第3話:魔球はベッドの下から生まれる
「……動けん。一歩も、1ミリも動けんぞ……!」
設楽膳治は、自宅スタジオのフローリングの上で、まるで打ち上げられたトドのように硬直していた。
原因は、先ほど床に落とした計量スプーンを拾おうとした、その刹那。腰の奥で「ピキィッ!」という、この世の終わりを告げる破裂音が響いたのだ。
世に言う「魔女の一撃」――ギックリ腰である。
そこへ、容赦のない足音が近付いてきた。マネージャーの美咲だ。
彼女は床に這いつくばる膳治を見下ろし、ため息すらつかずにスマホの画面をタップした。
「先生、お気の毒ですが、クライアントのガテン系WEBマガジンから最終確認が来ました。本日のお題は『ギックリ腰でも作れる、腹ペコ限界大盛り男飯』。皮肉にも、今の先生にこれ以上ないほどぴったりなテーマですね」
「美咲さん……鬼か! 私は今、呼吸をするだけで腰に激痛が走るんだぞ! 大盛り男飯といえば、重い中華鍋を振り回し、大量の肉を炒めるのが様式美だろうが! 物理的に不可能だ!」
「クライアント曰く、ターゲット層は『肉体労働で腰を痛めたが、ガッツリ食って寝たい独身男性』だそうです。まさに今の先生です。さあ、包丁も握れない男の底力、見せてください」
美咲はそう言うと、膳治のすぐ横に、カセットコンロと、いくつかの食材を「床に直置き」した。
「制限時間は1時間。這ってでも作ってください」
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膳治は涙を流しながら、床を這った。ミリ単位の移動。
「くそ、腰を曲げずに、かつ最小限の動作で『大盛り』を成立させるにはどうすればいい……?」
まず、中華鍋を振ることは諦めた。包丁で食材をトントンと刻む振動すら、今の腰にはダイナマイト級の衝撃だ。
「包丁は使わない。まな板も洗うのが辛いから却下だ。そして、極力『立ったままの作業』を排除する……!」
膳治は仰向けのまま、手を伸ばして床の食材を手繰り寄せた。
目をつけたのは、「豚バラ薄切り肉」、「もやし」、そして「冷凍うどん2玉」だ。
「男飯の基本は、炭水化物と脂の融合。ならば、フライパンすら使わない『ワンパン』……いや、『電子レンジ一発』だ!」
膳治は、ほふく前進で電子レンジの前にたどり着くと、耐熱の深皿(大盛り用)を床に置いた。
まず、包丁の代わりに両手を使う。もやしを袋からそのままドサッと皿にぶちまける。包丁不要。
その上に、冷凍うどんを凍ったまま2玉、ドカンと鎮座させた。
「ここからだ……。ガテン系の心を掴むには、圧倒的な『茶色』と『アブラ』が必要だ!」
膳治は豚バラ肉をハサミで豪快にチョキチョキと切りながら、うどんの上に敷き詰めていく。肉の布団だ。
さらにその上から、おろしニンニク(チューブ)を5センチ、醤油、みりん、そして隠し味に「粉末のチキンスープの素」と「ごま油」を回しかけた。
「ふははは! 包丁も火も使っていない! あとはこれを、レンジに放り込むだけだ!」
皿をレンジに入れ、ボタンを押そうとした瞬間、膳治の指が止まった。
「いや、待て……。これではただの『豚肉ともやしのうどん』だ。大盛り男飯を名乗るには、もう一押し、圧倒的な『バカっぽさ(褒め言葉)』が足りん……!」
膳治は必死に頭を回転させた。腰の痛みが脳を研ぎ澄ましていく。
「美咲さん! 冷蔵庫から『ポテトサラダ(市販)』と『ピザ用チーズ』を出してくれ!」
「え? ポテサラですか?」
美咲が渡したポテトサラダを、膳治はレンジに入れる前のうどんの頂点に、アイスのディッパーのようにボトッと乗せた。さらにその上から、ピザ用チーズを雪山のようにドカ盛りした。
「先生、それはさすがに狂気を感じます」
「いいからレンジで8分だ!!」
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チーン。
加熱が終了した。レンジの扉を開けた瞬間、凄まじいニンニクとごま油、そして焦げたチーズの香りが部屋中に爆発した。
膳治は腰を「くの字」に曲げた奇妙なポーズのまま、執念で皿を取り出した。
そこにあったのは、もやしの水分で絶妙に蒸し上がったモチモチのうどんと、ジューシーな豚肉。そして、レンジの熱でドロドロに溶けたポテトサラダとチーズが混ざり合い、濃厚な「特製ホワイトソース」のようになって全体を包み込んでいる怪物料理だった。
「名付けて……『腰痛打破!トリプル炭水化物の爆速ニンニクチーズうどん』だ!」
膳治は床に座り込んだまま、豪快に全体を混ぜ合わせ、一気にすすった。
「う、美味い……!!」
ポテトサラダのマヨネーズとジャガイモのコクが、ニンニク醤油ベースのタレと完璧に融合している。もやしのシャキシャキ感が、2玉のうどんという重量級の炭水化物を飽きさせずに限界突破させる。何より、一歩も立ち上がらず、包丁も洗う手間もほぼゼロで、この満足感だ。
美咲も恐る恐る一口食べ、驚いたようにメガネを上げた。
「……信じられない。ジャンクの極みですが、ポテサラを調味料代わりに使うことで、包丁いらずで信じられない深みが出ています。これ、ガテン系の心を完全にノックアウトしますね」
「勝った……。ギックリ腰に、私は勝ったんだ……!」
膳治は感動の涙を流し、そのまま床に大の字になって眠ろうとした。
「お疲れ様でした、先生。クライアントも大絶賛です。……あ、そういえば次の連載の依頼が今入りました」
美咲は非情なトーンで告げた。
「次は、流行りのグランピング企画です。『大自然の中で、包丁と火を一切使わずに作る、映えるフレンチフルコース』だそうです。現地集合なので、明日の朝までにそのバキバキの腰、治しておいてくださいね」
「大自然の中で……火を使わないフレンチ……!? 注文の矛盾がアウトドア級にデカすぎるだろおおお!」
静まり返った夜のスタジオに、膳治の悲痛な叫び(と腰の悲鳴)が響き渡るのだった。




