラート様から拝命した、僕の初めての大仕事です。一緒に立派な山小屋を建てましょう!」
謁見が終わるなり兵士に取り囲まれ、そのまま城の外に誘導されたヘニョと役人二人。
三人はシュロッフェンシュタイン城の城門前にある、いまは無人の『ワッフェンプラッツ(兵員集結広場)』に立ち尽くしていた。
「……山小屋を建てるっていっても、ぼく、大工さんの知り合いもいないし、どうすればいいんだろう」
ヘニョが途方に暮れて胸のうちをこぼすと、パベルが待ってましたとばかりに、大仰に手を広げてみせた。
「ふっ、仕方ありませんね、プロジェクトリーダー。そこは我々プロの役人の『人脈』にお任せください! このランデックの町を練り歩き、最高の人材をスカウトしに行きましょう!」
「パベルさんの人脈なら間違いありません! いきましょう、リーダー!」
ヤンも無邪気に拳を握る。ヘニョはすっかり嬉しくなり、わくわくしながら二人の後をついていった。
◯
昼のランデック。それは――あえて日本人読者諸兄に分かりやすいように説明するならば――『富士山五合目 × 武闘派羽田空港 × 長距離バスターミナル × 貨物船のコンテナ積み替えデッキ』これらを混ぜ合わせた魔界だった。
いくつかある商用広場の中でもここ、徴税待ち合い広場が最も大きく人が多かった。――昨日ヘニョとヤックラインが死にかけた広場だ。
これから峠を越える徒歩の商人や荷運び人、人運び人、積み荷を積んだ馬、人を乗せた馬、家畜、荷車、馬車、それらの車輪にかじりつく車大工、積み荷を積み替える専門の職業人とあちこちに積まれた木箱の山、陽気に売り文句を歌ったかと思えば同業者とケンカする靴売りや蹄鉄売り、チーム・移動式便所、一言も話さない山岳案内人たち、素振りをする護衛や傭兵、それらを片っ端から暴力で捌いていくシュロッフェンシュタインの兵士たち、ピリピリして発狂しそうな徴税役人たち、貧民のための炊き出しの大鍋とそれに群がる貧民たち。これらがひしめく広場は、混沌としているのか整然としているのか、活気があるのか地獄なのか判断が難しかった。
パベルの案内で、その広場を迂回するように、ヘニョたちは職人たちの工房へ向かったが、山越え業界のプロたちは、大公の書類を見ても鼻で笑うだけだった。
「大公のお墨付きだか何だか知らねえが、農奴のガキがリーダーだと? 舐めるなよ」
「誰でもタダで泊まれる避難所? ハッ、俺たちの宿屋の商売を干す気か。素人のボランティアに貸す手はねえよ。失せな」
厳しい意見とあからさまな敵意を向けられたヘニョは、知らず知らずのうちに肩を落とした。
「ぼくって嫌われてるんだ……」
「フン、あいつらは見る目がない! 気にすることないですよリーダー!隠れた天才をご紹介します!さあ、こちらへ!」
なぜ、これほどまでに人が溢れ、プロの職人たちが農奴の少年を敵視するのか。
理由は単純。ここランデックを支配するシュロッフェンシュタイン家は、ただの地方貴族ではない。彼らは西のアールベルク峠だけでなく、南方のイタリアへと抜ける『ブレンナー峠』、そして北方のシュヴァーベン都市同盟(南ドイツ)へと抜ける『フェルン峠』のすべてを掌中に収め、チロルの東西南北の物流と関税を完全に独占している「利権の怪物」だったのだ。
彼らにとって、大公の書類を盾に「誰でも無料で泊まれる避難所」を作ろうとするヘニョの存在は、自分たちの縄張りを脅かす最悪の侵略者。プロの職人たちがヘニョに敵意を向けるのも、お上の財布(シュロッフェンシュタインの利権)が削られれば、自分たちの食いぶちが真っ先に干されると知っているからだった。
パベルが(よしよし、プロに断らせるまでは計算通りだ)と裏でニヤリと笑いながら、ヘニョとヤンを案内したのは、広場の片隅に入り口をとる、ひときわ汚ならしい大衆居酒屋だった。
◯
「ヘンリク様、ご覧ください! あの方こそ、かつて一晩で十台の馬車を直したという、隠れた伝説の車大工ステファンです! 普通の人間には彼の『天才の苦悩』が理解できないのですよ!」
パベルが指差した先には、昼間から酒を浴びるように飲んで「おらぁ! 酒を持ってこい!」とくだを巻いている、泥酔したヨレヨレのおやじがいた。まともなハンマーすら借金のカタに取られて持っておらず、店の主人からは「このアル中め、塩撒くぞ!」と怒鳴られている、誰がどう見ても「絶対に採用してはいけない赤マル人材」だった。
