第5話:深海、あるいは宇宙の片隅で
「ここは本当に、令和の日本なのか……?」
設楽膳治は、窓が一つもない薄暗いスタジオの片隅で、宇宙服のような防護服に身を包み、呆然と呟いていた。
腰のギックリ腰は、度重なる極限状態の緊張により、奇跡的に「痛みが麻痺する」という進化を遂げていた。しかし、代わりに精神の麻痺が始まっている。
膳治はまたしても命がけのデスゲームのリングに立たされていた。
お題は、『限られた酸素と水で作る、息が詰まるほど美味い宇宙食風ディナー』。
某大手テック企業が開発した「未来の密室型シェアハウス」のPR企画だ。
「先生、今回のルールは非常にシンプルです」
潜水艦のクルーのような制服を着たマネージャーの美咲が、無表情でタブレットを操作する。
「スタジオ内は完全密室。使える水は、配給されたわずかペットボトル1本分(500ml)のみ。さらに、ゴミを極力出さないこと、そして『宇宙でも食べたくなるような近未来的な映え』が必要です。制限時間は30分。なお、酸素が薄くなる演出が入りますので、お早めに」
「エアコンを止めるな! 演出で熱中症にさせる気か!」
膳治は叫んだ。水が500mlしかないということは、パスタを茹でることも、使った鍋を洗うこともできない。料理人にとっては、両手両足を縛られたに等しい絶望的状況だった。
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「水が使えない……ゴミも出せない……。なら、料理を『パック』するしかない!」
膳治は、床に並べられた備蓄食材に鋭い視線を走らせた。
目をつけたのは、「サバのトマト煮缶」、「マッシュポテトの粉末」、そして、非常食の定番である「乾燥米(アルファ米)」だ。
「まずは、主食(主菜)の確保だ。水で戻すのに時間がかかるアルファ米は使わない。代わりに、マッシュポテトの粉末を『スープ』で戻す!」
膳治はジッパー付きのポリ袋を取り出すと、そこにマッシュポテトの粉末を投入。そこへ、500mlの貴重な水……ではなく、「トマトジュース」をドボドボと注ぎ入れた。
水の代わりにトマトの水分と旨味をジャガイモに吸わせる作戦だ。さらにそこへ、サバのトマト煮を缶汁ごと一気に投入し、袋の上から執念深く揉み潰した。
「火は使わない。だが、宇宙食といえば『チューブ』だ!」
膳治は、揉み潰したトマトサバポテトを、製菓用の「絞り袋」に移し替えた。
そして、お皿の上に、まるで近未来の建築物のように、美しく、幾何学的な螺旋状に絞り出していった。
「見よ! 『ルナ・クレーターのトマトサバ・ムース』だ!」
見た目は完全に、SF映画に出てくる高級宇宙食そのもの。一口食べた美咲は、目を見開いた。
「……美味しいです。サバの生臭さがトマトの酸味で完全に消えています。それに、マッシュポテトが水分を吸っているから、無重力空間でも飛び散りませんね。さすがです」
「ふははは! 計算通りだ! 飛び散らない守備力、これぞ宇宙食!」
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しかし、クライアントの要望は「ディナー」だ。メインのムースだけでは、フューチャー感が足りない。
「スープが欲しい。しかし、スープを作る水はない……」
エアコンが止まり、スタジオ内の温度が上昇していく。膳治の額から汗が流れ落ちる。
「いや、水がないなら、『泡』にすればいい!」
膳治は、市販の「コーンポタージュの素(粉末)」を、ほんの少量の水(大さじ2杯)で超濃厚に溶かした。そこに、なんと「炭酸水」を注ぎ込んだ。
シュワシュワと泡立つコーンポタージュ。
「スープを『飲む』のではない。炭酸の泡と一緒に『食べる』のだ!」
膳治はそれを透明なショットグラスに注ぎ、仕上げにフリーズドライのコーンを散らした。
「スープ・デ・『銀河の泡』!」
美咲がそれを口に含むと、パチパチと弾ける音とともに、濃厚なコーンの甘みが口いっぱいに広がった。
「斬新です……! 喉を潤すのではなく、炭酸の刺激で唾液を分泌させて満足感を得る。まさに資源が限られた宇宙の知恵ですね」
「そうだ! 喉が渇くなら、脳を騙せばいいのだ!」
膳治は、自分の天才的なひらめきに酔いしれた。
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最後の仕上げ、デザートだ。
膳治は、余ったわずかなアルファ米(乾燥米)をそのままフライパンに入れ、水なしで乾煎り(いり)した。パチパチと弾けて、自家製の「ポン菓子」のようになる。
そこに、市販のチョコレートシロップを絡め、手で丸めて固めた。
「デザート、『メテオ(隕石)・ショコラ・クランチ』!」
サクサクとした軽い食感と、お米の香ばしさがチョコを引き立てる。これで、ゴミも一滴の水も無駄にしない、完璧な宇宙食フルコースが完成した。
「素晴らしいわ! 設楽先生!」
スタジオのスピーカーから、テック企業の担当者の大絶賛の声が響く。
「これぞ我が社が求めていた『サスティナブル・フューチャー・フード』です! すぐにSNSで大拡散させます!」
「勝った……。私はついに、地球の重力(常識)をも振り切ったんだ……!」
膳治は、防護服を脱ぎ捨て、スタジオの床に大の字になった。エアコンが再び動き出し、涼しい風が彼を包む。
「お疲れ様でした、先生。本当にバズってますよ。トレンド1位です」
美咲がスマホを見せながら、いつもの冷徹な声で言った。
「ああ……これでやっと、普通のキッチンで、普通の肉じゃがとかを作れる生活に戻れるな……」
「あ、次の仕事のオファーが来てます。今回のバズを見た地方自治体からです」
美咲は画面をスクロールした。
「次は、歴史村でのタイアップ企画です。『戦国時代の足軽が、戦の合間に5分で作った、総重量2キロの爆速ガッツリ陣中食』だそうです。当時の食材(米、味噌、塩、ひょうたん)しか使えません。明日、朝4時にロケバスが出ますので、足軽の衣装に着替えておいてくださいね」
「戦国時代!? タイムスリップ!? 私はいつ現代の料理研究家に戻れるんだーーー!!」
密室のスタジオに、膳治の時空を超えた悲鳴がこだまするのだった。




