第4話:青空の下の不条理(アブサード)
「美咲さん。大自然の空気が、私の腰と精神をじわじわと殺しに来ているよ」
山梨県の美しい山々に囲まれた、最先端のグランピング場。設楽膳治は、腰にがっちりとコルセットを巻き、借りてきた猫のように不自然に直立していた。
澄み切った青空、さえずる小鳥。最高のロケーション。しかし、目の前のウッドデッキに並べられた食材を前に、彼の表情は泥のように暗い。
今回のお題は、『大自然の中で、包丁と火を一切使わずに作る、映えるフレンチフルコース』。
「贅沢な大自然の中で、あえて『不便さ』を楽しむのが今のトレンドです」
美咲はオシャレなアウトドアチェアに腰掛け、優雅にハーブティーをすすっている。
「ちなみに今回のクライアントは、超高級ライフスタイル誌。手抜き感のある『ズボラ料理』に見えた瞬間、即ボツです。洗練されたフランスの風を、この森に吹かせてください。あ、撮影スタートまであと45分です」
「火も包丁も使わずにフレンチだと!? 料理の伝統に対する冒涜だ! フランス人が見たら暴動を起こすぞ!」
膳治は叫んだが、腰がピキッと鳴り、すぐに大人しくなった。
残された時間はわずか。彼は残された脳細胞をフル回転させ、現代の文明利器とサバイバル能力の融合を試みた。
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まずは前菜だ。フレンチたるもの、見た目の華やかさが絶対条件。
「包丁が使えないなら……手でちぎる! いや、『ピーラー』だ。あれは包丁ではない、文房具のようなものだ!」
膳治はズッキーニとニンジンをピーラーで薄く、リボン状に何枚も削り出した。それをくるくると巻いてバラの花に見立て、お皿の上に並べていく。
味付けには、持参した「レモン風味の炭酸水」に塩とオリーブオイル、そしてハーブを混ぜた特製ジュレ(ゼラチンで事前に固めておいたもの)をクラッシュして散らした。
「どうだ! 『夏野菜のリボン仕立て〜爽快カプリス・ジュレ〜』だ!」
木漏れ日を浴びて、炭酸の泡を閉じ込めたジュレがキラキラと輝く。完璧に映える前菜が、火も包丁もなしで完成した。
「あら、意外とフレンチになってますね」
美咲が珍しく小さく拍手する。しかし、本番はここからだ。メイン(プラ)には、圧倒的な「肉の満足感」が求められる。
「火を使わずに、冷たい肉料理……。ローストビーフの市販品を切るだけでは芸がない。フレンチのメインを張るなら、煮込み料理のような深みが欲しい」
膳治は、グランピング場に備え付けられていた「あるもの」に目をつけた。
それは、ウェルカムドリンク用に用意されていた、キンキンに冷えた缶の「黒ビール」。そして食材の中にあった「コンビーフ缶」と「クリームチーズ」だ。
「フランス北部の郷土料理に、ビールで肉を煮込む『カルボナード』という料理がある。火が使えないなら、『化学反応』でそのコクを再現する!」
膳治は器にコンビーフを入れ、フォークの背でガシガシと潰した(包丁は使っていない)。そこに、少量の黒ビールを注ぎ入れる。黒ビールの持つ麦の苦味とコクが、コンビーフの牛脂のクドさを一瞬で高級感のある「熟成肉の風味」へと変貌させたのだ。
さらに、そこにクリームチーズと、隠し味のマスタードを練り込む。
「仕上がりの美しさは、アウトドアの『ワイルドさ』でカバーする!」
膳治は、そこら辺に生えていた(一応、食用と確認済みの)白樺の太い枝の皮を器代わりにし、そこに練り上げたコンビーフを美しく盛り付けた。仕上げに、市販の乾燥トリュフ塩をパラリと振る。
「メインディッシュ、『漆黒のビールが醸す、ギュー(牛)・コンフィのパテ〜大自然のいぶきを添えて〜』だ!」
付け合わせのバゲット(手で豪快にちぎったもの)にそれを乗せて食べた美咲は、一口食べた瞬間、動きを止めた。
「……濃厚です。黒ビールの苦味がコンビーフを完全に化けさせました。目をつぶれば、ここはパリの老舗ビストロです」
「ふははは! 見たか! 料理とは、物理ではなく化学なのだよ!」
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最後はデザート(デセール)だ。
膳治は、ジッパー付きのビニール袋に「冷凍のミックスベリー」と「マシュマロ」、そして少量の「ヨーグルト」を投入。それを、自分の体重(とコルセットの圧力)を利用して、お尻で優しくプレスした。腰のリハビリにもなる絶妙な空気圧だ。
マシュマロのゼラチン質とヨーグルトが混ざり合い、ベリーの酸味で一瞬にして濃厚な「ムース・オ・ショコラ」ならぬ「ムース・オ・ベリー」が完成した。
カカオパウダーを上からまぶせば、どこからどう見ても高級ホテルのデザートだ。
「デザート、『ショック・ド・ベリーのふんわりムース』だ!」
すべての撮影が終わった時、クライアントの編集長は「これぞ、令和のアウトドア・エレガンス!」と大絶賛。膳治は見事に、大自然の不条理な無理難題をゴールへと叩き込んだのだった。
「先生、素晴らしかったです。これで腰さえ治れば完璧ですね」
美咲が笑顔で片付けをしながら言った。
「ああ、今回は本当に命が削られたよ……。さあ、帰って泥のように寝よう……」
「あ、すみません先生。次の撮影、スタジオではなく『深海3000メートルの潜水艦内』という設定のスタジオでの密室ロケになりました。テーマは『限られた酸素と水で作る、息が詰まるほど美味い宇宙食風ディナー』です。今すぐ新幹線で移動しますよ」
「深海!? 宇宙!? 次はどこへ行くんだ私はーーー!!」
膳治の悲鳴が、どこまでも高い秋の青空へと吸い込まれていった。