「パベルさん、でもあの方はお酒の匂いが……。いや、芸術家とはそういうものなのかもしれませんね! リーダー、凄い人を見つけました!」
純朴な新人のヤン・チャペックでさえも、よく分からないほめ方をしているくらい、明らかな地雷案件だった。
しかし悲しいことに、日当1ペニヒの豚飼い少年にはそのような常識および言葉の機微が通じなかった。
「わあ……! 一晩で十台!? すごい!! ステファンさん、ぼくたちの仲間になってください!」
ヘニョはステファンの手を取った。
「あ? 知ってるぞ、てめえ噂の農奴のガキだな……。まあ、大公のプロジェクトだか何だか知らねえが、酒を奢ってくれるなら、名前くらい書いてやってもいいぞ、ゲプッオエエエ」
ステファンが盛大にヘニョに「洗礼」を浴びせる横で、パベルは肩掛け鞄から細い木炭と黒革の帳簿を取り出し、(よし、まずは一人目の金食い虫のアル中を送り込むことに成功したぞ。これで山小屋計画は初手から大破滅だ)と「マル秘リスト」の項目第一項を線で消していた。
だが、そんなパベルの悪意など露ほども知らないヘニョとヤンは、
「やったーーー!! 伝説の職人さんが仲間になったぞーーー!!」
「やりましたね、リーダー! 幸先がいいですね!」
と、酒場の真ん中で手を取り合って感動をわけ合っていた。
◯
「ほらほら、リーダー! 胸を張ってください! これが大公殿下直々のプロジェクトリーダーの正装(笑)ですよ!」
ベテラン役人のパベルが、居酒屋から拾ってきたような、煤けた白い布切れを、ヘニョの小さな体にたすきがけに巻き付けている。
そこには、木炭によるかすれた文字で『大公公認!』『あんたが大将!』と、前面と後面に殴り書きされている。
先ほどの職人たちの反応を見て、パベルが「いける!」と判断した即席のデバフ技であった。
ヘニョはよく分からないまま、首から不格好な木製の『募金箱』をぶら下げられ、先ほど迂回した『マウトルガー・プラッツ(徴税待合広場)』へと押し出された。
「……なんか、ちょっと恥ずかしいね、ヤンさん」
たすきを気にしながらトコトコ歩くヘニョの横で、新人のヤン・チャペックは本気で感動していた。
「何を言ってるんですか、リーダー! 大公殿下の名前を背負って街を歩くなんて、最高の名誉です! さあ、山小屋のための寄付を募りましょう!」
パベルは後ろで、(ハハハ! 狙い通りだ。あんなアホなたすきを掛けられてへらへらしている無能な農奴のガキに、まともなプロの職人が手を貸すわけがない)と冷酷に口元を歪めていた。
しばらく歩いてみてわかったのは、ランデックの民のヘニョへの反応は、あまり一貫してないということだ。
「あーら、あんたがアールベルクの山小屋を建てるっていう豚飼いの子かい? 若いのにすごいねえ、頑張るんだよ」
市場のおばちゃんが、ヘニョの募金箱に「おまけさ」と言って干しリンゴを投げ入れてくれる。
路地の片隅に座る地元のおばあちゃんに至っては、「大公様のお導きだ、ありがたや、ありがたや……」と、ヘニョを本物の聖人のように拝んできたりする。
ヘニョは「あはは、ぼく、ただの農奴だよ」と口ではいうものの、妙にほっぺを赤くしてまんざらでもない様子でたすきをピンと張って見せた。
◯
しかし、通りを走り抜けていく子供たちは、容赦がなかった。
ドスン! とヘニョの背中をわざと突き飛ばし、走り去り際にケラケラと笑いながら振り返る。
「やーい! 大公の犬ーーー! 豚のくせに大将だってさー!」
大人が家や商館の裏でクスクスと囁き合っている本音の悪口を、子供たちが無邪気にトレースして間接的に投げ込んでくるのだ。
ヤン・チャペックが拳を振り上げて「こらっ! 街のリーダーに対して不敬だぞ!」と怒鳴るが、子供たちは泥を跳ね上げて逃げていく。
さらに、靴職人や案内人、運び手といった『山越え業界』のプロたちが集まる御用達酒場の前を通りかかったとき、中から下品な大爆笑が響いてきた。
店の看板には、黒板にチョーク(白石灰)でこう書かれている。
『本日限定! 大公の豚大将の悪口を言ったら、ワイン一杯無料!』
「ガハハ! おい、あのたすきを見ろよ! 豚のくそでも塗った方がまだマシだってえの!」
山をナメている素人のボランティアに対する、プロたちの猛烈な悪ふざけと敵意。酒場はヘニョの悪口を肴に、大いに盛り上がっていた。
「おい、ナターシャ! お前もあのガキに何か言ってやれよ!」
酒場のテラス席で、昼から泥酔している商人が、横に座る娼婦のナターシャの肩を抱いて下品に笑った。
ヘニョはハッとして、波打つ黒髪を色っぽくまとめた女の人を見つめた。
ヘニョがインスブルックに向かう旅の二日目の早朝に、道を教えてくれた、『さょーふのナターシャ』だった。
ナターシャは今日の旦那(商人)に言われるがまま、ヘニョの姿と、あの『あんたが大将!』のたすきをジロリと眺めると、わざとらしく両手を腰に当てて、鼻でせせら笑ってみせた。
「あははは! なにさあれ、アホだね〜! 誰があんなみすぼらしいガキの悪口なんか言って、安物のワインをタダで飲むもんかい! 悪口を言う口が汚れちまうよ!」
ドッと酒場が笑いに包まれる。
商人は「ガハハ、相変わらずナターシャは気位が高いな!」とご機嫌にお腹を抱えた。
「それよりもっと楽しいことをしようじゃないか。賭けはどうだい?森林同盟の連中が次の戦いで勝つか負けるか……!」
ナターシャは機転と冗談で男たちを上手にかわしながら、ヘニョに向かって、片目でウィンクしてみせた。
(早く行きな、坊や。ここは大人たちの汚い場所さ)
そんな声が聞こえてきそうだった。
ちょっと落ち込んでいたヘニョだったけれど、ナターシャのそのウインクで悪口の裏にある優しさを感じとることができた。
「ナターシャ、ありがと! がんばるね!」
ヘニョが元気に手を振っても、ナターシャは振り返らなかった。
パベルは(フン、娼婦にまで笑い者にされているな)と満足そうに帳簿を叩いた。
「さあ、リーダー! 次なるプロ(笑)の案内人をスカウトしに行きましょう!」
◯
ナターシャが男たちと騒ぐ酒場の片隅で、荷運び人(Rottmänner / ロットメンネル)の青年トマスは疑問に思っていた。
(本当にそうだろうか?)
同業者も年長者もみな口を揃えて、あの農奴の坊主の山小屋のことを、馬鹿にして笑いものにしている。
だけど、それは本当に正しいのか?
(……あそこに山小屋があれば、実際助かるよなあ)
トマスは二人の兄をアールベルクで亡くしている。同じ荷運び人だった。いい加減な仕事をする人たちではなかったが、どのように死んだかはわからない。でもトマスはこう思いたかった。峠には今、人間の限界があると。
飲む気がなくなって、酒場を出た。
トマスの足は久しぶりに教会に向かった。
兄たちの葬儀を行った小さな教会だ。
聖堂に入ると、自分の革靴の音が堂内に響いて、その、コツン、コツン、という音を聞くたびに、自分の心が神の前で露わになっていくのを感じた。
木製の椅子に腰掛け、聖堂の頂きに向かって祈りを捧げていると、不思議と思いが溢れてきた。
俺は奴らに加わりたいのだ。
そして兄たちや兄の仲間たちの魂を救いたい。
俺は彼らがただくじを引いて死んだのではなく、それが何かよいことを引き寄せるためだったのだと思いたい。
でも俺にはできない。
仕事を失うのが怖い。
仲間を失うのが恐ろしい。
他に生きてくすべなどない。
「……どうされましたか」
そこへ現れた司祭に、トマスは胸の内を告白した。
「……俺は、あの豚飼いの計画が良いと思ってしまった。それに加わりたいとさえ。でも周りのみんなは違う。俺はどうしたら良いでしょう」
司祭は微笑んだ。
「神に赦しを乞いなさい」
トマスは打ちのめされて、祈祷台に膝を折った。
◯
パベルに案内されてヘニョたちがやってきたのは、先ほどの広場からはかなり離れた場所にある、薄暗い場末の賭博場だった。いくつも狭い路地を曲がらないと辿り着けないそこに、パベルは迷いなく到着した。
「次はどんな人ですか?」
無邪気に聞くヘニョに、パベルは両手をすり合わせ、いかにも自信がありますという顔を向けた。
「今度も高度な技術者ですが、今回はなんと二人です!悲劇と不運に見まわれて一見いまは腐ってますが、私は彼らを救いたい!リーダー、是非お雇いください!」
賭博場の一番奥、向かい合って酒を酌み交わしている二人の男がいた。
パベルは、あの二人です、とにこやかに指差した。
「元渡し守の兄弟――兄のマティアスと、弟のトビアスです。腕はいいのですが、我が主シュロッフェンシュタイン家が『橋』を建造したために、仕事がなくなってしまいましてね」
「さすがはパベルさん……!その優しさに僕、感動しました!でも教えてください、渡し守が山小屋とどう関係が?」
きらきらした瞳で、特大のナイフを無自覚に突き込んでいくヤン・チャペック。
「そ、それは……。その……」
「ヤン君、それはね」
言い淀むパベルに助け船をだしたのは、どこか得意気でわけしりかおのヘニョ。なんでお前が?そして関係なんてないが?という二つの困惑が、パベルの顔を通りすぎてゆく。
「大公さまが言ってました。僕たちが建てようとしてる山小屋は、絶望に架ける希望の橋だって。だから渡し守なんだと思います!」
「そう、……そう!それですよ、リーダー!」
全く説明になっていないのに、ヤン・チャペックは「深いです」と言って泣いた。パベルは内心、(えー……)、と思った。
◯
「おい、お前ら。大公殿下のプロジェクトリーダー、ヘンリク様だ。ありがたく山小屋の仲間になりなさい」
パベルの尊大な勧誘を、マティアスは、せせら笑った。
「大公だか豚大将だか知らねえが、俺たちはお国のせいで船を奪われたんだ。今更お国のために働くおめでたい頭は持ってねえよ。失せな」
ただマティアスは相手が悪かった。必死になったヘニョは「お願いです、仲間になってください!お願いです」とゴリ押しでしつこく食い下がってくる。こういうやり方で成功体験があるからこいつはたちが悪い。
あまりのしつこさとうるささと、子供っぽい立ち回りに、はじめは無視していたマティアスも、次第に呆れを通り越して額に青筋を立て始め、今やいつ酒の入った杯がヘニョの顔面に叩きつけられるかわからないところまできていた。あ、やばそうとパベルが思ったのとほぼ同時に、弟のトビアスが「まあまあ、マー君、落ち着いて」と柔らかい声で優しくいなした。
トビアスは懐から二つのサイコロを取り出し、机の上にじゃらんと置いた。
「ヘンリクさん聞いてくれ。ここに俺たちの『神様 (サイコロ)』がいる。俺たちはこういうだいじなことはね、なんでもこいつらに聞くんだよ。あんたの気持ちはわかったよ。でもね、あんたがほんとに大将の器なら、一振りで良い目がでるはずさ。そういう男じゃないとマー君はつかないよ」
ヘニョはトビアスの手からサイコロを受け取り、両手の中でじっと見つめた。生まれてはじめて持ったサイコロだった。
トビアスがコトン、と置いた、陶器の鉢を不思議そうに見つめる。
面白そうな成り行きに賭場で暇してる連中も集まってきた。傷ありや汚いのや飲んだくれに囲まれ、ちょっと緊張したヘニョだったが、怖い人に聞かれて、はじめてです!と答えると、やり方を教えてもらった。ヘニョは見よう見まねでサイコロを手の中で振った。
そして上の方を見て、目をつぶって、ザンクト・アントンに加護を祈ると、目を開けて、おそるおそる鉢の中へと放り投げた。
ガラガラ、ピシャ。
小気味良い乾いた音が響き、静止した二つの賽の目。
そこには、ぴたっと止まった『六』と『六』のゾロ目。
しかしこの目がいいのか悪いのか、ヘニョはわからない。
そーっとトビアス、そしてマティアス、それから周りの様子を伺う。
一瞬の静寂。そして――
「わあぁぁ!! 大将すごいです!!」
突然のどよめき。観衆は口々に、これは驚いた、これはすごいと言い交わした。
振り返るとヤン・チャペックが拳を振り上げて絶叫している。
「これは、いいの?」
「良いもなにもいちばんいいですよ!ねえ?トビアスさん!」
ヘニョはほっとして、それから嬉しくなった。
よかった……!マティアスさんとトビアスさんも仲間だ!
しかし二人の純粋な子供に、よろしくお願いします!と全力期待顔で挨拶されているトビアスは、少しも表情を変えずにこう言ってのけた。
「……おやおや、これは大変なことです。神さまが、本気でこの事を成そうとしている。リーダー、こういう時はね、人間が焦って物事を進めようとしてもうまくいかないものなんですよ。ですから――とりあえず今日はお引き取りください」
ヘニョはよく分からないまま「そっかぁ……」と納得しかけ、首を傾げて兄弟を見つめた。
「二人は、いつか来てくれるんだよね?」
マティアスは口につけていた杯を離し、悪そうに笑った。
「……賽の目が、命じたときにな」
ヘニョたちがよかったよかったと言い合いながら引き上げていくそのすぐ後ろを歩きながら、ベテラン役人のパベルは、ガシガシと頭を掻きむしっていた。
(……ああもう! 最底辺のクズにまで体よく断られてるじゃないか……! 完璧に資金をギャンブルで溶かして自滅させる予定だったのに、これだと計画を練り直さないと!!)
秋の冷たい北風が吹くランデックの街。
パベルの悪意の計算(マル秘リスト)は、ヘニョの無邪気なゾロ目によって、少しずつ、狂わされていくのだった。




